2-5


「……ま、その女とさして変わんねえかオレさまも。その仕事がさー、ただここで飯食って寝てればいいって言うんだよ。で、女も用意してくれるワケ。たまにわけわかんねー奴が来るけど、大抵ビビって出てくし。暇なのがネックだな」

 そうは言うが、どこか満足げな顔だ。と、リンドはまたソファで寝っ転がった

「でもま、来る女来る女イモくさいのがなー。オレさまとしてはもうちょっと垢ぬけた感じの――」

「なるほど……」

 リンドが何かぶつぶつ言っているのを聞き流しつつ、ルカは何度か頷いてから、ぽん、と手を叩いた。

「で、まんまと騙されて商品になっちまったってことか。ドラゴンなんて客寄せにピッタリだしな。お前みたいなバカじゃなかったら気づくはずだが、まあバカだからしゃあねえよな」

「……は!?」

 淡々と述べたルカの言葉に、リンドは吃驚した。何を言っているのかわからないと言ったような感じだ。

「まあ問題は、こいつがドラゴンであると保証できない点だろうな、だから買い手がつかない。戦った俺くらいのもんだろうな、こいつがドラゴンだと断言できるのは」

 セインシアですべてを見てきたルカは、あの時の出来事を思い出しつつそう苦笑しながら言った。

「それに、そもそも……買ったところで飼いならせるかどうかも微妙だが」

「ルカ様のお墨付きならわたくしが買おうかしら」

 リンドをネタにああだこうだと話している二人をみつめ、呆然として口を開けたままのリンドだったが、やっと状況が理解できたらしく、顔がみるみるうちに紅潮してゆく。

 鉄と言う物質がまるではなから柔らかいものかのように、リンドの剛力によって彼の目の前を遮っていた鉄格子がぐにゃりとひん曲げられた。

「……てめえクソ魔術師、とりあえず前の借りを返してやるっ! そしたらオレさまを売ったあのヤローをぶち殺しにいったるわ」

 鉄格子の向こうからさっさと抜けてしまったリンドは、ルカの胸倉を掴み、凄んでみせる。対して、ルカは怯むことなく、ふん、と鼻を鳴らした。

「八つ当たりもいいところだぜ。そもそもお前の馬鹿さ加減が招いた結果だろうが――ああ、少ねえ蜥蜴の脳みそじゃ分かんねえか?」

 ルカはびしっと指をつきつけ、そう嘲った。それを言われたリンドはさらなる怒りのあまりわななく。

「うるせぇ! そもそもオレさまを売り飛ばそうなんてンな不敬なヤローがいるたぁ思わねえだろが! いるとしたらテメエのような性悪雑魚魔術師くらいなもんだ!」

「はん、想像力が貧困な蜥蜴様なこって! 自分がドラゴンだと夢想する妄想力はあるが、それ以外はねえんか」

「何だとこのクソ魔術師! さっきからオレさまのことを侮辱しやがって! オレさまより弱ぇくせに生意気言っとんじゃねえわ!」

 先ほどからの罵声の応酬に(とはいっても、自分もだが)ルカも段々と怒りが膨れ上がっていた。吊り上がった眼をさらにつり上げ、今にも爆発寸前だ。

「弱かねぇわ! てめえに勝ったろうが! その弱ぇヤツに昏倒させられたのは何処のどいつだこの蜥蜴!」

「あんなんオレさまの本気じゃねえわバーカ! うるせえなんでもいいからテメエは死ねえ! テメエの存在がそもそも気に食わねえんだよ! このスカし魔術師!」

「そらこっちの台詞だ蜥蜴野郎! だから会いたくなかったんだ! くそったれ! 他人に迷惑しかかけねぇ蜥蜴の癖に!」

「死ね魔術師!」

 ぱっと胸倉から手を離すと、リンドはルカに向かって腕を振り上げた。迫ってくるリンドの拳を外側に払いのけ、ルカはかっと目を見開き、

「てめえが死ねこの蜥蜴!」

 リンドの腹部を狙って膝蹴りをかます――鈍い音がし、その一撃は炸裂した――が、食らってもリンドはものともせず、ルカのジャケットの襟をを引っ掴み、力任せに投げ飛ばす体勢に入っていた――そのまま戦いの火蓋が切られる!

 口汚くののしり合いながら、取っ組み合い、隙あらば命を奪おうと画策する、一歩間違えば部屋が崩壊しそうな二人の罵声と暴力の応酬をながめつつ、ルクレティアはつまらなさげに頬を膨らませ、

「わたくし、忘れられてません? ――――ねえデイモン」

 その場にいないはずの執事を、不機嫌そうな声で呼びつけた。

「……ルカ様、お嬢様がお可哀想ではありませんか。寂しがっておられますよ」

 リンドがいたソファの傍にあったクローゼットからデイモンは平然と出てきて、ルカとリンドをそう窘める――二人は全く気付いていなかったが。

「やれやれ、困りましたね……」

 デイモンは言葉の割に焦りを見せない声音でそう言った。言ってから、争い続ける二人の方へ両手を伸ばし、彼らに向ける。

「お二人とも、おやめください。不毛な争いです」

 デイモンがそう言い放ったと同時に、ルカとリンドの動きが止まる。

(なん――どういうことだ、一体――声が、出ない……魔術か……!?)

 指先も動かず、それどころか瞬きひとつできず、ルカは焦燥にかられた――対峙しているリンドもそうらしい――体を動かそうとしているのか、微かに震えているが、それだけだ。

「無理に動けば肉が引きちぎれますよ、ルカ様のご友人の方」

 柔和な笑みを崩さず、デイモンはとんでもないことを平然と言った。その言葉に、ルカは生きた心地がしなかった――無駄な抵抗をしていたリンドもようやく諦めたらしく、体の震えも止まっている。

「困った方たちです」

 ぱん、とデイモンが手を叩くと、急に動けるようになったルカはバランスを崩しそうになったが、なんとか床を踏みしめた。

 リンドはその場に思い切り倒れ、うずくまっている。滑稽極まりない光景だったが、その状況を楽しむ余裕は今のルカにはない。

(一応ドラゴンだろうこいつを、こうも簡単にのしちまうなんて、こいつ、本当にヒトなのか……?)

 ルカは訝し気な視線をデイモンに向けたが、当の本人は柔和な笑顔を浮かべたままだ。

「……内臓がつぶれるかと思った……オレさまがこんなジジイに……やられるとは……」

 ぼそぼそうめいているリンドを一瞥し、ルカはバツの悪そうな顔をしてルクレティアと、いつのまにか彼女の傍に控えていたデイモンの方へ改めて視線を向けた。

「……ずっとあのクローゼットに潜んでたのか、あんた?」

「いえ。お嬢様が私をお呼びでしたので、駆けつけたまでです」

「……最近のクローゼットって、時空間移動機能でもついてんのか……?」

「まさか。クローゼットは衣類などを収納しておくための家具ですよ。ルカ様、この程度は幼子でも知っていましょう?」

「……そーだね……」

 呆然と同意するルカを軽く無視し、デイモンは口を開く。

「それよりルカ様、このような所で遊んでいる場合ではないかもしれません」

「……どういう意味だ?」

 ルカが尋ねると、デイモンは笑みを消し、多少厳しそうな表情に変わった。

「何者かがこの屋敷に侵入したようです」

「……あんたじゃなくて?」

「ははは、冗談ではなく。家の主も含め、多くの者が気づいておりませんが、厨房にいた料理人や給仕がみな殺されていました」

「――なんだと」

「この屋敷の入り口は、正面以外には庭に繋がる厨房にある裏口のみ。まあ、お陰で私が侵入するのも容易かったのですが、穏やかではない」

 そのままデイモンの話にルカは耳を傾ける。隣で暇そうにルクレティアがつついてくるが、完全に無視を決め込んだ。いまいち状況を掴めていないらしい。

「で、侵入者ですが――しばらく後をつけていたのですが、見事に撒かれてしまいましてね、後ろ姿こそ見たものの」

「……どんな奴だった?」

「……そうですね、小柄な人物でした。老人にはありえない機敏さでしたし、恐らくは子供かと。身なりはきちんとしていました。このパーティの参加者の子供だと言っても差し支えない様なものです。ただ……」

 デイモンが言いかけてすぐ、鼓膜が破れんばかりのつんざくような鳴き声が響き渡った。反射的にルカは耳を塞ぎ、苦し気に目をすがめた。

「……ッ!」

 その鳴き声は、獣の咆哮というよりは、何かの泣き声のような悲痛さを帯びていた。

 それでも同情心が誘われるような可愛らしいものではなく、耳を塞ぎたくなるようなひどいものだった。 

「なんですか、この声は……」

 デイモンから耳栓を受け取りつつ、ルクレティアは苦しさからかうめいている。リンドはというと、倒れたまま痛みを耐え忍ぶようにじたばたと暴れていた。

「――ッ! 誰かが、死ぬ――、が……!」

 ルカは耳を塞ぎながら、苦し気にうめいた――この泣き声の主の正体が、ルカには覚えがあったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る