4-3

「黙って聞いてたが——人間の分際で仔竜カーバンクルを攫ってんだって? 正直聞いてて良い気はしねーわ——つーより、腹立つ」

 リンドは伸びをしながら立ち上がり、のそのそとルカの前に出て、そう言い放った――無論ルカを庇ったわけではない。単純に、いつでもハーメルンに攻撃を仕掛けられるように丁度いい場所を取っただけだろう――同時に、ルカが妙な行動を起こせばすぐさま蹴り飛ばせる位置だ。

 言動からは汲み取れないが、こうした行動のひとつひとつから、このリンドと言う男の底知れなさをルカは感じ取っていた。

「別にきみのこどもじゃないんだから、いいじゃん」

「まーそれもそうだが……下等生物に同じ種族の奴が、仔とは言えいいようにされんのは、オレさまとしては癪なわけよ——」

 頭を掻いてから、リンドはにや、と不敵な笑みを浮かべ、続ける。

「それにそいつはオレさまの知り合いの仔でなあ、助けてやりたいわけよ、かわいそーじゃん」

 なんとはなしに言ったリンドの言葉だったが、傍で聞いていたルカは眉をひそめた。

(こいつ、ヴィーヴルと知り合いなのか? ……確かに、ドラゴンなんだから、そう言うつながりがあったっておかしくないが……)

 少なくとも、この男に「助ける」だとか「かわいそう」という言葉は結び付かない――この凶悪な男を知ったのはごく短い期間ではあったが、ルカにはそう思えてならなかった。

「どこがドラゴンなのさ、きみ。確かに強いみたいだけど——」

 ハーメルンが言いかけた瞬間、ずどんっという音が響き、ルカの方に砂煙が舞ってきた――リンドが立っていた地面には亀裂が入っているだけで、いたはずのリンドの姿はない。

「腕へし折られたくなかったらとっとと渡せよクソガキ」

 ナイフを持っているハーメルンの右腕を引っ掴みながら、リンドは言った――ハーメルンのいる場所まで数メートルはあったが、今の行動まで二秒とかかっていない。

「やだ」

 言いつつ、ハーメルンはリンドに向かって左拳を振るった――リンドは目をかっと見開き、掴んでいない方の右手を握り込み、振り払うようにハーメルンの拳を外側に弾いた。

 瞬間、びゅんっ! と風を切る音が響き、ハーメルンの振り払われた左腕の袖から、金属の矢のようなものが発射された――失敗はしたが、リンドを殴りつけるふりをして、仕込んであった暗器で攻撃しようとしたのだ。

「ちぇ」

「小賢しいんだよ!」

 怒りを抑えずに、リンドがそう怒声を上げる。様子を伺うルカの眼に、ハーメルンのまたあの不気味な笑みが映った。

「——ふっ!」

 唐突に、ハーメルンが口から何かを噴き出した――銀色に光る、鋭い何か――針だ。

(含針術——毒液が塗られた針を口から噴き出すっていう――毒を飲んで、訓練された暗殺者が扱うっていう――もしくは、死んでも良い使い捨ての、暗殺者)

 ハーメルンがどちらかはルカには分からなかったが、恐らくは前者だろうと思った――というよりは、もし訓練していなくとも、毒くらい平気で飲んでしまいそうな異常性がハーメルンにはあるとルカには思えたからだ。

 リンドの顔めがけて――恐らくは、目を狙った針が襲い掛かる――だがリンドは特に気にする風もなく、空いている右手で針を受け止めて見せた。

「手で防ぐなんて凄い勇気だ。さすがドラゴンって言うだけはあるよね。でも——」

「でも? なんだよ?」

 リンドは凄絶な笑みを浮かべ、そうハーメルンに尋ねて見せる。するとすぐにハーメルンが表情を一変させ、振り払うように――もがいているように、ルカには見えた。

 もがいているハーメルンをものともせず、リンドはそのまま掴んでいるハーメルンの腕の可動域を無視し、無理やりへし折った。

「――――ッ!」

 ハーメルンの腕は不自然に折れ曲がり、彼は痛みに顔を歪めていた――それでもハーメルンが声を上げなかったのは、彼の精神の強さによるものかもしれないとルカは漠然と思った。

「なに、オレさまに毒が効くとでも思ったわけ? いやあ——お間抜けだねえ!」

 ひんまがった腕を掴んだまま、リンドはそのままハーメルンを床に叩きつける――叩きつけられたハーメルンは赤黒い血を吐き、声にならない悲鳴を上げた。

 反動で驚いたらしいカーバンクルがハーメルンの服から這い出てきた――ハーメルンはうめきつつ、彷徨っているカーバンクルに必死に手を伸ばした――指先が、カーバンクルのやわらかい毛に届く――だが、それを放置するリンドではない。

 カーバンクルに触れる寸前に、リンドはハーメルンの手に向かって思い切り足を振り下ろした——命綱が目の前で無残に斬りおとされたような、そんな絶望感がハーメルンを襲う。

「うあああっ——!」

 さらに手を踏みにじられ、悲鳴を上げるハーメルンを見てリンドは凶悪に笑う。目を覆いたくなる光景に、ルカはついかっとなった。

「っやめろ――――」

 思わずリンドへの制止の声を上げ、床を蹴る――――が、ルカは一歩踏み出したところで、立ち止まった。

 ――自分が、ハーメルンを助ける理由は何だ、という疑問が脳裏に浮かんで、ルカは思考も動きも停止した。

(理由、理由は――)

 ルカは必死に考えたが、その問いに、すぐ答えは出た。そんなものはない。

(ハーメルンが、死んだところで、何だって言うんだ……あれは、化け物だ。人間ではない、保護する義務がない……それに、人殺しだ……)

 ルカは言い聞かせるように胸の内でうめいて、意味もなく足元に視線を落とした――苦しんでいるハーメルンをまた視界に入れる事は、またルカを得体のしれぬ葛藤でがんじがらめにする事のような気がしたからだ。

(……俺は、何を恐れている……?)

 ルカはまた自分自身に問うが、その問いに答える者はいなかった。

「オレさまを毒で殺したいなら、ヒュドラあたりにでも貰って来るんだな――まあ、もういねえだろうが。人間ごときにやられた恥さらしだし、生きてても出てこれねーだろーな」

「……ぐ……」

 憎々し気に睨みつけてくるハーメルンを一瞥すると、リンドはきょろきょろと不安げにしているカーバンクルを拾い上げた。

「最初からそーやって大人しーく渡しときゃーよかったのによ」

 やれやれと言った調子で、リンド。ぱっとハーメルンの手から退くと、ハーメルンは踏みつけられた方の手で転がっているナイフを掴もうとしていた。

 ナイフを掴もうとする、痛みで痙攣しているらしいハーメルンの手は何度も空を切っている。

「無駄な事だ。てめえ、今はさっきの化け物リカバリーできねえんじゃねーの? 魔力、使い果たしてんだろ。あとそう、オレさま優しいから教えてやるけどさあ」

 その言葉を無視し、ハーメルンはただナイフに手を伸ばし続ける。それを嘲笑うようにリンドは続ける。

「弱えヤツはなあ、強いヤツに搾取されんのがアタリマエなんだよ。人間も、ドラゴンオレらも同じだ。そう、ジャクニクキョーショク、ってヤツ? てめえが必死こいて守ってるガキんちょも同じ。弱いから、てめえが言う汚ぇ大人とやらに利用されんだよ。理解したかよ、おバカちゃん――」

 揚々と話していたリンドは、唐突に口を閉ざした――彼の足に、ハーメルンのナイフが突き刺さっていたからだ。

「……蜥蜴語でさあ、うるせえクソ野郎、くたばれって何て言うの?」

 ぜえぜえと荒く呼吸をしながら、ハーメルンはそう苦し気に悪態をついた。途端、リンドの瞳に獰猛な光が宿る。

「人間でもでもねえ半端なモドキ野郎が――何勘違いしちゃってんだか」

 突き刺さったナイフを引き抜きつつ、リンドは不遜に言い放つ。

 リンドの不機嫌に呼応するように、空間がざわめく、目に見えぬ圧力が空間を震わせ、そして空間が膨張を始める――ルカはこの感覚を良く知っていた――感じた瞬間――考える前に、口を開く。

「奇跡謡う虚構よ崩壊せよ!」

 ルカがそう唱えると、空間の膨張が破裂したように、衝撃波が発生し、周りの物を吹き飛ばす。瓦礫や家具が吹き飛んであたりに散らばったが、空間のざわめきも、圧力もすっかりなくなっていた——代わりに、静寂が空間を満たした。

(……なんでだ? なんで、俺はブレスを打ち消すことができた……? ダメもとだったのに)

 リンドの魔術が無効化できた喜びや安堵よりルカの胸中に先に浮かんだのは、そんな疑問だった。

(力のセーブをしたのか、もしくはブレスじゃなかった? いや、でも、さっきのマナの動きは、前に受けたブレスとよく似ていた……まさか、あいつ……)

 思考を深めたルカをよそに、静寂のなかでリンドの意味のない咆哮じみた怒声が響く。

「――なにしやがるクソ魔術師! 邪魔をしやがって!」

 リンドの罵声で、ルカは我に返った。今は、そんなことを考えている暇などない——。

「……邪魔、だと! てめえの、被害度外視魔術なんぞ使ったら、巻き込まれてカーバンクルが死ぬだろうが! このアホ蜥蜴がっ!」

「オレさまがその程度の事考えてねえと思ったんか!」

「……じゃー考えてたんかよ」

 目をじとっとしながら言ったルカの言葉に、リンドは押し黙る。言葉にするよりも饒舌な回答だった。

「――ルカ君がお人好しで助かったよ……でも、ぼくはこの程度じゃあきらめないから」

 ハーメルンは床に這いつくばったまま、うめくような声で言った。

「ぼくはこれからも人を殺す。たくさん殺すよ。ぼくはぼくの守りたいもののために、人を殺す」

 喋り続けるハーメルンの周りに、うっすらと白い気体が発生してきたことに、ルカは気づき、

(何だ、これは……ガスか?)

 考えつつも、咄嗟に締めていたスカーフを外し、口と鼻を覆った。

「ぼくの選択に間違いはない。ぼくはけして後悔なんてしない。ぼくは、きみとはちがう……」

 瞬く間にハーメルンの姿は濃くなった白い気体に覆われてしまう。そして気体はあっという間に部屋全体に広がり、霧のようにあたりを白に染め上げた。

(何かは分からない……でも、何かのガスじゃない……というか、魔力の粒子のような――ハーメルンはどこだ——……魔力を探るか? ンな暇あるか!めんどうだ! ああ、もう、まだるっこしい!)

 苛立ったルカがスカーフを外し、魔術で霧を吹き飛ばそうとしたその時、いきなり後頭部に、硬いもので殴られたような鈍痛が走った。

(何だ? ハーメルンの、魔術か……?)

 ルカはぞっとした——視界を奪われたようなこの状況の攻撃は、ルカにとっても恐ろしいものだった。——が。

「おい、なんだこれ! なんも見えねえしっ! 魔術師! なんとかしろ!」

 リンドがそう怒声をあげ、どたばたと騒がしい足音を立てている。同時に、ルカの恐怖が怒りに塗り替わった。先ほどの鈍痛は、暴れているリンドの腕か肘があたったのだろうとルカは理解した。

「うるせえ! てめえなんぞに言われなくたって、そうするつもりだっての!」

 すっかり恐れがなくなったルカは、いまだ騒がしくしているリンドをそう怒鳴りつけ、改めて口を開く。

「踊れ春風の花嫁よ!」

 霧の中でルカの詠唱が響く。ルカを中心にして魔術による風が巻き上がり、あたりを包んでいた霧が晴れていく——一点をのぞいて。

 窓の近くが白くもやがかっている——否。白い気体がそのあたりを漂っている。はっとしてルカはそちらに手を伸ばし、

「待て!」

 そう声を上げた——それが、なんとなくハーメルンなのだとルカは思ったのだ。確証はなかったが。

「ぼくはきみみたいに弱くない。ぼくは、この程度で揺らいだりしない」

 姿はなかったが、ルカの耳にハーメルンの声が届いた——その声だけを残して、白い気体は窓の隙間から抜けて行った。

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