【9-1】向日葵 上
【第9章 登場人物】
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「ととさま、どうしても引っ越さなければいけないの?」
娘の言葉に、父は寂しそうに笑うだけだった。
レイス家は、代々帝国の内政に従事する名門であり、セラの父・ゲラルド=レイスも内務省に出仕する高級官僚であった。
組織というものは、そのサイズが大きくなるほど、常に内部での争いや駆け引きが絶えない。
帝国内務省も例外ではなかった。
帝国暦367年、内務次官・グレン=エティブを中心とする派閥と、急速に力を得始めていた第1課長・ターン=ブリクリウを中心とする派閥が、抗争を繰り広げていた。
ゲラルドは前者に属し、後者と
しかし前者の抵抗は旗色が悪かった。後者には、新進気鋭のオーラム家の追い風が、しっかりと吹いていたからである。
内務省次官派は、「名門」や「伝統」といった旧態依然としたものに固執した。
第1課長派など、「新参者」や「成り上がり者」に過ぎないと
そうしたなか、ゲラルドは「新参者」からの誘いをことごとく
内務省監査職として、「成り上がり者」による不正にも、次官派の者による
レイス家への訪問客が途絶えた。
年始めや皇帝誕生祭など、事あるごとにおべっか使いに来ていた貴族たちが、寄り付かなくなったのだった。
それは、少年セラとその妹エイネが学校で嫌がらせを受け始めた時期とも一致する。
だが、親の抗争よりも、子どもの
前兆はあった。エイネは幼年学校の頃から芸術、とりわけ絵画の才能を発揮しつつあった。
対象物を正確に描くことでは、エイネに勝る者はいたが、その対象物に命を吹き込むという点においては、彼女の右に出る者はいなかった。
高家の子弟たちは焦った。宮廷画家を何名も輩出している名家の
しかし、芸術とは、その才能が必ずしも遺伝するものではなく、発揮できる力量が年齢に比例するわけでもない。
だが、そのような残酷な現実に関係なく、帝国の芸術一門に生まれた者は、物心ついた頃から、その分野に専念させられる。
つまり、彼らにとって、お家芸以外にすがるところはないのだ。
そんな彼らが無名の少女によって、己の存在価値が失われようとした。
大多数の者が良からぬたくらみを胸に抱き、一部の者がそれを実行に移してしまうのだった。
だらりと腕が下がり、力を失った相手は、もはや何の反応も示さなかった。
前歯が折れ、顔面はすべて朱に染まっていた。鼻から抜ける空気が、少しだけ甲高い音を立てている。
少年セラは馬乗りになり、上級生の胸倉を
彼は、有無をいわさず殴り続けていたが、右腕が吹きすさぶ暴風低気圧とすれば、さしずめ頭脳はその中心部よろしく、穏やかかつ冷静だった。
――このままじゃいけない、このままじゃ。
――こいつ後遺症が残ってしまうんじゃないか。
――それだけで済むのか。
セラの拳も皮膚が破れて出血していた。
最初は、指の間に短い鉛筆を挟んで痛打を加えていたが、先端が折れ用をなさなくなったため、いまは素手で殴り続けている。
血液が混ざり合い、殴打するごとに拳が滑った。
「あにさま、いけません……」
後ろから妹が止めにかかるが、少女も手の甲から出血しており、痛みのため声に力を込めることができない。
そのため、兄は腕を振り上げることをやめようとしなかった。
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
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レイスたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢
【予 告】
次回、「向日葵 下」お楽しみに。
しばらく息を整えていたセラは、ゆっくりとエイネに振り返った。
兄の拳、胸元、頬と返り血がべっとりこびりついていた。どす黒い色に染まった袖は、かさかさに乾いている。
後難を恐れ、取り巻きの貴族子弟たちは、みな悲鳴を上げて逃げ出す。
妹は傷ついた右手をかばうことも忘れ、無言のままセラを抱きしめた。
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