4-5

 もうどうにでもなれとばかりにルカはリンドを屋敷から連れ出すことにきめた。

 ルカは屋敷での騒動など全くなかったかのように、夜の静寂に満ちたハドロウズの街中をため息交じりに歩く。

(のんきなもんだ)

 ルカは胸の内でそう悪態をついた。その言葉はハドロウズの住民と、ルカの後ろでしきりに腹が減っただなんだとわめいているリンドにも向けられている。

 くたくたになった体に鞭を打ちながらルカが足を向けたのは、デイモンに連行され、正装に着替えさせられた宿だった。べつに質素でもないが、さして高級そうでもない、まあまあの宿屋だ。宿屋の一部が酒場になっていて、盛況するような時間でもなかったが、ちらほらと客がいる。

「好きに食えと」リンドにそれなりの金を渡すと、リンドは機嫌よさげに、店主に料理を注文しはじめた。

 ――その結果、さきほどまで暇そうにしていたこの宿の娘らしいウェートレス、掃除をしていた宿のおかみ、おかみに怒鳴りつけられていた客など、もろもろを総動員しても厨房が修羅場と化していたのがルカの視界に入って、なんとなく嫌な予感がした。

 ひとまずルカはリンドの注文のついでに取った部屋で正装から着替えることにする。

(こっちの方がやっぱりしっくり来る。正装は動きづらくって仕方ない)

 正装を適当に脱ぎ捨てて、いつもの服に着替える。最後に真っ黒なローブを纏うと、ルカは不思議な安心感に包まれた。

(それに――)

 ルカは微かに笑って、ブローチをぎゅっと握りしめる。それだけで、ルカは力がみなぎる気がした。

(何より、兄さんを近くに感じられる)

 ルカのブローチは、兄から貰ったものだった。自分たちの瞳と同じ色だから揃いで買ったのだと嬉しそうに言いながら、ルカにくれたものだ。

『これを着けていれば、どれだけ離れていたって、近くにいるみたいだろ?』

 まあ、当分ルカと離れる気はないけど、と笑いながら言った兄の言葉をルカはよく覚えている。思い出して、ルカはまた泣きそうになった。

(大丈夫。俺はまた生き残った。だから、また、あなたに会えるんだ。いつか――)

 もう一度ブローチをぎゅっと握りしめ、ルカはかぶりを振って、感傷をやめた。

「――はははははあ!」

「う……」

 下の階から聞き覚えのある笑い声が聞こえてきて、ルカは疲労を思い出した。面倒をこれ以上増やされては敵わないので、ルカは慌てて下の階へ駆け下りていった。


「うう……」

 ルカは目の前の光景にうめくしかなかった。リンドの笑い声が聞こえてくる席には皿が天井に届きそうな具合に積み上げられ、周りに木製ジョッキが床に何個か放り出されている。

 店主がいちいち注ぐのが面倒になったらしく、いくつかリンドの席の近くに酒樽が置いてあるが、そのほとんどはもう空になっていた。

 なぜか乱闘が起きたらしく(不毛なので、ルカは理由を考えるのはやめた)、空になった酒樽に男がつっこまれていたり、そこらのジョッキとともに瀕死の男たちが倒れていた。

 厨房は死屍累々だが、なんとか手を動かし、調理を続けている――まあ、倒れるか食材がそこを尽きるか――どちらか。とにかく時間の問題だろうが。

「ドラゴンの食欲……舐めてた……」

「好きに食え」などと抜かした先ほどの自分をルカは心底呪った。

「よぉー、兄弟! なかなか美味いじゃん、この店」

 上機嫌のリンドの席の周りに倒れている男たちをまたぎ、ルカはリンドの向かいの席に座った。

「そりゃよかった……」

 皮肉を飛ばしつつ、更に積みあがっていく皿をルカは絶望的な気持ちで見つめた。

「そういえば……カーバンクルって、何を食べるんだ?」

 食器に埋め尽くされた机の上で狭そうに身をよじっているカーバンクルが視界に入って、ルカはそう尋ねてみた。

「さあ。個人差があるんじゃね?」

 口をもごもごさせながら、リンドはどうでもよさそうに言いつつ、骨付き肉に手を付けていた。

「個人差て……ドラゴンって、草食とか肉食とかねえんか」

「そもそもドラゴンって、メシを食う必要性がねえんだわ。他の生物とは違うんで、大気のマナが飯代わりだ」

 とてつもなく説得力のないことをあっけらかんと言い切ったリンドに、ルカはその場で崩れ落ちそうになった。

「……じゃあ食うなよっ!」

 ルカの怒声に、リンドはため息をつきつつ食事の手を止めた。別にルカの為ではなく、酒を飲むためだったが。

「……お前さあ、飯が毎日パンと水だったらどうよ」

 空になった酒樽を放り投げて、リンドはルカに尋ねる。急にそう言われ、ルカは目をぱちぱちとさせてから、

「……そら、やむを得なければそうするが……」

 そう答えた。まあ、つまりはなるべく避けたい、ということだ。

「そーゆーことだ。食卓には彩りが欲しいだろ」

 リンドはそう吐き捨てて、パンを口の中へ押し込んだ。

(蜥蜴の分際で、哲学的な事を……)

 ルカはなんとなく悔しい気持ちになった――反論する言葉を、持ち合わせていなかったのだ。

「飯をおごってやってるんだ、いい加減、カーバンクルを集めてどうしようとしてるのか話せよ」

 不機嫌そうにルカが尋ねると、リンドはうーん、と考えているようなそぶりをしながら、

「……なあ、魔術師。オレさまと取引しない?」

 そう唐突に言い出した。

「取引、だと?」

 訝しむルカに、リンドはくつくつと笑って、まあ聞けって、と続ける。

「認めたくねえが、どっかの誰かさんのせいでオレさまの今使える魔力はすかんぴん。オレさまの底に残ってる魔力もそんなにない――普通に回復を待っていたら、結構な時間を要するわけ」

「……さらっとひとのせいにしやがって」

 ルカの言葉を無視し、リンドは指を一本上げる代わりに、フォークを上に上げた。

「で、問題……魔力がゼロになるとどうなるか知ってるか?」

「魔術が使えなくなる……のか?」

 いままで考えたこともなかったことだったが、ルカはそう適当に答えた。魔力がなくなるという感覚が、ルカには分からない。

「まあ、人間はそんなもんか」

「?」

「ドラゴンは違う。魔力がゼロになると――なんか、

「どーにかってなんだ」

 脊髄反射的に尋ねたルカに、リンドはうんざりとした表情を浮かべた。

「オレさま、あんま説明とか好きじゃないんだけど……魔術を使える生物って、魔力を勝手に回復するだろ」

「勝手にっていうか……大気中のマナを取り込んで、体内に残存する魔力を使い、魔力に変換する魔術を無意識下で使って回復している……だろ」

「そーなんだ」

 へえ、なんて気の抜けたような声を上げるリンドに、ルカは心底あきれた。

(まあ……本当に、興味がないんだろうな。それこそ、こいつみたいな生き物にとっては、その言葉のまま無意識なんだろう。呼吸をすることに、疑問を覚えないのと同じだ)

 ルカは改めてリンドと自分が違う生物なのだという事を実感した。

「ドラゴンってのはその、残存する魔力がなくなるのと同時に自我がなくなる……みたいな。大気中に存在するマナを取り入れるだけじゃ追い付かないんで、周囲のモノすべてからマナを奪うために破壊の限りを尽くす――こう、意識が消えるんだ。厄介な体質だよな、たく、忌々しい……」

「……なんだと?」

 ルカは耳を疑った。どこにも、ドラゴンと言う種についてそんな記述はなかった――ルカの知る世界が狭いのだという事は分かっていたが、一般人に比べれば広い方だと自負していた。

 そんなルカの気は露知らず、リンドはかまわず続ける。

「そこらの蜥蜴ならまあいい。そこら辺の人間虐殺して街一個壊すくらいで済むだろう。けど、オレさまほどの偉大な竜となると別。元々ある魔力量が多いだけに、比例して必要なマナも多くなる。街の一個や二個破壊しつくすだけじゃあ済まんだろうね」

「……現実味がなさすぎて、にわかには信じがたいけど……」

 言いかけて、ルカははっとした。ルカはあることを思い出した――リンドの魔術によって造られた偽物が、セインシアを破壊しようとしていたことだ。

(セインシアでのコイツの偽物の破壊行為って、まさか……あの男の命令通り動いたんじゃなく、枯渇した魔力を得るために……街を破壊し、人々を殺して魔力を奪おうとしたのか……)

 そう考えれば、合点がいく、とルカは思った。同時に、ドラゴンと言う生物がいかに危険なものかということも理解した。

「?」

 リンドは眉をひそめ、ルカの顔をじっと見てきた。なんとなく、目をそらしてルカは、

「いや……理解はできる。前例を見たから」

 つぶやくようにそう口早に言った。あ、そう。とリンドはどうでもよさげに声を上げ、話を戻す。

「まあオレさまとしても? 気づいたらいきなり世界が破滅してました、なんてのは避けたいわけよ。住処失いたくないじゃん。だからまあ、不本意ながら魔力消費の少ない、このエコい形状を取っているわけだが、この身体から引き出せる魔力にリミッターをかけてるせいでオレさまの今使える魔力ってのはすっからかんなわけ」

「へえ……! ドラゴンってのは、好き勝手形状を変えられるもんなのか?」

「質問大好きか……」

 リンドが目を半目にしてそう文句を言ってきたので、ルカはう、と小さく唸った。リンドの話で、ルカの知的好奇心がくすぐられているというのは、事実である。

「まあ……そうする必要性がにはあったからな。いつまでもつかは知らんけど……」

「……?」

 ぶつぶつ言っていたリンドの言葉が聞こえず、ルカは眉をひそめた。

「アレだ。オレさまのような偉大なドラゴン以外は無理ってことだ」

 結局ルカの質問には答えず、適当にはぐらかしたリンドに「あっそう」とルカは不満げに声を上げて、

「……それで? てめえの魔力が今ないのと、カーバンクルと何の関係があるんだ」

 と、核心にせまった。

「地上に住むドラゴンが、拠点を持って宝をため込んでるって話はしたよな」

 リンドはルカが頷いたのを見て、続ける。

「ヴィーヴルは、カーバンクルの魔石をため込んでんだよ、ヤツの巣である洞にな」

 言いながら、ちょいちょい、とリンドはカーバンクルの額の宝石――魔石をつつく。腹立たしかったのか、抗議する様にカーバンクルは机の上で跳ねた。

「その魔石は、最初はめちゃくちゃ小さいんだが――段々と成長していって、ある程度の大きさになるとカーバンクルが眠りにつくときにぽろっと取れるんだ。それで、額にはまた新しい魔石が出来る。それをヴィーヴルは宝物庫にため込んでんの」

「膨大な魔力を秘めている石をねこそぎ奪い取って、てめえの魔力の回復に充てたいってことか」

「そゆこと。そんで、その宝物庫の扉を開くには、魔力量からして……カーバンクルを最低でも七匹は揃えてヴィーヴルのやつに魔術を使って開けさせるしかない。揃えさえすりゃちょっとオネガイすればあいつは快く開けてくれるだろうよ」

「でもヴィーヴルの居場所を知らないんだな」

 ルカの言葉に、リンドは苦々しげな顔をした。

「お引越ししたみたいでな……その時に、どっかに雲隠れしやがった。偉そうに魔力感知を躱す術を使うとはな……腹立つぜ」

 苛立ちのままに、リンドは手に持っていた空の皿をその辺に放り投げた。

「それでだ――お前は他のカーバンクルの居場所がどこにいるのかわかるのか?」

 リンドに尋ねられて、ルカはしどろもどろになった。図星だった。そんなもの、ルカに知る由はない。

「カーバンクルが共鳴するんじゃ……」

「そいつは近場にいる時だけさ。それも、まあ……広さで言やあ同じ家の中にいる、ってレベルのな」

 唯一の手掛かりが無駄だと分かって、ルカは落胆した。

「しらみつぶしで各地を回るか?」

 リンドの問いに、ルカは無言で答えた。否定はしたいが、肯定だ。やむを得ないが、その方法しかルカにはない。

「オレさまはカーバンクルを探すすべを知っている。カーバンクルの魔力の匂いがわかる。で、お前はカーバンクルをヴィーヴルに返すのが仕事なんだろ?」

「仔細は不明だが……実質的にはそうだろうな」

「なら最終的な目的はオレさまと同じという事だ」

 にやり、と不遜な笑みを浮かべ、リンドは続ける。 

「オレさまはカーバンクルを探すために手を貸してやる。そんで、お前はオレさまをヴィーヴルの元へ案内する。お前は仕事を片付けられる、オレさまも魔石をゲットできる――そんなに悪い話でもねえんじゃねえの?」

「まあ……確かに……」

 いけ好かない男ではあるが、藁にもすがりたいルカにとって思ってもない提案だった。腹立たしいが、ありがたい話でもあったのだ。

「なら決まりだな。正直てめえと協力するなんて反吐が出そうだが」

 またリンドは凶悪に笑う。こうして会話をしていても、このリンドと言う男はルカにこういう、ひりつくような敵意を向けてくる。ルカはそれが不快でしょうがなかった。

「それはこちらの台詞だ。俺だってお前みたいな奴と協力するなんて、これが最初で最後に決まってる」

 そうルカは吐き捨てて、ふんと鼻を鳴らした。

「ハ! じゃあ、よろしくな、あ・い・ぼ・う♡」

 にやにやしつつ、わざとらしくリンドはルカをそんな風に呼びつけてきたので、ルカはついかっとなった。

「気味の悪い呼び方をしやがってっ! 誰が相棒だっ! たく……」

 ルカがぶつぶつ言いながら席を立ち上ろうとしたそのとき、「あ!」とリンドは声を上げ、

「あと骨付き肉七本とこのよくわかんないけど美味い煮込み大盛食う――あ! あれもうまそー! オヤジーい! なんかその、ケーキみたいな奴! 十四個!」

 疲労困憊の店主はリンドの言葉に「はい……」と返事をすると、機械的に調理を始めた。厨房の修羅場は混迷を極めている。

「…………やっぱりやめようかな………」

 ルカは遠い目をしながら、また積みあがっていく皿をただ見つめるしかできなかった。

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