四章 正義はより鋭く

4-1

「……で? それとその女を人質に取るのが、何の関係があるってんだ。腹が立つ女なんだろう、さっさと殺せばいいじゃねえか」

 冷たくそうルカが言うと、少年にナイフを突きつけられたままのエイダはまた泣きだし、身をよじっていた。

「確かにそうだね。でも、一応お仕事だからね。――ぼくの探してるカーバンクルをこの場にいる誰かが隠し持っている――この女を殺されたくなかったら、とっととぼくに渡して」

 今度はルカだけでなく、この場にいるルクレティア達にもそう少年は声をかけた。

 ――だが声を上げる者は、いない。

「……保護施設にいたカーバンクルたちを盗み出したのはお前か」

 代わりにルカがまた問う。少年はルカの問いにおかしそうに笑いだした。

「まさか。直接保護施設から盗み出したら足がついちゃうに決まってるじゃない」

「ああ――――。どうせ、ジョエルを泳がせてこういう場を用意させたんだろう。あとは客を皆殺しにして強盗って茶番打てばいいってか」

「優秀なきみが言うのなら、そうかもね。灰の領域の魔術師」

 工程の代わりに、少年は皮肉めいてそう言って見せた。いちいち癪に障る態度をとる少年に、ルカはまた苛立ちを募らせる。

「それで? 俺にとって、その女を生かすことがそんなに大事な事だと思うのか?」

「そりゃあ、ジョエルが死んだ今、彼女くらいじゃない、どうやってジョエルが幻種を手に入れたのか、とか知ってるのは。と、それだけじゃあないか」

 少年は半月状に瞳を細めると、ルカの紫暗の目を捕らえ、改めて口を開く。

「きみ、んじゃない?」

 その一言に、ルカは息を呑んだ。背筋が凍り付くような心地がして、息が上手くできないような気がした――つまり、図星だった。

「――――っ黙ってろ!」

 ルカが怒声を上げると、無意識下の魔術によって彼の足元が爆裂し、床に亀裂が入った。

 それをまた、おかしそうにころころ笑いながら少年は見つめている。

「……あいにくだが此処にカーバンクルはいない。その人を解放しろ!」

 土煙を鬱陶しそうに払い、ルカは口早にまくしたてる。に対して、少年は首を横に振った。

「それはないよ。カーバンクルは共鳴し合うんだ。こういう風に、ね」

 少年はナイフを握っていない方の左手で、着ているベストの内ポケットから、白い毛むくじゃらの何かが飛び出してきた。

 いまいち状況が理解できていないらしい毛むくじゃらは毛にうもれそうな目をしばたたかせて、少年の腕の中で眠たそうにしていた――額には大きな赤い宝石があり、それが強く輝いている――ランプや光の照り返しではない、自発的に宝石が光っているのだ。

「近くの仲間に反応して、光っているのか……」

 呟くように言うルカを尻目に、少年は突き付けているナイフを、またエイダに押し当てた。

「まあ確かにどうでもいいよねこんな人、死んだって。気持ちわかるよ、ルカ君」

「――――待て!」

 焦燥にかられたルカが、ばっと周りを見渡す――だが、どこにもカーバンクルがいそうな気配はない――と――ふいに、ルクレティアと目が合った。

「…………」

 ルクレティアはルカの視線から逃れるように、慌ててさっと目を逸らした。あきらかに不審な行動だ。

「どうされますか、お嬢様。黙っているとルカ様に軽蔑されること間違いなしです」

 ルカが声を上げる前に、デイモンはすぐにそうルクレティアに声をかける。に対して、ルクレティアは大きくため息を一つ。

「……せっかくルカ様のサプライズプレゼントに用意しましたのに。いいわ、デイモン」

 デイモンにせっつかれ、ルクレティアはしぶしぶといった調子でデイモンに指示を出した。

「……ちいさないのちを、きみはプレゼントだなんてもの扱いするんだね」

 ハーメルンがぼそり、とつぶやいた言葉を、ルカは聞き逃さなかった。

 ハーメルンの狂気と正義感が混じったそれがまた垣間見えて、ルカはまた苦悩した。

 理想と言う刃を振りかざすハーメルンをルカには悪だと断定できない——殺人鬼であっても、哀れな子供の救世主でもある彼を、いったい誰が悪だと呼べるのか?

「これで間違いありませんか?」

 言いながら、デイモンは何処からともなく少年の手にある毛むくじゃら――カーバンクルと同じような生物を出現させてみせた。デイモンの手に乗っているのも、赤い宝石を強く輝かせている。

「すごいねおじさん、手品みたいだ」

「はは、おほめに預かり光栄ですよ」

 にこやかなやり取りではあったが、少年とデイモンの間には確実な殺意が交わされていたことを、ルカには感じ取られた。

「じゃあ、こっちに――」

「お待ちなさいな。わたくしがいつ、カーバンクルを渡すと言いました?」

 ルクレティアが少年の言葉を遮り、そう尋ねて見せた。ルカはかっとなって、ルクレティアを睨みつける。

 だが当のルクレティアは愛用の扇子を取り出し、どこ吹く風で扇いでいる。

「ルクレティア! お前、何考えてっ」

「ルカ様は口を挟まないでくださいまし。これはわたくしのもの。だから取引するのもわたくしの一存で決まります」

 ルクレティアはそうぴしゃりと言ってのけた。正論ではある。だが、そのルクレティアの言葉を是とすることはルカにはできない――否定したところで、無駄だとつっぱねられたわけだが。

「わたくしもそこのあなたと同意見ですわ。命には重さがある。そして、その女とカーバンクルを比較すればそれは天と地の差。わたくしにとって、その女には何の価値も感じられませんもの。――それで? わたくしが渡すと思うのですか?」

 きわめて冷徹な声で、ルクレティアは少年に尋ねた。疑問と言う形をとってはいるが、端的に言えば、話にならないという事だ。

「……おもしろいねえ、おねーさん。でもねえ、ぼくがその気になれば奪い取ることだってできるんだよ?」

 少年はそう言って、ルクレティアを牽制する。だが、彼女は特に動じることもなく、鼻で笑って、

「ふうん。でも、あなた――デイモンに追われていたらしいわね。それなら、デイモンの強さはあなたも知っているのではなくて? その人質と消し炭になりたくないのなら、黙ってわたくしのいう事を聞いておくことね」

 そう忠告して見せる。それを聞いた少年は、拗ねたように口を尖らせ、押し黙った。

(ルクレティアの奴、何を考えてるんだ……)

 ルカは気が気でない様子でルクレティアと少年のやり取りを見守っていた。それに対してルクレティアはルカに微笑みかけて見せる。

「それで、どうします? わたくしと取引するなら、それ相応の代価が必要ですわよ。わたくし、こんな可憐な乙女ですが――――それなりの商人でもありますので」

 と、ルクレティアは薄く笑いつつ、そう取引相手となりうる少年にカードを切って見せた――ルクレティアは瞬時にエルフィンストーン家の令嬢としての顔を捨て、狡猾な商人の顔に切り替えたのだ。

「何が欲しいのさ、一応、聞いてあげる」

 つまらなさげに、そう少年はルクレティアに尋ねた。

「自己紹介をしてくださいますか?それに、あなたの目的――何故、カーバンクルを集めているのか」

 それを聞いて、少年はため息をつくとおもむろにエイダの喉元からナイフを離す。エイダの表情が安堵したものに変わった瞬間、少年は容赦なく彼女に蹴りを食らわせた――やはり安寧を許されないエイダは肥えた体を無残に床に転がされてしまう。

 床に転がったエイダに、ソファーでも座るかのように少年はふんぞり返り、頬杖をつく。

「お喋りしたいんだ。いいよ、少しだけなら付き合ったげる。――ほら、椅子なんだから動かないでよね!」

 言いつつ、少年は苦しそうにうめくエイダの腹に蹴りを食らわせる。蹴りを食らわせられたエイダはヒキガエルのようなうめき声を上げ、また泣き始めた。

「椅子の癖に泣かないでよ」

 と、少年は嘲笑し、また蹴りを一つ食らわせてから、続ける。

「ぼくはハーメルン。すてきな名前でしょ? ――それで、えっと、職業はしがない暗殺者だけど、いろいろやってるよ。カーバンクルについては、ぼくの雇い主クライアントの指示。で、なんで集めてるか理由は分からない。これでいい?」

 少年――ハーメルンは言って、確かめるように首を傾げた。

「それだけでわたくしが満足するとでも?」

 不遜に言うルクレティアに、けらけらとハーメルンは笑う。――不機嫌ではあるらしく、椅子にしているエイダをしきりに踵で蹴ってはいるが、陽気そうに笑い続けている。

「強欲だねえ。でもま、もしぼくだったら満足しないかな。次、どうぞ」

 促されたルクレティアは、ちらりとルカの方に視線を向けた。憂わしげな空気が伝わったのだろうとルカは断定する。デイモンがいるとは言え、ハーメルンの力は未知数だ。懸念がないわけではない――何よりも、ルクレティアの身が心配でならなかったのだ。

「貴方の雇い主と言うのは誰ですか?」

 そんなルカの気を知っては知らずか――知っているからこそ、なのか。きわめて強気に、気丈にルクレティアはまた尋ねる。

「ただの錬金術師だよ。ろくでもない狂人、そのうえ、だ」

 煙に巻くようなつかみどころのないハーメルンの言葉だったが、

「錬金術師だと……? 錬金術師なんかが、カーバンクルを集めて何をするってんだ」

 ルカはいぶかしんで、つい声を上げた。

 錬金術師。いわゆる魔術師の一端だが、錬金術と言う特殊な魔術を扱うゆえにそう呼ばれている。

 彼らが扱う魔術、錬金術とはいくつかの物質を原子レベルに分解し、再度錬成しなおすことで別の物質に変換することができるという特殊な魔術だ。

 大抵の魔術師たちは「奇跡にかぎりなく近しい、または同等の魔術」を扱う事を目指しているが、錬金術は「劣等のものを究極の存在にする」というものが目標とされている。

 例えば、「卑金属を黄金に変える」というようなものだ。だが、それを成功させた錬金術師は存在しない。もしそれを謡うならば、詐欺師でしかない。

 それに限りなく近しいものと言えば、一般的な錬金術師たちが扱う錬金術で、幾つかの薬草を錬成する事によって通常の薬より効果の高いものが作れたりするという程度だ。

 つまるところ、錬金術師というものは、基本的に嘲笑か、侮蔑の対象だ。物質の変化という奇跡じみた事ができるとは言っても、大した奇跡ではない。役に立たぬ奇跡など、人々にとって何の価値もないのだから。

 だからこそ、ルカも疑問に思ったのだ。そんな、たかだか錬金術師如きが、カーバンクルをどうするつもりなのか、と。

「さあ? ぼくもよく知らない。知らないけど、たぶん――アンジュの病気を治したいんじゃないかな」

「アンジュ?」

 ルカが不可解そうにそう聞き返すと、くすくすとハーメルンは笑った。

「言ったじゃない、母親だって。どんな薬もだめだったらしいよ。いわゆる、不治の病。かわいそー」

 と、わざとらしく、ハーメルン。言葉の割に、まったく憐憫は感じられない声色だった。心底、どうでもいいと言ったような。

「荒唐無稽な話だ。そんなこと、できるわけがない。錬金術師ってことは――永遠の命を得ることができるっていう、賢者の石とやらでも作るつもりか?」

 ルカは半ば呆れたような声でハーメルンに尋ねた。

 賢者の石とは、あらゆる魔術の触媒になると錬金術師の間で伝えられている石だ。ちょうど、カーバンクルの額にある赤い宝石と同じようなものだと言われている。

 ただ、そんなものを錬成できた錬金術師は一人もおらず、一部の錬金術師のみ錬成のための素材を伝えられていると言われているが、それもさだかではない。

「そんなこと言ってたような気がするね。賢者の石。聞いたことがあるよ。ぼくはよくわからないけど……」

 そのハーメルンの言葉を聞いて、ルカは彼の雇い主が狂人であることを理解した。

 狂人の突拍子もない、愚かな言葉には誰も耳を傾けはしない。その言葉を聞かないから、その恐怖を皆知らない――何をしでかすか分からないその異常性を放置してはいけないことをルカは知っている。

「ご主人様の情報を、そうペラペラ話してもいいんかよ」

 ふと思って、ルカは尋ねる。と、言っても、ハーメルンが真実を話しているという確証もないのだが。

「まあ、べつにぼくとしてはあの人に消えてもらうと大助かりなんだけどね。でもまあ、きみが知ったところでどうこうできるものじゃないと思うよ」

 不可解な事を言って、ハーメルンは強く、抉るようにエイダの腹を蹴った――そろそろ限界らしいことが、ルカにもルクレティアにもよく分かった。

「ねえ、もういいよね。そろそろカーバンクル、くれない?」

「そうですわねえ、あとはそちらのカーバンクルをつけて交換、というのはいかがですか?」

 扇子を再び取り出してルクレティアは微笑んだ。――つまり、はなからルクレティアは交渉に応じる気などはなかったのだ。

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