第5話 涙雨

「天気わるいですね」


 曇天の空

 今にも振り出しそうな気配が広がる暗い空


「たまには降らないと、草木の成長にも影響するわ」


 先輩は 本から目を外して景色を収める


「電気つけますか?」


 そうね と言って 先輩は思案顔をした


「枯木君に、小噺でもしてあげようかしら」


 二~三回 蛍光灯は欠伸をするように点滅してから部屋を照らす


「お願いします」


 先輩は 濡葉色の栞を挟むと滑らかに話し出した


「昔々あるところに――


 一人の少女がいました


 少女は 母親に連れられて施設の前で告げられます


〈必ず迎えに来るから、いい子にして待っててね〉と


 少女はコクリと頷き母親の背中を見送りました


 それから 数ヶ月の時が流れて少女は思いました


 いい子の意味がわからない と


 少女は 職員のおじさんに聞きました

 

 おじさんは言いました


〈おじさんのすることをだまっていることだよ〉と


 少女は 黙っていました


 血が流れて お腹が痛くなっても我慢しました


 けれど 母親は迎えに来ませんでした


 少女は お姉さんに聞きました


 すると お姉さんは言いました


〈おねえさんのすることをだまっていることだよ〉と


 少女は 黙っていました


 そうして見えない所にたくさんアザが出来たけれど 母親は来ませんでした


 少女は 考えました


 夜泣くから悪い子なんだ と


 少女は 涙を堪えました


 直ぐに溢れそうになる涙を堪えました


 けれど ポツリポツリと頬を伝います


 それ以上泣かないように 少女は太ももを抓って我慢しました


 そうして 天井で見えない空を見上げて我慢しました


 それから暫くして 母親と泣くことを少女は忘れていきました……とさ」


「なんだか可哀想な噺ですね」


「そう? 教育とは時に無情よ」


「教育論だったんですか?」


「さて、この子はどんなふうに成長していったでしょうか?」


「捻くれてしまったか、真っ正直に強くなったかのどちらかでは?」


 先輩は微笑む

 どうやら 答えは聞けないようだ


「天気は好きな時に泣くけれど、私達が帰る頃までには泣き止んで欲しいものね」


頬杖をついた先輩が 明るさと暗さを孕んだようにしていう


「傘、持ってこなかったです」


 放り投げるように外を見た僕の目に ポツリポツリと涙のような雨粒が見えた

 ガラスに当たったそれと先輩の頬が重なる


「それは可哀想ね。下足場までなら入れてあげるわよ」

 

 先輩は スクールバックから折り畳みを取り出した

 赤地の傘

 パッと開くと 椿が一輪挿しで見事に描かれていた


「意味ないじゃないですか」


「そんなことはないわ。三日に一度は雄から告白されて、月に一度は雌から求愛される私と一つ同じ傘の下になれるのだから」


「なんか、明日には大変なことが待ち受けていそうです」


「死んでも部活には顔を出すのよ」


「死ぬ前提ですか」


「構わないわ」


「僕が構います」


 そうして「今日は早めに帰りましょう」と言って先輩は立ち上がった


「……晴れてきましたね」


「さっきの噺の答えかしら」


「……かもしれませんね」


 夏空に向かう空は 何処か寒い春にしがみついているようだった

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