2-3

 案内された場所は、ジョエルの書斎だった。首をかしげるルクレティアに対して、ルカはなんとなく見当がついていたので、特に動じることもなかったが。

 絨毯の下に隠し扉があり、その先には階段が続いている。案内人のランタンを頼りに付いていくと、元々は倉庫か何かだったのだろうか、それなりの広さの空間が広がっていた。

 そこにはパーティに招かれたなかでも二割程度の客がいた――さきほどルカ達と顔を合わせた貴族の令嬢もいる――目が合って、こちらに微笑みかけてきたので、ルカもまた笑みを浮かべて見せた。同時に、彼女は王族の遠縁だとかルクレティアが言っていたのをルカは思い出した。

 つまるところ、この場にいるのはジョエルがこれからも、彼に選ばれた客ということだ。

「案内ありがとう」

 ルカが案内人にチップを渡してやると、彼は仰天した顔をしていた。それからしばしためらってから、恐る恐る受け取り、何度も頭を下げると、足取り軽く階段を駆け上がって行くのが見えて、つい苦笑した。

(まともに給料も払ってないのか、それとも体裁のために、適当に街の人間を雇ったのか……)

 そのどちらなのかわからなかったが、貴族でもなんでもない自分にもさまざまなが見えるこのパーティは「失敗」と言えるだろうとルカは思った。

 パーティも日常のひとつと化しているルクレティアのような貴族からすれば、呆れや嘲笑の対象に違いない。

(まあ、本命はこっちだから、パーティの内容なんてどうでもいいんだろうが――)

 連盟の魔術師としての思考に切り替え、ルカは薄暗い室内に視線を巡らせた。

 極彩色の蝶、小さな鳥籠の中で震える妖精、檻に入った犬のような耳と尻尾のついた子供の亜人などの生物以外にも、なにかの赤い虹彩の目玉が浮かぶ水槽、誰のものかもわからないが、やけに豪華な装飾をつけている人間らしきミイラ――ルカには価値は分からないし、これらを購入する意味も分からないが――ある程度のものの名前は分かる――それと同時に、禁制品である、という事も知っていた。

(……想像以上だな、特に獣人の子なんて、大抵がアースガルズ帝国の出身――向こうの国とうちの国は折り合いが悪いし、あっちが売り飛ばしたとしても、事が露見すればまずいことになるだろうな……)



  二人はしばらく商品を見ていたのだが――他の貴族の女たちには少々退屈だったらしく、エイダをはじめとしたこの場にいた女性陣に誘われ、ルクレティアは軽食の用意された別室に行くことになり、しぶしぶルカに別れを告げた。

 ルカとしては好都合である。ルクレティアの妨害を受けずに本来の目的が果たせるのだから。

(カーバンクルは何処だ……? まさか、もう商談が進んでいるんじゃ……)

 さきほどからしらみつぶしに見ているつもりだったが、カーバンクルらしき姿はなく、ルカは焦っていた。

 確かにカーバンクルは希少で、姿も愛らしく、愛玩動物として需要もあるだろう――何も知らない貴族が買う分にはまだましだが、カーバンクルの価値をよく知る人物が買えば、面倒ごとになる事は目に見えている。

(カーバンクルの額にある宝石は、とんでもない値段になるらしい。ドラゴンの涙と呼ばれ、コレクターが喉から手が出るほど欲しいものだという――当然か。魔術連盟が管理しているから、通常は手に入らないんだから――)

 カーバンクルの宝石の価値は、それだけではないのだけれど――カーバンクルが密猟される理由の多くはそれだとルカは理解している。そもそも大抵の人間が「価値がある」と思うのは、単純に、取引の上で多くの金銭が必要とされるものだ。質が良いとか達人の逸品だ、とか恰好をつけていくつか理由をつけるものの、結局のところ目が飛び出るほどの数字がつけられていればそれは「価値があるもの」である。

「やあ、気に入るものはあったかい?」

 気さくに声をかけてきたのは、貴族らしき男だった――ルカと同い年くらいか少し上くらいの、穏やかそうな男だ。

「何分、こういった場所ははじめてでして。きょろきょろとしてしまい、お恥ずかしい限りです」

 勿論、嘘だが――ルカはそう言って見せた。相手より格下に見せた方が、良い場合もある。こういう、貴族とか言う気位の高い相手はなおさら。

「そうだったんだ、僕は何度か招かれているし、いくつか商品も買ってるんだ。前買ったのが壊れちゃってね――」

(買ったものが、壊れた――?)

 違和感のある言葉に、ルカは眉をひそめそうになった。――が、すぐに理解し、胸の内で舌打ちを一つ。貴族の視線の先には、檻の中で震えている獣人の子どもがいた。

「ほら、あそこにいる獣人の子供なんておすすめだよ」

「獣人の、子供……ですか?」

 ろくでもない事を言って来るのは分かっている――ルカはあえて尋ねた。男がそれを望んでいることが、よく分かったからだ。

 予想通り、男はひどく嬉し気な表情をした。興奮しきっているが、それを押さえているようにも見える――男の狂気が首をもたげてきて、ルカは眉をひそめた。

「獣人は我々人間と違って、身体だけは丈夫だからねえ、痛めつけても怪我の治りも早いし、すぐに死んだりしない。前はそこら辺の奴隷を使っていたんだが、死体の処理も少なくて随分楽ができるんだよ」

(下衆が……)

 湧き上がってくる怒りを収めて、ルカはぎこちなく笑みを作って見せる。

 よくあることだ、そんなことは。それも、子供はそういうことはたびたびある。子供は弱い生き物だ。さして戦闘能力がない大人でも、その辺にいる子供をかどわかすことはできる。

 感覚が麻痺しかけるほどに、はこの世界に存在している――いつだって、弱者は搾取されるものなのだ、という事実が。

「…………」

 怯えた瞳で、獣人の子供がルカの方を見ていた。縋っているように、救いを求めているようにも見える。その視線を――伸ばしてくる手を振り払うように、ルカは目を逸らした。

(感傷だ、これは……仕方ない事なんだ)

 自分に言い聞かせ、ルカは思考を振り切った。自分はべつに、正義の味方でもなんでもない――目の前のちいさな命よりも、尊ばれる存在がある。そのために、自分は此処に来たのだとルカは言い聞かせ、笑みを浮かべなおし、男の方を見やる。

「しかし……あのジョエルという男、ここまでよく集めたものですね……あの極彩色の蝶は幻惑蝶、今は黙っていますが、あの顔色の悪い少女はバンシー。酒に沈められて、眠り込んでいるのはレプラコーンでしょう」

「……そ、そうなのか? 僕は幻獣は門外漢でね……」

 いくつかこの場にいる幻種の名を上げ、弁舌に語るルカに、男はわけがわからないというような顔をしている――また舌打ちを心の中で一つ。この男は、役立たずだとルカは断定した。

「僕はそろそろ、失礼するよ……」

 居心地悪そうに声を上げ、立ち去ろうとする貴族と入れ替わる形で、立派な髭を蓄えた男が笑みをたたえてやってきた。

「その男は脳みそが足りない哀れな男でね。弱い者をいちいち買って痛めつけるくらいにしか娯楽を見いだせない愚か者なんだよ」

 そう髭の男が言うと、貴族は顔を真っ赤にしてさっさと立ち去って行った――向かって行くような度胸はなかったのだろう。

(弱い生き物をいじめて自尊心を保っているやつなんて、そんなものだ)

 胸の内でルカはそう吐き捨てた――少しだけ、溜飲が下がった気がした。別に、あの男が考えを改めるわけでもないし、何の解決にもならないが。

「聞いていたよ。君、若いのになかなか詳しいじゃないか」

 伸ばした顎髭をなでつつ、男は感心ぎみに言った。六十代くらいの男で、場に似つかわしくない質素な格好をしている。人数合わせのこの街の住人かとも考えたが、そうなればここにいる筈もないとルカは疑問に思った。

「実物を見るのは初めてなので、少し浮かれてしまいました」

 にこやかにルカが言って見せると、男はうんうん、と嬉し気に頷く。

「分かるよ。私も最初はそうだった」

「そうなのですか、実はぼく、亜人よりも幻獣目当てで来ていたので。クー・シーの剥製を見せられて以来、ぼくは幻獣の虜なんです」

 らしい風に、ルカは男の話に合わせる——話を聞くに、男はどうやら幻獣について造詣が深いらしく、ジョエルとも親しく、パーティにも幾度か招かれているらしい。

「噂で、ドラグネット・ヴィーヴルの仔が取引されると聞いたのですが……あれは確か、魔術師が幻種保護施設で管理している種ではないか、と記憶していたのですが、本当ですか?」

 ルカに尋ねられて、男はああ、と声を上げ、

「ああ、カーバンクルか。らしいね。――ここだけの話だが、ジョエルと幻種保護施設は仲が良くてね。まあ、融通も聞くという訳さ」

 声を潜めてルカにそう言ってきた。瞬間、吃驚した――が、表情に出すのをすんでのところで留める。

(ジョエルと保護施設に繋がりが……? 事実だとすれば、とんでもないことだぞ……)

 ルカが困惑気味な表情をしているのを別の意味に取ったのか、男は考えるように髭を触りながら、また口を開く。

「幻種保護施設は資金繰りに困っているらしくてね、そしてジョエルは貴族や商人たちに名を売り、ネットワークをつくりたい……まあ、ようはそう言う関係という訳だよ」

「なるほど……」

 ルカはそう上の空で相槌を打った。男は言葉を濁したが、つまりは――

(密売で稼いだ金を山分けする代わりに、ジョエルに保護施設が幻種を横流ししているのか……確かにどちらにも利がある。……また面倒なことになっていやがるな)

 セインシア同様、魔術師と非魔術師が秘密裏に共謀している可能性があるということだ――ルカは頭を抱えたくなった。

(というか――何故この男は、保護施設の資金繰りが悪化していることを知っているんだ?)

 小さかった男への疑念が、ルカの中でどんどん膨れ上がる。

(それに俺は、『ヴィーヴルの仔』だと言っただけで、『カーバンクル』という名前は出していない。ヴィーヴルの仔だとわかるのは、魔術師くらいのものだ。この男は、絶対に何か知っている……)

 ジョエルと親しいから、彼から聞いたのだという可能性もあるが、そこまで迂闊な男だろうか――思ってルカは、目の前の男に探りを入れる。

「ああ、そうだ! つい、お話が楽しくて失礼を……紹介が遅れてすみません。ぼくはジュリアス・キャピレットと申します。失礼ですが、あなたのお名前を伺っても?」

 ひとまずそう尋ねてみる。勿論、偽名を名乗られる可能性もぬぐい切れなかったが、もし偽名だとすれば、それはそれで何かがあるという証拠だ。

「私はジョエルと友人なだけのただの庶民さ。聞いても面白いことはないよ」

「そう言わずに。ぼくはあなたのような素晴らしい方にはじめてお会いしたのです。どうかせめてお名前を」

「ははは、食い下がるねえ。困ったな、まるで何か探ってるようだ。――きみ、そんなにカーバンクルに固執する理由があるのかい?」

「――――!」

 苦笑しつつ言う男に、ルカはつい唇を噛んだ。失敗した、あまりに不自然だった――そう自分を責め立てつつ、なんとかこの場をやり過ごす言葉を探す。

「……ぼくの婚約者が欲しがっていたから……。どうしても彼女のためにカーバンクルを用意してあげたくて。不快な思いをされたのなら申し訳ありません」

「そう。――私はカーバンクルの居場所は知らないよ、本当に」

「……もうひとつ、お尋ねしてよろしいですか」

「かまわないが?」

 ルカは好青年の仮面を外し、いつもの不機嫌そうな魔術師の顔に戻って男を睨みつけた。

「――なぜ、ドラグネット・ヴィーヴルの仔が、カーバンクルだとお前は知ってるんだ――それは、魔術師でないと知りえない情報だ。お前は、一体――」

「ジュリアス様あ――!」

 偽名で呼びつける声が聞こえて、ルカの問いは途中でかき消された。少し離れた場所で、ルクレティアが大きく手を振っている。

(今ここでルクレティアのやつを無視すれば、不審に思われる……)

「きみの婚約者が呼んでいるようだよ、

 苦笑しつつ、男はそうルカに促した。周りの客たちは微笑まし気に笑っていたり、令嬢としてのたしなみが……とかぶつぶつ言っている。この状況で、それを蹴る理由が、今のルカにはない……。

「く……」

 悔し気に顔を歪め、男をひと睨みするとルカは諦めてルクレティアのもとへ急ぐこときめた。

(くそ、タイミングが悪いんだよ、あの女……耳を引っ張って泣かせてやる)

 顔、声音、背恰好――ルカは脳に男の情報を叩き込みつつ、周りの視線もお構いなくずかずかとルクレティアのもとへ歩き出した。

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