2-2
パーティといえど、貴族が集まるような舞踏会じみたものではなかった。
大きなテーブルに大皿に盛られた肉料理やサラダ、パンやチーズなんかの、様々な料理が所狭しと並べられている。
客たちが談笑を交わしているにも関わらず、恰幅のいい女が一昔前くらいに流行ったオペラの一曲をとんでもない声量で歌いだした――そばでピアノを弾いている男は、指を震わせてただただ動きを止めている――それを気にする事もなく、三流オペラ歌手は誇らしげに音程の外れた歌を披露している。
「『アンドレの結婚』? 『溺死したウンディーネ』?」
「いや、一応……『ロマーヌとジュリアス』だろ……喜劇じみた滑稽さはあるが……」
耳を塞ぎつつ、喜劇の名を上げるルクレティアに、ルカはうんざりした顔でそう教えてやった。
「もう帰りたいわ……」
泣きそうな顔で、ルクレティア。貴族の舞踏会もさほど好きではなかったが、このパーティとやらよりはまだマシだとルカは胸の内でうめく。そうしていると、給仕がワインを差し出してきた。軽く会釈して受け取ると、その給仕が耳栓をしていたのが視界に入って、ルカはまたため息を一つ。
「ルクレティア嬢、遠くから来てくださり、光栄です……おや、顔色が悪いようですが……」
古めかしいコートを羽織り、気取った帽子を被っている初老の男がそう声をかけてきた。隣にいる、棚の奥から引っ張り出してきましたとばかりな前時代的なドレスを纏い、過剰に香水をつけている女は彼の妻だろう。恐らく彼がジョエルと、その妻であるとルカは断定した。
「ええ――何といいますか、彼女は――その、大きな音が苦手でして――繊細で、嫋やかな女性ですから――ですから、その――」
ルカは周りの客のうんざりした表情や陰口に気づくこともなく、晴れやかな表情で歌っているオペラ歌手に視線をやりつつ、言いづらそうにしながらジョエルに伝えた。
それを聞いてジョエルは顔を青ざめさせ、近くにいた給仕に耳打ちする――すぐに給仕は演奏と歌唱を止めていた。気分よく歌っていた女は不愉快そうな表情をしていたが、気弱そうなピアニストは恐る恐る静かな曲を演奏し始めた。
「も、申し訳ありません……彼女は妻の知り合いでして、つい張り切ってしまったらしく……」
(発表会かよ)
トーンを落としながら言うジョエルに、ルカはそう胸の内で毒づきつつ、渇いた笑いで答えて見せる。
「……ジョエル様、エイダ様、お招きありがとうございます。兄の代わりに参りました、ルクレティアと申します」
軽く咳ばらいをして、ようやく調子を取り戻したらしいルクレティアが淑女の笑みをたたえて、そう夫妻に挨拶をして見せた。
「こうして顔を合わせるのは初めてですね、お会いできて嬉しいです。それで、そちらの方は……」
訝しむジョエルの言葉に、ルカはぎょっとした。「魔術連盟幹部、アルカナ十六階位、ルカ・アッシュフィールドです」などと答えるわけにもいかない――そう答えたが最後、みすみすとカーバンクルの手がかりを逃すことになるかもしれないからだ。
どれだけの馬鹿でも幻種保護に力を入れ、密漁密売を取り締まっているのが魔術連盟であることくらいは知っているはずだ。その魔術連盟の幹部クラスが来たとなっては、命すら危ういと考える者もいるかもしれないとルカには思える。
「……ジュリアス・キャピレットと申します。お招きもないのに、突然うかがってしまい、申し訳ありません」
ぱっと浮かんだ偽名を、ルカは名乗った――口元をとっさに扇子で隠したルクレティアが笑っている。ルクレティアが笑うのも無理はない――動転したルカは、先ほど女が歌っていたオペラの登場人物の名前を名乗ったのだ。
「は、はあ……どうも」
言いつつ、ルカは自分自身を心の中でひたすら罵倒した――ジョエルは未だに訝っている――隣にいる妻のエイダはと言うと、ルカに熱っぽい視線を投げかけていたが。
「彼はわたくしの婚約者でして。せっかくですし、お二人にご紹介をと思ったのですが……キャピレット宝石商会といえばそれなりに名の売れた宝石商なのですけれど……ご存じないかしら」
機転を利かせたらしいが、いい加減なことをまくし立てるルクレティアに、ルカは冷汗が止まらない。
(馬鹿が、馬鹿が、馬鹿がっ! 何がキャピレット宝石商会だ! どうあがいても三流のペテン師――いやそれ以下じゃねえか! もうこれなら、こいつの奴隷かペットとして連れてこられてたって方がマシだ!)
ルカは声に出さず怒鳴り散らした。表情は笑顔のままだが、取り繕っていられるのも時間の問題だ。
しばらくジョエルはルカの目をじっと見つめていた――処刑台にでも立っている思いで、ルカはただ張り付けた笑顔で黙り込む。
「え、ええ、もちろん! 存じ上げていますとも! お会いできて光栄です、ジュリアス殿」
ジョエルは満面の笑みで言いつつ、ルカの手をにぎった。一瞬、意味が分からなかったが、よくよく考えれば相手は貴族のことをよく知らない庶民だ。もし「知らない」などと言ってしまえば、ルクレティアの機嫌を損ねてしまうかもしれない――ならば知ったふりをした方が良い、と判断したのだろうとルカは思った。
(……相手がこうで、良かったわ)
安堵したルカは、微苦笑を浮かべつつジョエルの手をにぎり返した。
「ハンサムですし、物静かですが聡明そうな方。可憐なルクレティアさんにぴったりですね」
と、エイダ。言葉とは裏腹にルカにうっとりとした表情で続ける。
「今度是非宝石を見せて頂きたいわ。ルクレティアさんがつけているネックレスのような、美しいものがきっとたくさんあるんでしょうね。あなたの瞳の様なアメジストもあるのかしら」
そうエイダが熱に浮かされたようにそう言ってのけたので、夫であるジョエルは眉をひそめた。ルカは苦笑を浮かべ続けるしかない。
「こら、エイダ、冗談もいい加減にしなさい。……気分を害されていたらすみません」
そうは言うが、ジョエルはどこかルカを恨めしげに見ていた――夫の方は、未だ妻を愛しているらしい。妻の方は、わからないが。よくあることだ、こういう、違う世界を見てしまった人間と言うものには。
エイダの脳内にありそうな三流恋愛小説みたいな展開は御免被るとばかりに、苦笑したままルカは二人から視線を逸らした。
「差し支えながら贈り物をご用意しましたので、あとで使用人に届けさせますね」
ルカに助け舟を出してやる気になったらしいルクレティアがそう言うと、刺々しい空気を放っていたジョエルの表情が緩む。
「そういえば、例の催し物は何処で?」
続けて思いついたように言ったルクレティアに、ジョエルは薄く笑う。待ってましたと言わんばかりだ、とルカは胸の内で毒づいた。
「時間が来たら案内をさせますので、それまではこちらでお楽しみください」
「うふふ、楽しみにしております」
夫妻は別の来客にも挨拶をするべく、ルカとルクレティアに別れを告げた。
幾度かルクレティアの知り合いらしい貴族に声をかけられたりして――一通り挨拶を済ませた二人は会場の片隅で休んでいた。
「お前……咄嗟に偽名を考える俺の身にもなれよ、それに婚約者、だと。後の処理はどーするつもりだ」
どっと疲れた表情で、ルカはうめいた。いつものルクレティアと打って変わって、表情に笑顔はない。
「毒殺されたとでも吹聴しておけばいいのです。悲劇の主人公たるジュリアス様にはピッタリですね」
「お前、前も婚約者がなんとかとか言ってただろ。婚約者、何人殺すつもりだよ……」
「悲劇の令嬢と謳えますわ」
「……疫病神の間違いだろ……」
うんざりとした感じで言うルカを無視し、ルクレティアはぶつくさと不満を漏らしはじめた。
「……会場の中心に料理が置いてあるパーティなんて初めて見ました。騒音のような発表会が終わったと思ったら、三流の演奏家の時代遅れの音楽? どうかしてますわ。それに、客の殆どは恐らくこの街の田舎者ばかり。本当に安物のドレスを着てきて正解でした。主催者の程度が知れます。市長の妻も、とんでもなく無礼な女でしたし」
扇で口元を隠しつつ、ルクレティアは不機嫌そうにぼそぼそぼやいている。
「まあ、楽しんでる奴もいると言えばいるようだけど」
「物珍しさか、話題づくりでしょうね」
「……機嫌悪いな」
「はい。ところでルカ様、機嫌を損ねて魔術で会場をめちゃくちゃにしていただけませんか?」
不機嫌さを包み隠さず、そうぼやき続けるクレティアにルカは肩をすくめた。
「こんな可哀想なわたくしをルカ様が慰めてくださらないかなあー」
「俺がお前の用事でついてきたことを、忘れるなよ」
ぴしゃりとルカに言われて、より不満が募ったらしいルクレティアはまた文句を言い始めた。
先ほど給仕をしていた男が近づいてきて、ルカはだらしなく壁にもたれかかっていた姿勢を正し、愛想笑いを浮かべた。
「ルクレティア様、ジュリアス様。失礼いたします。準備ができましたので」
「じゃあ、行こうか」
きわめて優しげな声で――彼的には、育ちがよさそうな好青年風に振る舞っているつもりで――ルカは、ルクレティアに手を差し出した。
「ぶふっ」
あまりにも普段と違い、そして似合わないルカの行動に耐えきれなくなったルクレティアが噴き出す。
その様子を見て案内役の男はオロオロし始めた。自分に何か不手際があったのかとでも思ったのだろう。
「す、すみません……飲み物で、むせてしまいまして……ごほっごほっ……フフッ……」
笑い続けているルクレティアに、いい加減我慢が聞かなくなったルカは、案内役の男の気が逸れていることを確認した瞬間――ルクレティアの足を引っかけた!
「きゃぁあっ!」
無様にその場に倒れ伏したルクレティアの悲鳴とともに、男はまた目を丸くしてオロオロしだす。
「ああ、大丈夫かいルクレティア。何かつまずくようなものが落ちていたんだね! かわいそうに! ――そこのお前!」
わざとらしくルカは言い出して、もだもだしている男を怒鳴りつける。急に怒鳴られた男はしどろもどろになって、小さく「は、はい……」とだけ返してきた。
「この屋敷の使用人は、掃除もろくにできないのか!? 貴様のせいで、主人の品位が問われるぞ!」
「は、はい! ……申し訳ありません!」
「お前の謝罪で、ぼくの大切な婚約者の心と体の傷が、どうこうなるっていうのか!?」
怒鳴り散らすルカに、男はただただ泣きながら謝り続けるしかなかった。徐々に罵倒が人格否定まで入ってきたあたりで、ルクレティアが涙目で立ち上がる。
「わ、わたくしをこのひとが――」
「どうしたんだいルクレティア! 足の骨が折れたのかい!?」
「脛を蹴り、あげく転ばせて――」
「かわいそうに、ドブネズミが突進してきてその衝撃で転んでしまったんだね! 頭を打ち付けて支離滅裂な事を言ってるけれど……健康そのものでよかったよ!」
「ううううう……」
意味のないうめき声をあげるルクレティアを無視し、ルカは鼻を鳴らすと、
「今回はぼくの婚約者に免じて大目に見てあげるけど、清掃はしっかりしておくように――なにぼーっとしてるんだ! 今すぐ軟膏を持ってこい! 彼女の脚に傷跡が残ったらどうしてくれるんだよ!」
ルカにそう言われ、泣きながら男は飛び出して行った。
「ひどい……ひどいですわあぁあ……」
泣きながら、恨めし気にルカを見つめるルクレティア。それをしり目に、気分が晴れやかになったルカはどこ吹く風だ。
「自業自得だ」
「女性に暴力を振るうなんて最低ですわっ」
「俺は、必要とあれば別に男女構わず殴るし蹴るし、拷問するし殺すぞ。どちらも人であることは変わりない。命に差はない」
平然とした表情で、ルカは続ける。
「とゆーか、そもそも暴力は相手が男だろーが女だろーが振るっちゃダメだろ」
言い切ったルカに、ついルクレティアは目が半目になる。
「……数々の行動から鑑みるに、まともな倫理観を持ってなさそうなルカ様の発言とはとても思えませんわ……」
言われて、なんだかルカは泣きたくなった。お前には一番言われたくないわ、と胸の内で毒づいておく。
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