二章 正義とは翳すもの

2-1

 ハドロウズという町は、さして大きくもなかったし、めぼしいものも特にない街だった。

 観光名所も聞いたことが無いし、宿場町でもない。ドロッセレインやセインシアまでの通過点と言うイメージしかルカにはなかったし、事実そうだと思えた。

ただ、せわしなく働く大工や、真新しそうな建物がいくつかあることなどから、再開発を急いているようにルカには思える――これも町長の努力の賜物だろう、とルカは胸の内で皮肉った。

 そんなことを考えているルカが馬車を降りてすぐ、馬を撫でていたデイモンがルカをいきなり凝視してきた。

「な、なんだよ」

 居心地が悪くなって、ルカはそう声を上げる。まじまじと見られるのは普通に気分が悪いが、この得体のしれない執事であれば、その不快感も倍増するものだとルカには思える。

「……ルカ様のそのお召し物でパーティに行かれるのはいささか物騒に思えまして」

 言われて、ルカは困ったように眉をひそめる。デイモンの「物騒」という表現は、確かに的確なものではあるとルカも思う――ルカが纏っているローブも、一見は普通の魔術師と変わりがないものに見えるが、戦闘用のもので、特殊な術式で防刃加工もされており、ナイフや暗器もいくつか仕込まれている。中に着ているインナーや手袋は特殊な繊維でできているし、さらに履いているのは鉄板仕込みのブーツである。

 ――が、戦闘の心得が無い一般人が見れば「ただの魔術師」に過ぎない。ルカは確かに名は売れているが、幸いなことに顔まではよく知られていないので、さして問題はないだろうと断定した。

「……セインシアみたいに、リーズ教会が目を光らせているわけじゃあるまいし、別に構わないだろ。趣味の悪い貴族のご令嬢が、魔術師を侍らせてるなんて、たまにはあることじゃないか」

「お嬢様の名に傷がつきます」

「もともと傷だらけじゃねーのか……」

「外面はきちんとめっきで塗り固めておりますので」

「……………」

 にこやかに言うデイモンに、ルカはめまいがした錯覚を覚えた。

「それなら……! デイモン! ルカ様の分の正装は用意していて?」

「もちろんです、お嬢様。こう言う時の為にと、お嬢様のお気に入りの仕立て屋に用意させました。寸法も以前ルカ様がいらっしゃった際に測らせて頂いております」

「え」

 ルカはデイモンの言葉に、吃驚した――仕立て屋とやらに行った記憶どころか、採寸された覚えもルカには一切ない。

「あら、気が利きますわね。うふふ、ルカ様のそういったお姿、なかなか見られませんし、楽しみですわ♡」

「……頼む、もう少し人間の常識のなかで生きて行こうという努力をしてくれ……」

 楽し気にしている二人をよそに、ルカは悲痛な声でうめいた。


「…………」

 そのままデイモンはルカを有無も言わさず――正確には、自分を引きずるデイモンにルカがささやかな抵抗をしても、無意味だっただけなのだが――宿屋に連れ込まれてすぐ、光の如き速さで着ていたローブや服をひっぺがされ、あっと言う間に正装に着替えさせられると宿屋の外に放り出され――ただルカは呆然としていた。

(……ここまで高そうな服に、袖なんか通した事ないぞ……しかも、借り物だし……)

 ルカは胸の内でそうぼやく――先ほど姿見で視認したときは、眩暈がしたが、すぐ我に返った。こんなものを汚すわけにもいかないので、逆に背筋が伸びるような気さえした。

 無駄に肌触りが良いシャツに、白のダブルボタンのベスト、夜空のごとき深い青のテイル・コート、採寸した覚えもないのに、ぴったりとサイズの合うスラックス。タイは諸事情により、ルカの私物である紫のスカーフであったが――どれもこれも一級品で、肩こりさえしてくるような、体が重くなる錯覚をルカは覚えた。

 べつに燕尾服に袖を通すのが初めてだったわけではないが、ここまで高価そうなものは初めてだったので、ルカは過剰な不安感に駆られていた。

「まあ、ルカ様! 正装もよくお似合いですわ!」

 言いながら、スキップなんてしてきたルクレティアも、いつの間にやら正装に着替えていた。どうやらデイモン以外にも使用人を連れてきているらしい。

「ああ……そりゃあどうも」

「燕尾服も着慣れてらっしゃるようにお見受けしますが、そういう機会は多いのですか?」

「まあ、仕事柄、な」

 そっけなくそう返しつつ、ルカはルクレティアの姿を見た――否、見てくれと言うようにくるくる目の前で回って見せるので、視界に入っただけなのだが。

 彼女の瞳と同じ色のひざ下までのホルターネックのドレスに、上品な白いレースのボレロ、ローヒールのパンプス。そしてひときわ目を引くのは、いかにも高価そうな、彼女の胸元を飾る絢爛なエメラルドのネックレスだった。

 元が悪いわけでもないし、単純に似合っている――とルカは思った。中身を除けば、まあ外見だけは可愛らしいと、常々思っていた。

「まあ……その恰好で黙ってりゃあ幾分か社交界で上手くやれそうなもんだが、お前は喋るとどうにもな……」

「うふふ……お褒めの言葉と受け取っておきますわ。求婚は比較的多い方だと思いますけれど……ルカ様を超える殿方がいらっしゃらないものですから♡」

「……比較対象がおかしいぞ……俺は貴族様でもなんでもない、ただの魔術師だってのに」

「ルカ様に出会ってから、鹿や小鳥ごときを殺して回って喜んでいるよーな、軟弱かつ低能で、顔も平凡な男どもに興味がなくなってしまって……顔がまあ合格だとしたら、わたくしより能力が劣っているし……それに財力だって大抵わたくしの方が勝っておりますし、何の魅力も感じませんわ。お父様もわたくしの一声で許してくださいますしね」

 身も蓋もないことを言い出すルクレティアにルカは肩をすくめ、

「結婚ってのは、幾分か折合いをつけてするもんだぞ。欠点だってきっとよく見えるように、飲み込める時が来るはずだし。全部完璧な人間がいたら、そりゃゼッタイ詐欺師か、なにがしか問題を抱えてる要注意人物だ。俺の兄さん以外はな」

 そう説教気味に言って見せた。に対して、ルクレティアはつい目を半目にする。

「ルカ様も結婚されてないのに、知ったよーな口を聞くのはいかがかと……」

「うるせえ。お前よりは数年長く生きてるから、なんとなくそうだと思ったんだ」

 三年ほどだけではないですか、とあきれ気味にルクレティアが返してから、あ、と何か思い出したように声を上げた。

「そういえば、ルカ様のお兄様にお会いしたことがありませんでしたわ、それに、お母様にも、お父様にも。きっと素敵な方々なんでしょうね」

 いつものような、悪意の片鱗を感じられるようなとげのある言葉ではなく、ルクレティアのその一言は、純粋なそれであったように、ルカには感じられた。

(まあ、こいつには家族がいなくなるなんて感覚、わかるはずもないしな……)

 ルクレティアの笑顔を見て、ルカは胸中で続ける。

(幸せを当たり前だと思えることは、本当に幸せな事だ。ずっと……そうあれるといい。それが、いちばんだ)

 けして口にすることはないが、ルカは胸の内でルクレティアにそう呟いた――意味のない行為ではあったが、願う事は罪ではないだろうとルカは思ったのだ。

「またぜひ、お会いしたいです」

「ああ、また……な」

 苦笑しつつ、ルカはどこからか湧き上がってくる哀しみに、そっと蓋をした。

「で、会場とやらは?」

「あそこの、小高い場所にある市長の家ですね」

 ルクレティアは言いつつ、指で示した。町中から少し離れた、小高い丘のような場所にある小さな屋敷だ。

「どうして金持ちってのは、高い場所に住みたがるんだろうな」

「一緒にしないでくださいまし。田舎者だけですわ」

 心外とばかりにルクレティアはぴしゃりと言い放つ。そうしてすぐ、ルクレティアは「あああっ!」と急に声を上げた。

「な、何だよ、何か忘れたのか?」

 驚いてそう尋ねてきたルカを睨みつつ、ルクレティアは肩を震わせ、

「わたくしが用意したネクタイはどうされたのですかっ!?」

 そう声を上げた。すぐにルカは目を半目にし、ため息を一つ。

「……あのな、あんな、ドピンクの薔薇ガラの蝶ネクタイなんぞ、逆にどこで手に入れたか聞きたくなったくらいだったわ……嫌がらせだろ、あんなもん。つけれるか」

「せっかくわたくしが選んだのに、あんまりですわあ~!」

 わめきちらすルクレティアに嘆息しつつ、ふと、もしタイだけでなく、全身をルクレティアが選んでいたらどうなっていたのだろう、とルカは若干の恐怖を覚えた。

「今度は全身わたくしが選んで差し上げますから、必ず着てくださいね」

 ぞっとすることを言うルクレティアを無視し、ルカはさっさとパーティ会場の方へ足を向けた。


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