6-5
「……」
ハーメルンと別れたルカは、小高い丘の上にある、ヨハン・パートランドの屋敷らしき建物にたどり着いた。
屋敷の敷地内にはそれなりの広さの庭があるが、さして手入れはされておらず、鬱蒼としている。
建物の壁は崩れており、蔦が這っている。補修の痕跡は見受けられない。
静寂しきった月下に、ハーメルン以外ルカを阻むものはいなかった。ハーメルンも、先ほどはヨハンの命令で動いていたわけでもなさそうだとルカには思える。
(人を蘇生させる魔術……か)
胸の内で、目の前の屋敷の主の狂気を意味もなくルカはつぶやく。
(もし実現したら、どれだけの人が救われるのだろう。その犠牲が、どれだけのものになろうとも、きっと、たくさんの人が縋るんだろうな)
もちろん、自分もその、有象無象の一人だとルカは自覚していた。失った誰かを取り戻すためなら、人は平気で狂気に身をやつす。人間はさほど強くはない。もし、それを突っぱねる人間がいたとしたら、それこそ真の狂人だ。
「それでも、またその為に人が死ぬんじゃ、いたちごっこだ」
どうしようもなく、ルカはつぶやく。慟哭するハーメルンを思い出しながら。
(今俺ができるのは、無駄な死人を増やさない、ということだけだ……)
自分の無力さを再認識して、ルカは静かに屋敷の敷地内に足を踏み入れた。
招かれてもいないのに正面に入るわけには行かない、とルカは侵入経路を探しはじめた――古びた屋敷とはいえ、それなりの大きさにもかかわらず、守衛はおらず、侵入は容易そうだとルカは思った。
(こういう屋敷は裏に勝手口——使用人専用の出入り口があるはずだけど……)
ルカは鬱蒼とした庭の植物や、寂れた像の物陰に隠れつつ、屋敷の裏手に回り、案の定出入り口を発見した。
(……鍵がかかってない。めちゃくちゃ不用心だな……)
まあ、手間が省けるからいいんだけど、と思いつつ、ルカは静かに戸を開けた。
「…………」
扉の先には、すぐに下の階へ続く階段があった。恐らく、使用人の部屋やワインセラーがある地下に続いているのだろう。ぶら下がっている小さなランプの灯を頼りにルカは慎重に階段を降り始めた。
(魔術で軽率に明かりを作るわけにもいかないしな……)
ルカは憂鬱になって、胸の内でぼやいた。ルカが今、万が一魔術で明かりを作ってしまえば、この屋敷の主にとって、侵入者が大声をあげて走り回っているのと同義だ。
(足音だって、魔術を使えばもっと簡単に音を殺せるのに)
また、ぼやく。ルカは別に、足音を殺すのが特別苦手なわけではない。いつも使っているものが封じられる面倒さに辟易していただけだ。
(……って、魔術に頼りすぎるのは身を滅ぼすっての)
と、ルカは自分にそう釘を刺した。自分の魔術によって居場所を知られる、というのは慢心の多い魔術師が陥りがちな、典型的なミスである。
「…………」
階段を降り切ったルカの前に現れたのは、薄暗い廊下だった。いくつかの扉があったが、ルカは手前の扉に目を付けた。
(人の気配がする……)
そう感じたルカは、その扉の先が使用人の部屋だろうと断定した。夜も更けている。休んでいるだろうとは思ったが、ルカは息を殺し、夜闇に溶け込もうと――
「……あん? ヘタレ腰抜け魔術師。ンなとこで何してんだ」
男の声と共に、扉が開け放たれた。不躾そうな口調のその声の人物は、先ほどルカの前から立ち去ったリンドその人だった。
「うわ———!っ、っ、っ……」
吃驚したルカはつい体勢を崩し、叫び声をあげそうになった――リンドがいたことに驚いたのは確かだったが、それ以上に……。
「何で全裸!? こんなとこで露出狂かてめー!?」
小声でルカは叫んだ。指摘せざるを得なかった――何故敵の本拠地のようなところで、無防備極まりない――とはいえ、リンドには特に得物もないのだけれど――服どころか、下着すら纏わずに、いきなりルカの前に現れたのだ。
「一体ンなとこで何してんだ、このど阿呆っ!」
ルカはなんだか泣きそうになりながらそうまた小声で怒鳴り散らす。に対してリンドは目をすがめ、顎で部屋の中に入るように促した。
部屋の中は甘ったるい女物の香水と、アルコールの匂いで満たされていて、ルカはつい鼻をつまみたくなった。
おびただしい数の酒瓶が床に放置され、女の下着や服が散乱している。混沌とした空間だったが、部屋にある調度品から、女の部屋であることが分かる。
そして、ふと窓際の方へルカは視線をやった――一人用のベッドに、裸の女がいびきをかいて眠っている――瞬間、ルカはすべてを理解した。
「なにってそら、ナニよ。あーもしかして童貞か? ハハハハハ! カワイソー。同情しちゃうわあ」
心底馬鹿にしたようにせせら笑いながら、リンド。ようやく床に放り投げられていた下着を履き始めた。
「分かるわ! 童貞でもねえし! 何でここで、ンなことしてんだアホ! 節操ナシ! 脳みそ下半身野郎!」
ルカは小声で喚き散らした。ズボンを履いてから、ようやく上のシャツとコートをみつけたリンドは、
「小声で叫ぶとか器用なー。さっきひっかけたそこの女がよう、ここの使用人だってんで。カーバンクルの気配もしたし、招かれたってわけ」
着替えながら、なんとはなしに言った。ルカはただ唖然としながらリンドの話に耳を傾ける。
「適当に仕事してても高給だし、金目のモン盗ってもばれない男連れ込んでもばれねえらしい。二階にさえ近づかなきゃ、クソ田舎な点から目瞑れば最高だって。頭おかしいよな」
コートに腕を通したリンドは、ドレッサーの棚をいきなり漁り始めた。やけに慣れた手つきでその中から鍵束を取り出す。それに加えて、ドレッサーの上に放置されていた財布にも手を付けていた。
「……財布まで盗る必要は?」
批判じみた声音で、ルカはそうリンドに言った。に対して、リンドは不遜に笑う。
「そらおめえ、夢見せてやったんだ、対価は必要だろうよ」
財布に軽くキスをして、リンドは言い放った。ルカには分からない感覚だったので、なんとなく頭が痛くなった。
「いつか刺される日が来るぞ、お前……」
半目でルカはそうリンドに忠告した。だがリンドはルカの親切に、肩をすくめて鼻で笑う。
「は、刺されたとこで所詮人間の雌だろが。ンなもんで俺は死なねーっつの。つか、修羅場る前に俺あ、その町からとんずらこくしな。そんなんも分からんほど俺のカンは鈍ってねえよ」
そう言い放つと、リンドはもう用事はないとばかりにさっさとドアノブに手をかけた。
「お前のせいで殺人が起きたらどーすんだ」
「まあ仕方ないんじゃね。オレさまってば罪な男だからサ」
くだらないことを言ってのけたリンドに、ルカは嘆息しつつ、部屋を後にするリンドに続いた。
手に入れた鍵束を利用し、ひとまずルカ達は今いる階をしらみつぶしに各部屋を探すことにした。だが使用人の部屋と同じ階にはワインセラー、洗濯場、厨房なんかがあるだけで、これといって不審な場所はない。
「ヘタレ、なんだ、覚悟できたんか」
と、ルカの前を歩いているリンドがそう唐突に声を上げた。面食らって、すぐに言葉が出なかったが、ルカは、
「……そんなもんできなくたって、やんなきゃいけないことはあるんだ」
とりあえず、そう答えた。明確な答えはなかった――否、それが一番適切な答えだとルカは思ったのだ。
それに対して、振り向くこともなくリンドはふうん、と興味なさそうに相槌を打った。
「外れだな、この階は……鍵はまだ残ってるか?」
「残ってるけど……多分、カーバンクルは上の方にいると思う」
「はあ? 多分ってなんだよ、お前、場所わかるんだろ」
「っせーな、めちゃくちゃ弱ってるのかよく分かんねえんだけど、魔力が超少ないんだよ……魔力の残滓なのかカーバンクルそのものの魔力なのかよくわかんねーから断定できねえってこと」
「つ、使えねー奴……」
「るせえ! ドラゴンの魔力を探れねえ低能には言われたくねーわ!」
ドラゴンの魔力、と言われて、ルカははっとした。
「……待て、カーバンクルも仔とは言えドラゴンだよな?」
「はあ? そうだけど」
「……魔力がゼロになったら、まずいんじゃねえのか」
ルカがこわごわ言うのに、リンドは目をぱちぱちさせてから、何かに気づいたような顔をして、
「あー……まあ、この程度の村食いつぶすくらいはするんじゃねえの」
半笑い気味にそう言った。ルカは眉を吊り上げ舌打ちをひとつ――それを皮切りに、二人は駆け出す。
「何で言わねえんだよ馬ー鹿っ!」
「お前だって今気づいたみたいな感じだっただろ!」
「お前の方がドラゴンの生態に詳しいだろ!」
「あ!? なんだてめえ じゃあ人間の隅々まで知り尽くしてんのか!? てめえは!?」
わめき散らしながら二人は見つけた階段を駆け上がっていく。二人ともあえて言葉にはしなかったが、どちらも目指す場所は同じだった。
階段を上り切って、そのまま短い廊下を突っ切った――それなりの広さのホールに出て、上階に続く階段を見つけるや二人はまた駆け上がっていく。
駆け上がった先にはすぐに扉がある。咄嗟にドアノブに手をかけようとしたリンドの手をルカは掴んだ。
「……魔術の扉だ。向こう側から鍵がかかってる。普通の手段じゃ開かない」
「蹴り壊せばいいだろ」
苛立ちつつ、ルカの手を振り払って、リンド。それに対してルカは首を横に振る。
「普通の手段じゃ開かないって言っただろ、お前の目に映ってる扉は、魔術だ。物理的なもので壊せるものじゃない。鍵は、そしてこれを作った魔術師しか知りえない」
「てめえの超便利・なんでも消滅大魔術とやらを使えば?」
「なんだそれ……てか、俺が消滅させられるのは物質だけだ。魔術は物質じゃない」
「つまり?」
リンドに問われ、ルカはびし、と指を一本立てる。
「建物と、俺とかお前とか、カーバンクルとかが消滅して、扉だけが残る」
「さすがなんでも消滅超便利大魔術――じゃねえ! ふざけてんのか!?」
リンドが怒鳴るのに、ルカは平然とした表情をしている。どうしようもない、と言った調子で。
「意味ねえじゃん!もっと制御しろよ!」
「……建物を消滅させるレベルが、俺の制御の限界なんだよ」
居心地悪そうに、もそもそと、ルカ。それに対して、はあああああっ!?と大仰にリンドは驚いてみせた。
「なんでえおめえは! 小虫一匹殺すのに、爆弾でも持ち込むタイプかあ!?」
「俺だって別に本意じゃねえわ! 死ね!」
「もういい、役立たずはそこで鼻クソでも掘って待ってな」
言い捨てて、再びリンドはドアに向き直る。瞬間、ルカはさあっと顔を青ざめさせ、再度口を開いた。
「は!? お前、何する気だよ!」
「蹴り壊すんだよ! オレさまに壊せねえドアとかこの世に存在するはずがねー」
「俺の話本当に聞いてた!? 普通の手段じゃ開かねえっつったろうが!」
必死に言いながら、ルカはリンドの腕を掴んで制止しようとする。それに対してリンドは心底呆れかえったような顔をして、ルカを半目で見た。
「何言ってんだオメー。オレさまの蹴りが、常人のへなちょこキックと同等だと思ってんのか」
自信ありげに言い切るリンドに、ルカは泣きたくなった。
「ばかああああああっ! ホントばかああああああっ! ていうかそもそも魔術の扉はっ――」
ルカが言いかけるのを遮るように、足音が響いた。二人は同時に音の方へ視線を向ける。
「無理やり破壊するのはおすすめできない。魔術製の扉は、罠が仕掛けられていることも珍しくはない。勿論、この扉も例外なく、ね」
先ほどルカ達が上がってきた階段の中腹にあった踊り場まで上がってきた男――足音の主だろう――が、そう声を上げた。
無精ひげを生やした、仏頂面の――どちらかというと、表情のない、中年くらいの痩せた男だった。
「ヨハン・パートランドか」
状況から、ルカはその男が件の錬金術師だと判断した。ルカが尋ねると、男は機械的に首を縦に振った。肯定らしい。
おかしなことに、ヨハンは屋敷に侵入者が入ったというのに、焦りや驚きはその顔には一切映していなかった。
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