6-4

「……もう話は終わりだ。お前に構ってる暇はない。言っておくが、俺は錬金術師の捕縛はするしカーバンクルも保護はするが、実験動物の保護までするほど余裕はない。つまり――人質のガキどもの命の保証はしない」

 ルカは心の中にあふれ続ける自分への罵倒をひとまず無視し、ハーメルンを一瞥すると、そう口早にまくしたてた。

「……ぼくは……っ」

 弁明する様に何か言おうと声を上げるが、ハーメルンは言葉が見つからないらしく、また黙り込む。

 似対して、ルカは背後を向けた。無防備極まりないが、それほどハーメルンがルカには脅威だと、もう思えなかった。

「……人質の子供がどれだけいるか知らないけど、確実に守れる人たちだけ守って逃げたって、誰もお前のことは責めない。少なくとも俺は、責めたりしない」

「……ぼくは、ぼくは……!」

 うめくハーメルンの身体がボロボロと崩れ出す――崩れた一部がどんどん小さくなって、やがて以前のように、霧状になって霧散した。

 ルカは姿を消したハーメルンの居場所を特定するべく、魔力を探る――。

 消えかかっている魔力は土の中で眠っている人物のものだろう。死んでから、さして時間は経っていないのだということが分かった。ハーメルンが感情的になっている原因だろうとルカは断定する。

「―――!」

 一点。背後にいるのだと、すぐにルカはわかった――同時に、その存在に、ぞっとした。不可視の存在ではあるが、はっきりとそこに居るのだと分かる。姿隠しとしては致命的だが、ルカを焦燥に駆らせるには十分だった。

 そしてそれがハーメルンだと理解するのに、少しばかりかかった――禍々しい、無数の刃物でも向けられているようにも錯覚する気配。

 憎悪、嫌悪、嘲り、怒り、嫉妬――様々な負の感情を混ぜたくったようなそれ――ルカの語彙ではその程度でしか表現できなかったが――とかく、単純な殺意をまっすぐに向けられているということだけは理解できた。

「後戻りできなくなるぞ! 本当に――!」

 ついルカは、どうしようもなく叫ぶ。姿を消したまま、ハーメルンは答えない。返答はないが――ルカの背後の気配が、あきらかに濃いものに変化してゆく――瞬間、ルカは身を翻し、口を開いた。

「――巨人の大槌よ!」

 ルカが唱えた瞬間、地盤が割れ、激しい音を立てながら魔術によって硬化された土壁が突き出す――それとほぼ同時に、何もなかった空間にじわじわとハーメルンの存在が再び出現した――姿を現したハーメルンはナイフを振りかぶっており、そのまま土の壁にナイフを振るう。どがっ! と音を立て、あっけなく土の壁は破壊されたが、ルカはハーメルンの一撃を防ぐことに成功した。

「暗殺には致命的だな、その気配――隠しきれてないぞ」

 そうルカが言うと、ハーメルンは土煙を鬱陶しそうに払いながら舌打ちを一つ。

「ぼくはさあ、今——めちゃくちゃ腹が減ってるわけ、さっき食ったのじゃ足りなかった。あんな、ちっさいのの一個や二個で、満腹になれるわけないって。若い男はさして好ましい味でもないが、この際妥協するしかないか」

「——!?」

 明らかにハーメルンの口調、纏う空気が変わったのが、ルカには分かった。言動は勿論だが、その気配がまるで他人のように——別の何かのように、感じられたのだ。

「なんかびっくりしてる? なんか不思議? 人間なんかに俺の魂を混ぜたってさあ、完全に乗っ取られるわけないじゃん」

 からからと邪悪に笑いながら、ハーメルンでない何かはそう言ってのけた。

「お前——誰だ……ハーメルンじゃないだろう」

 ルカが半歩後ろに距離を取りつつ、そう尋ねた。目の前の何かは、笑みを崩すことなく、ルカの問いに答えようとしている。

「名前を聞きたいのか? そうだな、人間にはヴァンパイアと呼ばれていたね。真名は、お前に教える必要もないでしょ。——ただの血袋に、教える義理がどこにあるっていうんだ? まあ、血袋風情とロマンスを謡った同族もいるようだがね」

 ハーメルン——の口を借りて、吸血鬼がのたまった。ルカはぎり、と歯を食いしばり、ローブから小型ナイフを取り出す。ルカがいつも使っているものとは違う、装飾の施された美しいナイフだった。実用性には欠けるが。吸血鬼を滅ぼすには、これか銀の弾丸と相場が決まっている。

「それ、銀製だね。人間とはいえ、魔術師か。万が一吸血鬼に逢うかもしれないと想定しているわけだ——賢明賢明。天文学的な数字じゃあないものな。——しかし、俺は滅ぼされないよ。なんたって、この肉体はいろんな化け物が混ざった特注品だからねえ」

 おどけたようにくるりと回って見せながら、吸血鬼は弁舌に続ける。

吸血鬼。ハーピー、マンドレイク、バジリスク、そして、先ほど混ぜられたサハギン。水中に用でもあったのかな。しかし川の中に飛び込もうなんて正気じゃない。ああこわいね流水は。苦手だ。今の肉体にはこれっぽちも関係ないけれど」

「黙れ——貴様の身体が不死でないなら、殺す手段はいくらでもある!」

「ほう、いいのかい? 俺を殺すならこの身体の元の持ち主も死ぬことになるが? 中から見ていたが、どうやら彼を殺すのをためらっていたみたいじゃないか。お前」

 吸血鬼の言葉をルカは聞き流した。それでも吸血鬼は小ばかにした様子で、続ける。

「この身体のハーメルンと言う少年は、周りから本当に大事にされているねえ。お前もそうだが、あの、子供たちとか」

「……子供たち……?」

 ルカが繰り返すと、吸血鬼は待ってましたとばかりに更に口角を上げ、凄絶な笑みを浮かべる。

「混ぜられた後、ハーメルンは身体を襲う激痛と、他者の思念が無理やりねじこまれるんで、精神が崩壊しかけ、発狂するんだ。そうするとわらわらと彼が助けたらしい子供たちが群がってくる。大丈夫?しっかりして、と——ね」

 吸血鬼は楽し気に続ける。ルカは嫌な予感がした——目の前のこの存在が、ろくでもないことしか言わないというのは、先ほどからよくわかっていたが、何故だか胸騒ぎがした。続く言葉を、ルカは不安げに待つしかできないのだが。

「まあ彼の精神が崩壊したその時は、一時的に俺が体の所有権を頂いている。いやあ、面白いよね、何度繰り返しても同じことをしてくれるんだ、あの子たちは! どれだけ仲間が凄惨に食い殺されても、ハーメルンを心配して寄って来るんだ!」

 再び、吸血鬼は哄笑した。耳障りな笑い声が脳にまで響く錯覚がして、ルカは頭が痛くなった。

 吸血鬼がなぜ笑っているのか、ルカには全く理解できない。相容れぬ目の前の異物を、視界から消したくてたまらなくなった。ただただルカは怒りを募らせた。

「は~あ、思い出したら健気すぎて爆笑しちゃったよ」

 そうのたまう吸血鬼に、ルカは唇をかみしめた。弱り切ったハーメルンの姿を思い出して、ルカは体中の温度が上がった錯覚を覚えた。口の中に鉄の味が広がった瞬間、ルカは突発的に口を開き。

「汝導くは黒の領域!」

 詠唱とともに飛びかかった! 重力場に縛り付けられ、動きを止められた吸血鬼は目を見開き、何やら悪態をついている。しかし、ルカはそれに気を留めることなく、おもむろにハーメルンの細い首を引っ掴んだ。

「何が面白い——ハーメルンがしたことを踏みにじって、何が楽しいって言うんだ! 何で彼じゃなきゃダメなんだ! 何で、こうなるんだ! 何で、そこまで傷つけられなきゃならないんだ!」

 ルカはどうしようもなく怒鳴り散らしながら、ハーメルンの首を締め上げた——だが、苦し気にうめく声が漏れるたびに、ルカは力を緩めてしまっていた。

(首をへし折っても再生する、死なない。でも時間は稼げる! こいつを滅ぼすための手段を考える時間がつくれるんだぞ! 理解しろ! 理解しているんだろう!)

 ルカはそう自分に何度も命令した。だが、脳裏に弱り切った少年の姿がちらついて、思い通りに体が動かない。

「ぐ、ふう……ふふ、ふふふ……俺を殺すかい、人間——殺せ、殺せよ! さあ、もっと力を込めて、首をへし折っちまえ!」

 わざとらしく両腕を広げながら、吸血鬼は叫んだ。動揺しきったルカは、ただ手を震わせるだけだ。

「できないんだろう! どうせ、俺の能力で再生するのになあ! お前のような人間の愚かしい事だよ、まったく! 多少頭が回るのは違うが、お前のような馬鹿はこうだ! だから弱い!」

 吸血鬼は言って、身体を自ら崩壊させた——あっというまに気体と化し、重力場からいとも簡単に脱出する。

「下卑た真似はしたくないが、あの時からこうしておくべきだった、人間のふりをしておけば、もっとたくさん平らげられたんだろうなあ。お前のような馬鹿ばかりだからなあ、人間は」

 姿を消している吸血鬼の声だけが響く。ルカは視認できない存在を必死に探した——ハーメルンの時とは違い、魔力すらも隠す術を知っているらしい吸血鬼の存在を捉えられずにいる。

「人間は、大抵がそういう弱さを持っている——根底にそれがある。正しいと信じるものは愚かしい理想論、弱者を蹂躙されていちいち怒るような低能さ、そして善性という、妄想の産物を信じ切っている! 阿呆ばかりだ! お前や、この、ハーメルンのようにな!」

 また声だけを響かせ、吸血鬼は姿を隠し続ける。ルカは荒く呼吸をして、眉を吊り上げ拳を握りしめた。

「…………てめえのような、その愚かな人間風情に、こそこそ隠れて罵声を浴びせるくらいしかできない雑魚が、侮辱するな」

 ぼそりとルカが呟くと、姿は消えたままだが、吸血鬼が持っていたハーメルンのナイフだけがルカの頬をかすめた。吸血鬼の気に障る発言だったらしい。

「希望に縋って、何が悪い——! 弱さを許して、何が悪い! きっと世界は善くなるのだと、信じて何が悪い! それが彼の強さだ——ハーメルンは強いんだ、お前みたいな奴よりも、ずっと!」

 ルカが言いきると、至近距離に吸血鬼が姿を現す——その手にはナイフが握られ、刃はルカめがけて振り下ろされる瞬間だ。

「そう肯定することで、自分の弱さも否定するつもりか、ああ可哀想だ、なんて可哀想なんだお前はア——!」

 怒りもふんだんに含まれているような表情で、狂ったように笑いながら吸血鬼はルカに向かって刃を振り下ろす——!

「——!」

 だがその刃はルカを貫くことはなく、それでも赤く塗れていた——ナイフは、ハーメルンの脚に突き刺さっている。

 苦痛に顔を歪めながら、吸血鬼は荒く呼吸をした。ナイフを握る手は震えている——引き抜こうとしているようだが、同時に抜かせまいと抵抗しているようにも、ルカには見えた。

「は、あ——クソ、未だ残ってるって言うのか、鬱陶しい——さっさと消え去ればいいのに——忌々しい、畜生——」

 恨みごとのようにうめいてから、彼は勢いよくナイフを引き抜いた。傷口から大量に血が溢れている。そのまま、その場に崩れ落ちそうになるが、咄嗟にルカがその小さな体を受け止めた。

「……ありがとう、ルカ君」

 呆然と、ハーメルンが声を上げた。吸血鬼ではないと、即座にルカには分かった。

 ルカはただ目を伏せて、何も言えずにいた。彼になにを言えばいいのか、ルカにはわからなかった。

「本当に、自己満足だった。きみの言う通りだった。そのうえ、ぼくは、ぼくの手であの子たちを殺した」

「……違う」

 ハーメルンが漏らす言葉に、ルカは小さく否定した。ハーメルンの言った事は事実だったが、ルカは肯定したくなかった。少なくとも、子供たちを殺したのはハーメルンの意思ではなかったからだ。

「ぼくはぼくが救われたかった。それだけなのに、そのせいでみんなが死んだ。本当に、どうしようもない……ぼくは、何なんだろうね。それなら、あの時、死ねばよかったのに」

 自嘲気味にハーメルン言って、苦しそうにうめき声をあげた。光のない目をさらに虚ろにさせて、ハーメルンはただ呆然と、星空を目に映していた。

「それでも、救われた人たちはいた——っ少なくとも、お前が救った子供たちの生に、意味はあった! それだけで、十分だろう——」

 言いかけて、ルカははっとした。同情と、気休めでしかない言葉を、今のハーメルンにかけて、何の意味があるのか?と。

「意味? 意味ってなんだよ、ルカ君……」

 ルカの気休めに、ハーメルンは唸った。悔しそうに顔を歪めて、目にいっぱいの涙を溜めて。

「こんなことになるなら、助けなくたって同じだった。少なくとも、化け物に食われる恐怖は味わわずに済んだんだ!」

 ハーメルンの嘆きに、ルカは黙殺するしかなかった。

「彼らが助かった意味って、何だ……! 下手に希望を見せて、苦しめた挙句、突き落としたんだ、ぼくが!」

 地面に突っ伏して、ハーメルンは大声で泣き始めた。意味もなく爪で土をひっかいて、ただ泣きわめき続ける。

「ハーメルン……やめろ」

 ルカの呟くような訴えに耳を貸さず、ハーメルンは泣きわめきながら、ただ手を血まみれにしていた。

「やめろって言ってるんだ」

 言いつつ、ルカは意味のない行為を繰り返すハーメルンの手首を引っ掴む。現実逃避を妨害されたハーメルンは泣きはらした目できっとルカを睨みつけてきた。

「確かに殺したのはお前かもしれない。でも、その子たちを助けたお前が、生きていたことを否定するのか」

「……それは」

「どれだけお前の姿をした吸血鬼に仲間を喰われても——心配して、駆け寄ってきたその子たちを、お前は意味がないと言い捨てるのか」

 ルカの責めるような口調に黙殺するハーメルンをよそに、ルカは続ける。

「お前がそんなに混ぜられた状態でも、あれだけ強い吸血鬼の思念に乗っ取られず、お前でいられる時が多い理由は、何だと思う」

 今度は、きわめて柔らかい語気で、ルカはハーメルンに尋ねた。目をこすりながらハーメルンは言いよどむ。

「わからない……そんなの、ぼくにはわからないよ……」

 少したってから、そうハーメルンはうめいた。

「お前がまだ、そうしていられるのは——ひとでいられるのは、お前が守ったその子たちが、お前を真に化け物にすまいとひきとめているからだ」

 唐突に荒唐無稽な事を言い出すルカに、ハーメルンは吃驚した様子だった。だがすぐに、かぶりを振る。

「そんなの、ありえない、だって、ぼくのなかにいる、あの子たちは、死んでいるんだ……」

 自分でそう言って、事実を再認識させられているように感じられているらしいハーメルンは、悔し気にまた涙を落した。

 ルカは一瞬だけハーメルンから視線を外したが、すぐに灰の目を捉える。

「不思議な事に、世の中にはな、説明できない事がある。信じられない事が、起きるんだ。それはけして、偶然なんかでも、幸運なんかでもない。ましてや、神なんてものの仕業じゃない。そいつがしてきたことが積み重なって起きる事——」

 ルカは言っていて馬鹿馬鹿しくなった——それでも、どれだけ荒唐無稽な事だと思っても、この言葉が本当なのだと、信じたかった。

 いつもはルカが忌み嫌う、それでいて、魔術師である己がいつも模倣しているこの言葉が、今だけは真実なのだと——打ちひしがれているたったひとりの少年に、ルカは伝えたくて仕方がなかった。

「それをひとは、と呼ぶんだ」

 言い切ったルカの言葉に、ハーメルンは目を大きく見開く。そしてルカは、唐突に傷だらけで放心しきっているハーメルンの胸倉を容赦なく引っ掴み、

「荒唐無稽な言葉だと吐き捨ててもいい。俺の言葉がくだらないと、嘲笑ってもいい。でも——その子たちにとって、お前は子供たちの奇跡で、縋るものだった。お前を慕ったその子たちの事を、お前が否定するのだけは、赦さない——!」

 唸るような声で、ルカはハーメルンに告げた。気圧されたハーメルンが呆気に取られている間に、ルカはぱっと掴んでいた手を離し、踵を返すと、もう用はないとばかりにその場から立ち去った。

「……まだ、罰を受けるには早すぎる、かな……」

 ハーメルンのそんなつぶやきは、夜風に攫われただけだった。

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