第4話 嫋やか
パタン と 本を閉じた
「文豪の考えは、私には理解できないわ」
はす向かいの麗人は 溜息を吐く
「というと?」
書類棚の奥にあった小説だと言って 表紙を見せてくれる
「ああ、坊ちゃんですね」
手元には いつも目にする桜色のカバーが掛かったのと もう一冊
「庭の端まで行ったのに、菜園があるのよ」
「庭と菜園は別ということなんじゃないでしょうか?」
「私の家では、そこを庭というわ」
「まー、感覚的なものということで」
「うちの庭の方が間違いなく大きいはずよ」
「そこで漱石と張り合うんですか?」
「それに、これ」
手元の一冊を起こす
「女生徒……太宰治ですね」
「恋愛でもないことを朝から雑多に考えている少女よ。怖いと思わない?」
「考え事くらい、誰でもするんじゃないですか?」
「その考え事をしていることをさせているのがおっさんよ」
「それを言ったら、小説にしろなんにしろ興醒めになってしまいますよ」
「そんなことはないわ。それを想像しながら読むことに意義があるのよ。だから、女生徒のジャンルはホラーね」
「先輩らしいですね」
「貴方が私の何を知っているというの?」
小首を傾げて笑むさま
あざといという日本語が直ぐに浮かんで来た
「知りません」
「そして、これ」
先輩のスクールバッグのチャックが音を鳴らす
「雪国……」
「この駒子っていう女、車の窓に張り付くようなシ―ンがあったわ。まるで貞子」
「読者がどう思うかによるんじゃないでしょうか?」
ゆっくりと 右の人差し指を瑞々しい唇へ当てた先輩
リップでも塗っているのだろうかと過る
「ということは、貞子に性的興奮を覚える人もいるということよね?」
「……そうかもしれませんね」
「確かに、想像を膨らませれば魅力的かもしれないわ」
「今度、そういう目で観てみます」
「枯木君では無理よ」
「どうしてですか?」
「私を見ているから。そこら辺の女では物足りないに決まっているわ」
「貞子は、そこら辺の女ではないと思います」
「そう? それならちょっと待ってて。髪の長さは問題ないから、後はくたびれた白いワンピースを――」
僕は 異様なオーラを醸し出す細い肩を押さえた
「あら、セクハラよ」
「普段のことを考えればこれくらい」
「相手がどう思ったのかが大事ではないのかしら?」
妖艶な瞳で僕を見つめる
「……すいません」
「あら。私が本当にセクハラと思ったかどうかは分からないでしょ?」
「……今しがたの心情について謝罪しました」
「では、この状況は?」
瞬時に回答を模索したが無理だった
「えっと……」
先輩は 僕の手を優しく包み込んで解きつつ にじり寄る
「あの、先輩……」
「なぁに?」
清流が 静々と流れるように整った美を寄せてくる先輩
僕は 視線を逸らせない
丘陵の上のリボンの先が嘲笑っているように見える
(白……かな)
布地が邪魔だと 欲望が咆哮した
妄執のような情念が 透かして視たいと渇望する
月読姫のような 麗しき面が目の前に迫る
甘い吐息で絡め捕られてしまったように 僕の思考は停止していく
やんごとなき滑らかな指先が 黄泉へ向かわせるように僕の顔を這ってきた
どうにでもなれ! と、僕は目を閉じた――
「――こな」
擦る感覚
「…………え?」
「粉がついていたわ」
指の腹を見せる先輩が 遠ざかる
「あ、ありがとう……ございます」
高揚するものが 寂寥感を伴って霧散していく
「このご時世、パリピを嗜むなら証拠は残さないことね」
「チョークの粉だと思います!」
短い宴が終わると 羞恥心が「ヤッハロー!」と訪れてきた
火照るもが知性を奪って抜けていくと 頭の底が白かった
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