1-2

「それで、どうしたんだ? こんなところまで来るなんて」

 そうルカが尋ねると、クーは示すように自身の首から下げている袋に視線をやった。

「これを届けに来てくれたのか? ありがとう、お前はほんとに賢い奴だな」

 そうルカが声をかけると、クーは下げた袋を取りやすいように屈んでみせた。

 受け取ったその袋は、抱えられるくらいの大きさではあったが、ずっしりと重くルカには感じられた。外からでは中身は分からなかったので、ひとまず後で確認することに決めた。

「よしよし……やっぱりお前はいい子だ。次帰った時はちゃんとたくさんおみやげ買っていくからな」

  きわめて優しい声でそう言いながら撫でてくれるルカに、甘えるような鳴き声を上げながら、クーはまたしっぽを大きく振る。

 しっぽを振るたびにまた強風が起きるので傍にいるマクレガーはたまったものではない。立っているのが精いっぱいだ。

 ――また、建物の壁は剥がれ、男の石像――恐らく、前トルトコック魔術連盟支部の支部長だろう――が倒されている。辺りはそれなりの惨状だった。

 もちろん戯れているルカとクーはそんなマクレガーとトルトコック支部の悲劇を知ることもないが。


 しばらくルカがクーと遊んでやっていると――まあ、惨状はさらにひどくなる一方ではあったのだが――唐突に動きを止めたクーが、ひとつ吠えた。

 クーの視線は遠くへ――彼が来た方向へ向けられているように、ルカには思えた――なんとなく、彼の意図が分かった気がして、少しだけ寂しくなったが、ルカはごまかすように笑ってみせた。

「そろそろ戻るか? アトスおじさんたちによろしく言っておいてくれ。留守の間、また頼むな。帰り道、気をつけろよ――それにさ、あと……」

 遠くに暮らす家族にかける言葉は、存外尽きないものだとルカは痛感した――否、紡ぐ言葉に意味などはなかった。ただ、この場にとどめておきたい、それだけなのだと、ルカは自分自身でよく理解していた。

(クーに、家を守っていてくれと頼んでいるのは俺なのにな)

 ルカは胸中でそんな子供じみた自分のわがままさを自嘲した。なんとなくそらしていたクーの目をちらりと見やると、彼はまっすぐにルカを見つめていた。

 またルカと視線がかち合うと、クーは小さく、まるで子犬が上げるような寂しげな声を上げる。

「お前、もうそんなにでかいのに……本当に変わってないな」

 その様子がおかしくて――微笑ましくて、ルカはつい噴き出した。

「必ず帰ってくるさ……そう、今度は、兄さんも連れて帰ってくるから」

 だから、安心しろ、と付け加えて、ルカはクーの大きな体をまた撫でてやった。

 やはりクーがどう考えているのか、確かな事はルカには分からなかったが――クーはその答えに満足したように目を細め、ひとつ吠えると、強く地面を踏みしめた。

「わっ――」

 マクレガーは地面の揺れについバランスを崩し、小さく悲鳴を上げる。

 気にも留めずにクーは地響きを起こすほど強く地面を蹴り、跳躍する――瞬間、ぱっといきなりいなくなったかのように姿を消した。

「なっ、なっ――!?」

「さっき言っただろ、彼らリュカオンは姿隠しの魔術が使えるって。跳躍する際、地面を強く蹴り、亀裂を走らせる。その亀裂が術式になって、一定時間姿を見えにくくする魔術を扱っているんだよ。何の前触れもなく地面に亀裂が入ったら、それは大抵リュカオンが通った痕だ」

 信じられないとでも言いたげな、ぎょっとして立ちすくんでいるマクレガーに、クーが跳んで言った方向を見やっているルカがそう解説して見せた。

「そんな高度な魔術を使ってるんですか……ただのでかい狼かと思ったら……」

「その、にビビってたのはどこのどいつだ――というか、彼ら幻種の方が高度な魔術を使えるのは当たり前だ。だって彼らは――」

「何故ですか? 知能は人間の方が高いでしょうに」

 ルカの言葉に、マクレガーはきょとんとしながらそう聞いた。その言葉を聞いたとたん、ルカは眉をひそめる。

「……何故お前は、人間の方が知能が高いと断言できるんだ? お前、彼らの事を知りもしないで、何故そう断定できる?」

 いやに真面目腐った顔で、ルカはそうマクレガーに尋ねた。そんなことを聞かれるとは思っていなかったらしいマクレガーは、えっ、とすっとんきょうな声を上げる。

「それは、だって……」

「そもそも、魔術の優劣に知能の高さは関係ないんだよ。だって、彼らは手足を動かすように、ものによっちゃあ息を吸うように魔術を使えるんだ。俺たちが必要とするプロセスが、彼らには基本的にない」

「は――?」

「そもそもこの世界で、魔術を使うのにいちいち頭を使わなきゃならないのは人間の魔術師くらいなものだ。どんな魔術を、どんなタイミングで――そもそも魔術が扱える環境なのか、とか。そんなこと考えなくたって、彼らはああいう風に、無意識下で魔術を使えるんだよ」

「……そうだったんですか?」

 そう、マクレガーは気の抜けた声で言った。初耳だとでも言いたげな表情をしている――事実、マクレガーは知らなかったのだろうとルカは思った。

(確かに、人間以外の種族のことなんてそこまで知る必要もないしな。普通なら関わることだってないし、興味が無ければ調べる事だってないだろう。魔術連盟が指定した、魔術師が最低限頭に叩き込んでおく必要のある情報にだってないんだ――)

 ぽかんとしているマクレガーに、毒気を抜かれつつルカは胸の内で呟く。

「確かに彼ら幻種についての知識は、魔術師の基本的な指導要領の内容にはない。――けど、無知は己を滅ぼすぞ、マクレガー」

 少し迷ってから――言葉をやっと見つけて、ルカは続ける。

「なんでか人間ってのは、他の生物のことをよく知りもしないくせに、自分たちがこの世界の頂点だとか思い込む。それも魔術師ってヤツは、特にそれが顕著だ。大抵のものは殺そうと思えば殺せる――そう思っちまうからな。相手が何を隠しているかもわからないのに、そうやって侮る」

 言いながら、自分が何故こんなことを言い出しているのかを、ルカは考えていた。

(たぶん、俺もそうだったからなんだろう。なんとなく、あの蜥蜴野郎と戦う前、漠然と、俺は大抵の生き物なら殺せる、と無意識下で思っていた。ふたを開けたらどうだ。俺は、あんな蜥蜴野郎一匹殺せなかった。そのコピーを殺すのに、死ぬ思いをした程度の力しか持ち合わせていなかった――それも、あの人の助けがあったから死なずに済んだんだ)

 自問に答えが出て、ルカは胸の内でそう自責した。

「実際のところ、魔術師なんて、そんなに大したものじゃない。そのくせ、気を抜けば思い上がる。傲慢だ――傲慢だからこそ、考え続けなければいけない。知ることを、止めてはいけない――知ることをやめてしまえば、脳はどんどん退化していく。いざって時にただ混乱くらいしかできなくなる」

 言ってから、ルカはちらりとマクレガーの顔を盗み見た。間抜けな表情から、いまいちよく分かっていないのだろうとルカは断定し、頭を掻きつつ、

「――つまりは、まあ、ひとつ物を知れば、お前が寿命とか、自分でどうにもならない状況以外で、少しだけ死ぬ確率が下がるってことさ」

 そう言って見せると、マクレガーは何度か頷いていた。先ほどより、マクレガーがなんとなく納得しているように、ルカには思えた。

「……ほぼ事務仕事ばかりこなしてる僕のよーな、ぺーぺーの魔術師には、死とか実感がわきませんが……」

「まあ、確かにな……」

 肩をすくめつつ、ルカ。

 そしてすぐ、マクレガーが、あ、と唐突に声を上げた。

「妖精に命を狙われてるの、忘れてました……幻種保護施設に資料を請求してみようかな……妖精皆殺し兵器の作り方とかあるんですかね」

「ンなもんはない」

 目を半目にし、そう否定するルカを無視し、マクレガーは展望を語りはじめる。

「ないなら僕、頑張って勉強して、妖精皆殺し兵器の第一人者になろうかなあ」

「ンなもんを作った暁には、俺がぶちのめして牢屋にぶちこんでやるからな。幻種の無差別殺傷は重罪だ」

「僕に知れとかなんとか言ったのはあんたじゃないですかっ! 僕だって生きるのに必死なんですよ!」

「だからって話が飛躍しすぎなんだよ!」


 惨状を作った原因ではあるが、アルカナ階位であるルカに「元に戻せ」と言う勇気はなかったらしいトルトコック支部の魔術師たちの恨めし気な視線を受けながら、ルカは客室に戻った――何故か、マクレガーも後ろをついてきたが。

「なんでお前がついてくるんだよ」

 明らかに不愉快そうな声を上げるルカに、マクレガーは困ったように眉を下げていた。

「いや、支部長に監視を頼まれまして……」

「……信用ねえな、俺……」

「……いや、あの惨状を作ったのによく言えますね」

「……正論だ」

 泣きそうになりながらそうぼやきつつ、ルカはクーから受け取った袋を開けた。

「わ、おいしそうなリンゴですね」

 袋を開いたとたん、身を乗り出すようにしてマクレガーがそう声を上げる。

 真っ赤で瑞々しそうなりんごが荷物を広げた机の上に数個転がる。漂ってきた甘い香りにルカは目を細め、

「ウィンバリーは平均気温が低いんだ。だからりんごが名産なんだよ、せっかくだし、お前にも分けてやる。俺一人じゃ食べきれそうにないしな」

 そう上機嫌ぎみに言って、マクレガーにりんごを分けてやった。

 ウィンバリー――レティ―リア王国領であるレイア―大陸の北あたりに位置するボレアス地方にある市だ。

 これといって観光名所があるわけでもないし、あるものといえば、自然が豊かだったりとか、りんごが名産くらいの――いわゆる田舎町である。

 トルトコックのように魔術連盟支部もあるが、のどかな地方柄なのか、リーズ教会との摩擦も比較的少なく、魔術師と教会のトラブルの少ない希少な場所でもある。

「ありがとうございます。ルカさん、ウィンバリー市出身だったんですね、なんかイメージと違うな。なんか、ルカさんって都会人っぽいし。洗練されてるっていうか、純朴さが足りないというか」

「褒めるかけなすかどっちかにしろ。……まあ、生まれは違うんだが……母さんの生家があってな、そこにちょっと住んでたんだよ。そこの隣に住んでる夫妻がよく気を使ってくれてさ。りんごもその人たちが俺にってクーに持たせてくれたみたいだな」

 他にも軽そうな毛布、干し肉やドライフルーツなどの保存食、革製の手袋――など、雑多なものが詰め込まれていた。それに手紙が添えられている。

(きっとおばさんがあれもこれもって詰め込んでくれたんだな……手袋はおじさんが作った物だろう、相変わらず丈夫そうだ。ありがたいな)

 二人の真心にルカは胸が温かくなり、そして同時に郷愁を覚えた。

「ルカさん?」

 不思議そうなマクレガーの声に、ルカは我に返る。なんとなくこの男に弱みを見せるのが癪だと胸の内で毒づきつつ、また不機嫌そうな顔を取り繕って見せた。

「ん?」

 いろんなものが詰め込まれていたせいか、他のものをすべて取り出してから、ルカは袋の奥底にあったもう一通の封筒を発見した。

「おじさんたちからの手紙はあとからゆっくり読むことにして……で……ああ、こいつは魔術連盟からのお達しか」

 夫妻からの手紙を大事そうにしまい込むと、明らかに不快そうな声を上げつつ、ルカはめんどくさそうにもう一通の封筒を開け始めた。

「いちいち実家に届くんですか?」

 いつもいるわけじゃないのに、と付け加え、不可解そうにマクレガーは尋ねた。

「まあ、俺宛だって言って、クーに渡せば確実に届くって一応連盟には言ってあるし。とはいっても、大抵今、どこにいるかは定期報告してるから正式にこうやってお達しが来るなんて珍しいけど……」

 覗き込んでくるマクレガーをひっぱたいてから、ルカは魔術連盟からの知らせを読み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る