7-6
巨体をふるわせながら、化け物は触手の先についた目玉でぎょろぎょろと周りを見渡していた。
とりあえずは、ルカ達に襲ってくる気配はない――化け物は何かを探しているようにルカには見えた。
(なんだ……?)
先ほど倒した実験生物が床の上で跳ねていた。わずかな魔力を使って、逃げ出そうとしているのか羽をばたつかせている――と。それに向かって化け物は溶けるように肉を伸ばした。あっという間に実験生物は取り込まれた。
(……魔力に反応しているのか?)
そういえば、ルカが魔術を放った時も、過剰に興奮していたように思える。あの電撃が走る檻の中でも無遠慮に暴れるくらいには。
「おいおいおい相棒、アイツ、なんかでっかくなってね……?」
口元をひくつかせたリンドに言われて、ルカは化け物の様子を伺った。確かに、徐々に床を引きずる肉が広がっているように見える。壁にも肉を伸ばし、この部屋を覆いつくさんばかりに肥大していた。
「……魔力を取り込むと、身体が大きくなるのか……?」
化け物の肥大化は止まらない。ルカは眉をひそめたあの実験生物に、たいした魔力が残っているようにはルカには思えなかったのだ。
はっとして、ルカはリンドに尋ねた。
「なあ、あの化け物の中に――カーバンクルの魔力は感じないか?」
「はあ?……なんやかんやまぜこぜになってるけど、……確かに……」
リンドは目をすがめて、アンジュを見た。ルカにはよくわからなかったが、なんらかの方法か感覚でカーバンクルの魔力を探っているのだろう。
「なんつーか、どっかからかカーバンクルの魔力を流し込んでる、って感じだ」
「流しこんでる?」
「……なんだかよくわかんねーけど――」
「魔力を供給し続ければ、彼女の心臓が動き続けるように僕が設定したんだ。心臓と言うのは、便宜上の名称で、正確には、ゴーレムが動き続けるための核だ」
リンドの疑問に答えるように、声が響く。その声の方向には、ヨハンが居た。
「行け」
ヨハンの無感情な声が響く。ヨハンの足元から、おびただしい数の小さな人型のものが、わらわらとアンジュに向かって行く。
その小人たちは次々にアンジュの体の中に取り込まれていくが、数が多すぎてアンジュはルカ達の方へ注意を向ける事ができないようだった。
「ヨハン……」
ハーメルンが咎めるような声で呼んだ。しかし、ヨハンは部屋の中へ踏み入れ、アンジュをじっと見つめる。
「なんなんだろうな、これは。私には分からない。もう私がヨハン・パートランドではないからだろうか」
どうしようもない一言だった。そして、そのヨハンの問いには、誰も答えることができない。
「檻から出してしまったんだな」
「そうじゃないと殺せなかったからな」
「あの障壁は、彼女の肥大化を抑えるためのものだったんだが……なるほど、確かに出さなければ殺せないな。結局私も彼女を守っていた、ということか……」
自嘲気味に、ヨハン。それに対してルカは首をかしげる。
「どういうことだ?」
「失敗したんだよ。制御にね。核から魔力が漏れ出てしまっているんだ。その影響で暴走を起こして肉がどんどん肥大化している。だけど、大量の魔力を注ぎ続けなければ、彼女はやがて死んでしまう。だから魔石に膨大な魔力を持っているカーバンクルから直接魔力を引きだしている。彼女の核に、直接カーバンクルの魔石を繋げてね」
ヨハンはアンジュの背に繋がっている太い管を指さした。天井に繋がっている。最初にハーメルンが言った、カーバンクルたちのいる屋根裏部屋だろう。
「なら、魔力の源を断てばいいってことだな」
「じゃあアレを引き抜けばいいんだろ」
ルカが言ってからすぐリンドはそう言うと、弾かれたように床を蹴った。突発的な行動に、ルカは面食らった。
小人に夢中になっていたアンジュだったが、接近してくるリンドを察知したらしく、部屋を駆けているリンドに肉を伸ばしてくる。
肉の伸縮に特に制限はないようで、伸びてくる肉は縦横無尽にリンドの事を捕らえようとしている。無論、リンドもそう容易く捕まる事はないが――肉が伸びれば伸びるほど、逃げ場がなくなっていく。
「うわ」
リンドが壁を蹴った瞬間、後ろで二股に分かれた肉に足を引っ掴まれ、彼は苦痛そうに顔を歪める。
リンドが肉に掴まれた箇所は焼かれるような熱さと痛みが走った。
「クソ!」
リンドは苛立ったように声を上げると、その場で身体を回転させ、掴まれていない方の足でその肉を鋭く蹴りちぎった。アンジュは絶叫し、巨体をまた震わせる。
「お帰り」
リンドがルカ達のいる場所まで戻ってくると、鬱陶し気に張り付いた肉をひっぺがしていた。リンドのズボンは焼け、肌には丁度肉が覆っていた形で火傷がしっかりと残されていた。
「——オレさまだからまあこの程度だけど、多分ノロマの相棒には無理」
「……そもそも管を引き抜こうとすんのはまず不正解だ」
目をすがめて呆れたように言うルカに、リンドは口を尖らせた。
「じゃあどーすんの」
「体内に存在するはずの核を破壊するのが一番簡単だろうが」
「ご名答だ」
言いながら、ヨハンはアンジュに向かって歩きはじめる。アンジュは触手の先に着いた目玉をヨハンの方へ一斉に向けた。
「僕の身体は、アンジュに取り込まれた時、爆発する様に術式を設定している。肉が剥がれている間に、核を破壊してくれ。きっとまた核が肉を集め始めようとするだろうから、それにも気を付けつつ頼んだよ」
ヨハンの言葉にはっとして、ルカは口を開きかけたが、それをハーメルンが制止する。
「ルカ君。ヨハンにとっての、けじめなんだとおもう」
ハーメルンに言われて、ルカは顔を俯かせた。
「ハーメルン」
「なに」
「すまなかった」
「許してほしいの?」
「わからないが、そうするべきだと思った」
「そう」
短いやり取りを終えて、ヨハンはアンジュの目の前で止まった。アビゲイルと同じように、ヨハンの目は化け物を見るような目ではなかった。
「二人とも、私を、どうか、赦してくれ」
そうヨハンが小さく呟いた刹那、アンジュは肉を広げてヨハンを取り込んだ。
ずるりとヨハンが取り込まれた瞬間、巨体が不自然に揺れる――そして、どうん!っと音を立てて、肉や触手がはじけ飛んだ!
何度か小さな爆発が起きて、アンジュの絶叫が部屋中に響き渡る。ひときわ大きな爆発の後、肉がこびりついた赤く輝く巨大な宝石が露になった――天井に伸びている管に繋がっているのを見るに、ルカはあれが核だということが分かった。それに向かってひた走る。無論それを放置するわけもなく、アンジュは飛び散った肉や、核に巻き付いた触手を伸ばして、ルカ達に襲い掛かった。
ルカのすぐ近くで、ハーメルンが大きな肉塊を切り裂いた。それと同時に上がる声は、少女とくぐもった声を合わせたような鳴き声だった。どうにもそれが、ルカの神経を逆なでる。
(何度目だろう、心を無くしたいと願ったのは。こんなものがなければ、俺は楽になれるのに)
そんな事を考えている間にも、辺りに飛び散った肉は核を守ろうと伸縮し、結集しようとしていた――くだらない思考を振り切る。ルカは魔術を使い、衝撃波で核を覆いかけた肉をを再度爆散させる。バラバラになった肉の中で、少女のものだったらしい腕を踏みつぶして、ルカは自分の心臓を握りつぶしたくなった。
何も言わなくとも、各々するべきことがわかった。ルカは肉が核に集まるのを阻止し、それでもあぶれた触手や肉をリンドがなぎ倒す。身軽ですばやいハーメルンが、核を破壊する。
「だあっ!」
ハーメルンのナイフが核に突き刺さる。見た目より硬質でないそれは、まるで柔らかい肌のようだとハーメルンは思った。ずぶ、と深くまで突き刺すと、アンジュの悲鳴のような鳴き声が響き渡った。
するとアンジュは最後の力を振り絞っているらしく、際限なく肉や触手を伸ばしていた――とにかく核から漏れだす魔力の代わりに新たな魔力を取り込もうとしているのだと、ルカには分かった。
途端、建物が激しく揺れた。轟音が響く――屋敷のどこかで爆発が起きたようだ。
「ヨハンが仕掛けたのか……」
何かがあった時――恐らく、アンジュに危険があった時に、建物を爆破するような術式でもかけられていたのだろうと思って、ルカは舌打ちした。
「ルカ君! 早くカーバンクルの部屋に!」
襲い来る肉や触手を相手取りながら、ハーメルンが叫んだ。暴走状態のアンジュを一人で担うには荷が重すぎるとルカには思えるほどハーメルンの身体は傷ついている。
「ハーメルン!」
「いざとなったら窓の隙間からでも逃げるよ。コイツは弱ってるし、大丈夫」
「はよ来い! アイツら多分殆ど魔力すかんぴんだ!ほっといたら爆発どころの騒ぎじゃねーぞ!」
リンドは怒声を上げると、ルカのローブを引っ掴んで走った。
(だめだ、ハーメルンにはそんな魔力の余裕なんて――)
無理だ、と叫ぼうとするルカはハーメルンともう一度目が合った。声は聞こえなかったが、ルカに何かを伝えているようだ。
「ありがとう」「わかってる」「大丈夫」口の動きで分かったのはそれだけだった。そうしてから、またハーメルンは飛んでくる肉塊や、彼を捕らえようとする触手にボロボロの身体で躍りかかった。
また爆発が起きる。揺れも気に留めず、ルカが留まろうとするのも無視して、リンドはルカを引きずりながらカーバンクルの居る屋根裏部屋へ駆け込んだ。
部屋に入った途端、透明な筒に詰め込まれたカーバンクルたちは苦しそうな顔をしていた。それぞれ一匹一匹の額の宝石には細い管がつながっている。
リンドは力任せに筒をかち割った。瞬間、ばちいっ!と弾けるような音がする。電流が流れるような術式が刻まれていたようだったが、気が立っていたリンドには意味のない物だった。
冷静さをようやく取り戻したルカは、カーバンクルたちそれぞれの魔石につなげられた細い管を剥がす。カーバンクルたちの表情から苦しみが消えていくようにルカには思えた。
そして――また爆発。今度は近い。揺れも激しかった。怪物の苦し気な絶叫が聞こえる。ルカはドアノブに手をかけた。出て行こうとするのを、リンドが強く肩を掴んで止める。
「——っ」
「お前、戻る気かよ」
リンドは非難じみた声でそうルカに尋ねた。
「けど!」
「そのうち死ぬだろ」
リンドの言葉に、ルカは「どっちがだ」と尋ねたくなった。そんなものの答えはルカにもわかっていたので、唇を噛んだだけだったが。
「巻き込まれてお前まで死なれたら俺が困んだよ、分かれ」
リンドは続ける。冷徹な声音で、正論をルカに叩きつけ続けた。
「お前だってガキじゃねえだろ。アイツだってガキじゃねえから、残ったんだ。わかるだろ」
「…………」
リンドの言葉に、ルカは否定も肯定もしなかった。
「ここ、結界とやらは張られてんのかよ」
「…………そこまでのリソースがなかったみたいだから、張ってない。多分、カーバンクルを閉じ込めるためのこの装置に、魔力の殆どを使っていたんだと思う」
リンドの問いに、淡々ととルカは答えた。こんな時だというのに、正確に答えられる自分に苛立った。
「ならこの部屋の壁はぶっ壊せるって事だな」
リンドは言いながら、ちらりと扉の方を見た。アンジュの残骸がこの部屋にも入り込もうとしている。ぎちぎちと嫌な音を立て、ぶちやぶろうとしているのか、扉は変形しかけていた。ルカもそれでやっと状況を理解したが、それでも受け入れたくはなかった。
「さっさと出るぞ」
カーバンクルたちを捕まらせたリンドがルカを急かす。
「けどっ……」
「分かんねえ奴だな! もうソッチの部屋はバケモンの肉でいっぱいだ、あのガキは死んだ! 意味ねえんだよ!」
リンドはそう叫ぶと、ルカの腕を引っ掴み、壁を蹴り破って外へ飛び降りる。
その数秒後に、大きな爆発が起きる。爆風でルカ達は吹き飛ばされ、悲鳴を上げながら地面に叩きつけられた。
叩きつけられた痛みにうめきながら、ルカは屋敷の方へ視線をやった。
屋敷は激しく炎上していた。アンジュのけたたましい絶叫がまだ聞こえるが、それもやがて消えていく。
「……………」
ルカはただ燃える炎を見つめるしかできなかった。悔しがるでもなく、泣くでもなく、怒るでもなく、ただ、呆然と燃え盛る炎を紫暗の瞳に映すだけだ。
――かくしてヨハン・パートランドの願いは、果たされた。
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