2-4

「何やら盛り上がっていたようですが」

 なんとはなしに、ルクレティア。その様子から故意に妨害したわけではなかったらしいので、ルカはひとまず耳を引っ張るのはやめた。

「情報収集だ。お前と違って遊びに来たわけじゃねーんだよ」

 不機嫌そうにルカが言うと、ルクレティアはすねたように口を尖らせた。が、ぱっと表情が変わる。

「それより見て下さい、意味不明な事が書かれていて」

 言葉とは裏腹にルクレティアは楽し気だ。新しいおもちゃを見つけた子供のような笑顔を浮かべている。

 ルクレティアが示したのは、扉だった――鉄格子のついている、ものものしい扉である。その扉に何やら札がついているのに気づき、

「……ん? なんだ――ええと『希少な人型ドラゴン 値段は要相談 入出の際は静かに願います。室内で起こることについて責任は取りかねますので——』」

 最後まで読みかけて、ルカは口を閉ざした。

「ね、訳が分からないでしょう?」

 目を輝かせているルクレティアを尻目に、ルカはいきなりひざまずいて、うめきながら口に手を当てた。

「……うっ……気分が悪くなってきた……俺、ドラゴンアレルギーなんだよ……」

「……そんなこと言ってましたっけ……」

 呆然とするルクレティアに、ルカは涙目で縋るように手を伸ばす。

「は、早く離れよう……頭痛吐き気寒気悪寒冷汗腹痛眼痛など、思いつく限りの体調不良が嵐の様に襲ってきやがった……」

「大丈夫です、ルカ様」

 ルクレティアは伸ばされたルカの手をぎゅっと握り、慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、

「この人型ドラゴンとやらを免疫療法に利用しましょう♡」

 るんるん歌いだしそうな具合に、ルクレティアは扉の取っ手に手をかけた。

「鬼いいいいいいいいいっっ!」

 泣きながら叫びつつ、無情にもルカは部屋の中へ引きずられていった……。


「うう……」

 部屋に入った途端、ルカは悲鳴を上げたくなった――端的に言えば、彼の予想はおおよそ当たっていた。

鮮やかな橙の髪をバンダナでまとめ、モッズコートを羽織った異世界人風の服装をした長身の男が身を縮ませて、せまそうにソファの上で丸まるように眠っていた――つまり、ルカがセインシアで出会った自称ドラゴンの男、リンドがいたのである。

ルカとルクレティアがいる場所と、リンドの眠っている所は鉄格子で部屋を半分に分けるように隔たれていた。

(もしこいつが起きたら、ンなもんなんぞ何の意味もなさないだろうが……)

 ルカは無意味な鉄格子を軽くたたいて、うんざりとした顔でため息をついた。

「ほら、もういいだろ。生ドラゴン堪能しただろ帰るぞ……」

 うめきに近い声で、ルカは隣のルクレティアに視線をやりつつ、言ったのだが……。

「ふ、ふふふ……さすがに笑い種もいいところではありませんか、ドラゴン要素ゼロですし。商売する気あるのかしら!」

 大声で笑いながら、心底おかしそうにルクレティアは言った。耳障りだったらしく、リンドは唸り声を小さく上げて、身をよじる。幸い起きてはいないが、起きるのも時間の問題だとルカは焦燥にかられる。

「頼むから静かにしてくれ……!」

「だって、ルカ様、どこからどう見てもただの図体が大きいだけのチンピラ――」

「うん、そうだな、だからちょっと落ち着いて静かに……」

「それにしても間抜けなお顔で眠ってらっしゃいますわね。ドラゴンなのに」

「お願い、静かにして――」

「ぶふっ、いまっ! 今いびきをかきましたよっ! この蜥蜴さん!」

「だあああああっ! うるせええええっ! 起きるだろーが! 静かにしろや!」

 耐えきれなくなって、ルカはルクレティアをはるかに凌ぐ声量で怒鳴り散らした――と同時に、壁に飾ってあった陶器の飾りが爆発し、陶片がそこら中に吹き飛ぶ――ルカが怒りに任せて魔術を使ってしまったのだ。

 勿論ルクレティアは悲鳴を上げるし、規模は小さいものの、魔術で引き起こされた爆風によって家具が跳んだり激しい音を立てて壊れたりしている。

(俺の馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿あああああっ!)

 胸の内でルカは自分自身に罵声を浴びせ続ける。泣きそうなルカの視界に、絶望的な光景が映った――天井に飾ってあったガラス細工が、飛んできたものにぶち当たってソファーで眠っているリンドめがけて落ちて行く――。

 案の定、硝子細工はリンドの顔面にぶち当たり、ごぎっ、と鈍い音を立てた。

「あああああああ……」

 意味のない声を漏らしながら、ルカは頭を抱える。別段、リンドを心配することもなく――この男が、その程度で大した傷を負うことはないのをルカはよく知っている。

「んが……?」

リンドはようやく目を覚ましたらしく、ゆるゆると体を起こした――そもそも、こんな騒ぎになっていて今まで起きていない方がルカには不思議だったが――ついに起きてしまった。

 寝起きで未だにうとうとしているのか、リンドは周囲を一、二回見まわして、ふっとルカと視線が合った。途端、黄昏色の目をかっと見開き、

「テメエ、あんときのクソ魔術師! やっぱり生きてやがったのか! 死んどけカス!」

「ううううううう……」

 起き掛けに罵声を浴びせてくるリンドに、泣きそうな顔をしながらルカはうめく。

「あら、この人型ドラゴンさんと知り合いですの?ルカ様」

「知らねえ! 俺はこんなやつ、見たこともないし知らない! 知ってたとしても記憶から消した! よって知らない!」

 支離滅裂な事をわめくルカに、ルクレティアは何故か小さくうなずいて、考えるような素振りをし、

「まあ、そうでしたか。というかわたくし、飽きました。ただの蜥蜴には興味ありませんし。行きましょうか」

 言って、ぱっと向きを扉の方へ向けた。ルクレティアという女は、飛びつきやすいが、そのぶん飽きっぽい女でもあるのだ。

 ルカも平然とルクレティアに続こうとするが、無論リンドがそれを許すはずもない。

「オイ! シカトこいてんじゃねェぞ! しっかもそこの女……オレさまのことバカにしやがってっ!」

「あら、芸のできる蜥蜴ですわね、人語を操るなんて」

「てめえこのクソアマ! これ破ったら覚悟しとけやっ!」

「キャー! 野蛮! 無理ですわ! わたくし、文化的ではない男性って嫌いなの! しっしっ!」

「オレさまだっててめえみたいな貧相な身体のガキなんぞ願い下げだっつの」

「ひんっ……きいいいっ! 蜥蜴ごときに女性を見る目があるとは思えないわ! 戯言よっ! 腹立たしい! 月夜の晩ばかりだと思わない事ね! 気づいたら蜥蜴の干物になっていてよ!」

低次元的な言い争いを続ける二人に、ルカは頭痛がする気がした。と、感づかれないようにリンドを盗み見る――

(ていうか、やっぱり生きてたんだな……あんな崩落に巻き込まれても……ぴんぴんしてら)

 鉄格子の向こうでリンドはこれでもかとばかりに暴れているが、特に傷とかが痛む素振りは全く見せない。

(自信、なくしちまうよな――いや、まあ、ドラゴンなんで、当然っちゃ当然なんだろうが……)

 そんな風に心中でぶつくさつぶやいていると、リンドの視線がいきなりルカの方に向いたので、ルカはさっと視線をそらした。

「何ジロジロ見とんだクソ魔術師、死ね」

 あからさまに不機嫌そうな、唸るような低い声で、リンドが言った。そんな様子に、ルカはつい肩をすくめる。

「ていうか、お前はなんでこんなところにいるんだよ……」

 ルカに尋ねられ、リンドは一瞬きょとんとして、うーんと挟んでから、改めて口を開く。

「よく覚えてねーんだけど、いつの間にかがれきの下で寝てた……で、しばらくフラフラしてたんだけど、あの街の知り合いに、いい仕事があるって聞いてよ」

「……ドラゴンの癖に仕事とかしますの?」

 そうルクレティアに尋ねられ、話しているのに遮られたのが気に食わなかったらしくむっとしたリンドだったが、

「はあ? 仕事しねーと酒買えねーし飯食えねーじゃん。お前馬鹿か?」

 半ばあきれ気味にそう吐き捨てた。

(たぶん、ルクレティアが言いたいことはそうじゃねえと思うが……)

 そもそも、ドラゴンがなぜ人間の作法に習う必要があるのか――そう言う意味だろうと、ルカは思った。さらに言えばこの男が、用心棒なんて真似を大人しくしていたのも不思議にルカにも思えるのだ。

(べつに、こいつなら貴族の屋敷を襲って全員皆殺しにした挙句、家財を全部盗むことだってできそうなものだけどな)

 自警団やらが動くだろうが、こいつにとっては何の意味もなさないだろうと、ルカはそんなことをぼんやり考えていた。

「わたくしは生きてるだけでお金が降ってきますもの。庶民蜥蜴とは違いましてよ」

 と、ルクレティアの答えがどこかずれたものだったので、ルカはつい体勢を崩した。

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