4-4

「くそっ、何なんだ、あの魔術は……」

 ルカは先ほどのハーメルンの魔術を解析し始める。無色無臭の気体、ルカには初めて見る魔術に見えた。しかし、魔術は奇跡ではない、必ずなにか――――

「っでぇっ!」

 二度目の、後頭部への鈍痛によって思考が遮られた。怒りに任せてばっとルカが振り向くと、眉を吊り上げ、眉間にしわを寄せたリンドが拳を振りかぶっていた。

「てめえ、オレさまの邪魔ばっかしやがって! なんだっ!? そんなにオレさまのこと大好きか!? キモいんだよ!」

「気色悪い事言いくさってんじゃねえ蜥蜴っ! 縁起でもねえっ! 冗談でも言っていーことと悪いことがあるのが、蜥蜴にはわかんねんかっ!」

 ルカはおぞましいといわんばかりに両肩を抱き、ぞっとしたような声でそう返す。

「じゃあなんでさっき邪魔しやがった、てめえが邪魔しなきゃ、あのいけすかねえガキを殺せたのによ! てめえにとってもあのガキは邪魔なんじゃねえんか」

 リンドの言っている事は、まさしく正論だった。ハーメルンは、リンドにとってもルカにとっても共通の敵であるのだ。————リンドのやり方はともあれ。

「それか何か? あのガキが言った通り、お人好しってやつか? ガキをいじめちゃかわいそうだってお花畑野郎かよ」

 鼻で笑うように続けたリンドの言葉が、ルカはひどく癪に障った——触れられたくない点を、この男は、ずかずかと、無神経に踏みにじってくる。改めて、ルカはこのリンドと言う男が嫌いだと再認識した。

「蜥蜴頭が、さっきも言ったろうが。てめえの、くそったれな魔術じゃカーバンクルが巻き込まれると判断したからだ」

 そうルカが吐くと、呼ばれたのかと思ったように(偶然だろうが)リンドのフードからカーバンクルが顔をのぞかせる。

「そのカーバンクルを渡せ。なにがなんだか知らんが、どうせ、ロクな事に使わないんだろ」

 ルカにそう言われると、リンドはふんと鼻を鳴らした。

「やーなこった」

「……いくらか出してやる。それで手を打て」

「やなこった。いくら払われてもてめえなんぞに協力したかねえわ。オレさまはこれから、こいつのきょうだい探さなきゃなんねーんだよ」

「……なんで揃えたがる?」

「そろわなきゃ意味ねーんだよ」

「……は?」

「だから、揃わねーとこいつらの真価が発揮できねえの」

「……カーバンクルの額の魔石は膨大な魔力が宿っているらしいな。それを利用して、集めて強大な魔術でも使って、国でも支配する気か?」

 まじめくさったように言うルカに、リンドは噴き出し、大声で笑った。

「おいおいマジでか魔術師、そこまで人間の魔術師ってえなあ馬鹿なのかよ。そんなもんで国一個支配できるんなら、とうの昔に誰ぞかがやってんだろうが――そもそもたかだか人間の国を支配したところで、オレさまになんのメリットがあるってんだ」

 くだらないとばかりに一笑するリンドに、ルカはぽかんとした表情をした。

「……高いところから人を見下すのが好きそーだし、税率を上げて、苦しむ市民を見下しつつ爆笑し、美女を侍らせて高級そうな酒を飲んで肉をかっくらうよーな、酒池肉林がきっと将来の夢で、高慢ちきで、自己顕示欲が強くて、プライドは山より高い野郎だから、てっきり」

「……や、まあ、おおむね当たってるケドね……オレさま、今あげたやつだいたいあてはまってるし……」

 ぼそぼそ言ってから、リンドはかぶりを振って、

「……笑わせてくれた礼に教えてやるよ、カーバンクルってのはなあ、ドラゴンの中でも下の下の下——蜥蜴人間リザードマン火蜥蜴サラマンダーレベルの劣等種、ドラゴンって呼ぶのもはばかられるほどの雑魚、レッサー・ドラゴン・ヴィーヴルの仔だ。まだカーバンクルの方が利用価値があるだけ、仔の方が価値がある」

 そうルカに言って見せた。リザードマン、サラマンダーという名前はルカも知っているし、前者については交流もある。リンドの偏見・解釈によるものだろうが、こういう、なにかを見下すような事を言ううえで、この男はうそをつかないだろうとルカはなんとなく思った。

「お前、てっきりリザードマンの亜種かと思ってた」

 と、ルカ。リザードマンと言えば姿こそは蜥蜴だが、二足歩行で、人間ほどの知能はないが人語を操り、ある程度の文化のある生物だとルカは認識している。

「はあ? 滑稽な二足歩行の地を這う蜥蜴と空を飛ぶオレさまが、てめえは同じだとでも言うのか?」

(てめえだって今まさに、地に立ってんだろうが)

 そんな言葉がルカの脳に浮かんだが、目の前で自慢げにしている男が激昂する事が目に見えていたので、とりあえず言うのをやめておいた。

「つか、てめえの言う、カーバンクルの利用価値ってななんだ。てめえが、魔術を使って何かしでかすつもりじゃあないことは分かったが……てめえ、無一文なんだろ? 金稼ぎじゃねえんか。それならいちいちきょうだいまでそろえる必要なんてないだろ」

「これ以上はヒ・ミ・ツ。オレさまのお宝独り占め計画をてめえに邪魔されたくないしっ」

「するか、ンなもん! 俺はてめえと違って私欲でカーバンクルを探してるわけじゃない! ヴィーヴルの元に返すのが、俺の仕事だ——」

 言いかけて、リンドは「は!?」と声を上げた。

「まさか――魔術師てめえ、ヴィーヴルの居場所を知ってんのか?!」

 そう唐突に大声で、リンド。今にも飛びかかって来そうな勢いだったので、ルカはつい後ずさった。

「知ってるけど……お前、ヴィーヴルの知り合いじゃないのか?」

 それなら居場所を知っていてもおかしくないだろう、とルカは思った。ドラゴン同士のつながりなどルカにはよく分からないが……。

 リンドは何やら考えるように顎に指をやり、少ししてから、ルカの肩にいきなり手を置いた。

「教えろ」

「なんで」

「いいから」

「理由は」

「言わないけど」

「じゃあ、やだ」

 憮然とした様子で言うルカに、リンドは額に青筋を浮かべつつ、なんとか笑顔をはりつけた。ルカの肩に手を置く手は震えているが。

「そんなこと言うなって兄弟~! そうだ、これまでのオレさまに対する無礼チャラ! どうよ」

「言わない」

「色々オレさまたちあったけどさ、意外と仲良くできそうじゃねえ?」

「言わない」

「おーねーがーいー」

「言わない」

「…………」

「言わない」

「今日はいい天気だなー」

「言わない」

「ドラゴンのドラ息子がドラ焼き作ってドラついてる」

「言わない」

「魔術師いま手術中~」

「言わない」

 何度尋ねても答えぬどころか、同じ言葉をただ繰り返すルカの肩を乱暴に押し、リンドは怒りのあまり頭を掻きむしった。

「てめえ……オレさまが珍しく下手に出とるのに、何様のつもりだクソ魔術師」

「は、てめえに人にお願いするって殊勝な考えがあったことが驚きだわ。最初っからそーやって来ると思ったんだが」

 ルカが喧嘩腰でそう言い返すと、再び剣呑な空気が二人を包む。

 ——ルカは口元に微かな笑みを浮かべた。ルカはこの空気を待っていた。あえて喧嘩腰で、この男を怒らせることにしたのだ。

(俺の考えが、確かなら、こいつは——)

「もーいい! そもそもてめえに頼ろうなんて屈辱、よく考えたら許せるかっ! オレさま二度目はさすがに手加減してやらねえ! 正直、てめえのツラなんぞもう拝みたくもないんでね!」

 リンドがそう怒声を上げると、ぐらっと空間がざわめき、さきほどと同じ感覚がルカに襲い掛かる——ブレスの予兆だ。

(来たっ!)

 先ほどとは違い、ルカはただ身構えるだけだ。幾何学模様が空間に描かれていく過程を、ルカはただ見つめている。

「じゃなクソ魔術師! バイビー!」

 リンドが獰猛な笑みを浮かべ、そう言った途端――

 ぼんっ、という破裂音が響いて、空間の円環になりかけていた模様が黒い煙を上げていた。

「え」

 気の抜けた声を上げたリンドを、ルカは冷ややかな目で見つめている。

「…………」

「ちょ――ちょっと手元が狂っただけだし! もっかいバイビー——」

 また破裂音。何度か同じような音が響いて、円環から黒い煙を上げるだけだ。

「やっぱりな」

 呆れと侮蔑が籠った声で、ルカは続ける。リンドはというと、自身の両手を見つめ、ふるふると震えていた。

「お前、魔術を使えなくなっているんだ。空間中のマナを集めるのがドラゴンの魔法だが、それを集めるだけの魔術が体内で起こっていると考えられると、その体内で発動させる魔術を使うための魔力が少なくなってしまっているために、その能力も落ちてる。ということは、必然的にブレスとやらの威力も落ちるわけだ――つまり、お前は――」

 弁舌に語るルカの方を見ないように、リンドは必死に明後日の方向を向いている。

「ただの蜥蜴になっちまったってコト」

 目を半目にして、ルカはとどめとばかりに言い放った。

「はあ~~~~!? ち、ちげえし! たまたまだし! オレさまだって本気出せば出せるし! マジ、魔術師愚かだわー!」

 弁明する様に、リンドは叫ぶ。泳いだ目は、じとっと見据えてくるルカの方は向かないが。

「現実を認めて己を顧みることで、気づけることだってあるんだぜ」

「ありえねえし……ここまで……オレさまが、ンな……」

 肩を落としながら、愕然としてリンドはぼそぼそとうめいている。表情は見えなかったが、ひどい顔をしているだろうとルカは思った。

(手足のように使えていた力が使えなくなるというのは、どういう感覚だろう。もし、自分が魔術を使えなくなったら……)

 考えかけて、ルカはやめた。不毛でしかない。そんなものは、そうなったときに考えればいい話だと片付ける。

「ふっざけんなよ!? てかそもそも全部てめえのせいだろうが! あのみょうちきりんな水槽にぶち込まれてから変なんだよ!」

 落ち込んでいたリンドが、ばっと身を翻して、ルカの胸倉を掴み上げてきた。

「力が抜けるよーな感じがしてたと思ったら——」

「なるほどな、お前の魔力で雷電を発生させる魔術を使っていたわけだ。通りであのとき、他の培養槽がお前がいた培養槽に繋がってたわけだ。合点がいく」

「だああああああああああ!」

 リンドの言葉を遮る形でルカがそう解説してやると、リンドは意味のない言葉をわめきちらしながら、ぐわんぐわんとルカを振り回した。

「てめえ責任取れよ! の魔力返せ!」

「知るか! やったのは俺じゃねえし、そもそもお前がマフィアなんぞの用心棒なんて太陽の下歩けねーよーなまともじゃねえ仕事してる方が悪いんだろが」

 そう吐きながら、いい加減にしろとばかりにルカは自身を掴み上げるリンドの腕を振り払う。

「割のいい仕事だったのに……オレさまを巻き込んだ挙句、その仕事場を壊したのはどこのどいつだよ……」

 恨めし気に、リンド。つい、ルカは言葉を詰まらせる。その言葉に納得せざるを得なかったのだ——人を殺し、周囲に迷惑をかけたとはいえ、リンドは魔術師に利用され、巻き込まれた被害者でもあるのだ。

「……蜥蜴の癖に、仕事とか生意気なんだよ……」

 ルカが苦し紛れにぼそっとこぼしたのは、そんな悪態だった。

「あー! 種族差別だ! オレさまがドラゴンだというだけで失職してもしょうがないなんて理不尽な野郎だ!」

「俺だってわざとこわしたわけじゃないし……」

「わざとじゃなきゃいーのかー! かわいそうなオレさまー! 一文無しの宿なしー! 邪悪ド外道魔術師はかわいそーなオレさまに慰謝料とか迷惑料とか色々払えよ!」

 ここぞとばかりにわめき散らすリンドに、ルカは我慢が効かなくなり、かっと目を見開いた。

「――うるせえええええ! 爬虫類は爬虫類らしく、その辺の虫でも食っていればいいんだあああああ!」

 わめいていたリンドが、あまりにも理不尽なルカの叫びに一瞬黙る。気にせずルカは、怒りのままにわめき続ける。

「爬虫類の分際で労働なんて人間の真似事をしやがって! 生物には生物ごとに、適応した生き方があるんだよ! それを無視して別の生物の生き方をしようとするとは何事だ! 自然の摂理に逆らうんじゃない! 爬虫類が人間でございとばかりに労働なんてしだしたら全国の生物学者が泡を吹いて死んじゃうだろーがっ!」

「馬鹿が! 生物は環境に合わせて適応、進化するもんだろーが!」

「黙れ! 爬虫類が生物の進化について語るな! 昨日食ったハエの足が喉にひっかかってる程度の会話をしていろ! ていうか蜥蜴が人語を操るなーーーーッ!」

 言い合いだけで済んでいたのが、いつのまにか足やら手が出る戦いに発展していく――だんだんとその戦いがエスカレートしていって、当初の目的も忘れきっているらしいルカとリンドは、ただただ相手を殴り、蹴り、投げ飛ばすことに夢中だ。

 頭に血が上った二人は、「目の前のクソ野郎をぶちのめす」という思考に支配され切っていたのだ。


 そんな不毛な争いがしばらく続いて――。

「……なんかもう疲れた……こんな不毛な争いしたくない……」

 めそめそしながら、ルカは鼻血をぬぐいつつ、うめいた。もともと周りはめちゃくちゃだったが、またそれなりにめちゃくちゃに散らかっている。

 二人の争いに巻き込まれ、踏みつけられてしまったエイダが白目を剥いて気絶してルカの足もとにいるが、彼は全く気付かない。

「……オレさまお腹ぺこぺこぉ~……」

 恨めし気にリンドはそう声を上げた。ルカはそれを無視し、その場を立ち去ろうとするが、リンドがはためくルカの燕尾服の背中の裾を引っ掴み、離さない。

「じゃあな蜥蜴。達者でな蜥蜴。離せ蜥蜴。腕斬り落とすぞ蜥蜴」

 畳みかけるようにルカは一息で言い切るが、リンドはしっかりと裾を掴んでいる。

「あーあーあー。強盗なんてここ三十年くらいしてなかったのになー。いっこの店を襲ったらいっこの街壊さねえとぎゃーぎゃーわめいて人間どもはめんどくさいし、だからやんなかったのになー。どっかの誰かさんのせーで無駄な血が流れるなー」

「ぐ……」

 リンドが言い放った言葉に、ルカは唸った。どうしようもない、荒唐無稽な話だと片付けられれば別にいいが、後ろで駄々をこねている男はそうとも言い切れない。

「思い立ったが吉日、ひとまずこの家の金目のもんを全部奪いつくしてから商店を襲うか……」

 また不穏な事を言い出すリンドに、ルカは泣きたい気持ちになった。

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