4-2
(ああ、やっぱりか、くそったれ! 強欲女!)
ルカはルクレティアに胸の内で悪態をつきつつ、魔術を使うべく口を開く。
「交渉決裂だね。ざんねんながら――――!」
言いながら、ハーメルンはいつの間にか手にあったナイフをエイダに向かって思い切り振り下ろす――。
「汝導くは黒の領域!」
振り下ろした体勢のまま、ルカの魔術によって重力で抑えつけられているハーメルンは動きを止めた。
「非魔術師かもしれない相手に魔術なんぞ、本来ならご法度だが――今回は特例だ。始末書と減給くらい安いもんだぜ」
「おっとお――ぼくってば、ピンチじゃん」
と、エイダに座ったまま緊張感のない声を上げるハーメルン。そんな彼を無視し、これ以上被害は出せないーー気絶させようとルカはこめかみを狙って膝を振り上げる。それを防ごうとしているらしいハーメルンは手に持ったナイフを振り上げ――。
「――――ッ!」
唐突にルカは回し蹴りを中断。身を翻し、二、三歩ほど後退した。
「どうしたの、ルカ君。なんでやめたの? ぼく、無力な非魔術師のこどもだよ」
「なにが、無力の非魔術師だ……しゃあしゃあとよく言うぜ。――もしそうなら、ナイフを振り上げる事すらできないはずだ」
首をかしげるハーメルンに、ルカは忌々し気に唸った。
「俺が魔術を使った瞬間に、お前は魔術で重力場の発生する場所を逸らし、ナイフを振り上げて見せた。ただ、それはひっかけだ」
ルカは言いながら、足元を指さした。ルカの右足のすぐ横の床に、ハーメルンが持っているナイフとは別に、三本の投げナイフが突き刺さっている。
「本命はこっち――俺がナイフを避ける事を想定して、瞬間的に左の腕力を魔術で強化して、避けるだろう場所へ高速で投げナイフを投げた――外れはしたが、ンな非常識な真似ができるのは、どうあがいても魔術師だろうが」
そうルカが断定すると、ハーメルンはまた三日月を思わせる不気味な笑みを浮かべた。
「だいせいかーい! さっすがルカ君! 手の内、ばればれだったんだねえ」
と、また無邪気な風に、ハーメルンは言って見せた。
(魔術師でも、非常識なレベルだがな……)
胸の内で忌まわし気にルカはぼやいた。平静を装ってはいるが、足元に突き刺さるナイフに、寸前までルカは気が着けなかったのだ。
不気味なだけの、取るに足らない少年だったのが、正体不明の化け物に変生していく――じわじわと、ハーメルンの脅威がまたルカを蝕んでいる。
そんなことは露知らず、ハーメルンはカーバンクルをひと撫でして、懐に戻るように促していた。
「……でもねえルカ君、残念だけどぼく、魔術師じゃあないよ」
「ほざけ! ――北風の王よ!」
ハーメルンの言葉を戯言だと突っぱねるようにルカの魔術による暴風が吹き荒れた。家具も何もかも巻き込んで、ハーメルンを吹き飛ばそうと暴風が襲い掛かる――小柄なハーメルンは椅子になっていたエイダから弾かれるように吹き飛ばされ、宙に巻き上げられた。
恐怖と痛みで気を失っているらしいエイダも吹き飛ばされはしたが、デイモンが受け止めていたのをルカは横目で確認した――瞬間、ルカははっとした。
(違う――吹き飛ばされたんじゃない、わざと……!)
そう気づいたルカがハーメルンの方に視線をやる。視線の向こうの、暴風に巻き込まれたハーメルンの表情は余裕そのものだった。
風に巻き上げられ宙に浮かんだハーメルンは何かを唱えるように口を動かし、ルカの発生させた暴風の檻の中で自由にふわふわと浮かんでいる――そうしてすぐ、びゅうんっ! と風を切る音とともに、両足で壁でも蹴るかのように、なにもない空間を蹴って真っすぐルクレティアめがけて助走をつけ、跳躍。
ハーメルンの大型ナイフはルクレティアの喉元を捕らえていた。それでもルクレティアは、一歩も動くことはない。
銀色にひらめく刃がか細い首を刈り取る瞬間、がぎいっ、と金属同士がぶつかるような音が響く――いつの間にやらハーメルンとルクレティアの間に入ったデイモンが、素手で(手袋をつけてはいるが、どう見てもただの布製だ)ナイフを受け止めたのだ。
「わあっ、おじさんばけものだねえ。知ってたけど――ねっ!」
そう言いつつも、ハーメルンは想定内だとばかりに、空いている左手でデイモンの肩越しにルクレティアを狙い、投げナイフを放った!
「落ちなさい」
そうデイモンが命じるようにつぶやくと、放られたナイフの勢いが弱まりそのまま床に落ちる。
「おねーさん。きみみたいなのが、きたない大人になるんだ。そのまえに殺してあげようって思ったのに」
デイモンに素手で止められたナイフを引き上げると、ハーメルンは拗ねたような口調でそう言った。
「ははは、醜悪なものは、上からめっきで塗り固めればよろしいのですよ、まだ子供には分かりませんか」
「うそつきはどろぼうのはじまりだよ――」
呟きつつ、ハーメルンは口角をまた上げる。ルカはじっとそのやりとりを見つめ続ける――。
(行動が読めない……嫌な相手だ)
と、ルカはいらだたし気に胸の内で呟く。デイモンとハーメルンの戦闘の際、じっとの隙を探っていたのだが、決定的なものがつかめない。
今はデイモンとにらみ合ってはいるが、ひょんなことからいきなり転がっているエイダを殺しにかかるかもしれないし、ルカの方に襲い掛かってくるかもしれない。
目の前に対峙しているのに、まるで霧にでも隠れているような――そんな得体のなさがこのハーメルンと言う少年にはあった。
「面倒ですね」
気づけば隣にいたデイモンがぼそり、と珍しい言葉を吐くのをルカは聞き逃さなかった。
「……どういうことだ」
「ルカ様、彼はもはや殆ど人間ではないのです」
「……は?」
突拍子もなくデイモンが告げてきた言葉の意味が、ルカにはよくわからなかった。
「恐らく、何かと混ぜられているかと」
「混ぜられてる?」
「ええ。それも、ひとつだけではなく、複数を。彼の主人のせいでしょうね」
いつも閉じているように見える(開いているかもしれないが、少なくともルカにはそう見えていた)金の目を薄く開いて、デイモンは意味不明に断定した。
「おじさんもぼくのお仲間?」
「まさか。あなたのようなまがい物と一緒にされては困ります」
ハーメルンの言葉に、デイモンは珍しく冗談ではないとばかりに冷笑をひとつ。
(なにがなんだか、わからないが――)
とにかく、ルカが分かったことと言えば、このデイモンと言う男が面倒だと言ってのける相手であり、そして……
(俺の手に余る相手である可能性が高い、ということだ……)
と、胸の内でルカは嘆いた。と――――。
「申し訳ありませんが、ルカ様、あとは任せました」
「はあっ!?」
唐突にとんでもないことを言い出したデイモンにルカは吃驚した。既にルクレティアとカーバンクルを抱え、脱出の準備は整ったと言わんばかりだ。
「お嬢様の安全のためにも、失礼いたします。ご武運を。――ああ、カーバンクルはお任せ下さい」
「ちょっとまてえええっ!」
ルカの悲鳴じみた制止も気に留めず、デイモンは床を蹴り、上の階目指して駆け出した――が。
「逃がすわけないじゃん」
目にも捕らえられぬ速さで、ハーメルンは扉へ急ぐデイモンの前を取った。デイモンは表情を崩さず、無言で立ち塞がるハーメルンの首を容赦なく蹴り飛ばす。
「うぐっ――!」
そのまま勢いよく床に叩きつけられ、ハーメルンは血反吐を吐く。その隙にデイモンはさっさと扉へ飛び込んで行った。
「ちぇ」
ハーメルンは小さく呻きながら、もう追っていた相手のいない扉を忌々し気に一瞥すると、
「逃がしちゃったかあ。本物には太刀打ちできないねえ」
言いつつ、よろよろと立ち上がる。蹴られた首が痛むらしく、ハーメルンは労わるように首をさすっていた――ルカはその光景を見て、自分の目を疑った。
「……ッ!?」
ルカはぞっとして、つい無意識のうちに後ずさっていた――ハーメルンの首はありえない方向――真後ろに回っていたのだ。
「ぼくもがんばったんだけどなあ、おかしいなあ」
そのうえ、そう判然としないようにつぶやきつつ、ハーメルンはごきごきと耳障りな音を鳴らしながら、無理やり首を正しい位置に戻しているのだ。
(なんだ、あれは)
ハーメルンの人間離れしたその行動に、ルカは拳を握り込んだ――恐怖によって、つい力んでしまったのだ。
(デイモンに、首を折られたんじゃないのか。頭を強く打ち付けていただろうが。それなのに、なんで……)
呼吸も忘れて、異様な行動をとるハーメルンをルカは見つめ続けた。逃げろと言う警鐘の代わりに、心臓がうるさいほどに鳴っているのが、ルカにはよく分かった。
「ぼくがこわい?」
首が正しい位置に戻って、口の端についている血をぬぐいながら、なんとはなしにハーメルンはルカに問う――ルカは体温がかっと上がった気がした。
(こわい、だと――恐いに決まってる。何で俺が、お前みたいな化け物を相手にしないといけないんだ……)
胸の内でルカはあえいだ。ルカの脳は目の前の得体のしれぬ化け物への恐怖でいっぱいになっていた。
「こわい、だと? 何が? お前がか? この俺が、恐がる理由ってなんだ」
だが秘める恐怖とは打って変わって、ルカの口から出た言葉は、とんでもないでまかせだった。そのまま、続ける。
「俺に倒せないものはない。俺は、魔術連盟の幹部で、大魔術を扱える。殺せない理由がない」
確認する様に自分の能力を、立場をルカは口早にまくしたてる。恐怖から、歯をがちがちさせて震えているのを、悟られぬように。
「――俺は、お前を殺す方法を幾つも知っている。俺は――お前なんかに負けたりはしない……!」
臆病な自分を振り払うように、ルカは断定した。見据えるようなハーメルンの目から、ルカは目を離さなかった。
離したら、一瞬にして殺されるような気がした。死への恐怖が、ルカの脳内を支配しきっていた。
「ま、そういう事にしといてあげるけど――あんまり化け物見るような目で見ないでよ、ルカ君。たしかにぼく、人間やめたけどさあ」
苦笑しながら言うハーメルンに、ルカは震える拳を握り、
「そこまでお前がする理由は、なんだ……?」
そう尋ねた。ルカのそれは、無意識な言葉だった。端的に言えば、単純な興味だ。
「べつに、やめたくてやめたわけでもないんだけどね。でも、そうしないとだめなんだ。そうしないと、救えないものがある――――ぼくはそのためなら、なんだって捨てられるのさ」
ハーメルンの、いつものふわふわしたような演技がかった声とは違う――その言葉には、なにか、確かに芯のような――覚悟じみたものがあるように、ルカには思えた。
(俺には、そんな覚悟はない……だから失ったんだろう)
ルカは思いかけて、すぐにくだらない思考を追い出す。ハーメルンをここで野放しにするわけにはいかない、魔術連盟の魔術師として、カーバンクルを保護し、彼を拘束する義務があるのだと、ルカは自分を奮い立たせる。
「え、まだやる気? ぼく、もうきみと戦う理由ないんだけど」
ハーメルンの声は、どこか苛立ちのようなものが混じっていた。
「当然だ。お前になくたって、俺にはある――お前が奪ったカーバンクル、返してもらうぞ」
言った途端、ルカの方に容赦なく再び投げナイフが飛んで来る。ぱっと身を翻し、ルカは放たれたナイフをよけきった――わざとらしくため息をつくハーメルンを、ルカは一瞥する。
ハーメルンも別にルカを刺せると思って投げたわけでもなかったらしい。威嚇、そして、おまえを確実に殺してやると言う意思表示――そんなところだろう。
――――と。
「……いてえなあ」
低く、唸るような声が響く。声の方向から、ちょうど、自分が避けたナイフが刺さった場所だろうとルカは漠然と思った。
(そうだ、べつに、そこまで
と、ルカは半ば絶望的な気持ちになりつつ、胸の内でつぶやいた。
ずどんっ! と落石でも落下して来たような音と衝撃が走る。ハーメルンは不思議そうに首をかしげているが、その主がなんなのか分かっているルカはさあっと顔を青ざめさせた。
「気持ちよーく寝てたってのに……オレさま、超ご機嫌ななめなんですけど……」
ルカが声をした方に振り向くと、そこには眠りを妨げられ、怒り狂ったドラゴン――つまり、ひどく不機嫌そうなリンドがいたのである。
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