3-4
呆然と立ち尽くしていたルカの背後で、だあんっ!と激しく怒りをぶつけるような、床を蹴る音が響いた。
「おい、オレさままだ戦い足りないんですけどっ! 魔術師てめー何勝手に終わらせとるんだっ!」
リンドが怒鳴るが、ルカは見向きもしない。その様子にリンドはより怒りを募らせ、立ち尽くすルカの方に一歩踏み出す。
「さすがルカ様のご友人ですな、もう私は年なので疲れてしまいましたよ」
リンドの前に立ち塞がるように――事実、ルカを庇ったのだろう、デイモンが相変わらずの微笑みをたたえつつ、そう言って見せた。
「おいジジイ! オレさまはあんなクソ性悪魔術師のトモダチなんかじゃねーわ! ……つかよく考えりゃオレさま利用されてない!? マジ、やってらんねー!」
(人が死んでんのに、のんきなもんだ)
わあわあと未だわめきちらすリンドに対して、ルカはそう胸の内で呟く。その言葉にはリンドに対しての呆れと、ただ呆然と立ち尽くしているルカ自身への自嘲が籠っていた。
「……だいじょぶ?」
そうぎこちない発音で言いつつ、疲弊したルカのローブを軽く引っ張ってきたのは、さきほどまで泣いていたバンシーだ。
灰がかった青白い肌の、質素なワンピースを着たやせこけた少女の姿をしていた。泣いている時に振り乱していた灰髪はぼさぼさで、泣きはらした大きな目はまだ赤みがかかっている。
「ぁ――ああ、大丈夫。お前は大丈夫か? バンシー」
はっとして、ルカはバンシーに着けられていた枷をとってやる。ついでにぼさぼさになってしまった髪を整えてやるように、ルカはバンシーの髪を撫でつつ尋ねた。
「だいじょぶわたし。ちからきずつけたあなた」
悲しげな表情で、バンシー。彼女の発する言葉はやはりぎこちない。妖精が喋る言葉と人間の喋る言葉は全く違うらしく、人間の言葉で話そうとすると彼女のようになってしまうのだ。
だが、眉を下げ、ルカの顔を覗き込むようにしているところから、彼女が言いたいことが、ルカにはよく分かった気がした。
「……気にしなくていいんだ。俺の心が弱いのがいけない」
バンシーを気遣うように、ルカはそう言って見せた。だがバンシーは表情を曇らせたまま、首を横に振る。
「ドイルドつよいあなた。にんげんあなた。よわいにんげん」
ドイルド、とは妖精たちの言葉で魔術師を指す言葉だ――非魔術師とは違い、妖精たちと魔術師は古くから交流がある。魔術師が友好的な妖精たちを良き隣人と呼ぶのはそのためだ。
「俺は魔術師で、強くて、でも人間で、人間は弱い……?」
目をぱちくりさせながら、確かめるように聞くルカの言葉に、バンシーは何度も頷き、続ける。
「でも、わからないあなたころすわたし。あなたころさないわたし!」
続けて言ったバンシーの言葉の意味が分からず、ルカはつい首を傾げた。するとバンシーは少しだけ悩んだように、うーんと唸ってから、はっとして手を叩いた。
「しなないうれしいわたし! あ、りがと!」
「――――っ」
笑顔をほころばせ言ったバンシーの言葉の意味が、今度はルカにはよく分かった。先ほどのまでの虚無感と怒りが、少しだけ和らいだような気がした――自分がやったことが、すべて無意味ではなかったのだと肯定されたような――――。
そこまで思って、ルカは唇を噛んだ。
(守れなかったのは、確かだ……そして、彼女を殺そうとしたことも、事実だ。忘れるな……)
そう、ルカは胸の内で自戒した。救われたような錯覚を起こした自分自身を否定するように。
「…………!」
と――――突然バンシーがルカの後ろへ隠れ、ローブにしがみついてきた。敵がまだいたのか、と言う考えがよぎったが、すぐにそれは打ち消される。
「散々な目に遭いましたわ……ルカ様、お怪我は?」
そうルクレティアが言いつつルカの方へ歩いて来たのだ。ドレスは一部破れ、疲弊しきった表情をしている。
「ああ、俺は大丈夫だ。お前こそ怪我はねえか?」
「わたくし、ただの令嬢ではありませんもの。と――ルカ様の後ろに隠れているその子供は?」
「バンシーだよ。さっきの泣き声の」
泣き声、と聞いたルクレティアは眉をひそめ、
「まったく、あなたのせいで散々な目に遭いましたわ。どう落とし前をつけるつもりなの」
そう、ルカの後ろに隠れているバンシーを叱りつけた。それにルカは肩をすくめる。
「しょうがないだろ、そういう生き物なんだから。それに、ガーゴイルは彼女のせいじゃない」
「ルカ様、甘い、甘いですわ。子供の姿をしているからと言って――」
「……ドイルドちがう。きらい」
ぼそっと、バンシーはこぼしはじめた。
「ドイルドちがうにんげん、なぐるわたし。いたいわたし」
その言葉に、ルクレティアは口をつぐんで、表情を曇らせた。密売の商品にされていたのだ、多少なりとも手ひどい目に遭っていたのだろうという事が、その言葉からよく分かった。
バンシーの手足には痛々しい拘束のあとが残されている。
「――ならなぜ、人のために泣くのですか」
ルクレティアは尋ねる。人に傷つけられてもなお、その為に泣くバンシーが、ルクレティアには痛々しく思えたのかもしれない、とルカは考えた。
「死んだヤツの先祖が、バンシーを助けた人間なんだろうよ。彼女たちは、それをずっと覚えているんだ。だから悲しむんだよ」
ルクレティアの問いに、ルカは彼の知るバンシーの知識で答えてやった。個体で差はあるかもしれないが、ルカが知っている限りは、その説が有力だ。最も、魔術師であっても人間であるルカに真実を知る由はない。
と、言い終わったルカのローブをぐい、とバンシーが引っ張った。
「なくなるいのちかなしい。おなじ、ようせい、にんげん。……ちがう?」
バンシーはそう、悲し気な声で言った。それにルカは困ったような表情を浮かべたが、
「……そうだな、お前の言う通りだ。知っている奴が死んだら、悲しいよな」
言いながら、微笑んで見せる。それと同時に、バンシーの言葉がルカの胸には深く突き刺さっていた。
「さて……これからどうするか、だが……」
感傷に浸っている暇はない、とルカはばっと周りを見渡した。
ふてくされてその辺に転がっているリンド—―至極どうでもいい。文句を言っているルクレティアとそれをいつもの笑顔で聞いているデイモン――まあ、どうでもいい。
問題は、今ルカの背中にしがみついているバンシーをはじめとした、今はおとなしくなっている商品だった幻種や亜人たち、それに、疲弊しきって呆然と座り込んでいる他の客たちだ。
と、その時。
「これは――――」
書斎から続いていた入り口――先ほどはガーゴイルの魔術の影響で閉じられていたドアから、黒いローブの魔術師の男が入ってきた。
咄嗟にルカはしがみついていたバンシーを庇う――だが対照的に、バンシーはしがみついたルカのローブから手を離し、男の方へ視線を向けていた。
「ドイルド!」
うれしそうな声で、バンシー。それほど魔術師に好意を持っているらしい。
「あなたは……」
ルカの方へ気づいたらしい男は、すぐさまつかつかと歩み寄ってくる。警戒は崩しはしないが、ルカには男が敵意があるようには思えなかった。
「アルカナ十六階位、ルカ・アッシュフィールド殿ですね。あなたがここに居るという事は、何かそれなりの事があったということでしょうか」
鷲鼻が特徴的な、精悍そうな顔つきの背の高い中年の男だった。厳格そうな顔つきをしているが、意外にも柔らかい声と言葉遣いで、ルカを知っているらしい風にそう尋ねてきた。
「そういう貴方は……ハドロウズの連盟支部の方ですか?」
ルカが聞き返すと、男は頷き、
「申し遅れました、私は魔術連盟ハドロウズ支部支部長、ヒューバート・タイナーと申します」
そう言ってルカに頭を下げた。ヒューバートは年はルカよりも上ではあるものの、立場としてはルカの方が上ではある――とはいっても、この腰の低さは、誠実そうな彼の性格によるものかもしれない、ともルカには思えた。
「改めて。アルカナ階位十六位ルカ・アッシュフィールドです。よろしくお願いします。それで――ハドロウズの街の人たちの様子はどうですか?」
一つの懸念をルカは尋ねた。騒ぎになれば、街の人間に教会に通報して大事になる可能性もあったからだ。
「派手な爆発などがあれば別ですが、皆寝静まっています。この街の魔術師は私と部下四人だけですので。気づいたのは私と部下たちのみです」
「五人だけ!? この街の連盟の魔術師はそれだけしかいませんのっ?」
聞き耳を立てていたらしいルクレティアが、すっとんきょうな声を上げた。
「それほどタイナーさんたちが優秀な魔術師ってことだよ。トルトコックみたいな大きな街の魔術師より人員は少ないが、辺境の街の支部は規模が小さい代わりに少数精鋭なんだ。もったいない気もするがな」
トルトコックのような大きな街では、教会と魔術師の摩擦も少なくない。そのために、支部の規模も大きく、質はともかく、人員も豊富だ。
それにくらべて辺境では問題が起きにくい為、大きな街の支部と比べれば小さい――しかし、だからこそ大事が起きたときのためにも優秀な魔術師が配置されているのだ。
「はは、ありがとうございます。世辞だとしても、アルカナのルカ殿に褒められると、自信がつきますね」
微苦笑を浮かべてから、すぐにヒューバートは顔を引き締め、ざっとあたりを見渡した。客の中の一人がヒューバートを目が合ったようで、びくりと肩を震わせ、視線を外したのがルカの視界に入った。
(被害者とはいえ、加害者だからな)
危険な目にあったとはいえ、幻種などの密売に関わった犯罪者でもある。状況が落ち着いた今、客たちは自分自身のしでかした事の大きさに気づいたのかもしれないとルカは思った。
「さて……ルカ殿、そこに居る者たちは部下たちに保護させますので、お話をお聞かせくださいますかな」
憔悴しきった客たちを一瞥し、ヒューバート。ルカは頷き、改めて口を開いた。
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