6-3

「ご協力ありがとうございます。そして……騒がせてしまい、すみませんでした」

 ルカが頭を下げると、女はそんな、と首を何度も横に振った。

「……ハーメルンに会っても、このことは黙っておきます。貴女も何も知らないふりをしておいて頂ければ幸いです」

 ルカは告げて、この場を後にしようとした。すると女は「あの!」といきなり、引き留めるような声を上げる。そして、少しだけ躊躇ってから、女は、

「……厚かましい事だとは分かってるんだけど……いえ、厚かましい事だとは思います、でも、どうか、どうかハーメルンの事は、見逃してくださいませんか……」

 膝をつき、そうルカに懇願し始めた。ルカは唇を噛んで、何度か言いあぐねてから、ぱっと身を翻し、女に背を向けた。

「……見逃すには、罪を重ねすぎています。たとえ彼が殺した人間が、悪事を働いていた者だとしても」

 ルカは冷徹なふりをして、そう言った。自分にまた湧き上がってくる葛藤と、迷いを押さえつけて。

「お願いします! あの子にはよく聞かせます、罪を償って、もうそんな、誰かを殺すような真似はさせません、だから――!」

「今更そんなことをしたって、人を殺した過去は消えないんです。いくら、善い事をしたって、これから彼が変わったとしても、彼が人を殺した事実は消えない。彼のせいで失われたものは、もう戻ってこないんです」

 ルカは拳を強く握って、続ける。

「彼にできる事は、罪に対する罰を受ける事だけだ」

 と、ルカは断定した。断定することによって、自分の迷いも断ち切れるように思えたのだ。

  そう言われても泣いてすがってくる女を振り払って、ルカは彼女の家を後にした。



 ヨハン・パートランドの屋敷らしき建物が小高い場所にあるのを視認して、ルカはそちらを目指して歩き始めた。

 月下のウィートンは、夕暮れ時に感じたのどかな農村と言うよりは、ルカにはひどくさびれた村に映った。自分の感傷がそうさせているのに、ルカは心の中で苦笑する。

 ふと、物音が聞こえて、ルカはそちらに視線をやった。木製の、ぼろぼろの墓標のようなものが複数立っている。墓地だ。

 カンテラの赤いほのかな光がルカの視界に入る。そのカンテラが照らしているのは墓標だけでなく、そばで跪いている小柄な人物もだった。

「こんなところまで来て、よほど死にたいみたいだね、ルカ君」

 跪いていた人物が、ゆっくりと身体を起こし、ルカの方へそう声を飛ばしてきた。ルカを一瞥してきた灰目が怒りに燃えている。以前のような余裕はルカには感じられなかった。

「威勢はいいが……そんな体で、どうするつもりだ?」

 そうきわめて静かな声で尋ねた。薄暗くても、あきらかにハーメルンがやつれていることに、ルカは気づいた。立ち上がる時も足元がおぼつかず、よろよろとしていた――今も、小刻みに身体を震わせている。それでもハーメルンは、くだらないとばかりに鼻で笑う。

「どうするって、きみを殺すに決まってるでしょう」

 苛立ちを隠さずに、ハーメルンはそう言い放つ。ルカは息をついて、ハーメルンを一瞥すると、改めて口を開いた。

「お前、また何か混ぜられたな。ここまで来ると、俺にでもわかる」

 以前感じられたハーメルンの魔力とはあきらかに異質なものを感じて、ルカはそううめいた。

「知らないよ。ぼくはぼくの身体についてノータッチだからね」

「へえ――化け物を混ぜられてるのにか。それでも、子供たちと離れて暮らしているのは、その為か?」

 言いかけるルカに、ハーメルンは地面を蹴り、驚異的な速さで距離を取っていたルカの下に到着すると、首元に向かって刃を振るおうとした――すんでのところで、ルカは刃を回避する。

「ぼくは、まだぼくだ――化け物なんかには、ならない!」

 自分に言い聞かせるような口調で、ハーメルンは叫んだ。冷静さを欠いたハーメルンはルカに向けて、めちゃくちゃな挙動でナイフをただふるい続けた。

 冷静さを失った相手を無力化することは、ルカにとって容易いことだ――大きく振るわれたハーメルンの右手首を引っ掴み、そのまま捻り上げる。

「そう言いきれる自信は、どっから来るんだ――てめえはその身に、とんでもない爆弾を宿してるんだぞ。まさかとは思うが、自覚がないんじゃないだろうな」

 忠告のようにルカがそう言うと、急にハーメルンの身体がボロボロと崩れ出す――崩れた一部がどんどん小さくなって、やがて以前のように、霧状になって霧散した。

「――やっぱりさあ、きみの事、見てると、ぼく――すごくイライラする」

「奇遇だな、俺もだよハーメルン。俺は、お前みたいな、大義名分を掲げてやれ自分が正義だとばかりに人を殺すような奴が――大嫌いなんだ」

 そうルカに言われた瞬間、ハーメルンは唇を噛んだ。ナイフを握りなおし、ルカへの怒気を強めたようだ。

「きみにぼくの正義を理解してほしいなんて、別に思わない」

「そういうところだ。人殺しの癖に――悪をさばくだ正義だとのたまう。ただの殺人鬼が、神になったつもりか?」

 きわめて冷徹にルカは続ける。対するハーメルンは、徐々に怒りを燃やしているようにルカには思えた。

「大人が、こどもを守るのは当たり前じゃないか! それができないやつを殺して、何が悪いんだ!」

「だから殺していい理由なんてもんにはならねえよ。それが許されるんなら、この世に人間なんてものはいない」

「そんなことはない! きっと、やさしいひとたちだけが生きる世界になれば――そのこどもたちが、育てば、世界は絶対に変わるんだ! やさしいひとたち以外に、生きる資格なんてない!」

「ならお前は、死ぬべき存在のはずだ」

 ルカに言われて、ハーメルンは目を見開いた。動揺しきって、ナイフを滑り落してしまう。

「そんなわけがない、なにを……」

「やさしいひとびととやらが、人殺しをするはずがないんだ――――利己的な判断で、己の身勝手を、正義だと振りかざす人間が、やさしいひとなのか?」

「……判断を、下す人間が、必要だ……」

 そう、ハーメルンはうめいた。その答えは、あきらかな矛盾であると、ハーメルンも理解しているのだろう――ルカは嘲笑気味に、

「同じことを言ってやる――てめえは、神にでもなったつもりか?」

 そう再びハーメルンに突き付けた。我慢が効かなくなったハーメルンはだんっ、と地面を踏みつけ、激怒する。

「うるさい! 大人がこどもを守るのは当然のことだろう! こどもは守られて、愛されて、幸せになって! それで、大人になったときに、同じようにするんだ! それが、当たり前なんだ! そうじゃないと、だめなんだ!」

 どうしようもなくわめきちらすハーメルンに、ルカは憐憫を向ける事はしない。ハーメルンの怒りは癇癪を起した子供そのものだった。正当な理屈もなく、ただ、どうしようもなくわめきちらすだけの。ルカはただ、首を振って、また口を開く。

「当たり前じゃない。そんなものは、ただの理想論だ」

「だから、ぼくが――ぼくが作るんだ! もう、可哀想なこどもたちがいない世界をっ、もう、ぼくみたいな目に遭う子がいない、世界を――!」

「それだ」

 言いかけるハーメルンの言葉を遮る形で、ルカは声を上げた。わけがわからないと言った様子で口を閉ざすハーメルンに、ルカは続ける。

「結局のところ、お前は自分が救われたかっただけなんだよ。救われなかったから、それをほかの子供に投影しているにすぎない。お前の謡う正義は、ただの自己満足なんだよ」

「ちがう……勝手なことばかりいうな! お前に、なにがわかる――――ぼくの、なにがわかる!」

 ハーメルンはついには泣き出して、そう叫んだ。駄々をこねて大人を困らせる、子供のように――だがルカは、それを受け止めてやれるほど老成はしていない。

「なぜわかるか、だと……俺もお前と同じだからだよ!」

 冷静だったルカは眉を吊り上げ唐突にそう叫んだ。拳を握り込み、きっとハーメルンを睨みつけ、続ける。

「俺は殺人が嫌いだ。俺自身はたくさんの人間を殺した人殺しのくせにな。殺人を許さなければ、俺が平気で人を殺せる異常者だという事を忘れられる。同じ人殺しを非難すれば、俺は真人間だと思い込める。俺は自分がまともな人間だと思いたいがために、ただの自己満足で、殺人に怒り、誰かを助けるんだ――それが、正義だと呼べるわけがない!」

 ルカは怒鳴り散らす。自分に対して、ハーメルンに対しての怒りを、耐え続けていた――否、正体すら分からなかった怒りをぶちまける。

(俺は、ただ――同じだと思ったから、自分自身が殺されると、否定されると錯覚したから――ハーメルンを殺したくなかったんだ! 俺がやっていることが、正義だと思いたかったんだ!)

 ルカは胸の内でそううめいた。ハーメルンを擁護する感情の正体が、自分の正当化だと分かって、ルカは自分自身に虫唾が走った。

「お前もそうだ――いい加減にしろ、てめえのそれは正義なんかじゃない! ただの人殺しが、子供を救うだなんだと世迷言を口にするな! 反吐が出る!」

 ルカはそうハーメルンに怒りをぶつけた。それを聞いていたハーメルンは、何も言い返すでもなくただ震えて黙り込んでいた。

 自分の矜持を壊されて、怒っているのか、事実を突きつけられて、うちのめされたのか――ルカにはどちらかわからなかったが、ルカの怒りはもはや歯止めが効かないところまで来ていた。

「てめえのような――」

「――――それでもいい……ぼくのそれが正義じゃなく、きみの言う通り、自己満足だったとしても、それでもいい!」

「…………!」

 ルカの言葉を遮ったハーメルンは、懺悔でも怒りでもなんでもない、ルカには想定外の言葉だった。つい面食らって、ルカは口を閉ざす。

「ぼくの自己満足で、ぼくが助けたいひとたちを助けられるなら、ぼくはどれだけ罵られたって良い……誰が何といおうと、ぼくがどうなろうと――ぼくは、ぼくがやっていることを絶対に後悔なんかしたりしない! ぼくはきみとは違う!」

 ハーメルンの言葉に、ルカはしばらく黙り込んだ。それほどの、衝撃のある言葉だった――自分自身との差を見せつけられたようで、ルカの中からドス黒い感情がこみ上げてくる。

(なんだ、それは――羨ましい。俺にはできない。どうしてそんなことを思えるんだ、こいつは――俺と同じなんかじゃ、全然ないじゃないか――!)

 胸の内でそうルカはどうしようもなく嘆いた。それからルカはハーメルンをねめつけて、怒りに唇を震わせつつ、再度口を開く。

「……そこまでの覚悟、見上げたもんだ。ならひとつ聞く」

 賞賛するような言葉を吐いてから、ルカはハーメルンを見据えるように、じっと見つめた。

「てめえは、てめえの主である錬金術師がそこら辺の子供をとっ捕まえて、殺せと言われたら従うのか」

「……それは……」

 ルカの尋ねに、ハーメルンは表情を曇らせる。ルカは容赦なく続ける。

「てめえに拒否権はない。それを断れば人質の子供たちは殺される。だが、とっ捕まえて子供を殺すことになる。それでもてめえは、その信念を通せるか」

「そんなのは、無理だ……ぼくはあの女に逆らえない……」

 ハーメルンは後ろめたそうに、ぽつぽつと呟いた。

「お前の信念とやらはその程度か。まあ、そんなもんだよな。ただの自己満足に、そこまでできるはずはねえ。甘ったれのガキの理想論でしかない」

 ルカは厭味ったらしくそう罵声を浴びせた。ハーメルンは顔を俯かせて、黙り込んでいる。

(俺は、何をしているんだ? 本当に、どうしようもない――自分ができないことをやってのけるからって、僻んでばかりいて、本当にどうしようもない)

 口角が上がっているのに気づいて、ルカは表情を引き締めた。無意識下で優越感に浸っていたルカは自身にあきれ返り、そう自責した。

(勝手に同類だと同情したくせに、とんだ笑い種だ。違ったらてのひら返して、勝手に嫉妬してこんな子供を追い詰めるなんて、くそったれのクズ野郎が、死ねばいいんだ。そのまま掃き溜めにいて、ぐだぐだ醜く嫉妬し続けて、そのまま泥にまみれて死ね)

 ルカは胸の内でただ己を罵倒し続ける。自分は一生そうやって、醜く、こぎれいな何かに羨望して、僻み続けるのだと再認識して、呪わしくなった。

(夢を見て、何が悪い。救いを求めて、何が悪い。それが、子供の特権だろうが)

 それだけ思って、ルカはくだらない思考を打ち消した。

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