7-2

 「……ちょっと寄りたいところがあるんだ。そこで待ってて。本当にすぐだ」

 ある扉の前に立ち止まったハーメルンが口早にルカとリンドに言い残し、部屋の中へ入って行った。

 リンドは不満げに、ルカを睨みつける。ただルカは壁にもたれて黙っているだけだ。

「マジで待つのかよ!」

 不服そうに、リンド。ルカは目を伏せてから、

「無闇やたらに動き回って、敵に勘繰られるよりはマシだ」

 それだけ吐き捨てた。勿論、リンドが納得するはずもない。

「オイコラ」

「……」

 また不服そうな声を上げるリンドにルカは無視を決め込んだ。

「オレさま、五秒動いてないと発狂死すんだよ」

 リンドが口を尖らせながら、そう拗ねたように言う。に対してルカは、きわめて冷ややかな視線を送った。

「今、顔が雄弁に語ってた! じゃあ死ね、じゃねえよ!」

「黙って待てんのか」

「静かにすると死ぬ――また死ねとか言ってんじゃねえよ表情!」

 ああだこうだとわめくリンドを放置して、ルカは少し開かれた扉から部屋の中を盗み見た。ハーメルンが入って行く前にも覗いては見たが、すぐに目をそらしてしまったので、再度目を向けた。

(……多分、吸血鬼が喰った痕なんだろうな)

 胸の内で、ルカはどうしようもなく呟いた。部屋の中はやけに殺風景で、あるものといえば、部屋の半分を占める檻だった。そして、床や壁には鮮血が飛び散っている。以前にも同じような事が行われたと伺える赤黒い痕跡も、いくつかルカの視界に入った。——つまるところ、人質になっていた子供たちが捕らえられ、そして吸血鬼による悲劇がもたらされた場所だろうと断定する――ともすれば、ハーメルンが「寄りたい」と言った理由は彼に聞かずともルカにはよく分かった。

「つかお前、アレじゃん、あのガキ沢山人殺ししてんだろ? そのくせオレさまには人間殺すなっつー癖に、アイツには甘いよな。贔屓だろー」

「何をおまえはガキみたいなことを言ってんだ……」

 じとっとルカは半目でむくれているリンドをを見、続ける。

「お前が人間を殺すのは、、とかそういう理由だろ、ほっといたら、肩ぶつかったから殺すとかやり出しそうじゃねえか」

「そんなわけないだろ、オレさまをなんだと思ってんだ」

「……………絶対無いって言えるか?」

「……道端で小銭が落ちてるくらいの確率であるかな……」

 もそもそと、リンド。どうしようもない理由での殺人が、それなりの確率で起こることをルカは再認識した。

「じゃ、お前、悪人は殺されてもいいとか言うんか? ガキ誘拐する悪人だろうが、そこらへんで歩いてるおっさんだろうが、同じ人間じゃねえか。お前こそ、なんか気に食わないからで物事判断してるだろ」

「それは…………」

 言いよどむルカに、リンドはフン、と鼻を鳴らし、続ける。

「てか、悪とか善ってなんだよ。誰が決めんだよそんなもん。それだって結局、見方が変われば逆転するだろうがよ。なんでそんな、あべこべなもんで人間は物事を判断すんだよ」

「そんな疑問をぶつけられてもな……俺は別に、哲学者じゃねえんだけど……」

 頭を掻きながら、ルカは不機嫌そうにしているリンドの疑問に答えてやるべく、口を開く。

「……まあ、おおむねお前の言う通りかもしれない。お前が言う、贔屓なのかもな。だって、善悪だけで人間は物事を判断してるわけじゃない。それこそ、情ってものなんだろうな」

 ルカはそう、答えにもならない答えで答えた。に対して、リンドは眉間にしわを寄せ、少しだけ黙り込んでから、

「……お前が何を言ってるのか、俺にはさっぱりわかんねえわ」

 得体の知れないものを見るような感じで、そう吐いた。ルカは苦笑するしかない。

「……来ないで化け物!」

 唐突に悲鳴じみた声が響いて、ルカは肩を震わせた。声はハーメルンが入って行った部屋からしたものだが、ハーメルンの声ではない。

 ルカは部屋の中へ飛び込んだ。人の悲鳴が聞こえたら、考えるよりも先に、そこへ飛び込む――長年、ルカの本能に刷り込まれた行動だった。

 泣き声が部屋に響いている。声の方向にルカが目をやると、牢屋の前でハーメルンが呆然と立ち尽くしているのが見えた。

「クリス……」

 ハーメルンがそう、縋るような声で牢の中の誰かを呼んだ。ルカはなんとなく、その呼ばれた人物が先ほどの悲鳴の主だと思った。

「た、たすけて……! たすけて!」

 その声は、明らかにルカに向けられたものだと思った。ルカは牢の方へ、近づく――牢の中には、金髪の、みすぼらしい姿をした少年が泣きわめいていた。先ほどハーメルンが呼んだクリス――救われた子どもの一人だろう、とルカは断定する。

「……どういうことだ?」

 隣で呆然と立っているハーメルンに、ルカは尋ねた。それでもハーメルンは黙り込み、眼を泳がせている。

「お前がこの子を助けたんじゃないのか……」

 そうルカが言うと、いきなりクリスの泣き声が止んだ。

「ちがう! そいつがいきなり僕の家に来て、お父さんを殺したんだよ! 誘拐されたんだ! 他の、子供たちも、きっとそうだ! ここにいた他の子は、こいつに食べられてたもん!」

 クリスは、そうわめき散らした。ルカがハーメルンの方へ視線をやると、俯いたハーメルンが、

「……カーバンクルを集めている時に、ぼくはクリスの父親を殺した。……自分の命以外は全部くれてやると、自分の子供であるクリスすらもどうだっていいって言うもんだから……ぼくは、逆上して殺してしまった」 

 懺悔でもするような口調で、そう話し始める。

「でも、ぼくはクリスを連れて家を出る時、クリスの名を呼んで泣く父親の声を、きいた」

 ハーメルンの声音は震え、徐々に小さくなっていっていた。牢の中にいるクリスの目は、涙で濡れながらも、怒りに燃えているように、ルカには思えた。

(殺されそうになって、自分の身を顧みない人間なんて、いない……いたら、それはごく一部の異常者だ……)

 ルカ自身も前者だと分かっていた――ルカには異常者の気持ちは分からない。だが、異常者でなくとも、弱い人間ではある。褒められたものでは、けしてない。

(そして、その選択を間違ったのだと、後悔する人間ばかりだ)

 自分で選んだくせに、弱い人間は後悔するものなのだと、ルカは知っている。

「お父さんはちゃんと僕を愛してくれてた! それをおまえが壊したんだ、おまえがぜんぶ、僕から奪ったんだっ!」

 クリスはそう、ハーメルンを責め立てた。きっとクリスは幸せを約束されていたのだろうとルカは思った。ハーメルンのしたことはあくまで善意だ――しかし、そのせいで幸せを壊されて、クリスは今、絶望の淵にいるのだという事が、ルカにはなんとなく分かった。

「ごめん、クリス……」

 ハーメルンは謝罪の言葉を口にした。だが、そんなものはクリスの気休めにもならない——更に怒りを燃やすだけだ。

「ゆるさない。絶対に、いつか、おまえをころす――」

 謝罪という行為に、意味はない。べつに、謝ったところで起きてしまった事がなくなるわけでもない。失ったものは、帰ってこない。怒りを消すこともできない。

 してしまったことへの後悔を多少軽くするだけの、エゴに満ちた行為でしかないのだ。

 ハーメルンはただ、クリスに伸ばしかけた手を引っ込めることもできず、そこに立ち尽くしていた。

 そんなハーメルンを素通りし、ルカは何か唱えると、さっさと牢の南京錠を開けてしまう。

「クリス、動けるか?」

 屈んで、ルカはクリスの服に着いた埃を払いつつ、尋ねた。

「……う、うん」

「この部屋を出て、右に曲がってそのまま行くと、階段がある。そこから降りて、ホールに出たら入り口があるから、そこから出ろ」

 特に妙な気配もなかったし、ヨハンにクリスを捕らえる理由もないとルカは判断して、そうクリスに教えてやる。クリスは理解しようと、何度も頷いていた。

 ——ちらりと、怯えたような瞳でハーメルンの方をクリスが盗み見たのを、ルカは見逃さなかった。

「——このは、お前のことを今は襲ったりしない。俺がさせない、絶対にだ」

 クリスの目を見つめて、ルカはそう言った。するとクリスは一瞬目を伏せて、また大きな瞳を見開いた。

「……わかった」

「マリアって人の事は知ってるか?」

「……知ってる。家も、わかる」

「なら行けるな? お前は、生きて行かなきゃならない理由があるだろ」

 ルカはその理由を明確に口はしなかったが、クリスだけはそれを理解していた。力強くうなずくと、よろつきつつも部屋から走り去っていく。

「あ……!」

 泣きそうな顔で、ハーメルンはクリスの後ろ姿に向かって手を伸ばした――それをルカが払いのける。

「ハーメルン、お前は確かに間違った。けれど、お前があの子の生きる理由であるのは確かだ」

「……」

 ただ黙ってハーメルンは唇を噛んで、顔を俯かせた。

「あの子は、お前を殺すために生きようとしている。復讐でも、生きる理由を与えたのは確かだ。……俺の言っている意味が、わかるな」

「……わからない」

「逃げようとするな、死ぬな。死んだら楽だ、償わなくて済む。死に救いを求めるな、誰かを殺した瞬間から、俺達はその選択だけは、赦されない」

 ルカは、ありったけの呪いを込めて、ハーメルンにそう言いつけた。枷があるのに、それを無視するハーメルンに、自覚させるために——自分自身にも、再認識させるために。

「人を殺すって言うのは、そういうことだ。それだって、お前は背負っていくんだ」

 ハーメルンはルカの言葉を聞いて、小さくうなずいた。

「クリスのこと、見送ってくる」

 そう言って部屋から飛び出したハーメルンの顔にはまだ迷いがあった。戸惑いと、悲しみも。それでも、前に進む気力はあるように、ルカには思えた。


「死ぬ方が楽って、なんなんだよ」

「え?」

 ハーメルンが出て行ってすぐ、ただやり取りを見ていたリンドが、嫌に真面目くさった顔で尋ねてきたので、ルカはつい面食らった。

「死んだらそこで終わりだろうが」

 皮肉でも嘲笑でもなく、リンドは心の底から理解できないのだとばかりに、まっすぐにルカを見据えて、尋ねてきた。

「……お前くらい長く生きてると、生きてる方が辛い事ってあるんじゃねえの?」

「……? 生きてて、ムカつくこと、しんどい事があるのは当たり前だろうが」

 首をかしげて、リンドは答えた。想定外の返答に、ルカは困り切って頭を掻いた。

「まあ、そらそうだけど……」

「人間って、変だよな。自分からいちいち死にに行ったり、あろうことか自殺とか、意味わかんね。頑張っても百年くらいなんだろ、生きられるの」

「お前にとって百年が一瞬でも、俺達にとっては途方もないんだよ」

 鼻で笑いながら、ルカは言った。長命種に、人間の気持ちなど分かる由もないのだと再認識して。

「一瞬なわけないだろ、百年だぞ」

 特に迷う事もなく、リンドはそう答えた。ルカには意外な返答だった。

(なら、こいつは、どうやって、その途方もない時間を過ごしてきたって言うんだ……)

 ルカは胸の内でそううめいた。百年だって、それなりに長いとは思う。それでも、リンドが経てきた時は、比較にならないものだ。

「…………でもお前、何百年も生きてるんだろ」

「だからなんだ。時間の流れの速さなんぞ変わんねえよ。死なないだけだ。百年経っても、世界が滅びなきゃ明日は来るからな」

 あっけらかんと、リンドは言った。なんの不思議もないと言ったような調子で。

「それをおまえは、苦痛だと思わないのかよ」

「は? 俺は、明日俺がいなくなるって考える方が、ずっと苦痛だわ」

 くだらないとばかりに、リンドは言い捨てた。ルカには分からなかった。そこまで、リンドが生に執着する理由が。

 でも、それでも、リンドが言っていることは理解できた。事実、自分もそうだと、ルカには思える。

 死ねない理由もあるが、死ぬのは、やはり苦痛なことなのだとルカも思う。

 と——部屋の外から、ハーメルンが顔をのぞかせた。クリスの事を見送り終わったらしい。

「短い時間しか生きられねえ癖に、妙なことばっか考えてんじゃねーぞ、人間!」

 そう言って、いきなりルカの頭をぐり、と撫でると、リンドは部屋からさっさと出て行った。

「……蜥蜴の癖に能弁たれやがって……」

 リンドによってぐしゃぐしゃにされた髪を直しつつ、ルカも部屋から出て行った。

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