6-4.5

「はー……もう、最高!」

 大声でけらけら笑いながら、一糸まとわぬ女はベッドの上で転げまわった。薄い色素の茶髪を伸びてきた手に撫ぜられ、女は紅を引いた唇を閉じてくつくつと今度は声を殺して笑う。

「今が一番最高よ。夢みたい。生きてきた中でもね」

 女は夢見心地な様子で、隣で欠伸をしている男の首に手を回しつつ、ささやく。

「えー? 故郷にいる、結婚誓い合った幼馴染が可哀想じゃん、ンなこといったらさーあ。何のために出稼ぎに来てんの、お前」

 ぐしゃぐしゃになったシーツを足で追いやりながら、胸に頭を摺り寄せてくる女に、男は黄昏の眼をすがめてつぶやいた。

「だってアイツ、ヘタクソだし、挙句の果てには早漏だもん!」

 そう女が言うと、二人は顔を見合わせて、噴き出す。そしてぎゃはははは、と同じように大声で笑い転げた。ベッドの下には空の酒瓶が大量に転がっている。アルコール臭と女の甘ったるい香水の匂いが薄暗い部屋中を漂っていた。

「でもあたしの言った事、ひとつも嘘じゃないわ。あなたって最高の男よ」

「そんなに?」

 不遜に笑いながら、男はそう意地悪そうに尋ねた。女はついどきりとした。久々の感覚だった——それに名を付けるのは癪だったので、女は拗ねたように口を尖らせる。文句のひとつでもつけてやりたいところだったが、男の言った事に異論はない。女が言った最高の男だという言葉にも、偽りはない。誇張でもない。女が今まで出会った男たちが有象無象に見えるほどだったからだ。

 目を引く鮮やかな髪色、端正な顔立ち、射抜かんばかりの黄昏の瞳、完成された逞しい肢体。物語の英雄が実際に居たら、こういう外見なのだろうなと女はなんとなく思った。

 その完成された容姿とは裏腹に、陽気で軽薄そうな言動をし、品性の欠片もないが親しみやすい男で、悪戯っぽい子供じみたところもあれば、寄りかかりたくなる落ち着きを持ち合わせている——そんな、不思議な男だった。

 先ほど出会って、現在床を共にしているだけなのに、女はすっかりこの男に骨抜きにされている。顔を見るたびに、女はその事実を突きつけられて、ため息をつきたくなった。

「うん。名前を教えてくれないとこ以外は最高よ、あなた。顔も、身体も、ぜんぶね。ムカつくくらい」

「嬉しいねえ」

 にや、と笑いながら、男。女はかっと顔を赤くして、いきなり身を起こす。すると女はサイドテーブルに置いてあった飲みかけの酒瓶を思い切りあおった。

「あ~のんじった……」

「あたしの酒なんだから、いいでしょ」

 拗ねたように女が言うと、男はからからと笑うだけだった。その余裕にまた女は恥ずかしくなる。

「そういえば、なんでこんな辺鄙な村にいんの? 権力者の愛人にでもなってるん?」

「違うわよ。仕事が楽で給料も結構貰えるから。そうじゃなきゃ、こんなとこいないわよ。この村の男なんて、ジジイばかりだし、たまに来るスケベキモ商人のおっさんは小遣いくれるけど、なるべく避けたいし。この家の主人は何考えてんのかよくわかんないし……」

 憂鬱そうに、女はそう愚痴をこぼした。慰める様に男は頭をなでてくるので、女はぱっとその手を捕まえ、自分の頬に寄せた。

「ねえ、あなたみたいな人がなんでこんな村に来てるの?」

「なんでだと思う?」

「え~、質問返しぃ? なんだろう……旅の途中とか? 風来坊って感じ?」

「あんたがそう思うならそういう事にしておくか」

「もう、またそうやってはぐらかす。名前も教えてくれないし」

「謎が多い男の方が魅力的じゃね?」

 またごまかされて、女はわざとらしく頬を膨らませて不満を主張した。

「そんなことよりさあ、ここ、アンタの家じゃなく、主人の家なんだろ? いいのかよ、男連れ込んだりしちゃって」

 片目を瞑って、男は意地悪そうにまた尋ねた。に対して女はくすくすと笑って、

「大丈夫よ。この家の主人は何考えてるんだかよくわかんなくて不気味だけど、結構融通が利くの。この仕事の楽なとこのひとつね」

 そう答える。ふうん、とあまり興味なさげに声を上げる男の腕に自分の腕を絡ませて、女はまたベッドに身を沈めつつ、続ける。

「部屋の掃除と食事さえ用意しておけば何しても文句つけない。このピアスだって、こっそり夫人の部屋から盗ったのよ。それでもバレてない」

「へえ、ヤベエじゃん」

「でも、二階にだけは上がるなって言いつけられてるの。なにがあるかは知らないけど、別に興味ないし、給金さえ払ってくれれば文句ないからね」

「俺だったら行っちゃうな、ゼッタイ」

「男の子ね」

「行くなって言われて行かないようなインポ野郎は男じゃねえーし」

 言いつつ、女が絡ませてくる腕を振りほどいて、男はいきなり女を抱き寄せた。

「ンな童貞くせー男、あんたは好きじゃねえだろう?」

 そうささやかれて、女はつい身をすくませた。悦びが全身に走るのが分かった。やがてたまらず、男の首に軽く口づける。

「……ねえ、どこか遠いところから来たんでしょう? あたしも連れてってよ」

「えー? ここの悠々自適な生活、楽しんでたんじゃないの」

「悠々自適なんかじゃないわよ、ただのぬるま湯じゃない。ある程度お金はまとまったし、出たいのよね。でもまあ、ぬるま湯に浸かってるのも楽っちゃ楽だから、そのままだったけど」

 あなたのそばにいたいの、という言葉を飲み込んで、女は言った。なんとなく、これ以上いいようにされるのが癪だったのだ。

「えー。どうしよっかな……」

 困った風に声を上げ始めた男の言葉の続きが紡がれる前に、女は彼の首に腕を絡ませ、そのまま口をふさいだ。

 しばらくしてから、女は塞いでいた唇を離す。丸くなった黄昏と目がかち合って、女はくすりと笑って見せた。

「あたしの身体、良かったでしょ? ねえ、いいじゃない、毎日好きにしていいから——毎日愛してあげるから」

 蠱惑的に女はささやく。困ったように眉をひそめる男に乗る形で、女は身体をすり寄せた。

「……悪くないね」

 女のあきらかな誘惑に男は応える事にしたらしい。

 応えねば男が廃るとでも言いそうな、プライドの高そうな男だ。女はまあ、それなりにしたたかだったので——それを利用したのだった。

「でもその前に、先立つものが必要だよな」

 唐突に男がそんなことを言い出すので、女はつい目を丸くした。

「え? どういうこと?」

「あんた、ここの屋敷の管理してるってこったろ? 鍵とか持ってない?」

「え? ええ、持っているけど。ある程度は」

 未だ何を言っているのか理解できない男の尋ねに、女はただ聞かれるがままそう答える。女はこの屋敷で唯一の使用人であり、主人からある程度の部屋の鍵束を預かっていた。

「今から俺が金目のモン盗って来てやんよ。田舎でもまあまあの屋敷だ、それなりのもんはある程度あるだろうしな。——したら二人の生活がよりイイもんになるんじゃねえの」

 目を細めて、男はろくでもないことを言い出した。倫理もへったくれもない、くだらない、と言った調子で。

「え、マジ? 正気?」

「マジも大マジよ」

「でもバレたら……」

 それなりの常識は持ち合わせている(とはいえ、主人の妻の所有物を盗みはしたのだが)女は少しばかり悩まし気に声を上げた。

 そんな様子に男は肩をすくめ、呆れかえった様子だ。

「ならこのままシケた村で、枯れたじーさんやキモいおっさん相手に腰振ってんの? 俺ぁその方が正気じゃないと思うんだけど」

 身も蓋もない事を男は言い放つ。に対して、女はう、と言葉を詰まらせた。

 同時に、女の脳内に不快な光景がよみがえる。先ほど男に話した色好きの商人との夜のことだ。吐き気がしたので、それをかき消すように、目の前の男の姿を焼き付ける。

「その言い方、ズルい……」

 悩まし気に、女。この愛おしい男を手放して、またあの脂ぎった、気色の悪い商人の男を相手にするのかと思うと女は心底ぞっとした。

「いいじゃんいいじゃん、もし俺がしくじってもあんたは入り込んだ強盗に鍵を無理矢理奪われただけ、って主人に言えばいいんだからさあ。あんたが負うデメリットは一切ナシ。どうよ」

 ウィンクしつつ、男はそう言って見せた。なんとなくその様子に女は脱力して、ため息をつき、男の身体になだれ込んだ。

「もぉ……本当、男って馬鹿よね。——そこの、ドレッサーの引き出しよ……」

「はははあ、サンキュ。愛してるぅ」

 軽口をたたきながら、男は女の髪に口づけを落とした。そうされてすぐ女はすぐに顔を上げると、じっと男の眼を見つめる。

「ねえ、絶対無事に戻ってきてよ? あたしの身体、ジジイとかキモオヤジの好きにさせたくないでしょ」

「たありめえよ、良い子で待ってな——とぉ、その前にい」

 男はにんまり笑って、自分に乗っている女の首筋に指を這わせた。その行動の意図がすぐに分かった女は眉尻を下げ、笑みを浮かべる。

「え~? 大丈夫なの? 体力持つ? てか、これからドロボーもすんのよ? 間に合うの?」

 煽るように言う女に、男は鼻を鳴らし、首筋に這わせていた指でゆっくりと女の身体を下に向かってなぞる。女は身をよじらせ、小さく嬌声を上げた。

を舐めんなよお? そんじょそこらのヤローどもとはワケが違う。——好きなだけ天国見せてやんよ。それに——」

「うふふ……まだ夜は長いもんね」

 男が紡ぐ前に、女が代わりにそう続けた。それに対して一瞬男は不満そうな顔をしたが、すぐにまた笑みをうかべる。

「ま、そーゆーこと——」

 口早に男が言ったのを皮切りに、二人はふたたび欲に溺れた。

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