5-5
ルクレティア達を見送ってから、さっそくルカとリンドは村の中に足を踏み入れた。
ウィートンはいたって普通の農村だった。都会のように石畳で舗装もされておらず、さくさくと草を踏む音が小気味いい。
日も暮れかけていたので外にいる村人はほとんどいなかったが、農作業の痕跡など、のどかな光景から牧歌的で、平穏な雰囲気をルカは汲み取った。
「…………」
青い匂いが鼻をくすぐって、ルカの遠い日の記憶を呼び起こす。
(農村なんて、どこも同じだ……)
胸の内でルカはそう毒づいた。それでも、だからこそ、ルカは郷愁に駆られたのだが。
「マジ、クソ田舎だなー。芋女しかいなさそう」
リンドの情緒のない言葉でルカは現実に引き戻された。ルカがぱっとそちらへ顔を向けると、またリンドは不機嫌そうな顔をしている。
「またぼけ~っとしやがって、しゃきっとしろや」
「……わあってる、てめえに心配されなくたって」
「けっ。まーじで頼むぜ。オレさま、心配で心配でしょーがねーわー。ヘタレかましてんじゃねーぞ」
リンドがまた軽口をかますが、二人の間にまた剣呑な空気は漂わなかった。まともにリンドの相手をしてやれるほど、ルカに余裕はなかったのだ。
(昼間によそ者だと注目を集めるのもまずいが……こんな時間に人家に訪問したら、強盗か何かだと思われかねない……)
思いつつ、ルカは周りを見渡した。村人の一人にでも会えればと思ったが、そう体よく事が運ぶものでもない。
「!」
かさ、と物音がしたのをルカは聞き逃さない。騒音の中でも
怯え半分、好奇心半分と言ったところだろうか。少女はルカとリンドを恐る恐ると言ったような感じで、陰から覗き込んでいる。
「こんばんは。僕たち、旅をしているんだけど――近くに大人の人はいるかな?」
きわめてにこやかに、ルカは屈みつつ、そう少女に話しかけた。わあっと少女はいきなり声を上げ、隠れていた小屋に駆け込んだ――明かりはついている、恐らく、彼女の住む家だろうとルカは断定した。
少ししして、少女が駆け込んだ家の扉が開かれる。あたたかな明かりと共に出てきたのは、恰幅のいい、中年の女だった。老齢でもないのに、杖をついているのを見るに、足が悪いのだろうとルカは断定した。
「あら、本当にお客さん。こんなへんぴなところに、珍しいわねえ」
きわめて明るい声で女はルカ達をしげしげ見て、言った。先ほどの少女も女の後ろに隠れてルカ達の方を見ている。
「こんにちは。魔術連盟から派遣されてきた者です。此処のマナ量の調査をしに来ました。少々遅くなってしまいましたが……ああ、えっと……こちらは護衛の方です」
人好きしそうな笑顔を浮かべつつ、ルカは弁舌に語った。後ろでリンドは、ルカを得体の知れないものを見るような目で見ている。
「あら、魔術連盟の方なのね。こんなところまでお疲れ様ね。――そうだ、今から夕飯にするんだけど、よかったらあなたたちもいかが? 道中お疲れでしょうし」
「いえ、俺達は――」
やんわりと断ろうとするルカを押しやって、
「まーじでっ! ゴショーハンに預かりまーす!」
リンドがそう明るい声で代わりに答えた。それを聞いて隠れていた子供たちがぱあっと顔を輝かせたが、ルカがいきなり「おい!」と鋭い声を上げたので、またさっと女の後ろに隠れてしまう。
「――と、はは、すみません……礼儀も分からないやつで……」
また怯えてしまった子供たちにバツの悪そうな顔をしつつ、ルカはうめいた。
「あら、気になさらないでいいのよ! 若い人たちが満足するほどの量は出せないと思うけれど、お客さんなんて久しぶりだから、腕を振るうわ」
笑いながら女はそう言った。声も大きいが、懐も大きいらしい――そういう気質の人なのだろうとルカは思った。善い人なのだと、ルカには思えた。
「お兄ちゃん、魔術師なんでしょ? 魔術見せてほしいの……」
未だ隠れながらも、少女はおずおずとルカにそう言ってきた。リンドの方に視線をやるが「もう燃費切れだしー」とかふざけたことを抜かしているので、ルカはいったん黙殺した。
(ここで拒否しても、不自然か……)
なにやら嬉し気にしている女と少女と目が合って、ルカは胸の内でつぶやきながら、苦笑を一つ。
「ありがとうございます、じゃあ……お言葉に甘えて」
そう答えると、少女は無邪気に声を上げて家の中に駆け込んだ。女もにこやかに笑いながら、ルカ達の疲れを労わる言葉をかけてくれる。
(……にしても、一目で俺のような、魔術師だと分かるような奴に、そんなに気さくに話しかけてくるもんか?)
女の話を聞いているふりをしつつ、ルカの中にそんな疑問が浮かんだ。
子供が魔術みたいとせがむのは珍しくないが――と、ハドロウズ支部で聞いたヨハンと言う錬金術師のことをルカは思い出す。
(そういえば、錬金術師に世話になっていると聞いたし……魔術師に対しての警戒心が薄いのも、当然と言えば当然か……)
そう疑問に答えが出て、ルカは少女の呼び声に、軽く手を上げた。
「……なんでオレさまがガキの遊び場にならなきゃなんねえんだよ」
少女はなにやらは背が高いリンドを気に入ったらしく、彼の腕にぶらさがったり、よじ登ったりしてきていた。うんざりしながら、そうリンドはつぶやく。
(振り落としたりしねえんだな、今は。……それか、子供だからか?)
ひやひやしながらその様子を見つめていたルカだったが、そういう危険な兆候はなく、ルカは心底安堵していた。
「じろじろみんな、クソ」
「あーはいはい、すみませんねートカゲ型遊具楽しそうだなーって思って」
座った体勢で腹を抱え、くつくつと笑うルカにより苛立ちを募らせたリンドは子供たちによじ登られつつも「死ね」と吐いた。
「そういう言葉使っちゃいけないんだよー! お兄ちゃんが言ってた!」
と、少女がリンドの腕でぶらぶらしながら、いたずらっぽく言った。
「あ? うるせえガキ、落とすぞ」
リンドの唸るような声をものともせず、少女はきゃーっと言いながら楽しそうにじゃれている。
「おい、お客さんに失礼だろっ……すみません」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、リンドで遊んでいる少女よりも少し年上くらいの、利発そうな少年だった。
兄らしい彼が少女をたしなめると、リンドからぱっと離れ、逃げるように別の扉へ駆け込んで行った。
それを見守ってからはあ、と息をつきつつ、少年はルカとリンドにカップを差し出した。
「これ、薬草茶なのでちょっと苦いかもしれませんけど……よかったら」
年齢の割に落ち着きはらった声で、少年は言った。湯気が立ったカップの中には少々濁った色の緑色の液体が入っている。青臭い匂いが苦手なのか、リンドはしかめっつらをしていた。
(やけに大人びてんな、この子)
笑顔で薬草茶を受け取りつつ、ルカは胸の内で呟いた。
とはいえルカも、このくらいの年のころ、訓練で死にかけていたことを思い出した
――それはたぶん、関係が無いのでどこかに追いやる――まあ、女も少女も能天気そうだったので、ひとりくらい真面目くさった人間がいたって、不思議ではないだろうとルカは結論付けた。
「お兄さんたちは何処から来たんですか?」
なんとはなしと言う感じで、少年は聞いてきた。特に興味はなさそうに見えたが、所謂ご機嫌取りの世間話という所だろうとルカには思えた。
「ああ、ハドロウズから来たんだ――っとお!?」
リンドのフードからカーバンクルが出てきて、ルカはさあっと顔を青ざめさせた。暇を持て余していたらしく、部屋の中で飛び跳ね始めた。
「……この生き物は?」
跳ね回って最終的に壺の中に入って行ったカーバンクルを興味深そうに少年がじっと見ているので、ルカはどもった。
「あー……ええと、鼠の突然変異だ……病原体持ってるかもしれないから、君はあまり触らないように。こいつはそういうのを飼うのが趣味なんだ……」
適当なことを言いつつ、ルカは苦笑しながら壺の中でばたばたしている二匹をリンドのフードにまた突っ込んだ。
その様子を見て、まあ当然だが、少年は引き攣ったような笑みを浮かべた。どこか距離を置かれているようにルカには思えて、少しだけ傷ついた。
あらぬ風評被害を受けたリンドがわめいているが、ルカは無視を決め込んだ。
「そろそろ料理ができるので、ぼく、持ってきます」
少年はにっこり笑って会釈すると、料理の香りが漂ってくる方の部屋へ去って行った。
それからルカは差し出された薬草茶をじっと見つめた――見つめただけで、ルカはそれを机に置く。ルカが訪れた民家で出されたものを口にするのは殆どない。善意で出されたものだとしても、だ。
(性分だから、しかたない)
ルカは胸の内でそう呟く。と――。
「にがあ。マジで飲めたもんじゃねー」
悲鳴じみた声を上げたのは、リンドだった。横目でルカが見やると、リンドはうげえ、と声を上げて緑になった舌を出していた。
「……どれくらい?」
「相当だよ。マジでにげえ。薬草茶ってまじいな」
「……そう」
「何が入ってんだろーな」
「……さあな?」
そう答えて、ルカは息をついて押し黙った。この男は毒見役にならないことをふと思い出しながら。
しばらくして、食事が運ばれてきた。簡素なものだったが、この程度の村にしては「特別なもてなし」と言う感じのメニューだった。スープ、パン、なにかの煮込み、サラダ。腕を振るう、という女の言葉通りだというようにもルカには思える。
「さあ、どうぞ」
少女はパンに手を伸ばしたり、もう一方の手でスープを飲んでおいしそうにしている。行儀が悪いと少年にたしなめられつつも、気にせず楽し気だ。
「こんなによくしてもらって、本当にすみません」
苦笑しつつルカが言うと、女は豪快に笑って、
「気にしなくていいって言ったじゃない、さあ、遠慮なく食べて。お客さんなんてめったに来ないもんだから、はりきっちゃって」
「変わった香りがしますね、このスープ」
「香草を使ってるんだよ。このあたりにしか生えないものだから、都会の人には珍しいかもね」
「そうなんですね」
ルカは他にも女や子供たちからこの村の事、たまに尋ねてくる行商人のこと、様々な事を聞いた。
(幸せ、というものは、こういうものを言うんだろうな)
ルカはどこか悲し気に笑って、胸の内でどうしようもないことをつぶやいた。
和やかな食卓を打ち壊すようにいきなりスープを飲んでいたリンドがスプーンを机の上に置く。
「苦い」
口元をぬぐいつつ、リンドは顔をしかめて声を上げた。
「口にあわなかったかしら……」
悲し気な声で、女。ルカも止めるそぶりはせず、続くリンドの言葉を待っている。
「オレさまのスープ、めっちゃ苦い。まあ、
不思議そうな顔をしてリンドの方を見ていた子供に、リンドは笑いながらスープをすくって、口に運ぼうとする。
そのままスープを子供が食べようとする瞬間――ルカがそのスプーンを弾き飛ばした。
ルカがじろりと黙って睨みつけてきたのを、リンドが面白そうに見ている。
「……マンドレイク・リリー。根っこは呼吸困難に陥る猛毒を持つ植物。特有の刺激臭がある」
ルカの言葉を聞いて、女は首を振った。少年と少女も困惑しきった顔で見つめている。
「そんなことは――」
「そんなものが入っていなかったら、べつに俺もこのバカを止めなかった……」
ルカは苦々しげな声で、絞り出すように言った。怒りと言うよりは、悲しみのようなものをルカは瞳に宿し、続ける。
「ハーメルンの指示か?」
ハーメルン、と言う名前を聞いたとたん、女と少年がひどく動揺したような表情をしたのを、ルカは見逃さなかった。
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