1-4

「……なんだかよく分からないけど、やっぱり君を呼んでるみたいだよ」

男がそう言うのに、ルカは全力でかぶりを振った。

「人違いです。俺はそんな名前じゃありません」

「あら? 聞こえなかったのかしら……ルカ様――!! わたくしがすぐお傍にいます! このわたくしです! ルカ様! る・か・さ・ま!」

 馬車の中から未だに自分を呼び続ける女の存在を否定し、ルカはまた商人の男を引っ張って場所を変えようとした。

「やっぱり人違いじゃなさそうだけど。しかもルカ・アッシュフィールドって確か、魔術連盟の幹部の……」

「俺は実はただの魔術師風情なんかじゃなく、亡国の王子でベルベルドゥ―ディー・ドグドガドーン四世というんです。なので絶対違います」

 訳の分からない事を言い出すルカに、男は眉をハの字にした――瞬間、ルカは男の胸倉をつかんだ!

「何ぼーっとしてんだっ! 貴様、亡国と言えど一国の王子たる俺のいう事が聞けんとゆーのかっ! 権力は暴力だぞ! 小市民は黙って俺様のいう事を聞いておけばいいんだよ! さもなきゃ未来永劫七代まで祟り殺すぞっっ!」

 意味不明な事を言いながら泣き出すルカに、揺さぶられつつ男は「七代は未来永劫じゃない……」とうめいている。

「わたくしと再会できたことが現実だと受け入れられないのですね! わたくしは此処におりますルカ様! あなたのルクレティア・エルフィンストーンはここにいいっ!」

 いつの間にか馬車から降りてきた女――ルクレティアはそう叫びながら、男を締め上げているルカの腰に抱き着いてきた。瞬間、ルカは締め上げているのをやめて、

「のわぁあああああっ! くっつくな疫病神! 現実逃避してるところを無理矢理介入してくるなあああっっ!」

 わめき散らしながらルクレティアを引きはがそうと髪をひっつかみ、引っ張ったり、彼女をげしげしと足蹴にしたりしている。

 意識が朦朧としていた男はルカに解放されたことに気づくと、脱兎のごとくその場立ち去った――それはもう、目にもとまらぬ速さで――ので、彼に縋ろうと思ったルカは絶望的な気持ちになった。

「ひどいですわルカさまあ! 可憐な乙女を足蹴にするなんて! 皆さん見てくださいまし! こんなにか弱い乙女に暴力を振るうなんてどう思われますかあ!」

 そう大仰に言って見せるルクレティアだったが、周りにいた人々は異常事態だと即座に判断したらしく、すっかり姿を消していた。

「何が可憐だっ! 可憐な乙女は大抵足蹴にされたらさめざめと泣きつつ地面に倒れ伏してるもんだろが! その間にとんずらこいてやるからてめーは可憐な乙女らしくしてやがれ!」

「ああああああ罵声まで! ひどい! こんなに哀れな乙女は他に居ません! わたくしたち将来を誓い合った仲ではありませんか! それなのになぜそんなにも冷たいのですかルカ様! まさか記憶喪失!? そうなのですねルカ様! なんとおいたわしいいいいっ!」

「何でお前はひとつも正しいことを口から吐けんのだっ!! この変態女! 消えろっ! 俺の記憶からも消えろっ!」

「愛し合う二人にはやはり試練がつきものなのですね、このデイモン、神が与えし非情な悲劇に胸が痛みます……涙が止まりません……」

 御者をしている執事らしき男――デイモンはハンカチで目元を押さえているが、涙は一切浮かんでいない――ついでに、つい先ほど御者台にいたはずなのにいつの間にかルカの至近距離まで来ていた。

「一粒も出てねえだろがああああああっ! 泣きたいのは俺だわ――っ!」

 そう叫びつつ、ルカは逃げ道を必死に探す――ルクレティアに背後を取られ、前面にはデイモンがいる。

(このド阿呆クソアマはどうにでもなるが、問題はこの妖怪執事だ……実質一対一――なんとか俺の戦闘経験をフルで活用すれば…………)

 ルカは未だに腰にしがみついているルクレティアをものともせず――デイモンの顔めがけて右拳を放つ――当たるとは思っていない、けれども視界を奪う事は出来る。

 だがデイモンは突然のルカの攻撃を予測でもしていたかのように、顔面に向かって放たれたルカの拳をいともたやすくつかんで見せた。

「ルカ様、一年やそこらで私に勝てるとお思いでしたか?」

「ぐ――なら――」

 魔術で攻撃すればいい――ルカの脳裏に、最善かつ唯一この男に勝てるかもしれない方法が浮かんだ。

「つ――!」

 詠唱しようとした瞬間、ルカの背中に針で刺されたような痛みが走った――はっとして、すぐに、腰にしがみついているルクレティアの方にルカは視線を向ける。

 ルクレティアの手には針のようなものが握られている――ルカは自分の浅はかさを呪った。

(体がマヒして動かねえ……舌も動かないし、くそ、毒を塗ったのか……!)

 感情のままに罵声を浴びせようにも――魔術を使おうにも、麻痺して呂律が回らない。ルカはそのまま倒れ込み、意識が薄くなっていく感覚を覚えた。

「うふふふふ……挟殺ですわー! ルカ様、わたくし、デキる乙女でしてよ。そんじょそこらの低能な女どもとは格が違いますの」

「ご安心ください、ルカ様。解毒剤は持っております。それを使えば死にはしません。塗られた毒は致死量ですが問題はないかと」

「さ! デイモン、早くルカ様を馬車に! 自警団が来る前に早く出発するのよ。目撃者はあとで口封じしておきなさい。小市民の一人や二人いなくなっても社会に影響は及びませんわ」

「かしこまりましたお嬢様」

(……そうだよなあ、こんな異常者の中で生きていける俺が、普通になれるわけが、ないんだ……)

 諦めたように胸の内で呟きつつ、引きずられている感覚を味わいながら――ルカは意識を手放した。


 車輪に石がひっかかったらしい、激しい揺れでようやくルカは目を覚ました。

 目覚めはというと、まあ最悪だった――馬車というものは、基本的に乗り心地が悪い。最近ではバネで車体と車軸をつなぎ、車体を支えることによって揺れを軽減させる、みたいな馬車も出回り始めたらしいが、勿論一部の貴族くらいしか所有していないようで、ルカも本物は見たことがない。

(というより、目の前のこの女の場合は、その馬車を買うくらいなら――道を整備しだしそうなんだよな……)

 じとっとした目で、ルカは向かいに座るルクレティアを見た。

 ロングの茶髪を手で梳きつつ、窓の方へ宝石のごとき翠眼を窓の方へ向けている。

 フリル付きのブラウスに、足首より少し上くらいのフレアスカートを太いベルトで巻いている――「お嬢様が屋敷の庭で花を愛でる」みたいな感じの恰好だとルカは思ったが、丈夫そうな皮のブーツを履いている所だけが、申し訳程度の旅装であることを物語っているように思えた。

「あらルカ様、もう起きてしまわれましたの? 確かにこの道は、馬車で通るには少々荒れていますものね……整備させようかしら」

 想像通りの事を言ったルクレティアに、ルカは大きなため息をついた。

「ルカ様とこうしてお会いできるのはいつぶりかしら。一年ほどしか経っていないというのに、一日千秋の想いでしたわ。初めてお会いした日や、共に過ごした時間に思いをはせておりました」

「……骨肉の争いになぜか巻き込まれた俺が足からすりつぶされそうになったこととか? 毒キノコ食わされて生死を彷徨った事とか? まだあるぞ、例えば……」

「そんなことよりルカ様」

「俺の悲劇が、そんなことで済まされた……しかも拉致までしやがったくせに……」

「拉致なんて言い方、あんまりですわ。せっかく、こんな、奇跡の再会を果たしたというのに! 奇遇ですわ勿論、いいえ――わたくしたちには運命、と言う言葉相応しいかしら!」

 胸に手を当て、歌い上げる様に、ルクレティア。目の前で繰り広げられる茶番じみたそれに、ルカは目を半目にした。

「どうせ、俺がここに来ることをどこぞから聞いて、先回りしたか待ち伏せしとったんだろーが……」

「いけず……」

 口を尖らせながらルクレティアは言ってから、ひとつ咳払い。

「ところでルカ様、セインシアでのご活躍、お聞きしましたわよ。あのいけすかない街を半壊させたとか。流石ルカ様ですわ」

 また嬉しそうな顔をしてとんでもないことを言い放ったので、ルカは眩暈がした気がした。

 セインシアで起きたこと、自分がしでかしたことがルカの脳裏に駆け巡る――あの人の顔ばかり思い出されて、胸が刺されるような錯覚を覚えて――思考をやめた。

「お前セインシアでも恨み買ってんのか? いい加減行動を改めろよ」

 そう吐き捨てたルカに、ルクレティアはむ、と顔をしかめさせた。

「人聞きの悪いことを言わないでくださいまし、ただ別荘を建てようとして、土地を買い上げようとしたんですけれど……聖人なんたらが初めて女神から神託を賜った場所だ~とかなんとか与太話を聞かされた挙句、断られまして。ちゃんとお金は用意しましたのに」

「なんでも金で解決しようなんて思考が直結するからだ。その辺のマフィアどもとなんも変わんねえじゃねえか!」

 ぴしゃりとルカに言われて、ルクレティアはショックを受けたような表情をすると、すかさずハンカチを取り出し、目元を押さえ始めた。――涙は出ていないが。

「ルカ様ひどいですわあ! わたくし、何も間違っていないのに! 正しいことをしているのに!」

「……財力を振り回して、金さえあればなんでもできるだろうと思ってるあたり、認知がゆがんでると思うが……」

「もう、ルカ様の意地悪ぅ…………わたくしが少し魔術連盟の経理部に口添えすれば、ルカ様の経費を止めることだってできますのよ」

 最後の方のルクレティアの声色は、ひどく冷徹なものだった――ルカはさあっと顔を青ざめさせる――この、ルクレティアという女の立場が問題だったからだ。

 魔術師というものは、非魔術師が多数を占めるこの社会においては少数派である――あるがゆえに、非魔術師に理解されない事が多いのだが、その魔術師たちの力と技術に価値を見出し、利用したがる非魔術師も存在する。

 特に富をありあまらせている貴族や、異常者だと一般的には罵られる無神論者なんて者たちがそうで、彼らが魔術連盟に支援する代わりに魔術師たちの持つ技術や戦力を提供する、ということが行われている。

 ルクレティアもその一人である。ただ、彼女は魔術師の技術や力に興味があるというよりは、ルカ個人に熱を上げ、そのルカが所属しているからと言う理由で魔術連盟に莫大な資金援助をしている――つまり、実質的に彼女は、ルカのパトロンなのだ。

「十七という若さで魔術連盟のパトロンとエルフィンストーン商会副代表を兼ねているルクレティア嬢には本当に頭が上がらないな~、おまけに人格者で器量よしときた! うん! 非の打ちどころがないご令嬢だ! しかもぉーかーわーいーいー!」

 自分の中のプライドや湧き上がってくる怒り、ふがいない自分への失望感、その他もろもろの感情や意識を徹底的にたたきのめし、ルカは張り付けた笑顔でそう言って見せた。

「うふふふ……いやですわルカ様、事実をそんなに並べ立てられなくてもよろしいのですよ♡」

「兄さん……俺は汚い大人になった……こうして権力と金に屈するなんて……くっ……」

 ルクレティアの上機嫌そうな声を聞いてから、ルカはそう意味もないことをうめいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る