7-5
「その化け物を野に放つと、俺の首が危ういんでね——ここでケリつけさせてもらうぜ」
ルカはアビゲイルに向き直り、そう挑発して見せた。アビゲイルは涙目で眉を吊り上げる。
「何度も言わせないで! 化け物じゃない——わたしの娘よ!」
またアビゲイルが喚く。ぶわっ、と周囲の魔力が膨れ上がるのが分かった。アビゲイルが感情のままに魔術を扱っていることがルカにはよく分かった――自分も同じような悪癖があるからだ。
だがそれだけで、魔術が発動する空気はない――ルカは目を凝らした。だが、特に部屋に変化はない。——刹那。
「——ッ!」
ルカの脚に痛みと熱が走る。かまいたちにでもあったかのような傷口がルカの右足に開いていた。
(まだ――何か、いる……)
ルカが魔力を探ると、もう一体いる事に気づく。姿は見えないが、ルカに傷をつけたものだと断定した。耳を澄ませて、それの正体を仔細に鮮明化させる。
(……微かに引きずるような音が聞こえる。浮いているわけじゃなさそうだな)
わずかな物音で判断し、ルカは脳から最適な戦術を引っ張り出した。
「涙雨流るる宝瓶よ!」
魔術で待機中の水分を凝縮させ、巨大な水の球体を造り出しながら跳び上がる。水の球はそのまま重力に従って落ちると、喚き続けているをアビゲイルをずぶぬれにしながら、部屋に大きな水たまりを作った。
「我を導け清らなる乙女よ!」
糸につるされたかのように、ルカが天井に引き寄せられていく。間髪入れず、ルカは魔術の応酬を続ける――。
「響くは至上の怒り——!」
ルカが空中で床に向かって手を翳し唱えた――刹那、ぱあんっ!と弾けるような音が響く。すると――耳を塞ぎたくなるような絶叫と共に、毛むくじゃらで、目玉が飛び出している異形が黒焦げになって床に倒れていた。鎌のようなものが体についている。恐らくは、ルカを襲ったものだろう。
落下しながら、ルカはアビゲイルの方に視線をやった――痺れているらしく、跪いて苦し気にしているが、感電死どころか、気絶まではしていない。
しかしルカは安堵して、息をついた。
(……魔術は使ったみたいだけど……防ぎきれなかったのか。……大した魔術師じゃ、ねえな……やはり、ここの術式の殆どは、ヨハンが用意したものだ……)
アビゲイルの能力の低さから、檻を守る結界も、実験のための魔術も、すべてヨハンが用意したものだとルカは断定した。ただ彼女は、夫が用意したものを使っているだけに過ぎない、と。
(彼女は脅威じゃない――が……母親だ)
子を守る母親が、どれだけ強い物なのか、ルカはよく知っていた。脅威ではなくとも、何をしでかすか分からない恐ろしさはあった。
さらに問題なのは、檻の中のアンジュだ。ヨハン・パートランドが優秀な錬金術師であることは嫌と言うほど思い知らされた。それが造り出したフレッシュゴーレムとは、どれだけの脅威なのか――ルカには見当がつかない。
「て、ててて、てめえ……人様に迷惑かけずに戦う術を覚えろろろろ……」
そんなうめき声が聞こえたが、ルカは振り向きもしなかった。どうせ、後ろでリンドが巻き添えを喰らって感電しているのだろうと思って。
「むむむ無視すんなななな……! しゃ、しゃ謝罪を要求するううううう」
「今お前帯電してんだから触んな!」
めげずに肩を掴もうとしてくるリンドの手を慌てて避けて、ルカはそう悲鳴じみた声を上げた。
「…………てえか、何やってんだよあのボーヤはよう」
幾分か落ち着いたらしいリンドがそう言って、檻の方を睨みつける。
「今結界をすり抜けて檻の鍵を開けてる! そもそも結界の網目を通り抜けるなんて、本来はありえないことだ……針穴に糸を通すとはワケが違うんだよ」
「そんなに強力な結界なら、お前がちょっと制御を頑張って、ガキをアシストしてやればいいだろ」
「そんなことしたら、ただでさえ今、ハーメルンの身体は散り散りになっているっていうのに、二度と再構成できなくなるだろうが!」
一瞬だけ檻の方を――ハーメルンが奮戦しているであろう場所に目を向け、ルカは続ける。
「今俺達ができるのは……時間稼ぎだけだ」
事実を告げて、ルカはアビゲイルの方に視線をやった。
「わたしはただ、娘の病を治したいだけなの……! 可哀想に思わない? この姿を見て……」
先ほど跪いていたアビゲイルが顔を上げ、泣きはらした目でそうルカに訴えかけてきた。涙を流しながらも、続ける。
「ここには何もなかったと、そういうことにして帰って……どうか、どうか……お願い……!」
アビゲイルは何度も床に頭をこすりつけて、言った。ルカは拳を握り込んで、口を開く。
「禁術指定魔術の使用、指定幻獣の密猟、非魔術師の殺人、誘拐、監禁——そんなもの、極刑でもいいところだ」
「秩序で誰が守れるのよ!」
泣きながら反論してきたアビゲイルに、ルカはあくまで冷徹に続ける。
「平穏を愛し、真っ当に生きている尊い人の命が守れる」
「私の娘は!? 私の娘は、運が悪く病を患っただけなのに、何の罪があるって言うのよ!」
「ない。だが、お前が間違えたせいで、巻き込まれた」
「間違えた……? 家族に生きて欲しいと願うことに、何の間違いがあるって言うのよ! 当然のことでしょう……!」
ルカはそのアビゲイルの答えに、肯定したくなった。あなたはまちがっていない、きっと誰しもそう思うのだ――と、優しく声をかけたくなった。
「当然のことだ。だが、それが正しい事だと肯定できないのが、この世界だ」
思いとは反対の言葉がルカの口から紡がれる。人はいくらでも嘘はつける。そのたびに、自分が摩耗する気がするだけで。
アビゲイルは言葉にならぬ怨嗟の声で叫ぶ。それが詠唱になったのか、バラバラになったゴーレムたちや実験生物がみちみちと嫌な音を立てて、本来はありえない事なのだろう、無秩序に合体して行ったそうしてそれらはそれなりの大きさの怪物になって、ルカに大腕を振り上げてくる。
「破壊よ!」
怪物はあっけなく爆散。さらに細切れになった肉がそこらじゅうに飛び散り、再度合体しようとしているのか、床の上を這いずったり壁に張り付いたのが震えていたりする。執念だ。アビゲイルの執念を模しているようだった。
「わたしは間違っていない……間違っているのは、世界の方よ!」
(世界を恨んでも、何も変わらないのに)
恨み続けても、恨み続けても、世界は何も変わらなかった。寄り添わないし、慰めもしない、刃を向けるわけでもない、怒ってくるわけでもない。ただ、ここにあるだけだ。
だが、決別しても、ありつづける。残酷なままで、永遠に、ちがう誰かを苦しめ続けるのだ。
(意味はない――世界にも、俺達にも——)
胸の内で悲痛にうめくルカに向かってくる。アビゲイルは喚きながら隠し持っていたナイフを振り上げようとした——ルカが弾き返そうとした刹那、彼女の背後に何かが浮き出てくる――そして唐突に、彼女は倒れ込んだ。
「準備完了だよ」
姿を現したハーメルンがアビゲイルを蹴倒し、言った——さっとルカは檻の方に目を向ける。結界はまだ張られているようだったが、鍵の開けられた檻の扉にアンジュが体当たりして、彼女は感電はしていたものの――今度は容易に開かれた。
檻から出たアンジュは歓喜しているように暴れ出した。辺りにあるものはみるみるうちに彼女の肉の中に飲み込まれていく。
「アンジュ……出てきちゃだめ、危ないわ……!」
子を想う母の声が響く。しかしルカの目に映るものは、やはり化け物でしかない。
ハーメルンに足蹴にされていたアビゲイルは、弱った彼女にはありえない力でハーメルンを突き飛ばし、アンジュの下へ走って行った。
「娘は殺させないわ!」
言いながら、アビゲイルは凶行を続ける化け物を背に庇った。
すると、化け物が——アンジュが、一瞬ぴたりと動きを止めた。母親を認識した子供のように、巨体を引きずってアビゲイルに近づく。飛びかかりそうだったリンドを制止し、ルカはじっと二人の様子を見つめた——。
「アンジュ?」
アビゲイルはきわめて優し気に、娘の名を呼んで、振り向いた。
「ママ……ママ……」
アンジュは甘えたような声を上げながら、触手のようなものをアビゲイルに伸ばす――そのままアビゲイルは抵抗することもなく、アンジュの方に引き寄せられた。
「ああ、そう、寂しかったのね、アンジュ。ずっと、抱きしめてあげられなくてごめんね」
両手を広げ、アビゲイルは微笑んだ。愛する娘を抱き留めるために。
「わたしも、ずっとこうしたかったの……愛してるわ、わたしのかわいい、アンジュ」
愛し気な声を上げながら、アビゲイルはアンジュに――化け物の肉の中に取り込まれていった。骨で多少取り込むのに苦戦しているのか、少しの間ごきごきと嫌な音を立ててから、音はやがて肉が擦れるような音に変わる――咀嚼が終わったようだった。化け物は何も残すことはなく、ついにはアビゲイルを食い尽くした。
「ママ」
また何の意味もない鳴き声をあげて、化け物はルカの前に立ち塞がった。
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