【2-15】祝勝会 上

【第2章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700428630905536

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 死傷者1万6,000人――。


 ヴァナヘイム軍は、わずか2日間で信じられないほどの将兵を失った。


 王都・ノーアトゥーンの軍務省では、報告の桁が間違っていないか、次官・ケント=クヴァシルが通信兵に念を押したほどである。


 ヴァ軍にとって、このヴィムル河流域会戦は、被害人数からして、もはや戦闘などではなく、の部類に入るだろう。


 総司令官ヤンネ=ドーマル大将以下、将校の名が記された戦死者リストを、クヴァシルはくわえ煙草のまま、穴が開くほど見つめた。


 そこに、後輩・アルベルト=ミーミルの名前がないことを確認すると、彼は紙巻を灰皿にすり潰し、ゆったりと煙を吐き出した。



***



「我が軍の完勝に乾杯!」


「敵粉砕を祝して、乾杯!」


 帝国東征軍総司令部・祝勝会会場は、作戦成功に沸き返っていた。


 会場は、ヴァーラス郊外の町の広場であったが、夕闇を飛ばすほど篝火かがりびが焚かれている。


 そこでは、高価なアルコールが次々と開栓され、高級食材を用いた料理が惜し気もなく振る舞われた。


 貴族将軍たちはここぞとばかりに礼装に改め、ぜいをこらした酒食を囲んでいる。



 目深にかぶった軍帽のつばを片手で押さえながら、従卒姿のソル=ムンディルは周囲を見回していた。しかし、賑やかな宴の場に、帝国軍を完勝に導いた紅毛の先任参謀の姿はなかった。


 凸型の駒が描いた赤いは、いつまでも少女のまぶたから消えようとしなかった。


 作戦案のとおり確実に進んでいく序盤戦、村ごと敵司令官を消滅させた中盤戦、上流攻囲戦場への激しい指示が飛んだ終盤戦――それらの興奮が冷めやらない。


 帝国軍を示す赤駒は1つとして無駄な動きがなく、ヴァナヘイム軍を示す青駒がことごとく無力化された作戦投了図は、もはや芸術品であった。


 そして何より、少女はそのくすんだ赤髪をひときした大きな手が忘れられなかった。




 セラ=レイスは、カンテラを1つ灯しただけの総司令部で、1人書類の整理をしていた。


 わずかに開いた扉の先に、目当ての青年将校を見つけ、ソルは室内をそっとうかがう。


 数日間、幕僚たちの熱気をはらんだこの部屋も、いまは静まりかえっている。いつの間にか風もおさまり、冷たい夜気すら入りこんでいた。


 暖炉に火を入れたのは、光源や暖の確保に加え、不要な機密書類を焼くためのようだ。レイスが書類を放り込むと、炎が瞬間的に広がり、彼の整った鼻筋に陰影が生まれる。


 ソルは、この光景をもう少しだけ独り占めしていたかった。


 どうしてなのかその理由は分からない。しかし、いつまでも扉の外からのぞいているわけにもいかないことは分かっている。


 呼吸を整え、かけるべき言葉を何度か口ずさんだあと、少女は扉を少しだけ先に押した。


「は、入るわよ」

 口ずさんだ甲斐もなく、声は震え嚙んでしまう。


 突如向けられた母国語とは異なる言語に、レイスは顔を上げた。その視線を直視できず、ソルはそっぽを向いてしまう。


 いつもの憎まれ口の1つや2つがすぐに飛んでくると両目をぎゅっとつむったが、それは杞憂きゆうに終わった。


 むしろ、手応えのなさに、少女は恐る恐る青年の様子をうかがう。

「……?」


 横暴に手足が生えているような男が、明らかに活力に欠いている。


 彼はその長い背を丸め、ただこちらを見つめるだけであった。またたきを忘れたあおい瞳は、心なしかよどんでいる。


 そんなレイスの口が小さく不自然に動いた。そこからこぼれ落ちたのは、ソルの耳には女性の名前のように聞こえた。


 かすれたような声のため、判然としなかったが、


 ――エイネ?


 少女が首をかしげたのと、室外から賑やかな話し声や足音が聞こえてきたのは同時だった。





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「航跡」続編――ブレギア国編の執筆を始めました。

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この先も「航跡」は続いていきます。


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【予 告】

次回、「祝勝会 下」お楽しみに。


レクレナの挑戦的な様子を目撃して、ソルは整頓の手を止める。口をへの字に曲げて、そこに割り込んでやろうと、小さな軍靴を踏み出す。


しかし、トラフからペンとインクを整理するよう、文具の入った小箱を山と渡され、少女は近づくことができない――。


ソル、レクレナ、トラフ……三つ巴の……?

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