一章 愛とは謡うもの

1-1

 トルトコック市、ウィットロック魔術学校の敷地内にある魔術連盟支部の客室に、大きな、そしてわざとらしいようにも思えるため息がひとつ。

 そうやって幾度となくため息をついているのは、黒い癖毛ぎみの、端正な顔立ちをした青年だった。

 ベッドに座り、窓際で頬杖をついて、意味もなく彼の瞳と同じ色の石がはまったブローチを手で弄んでいる。いつも羽織っている黒いローブはと言うと、いちいちかけるのも億劫らしく、床に放られてしまっていた。

「笑えるくらい、俺の身体って健康体だな……そら、魔術で治療を速めているとはいえ」

 青年――ルカは怪我の痕を見やって、そうぶつくさつぶやく。

 滞在していたセインシアを発ち、大事をとってトルトコックで療養することになって約一週間ほど。

 セインシアで出会った医者・マサチカの処置も見事なものだったが、それに加えて魔術で怪我の治りも早めてしまったものだから、たまに痛むことはありつつも、ルカの身体はほぼ健康体のそれだった。

(魔力も全部戻ったわけじゃないし、正直もう少し休みたかったんだが、最近ここの魔術師の、早く出て行けと言わんばかりに元気そうでよかったです!と圧をかけてくるのにも、もう限界を感じて来たしな……)

 そう胸の内で呟きつつ、ベッドに寝転がる。もう一寝入りしてからまた考えよう、とまどろみにルカは身を任せようとした――が。

「ルカ・アッシュフィールドさん! ルカさんっ!」

 その声とともに、ばんっ!――と、ルカの惰眠を妨害しようとばかりに、丁度いいタイミングで部屋のドアが勢いよく開け放たれた。

「……ノックくらいしてもらえるか、厄介な居候とはいえ……」

 唸るような声を上げながら、ルカはベッドから起き上がった。 茶髪の短髪をぼさぼさにした、ルカとそう変わらなそうな年くらいの魔術師の青年が半ばパニック状態で部屋に飛び込んできた。

「マクレガー君、だっけ。もう俺を追い出せって上から命令されたか? もう出て行くつもりだから、安心して――」

「そんなことどうだっていいんですよ! ちょっと外に来てください! ば、化け物が……化け物が学校にいいっ! あんなの僕ら、手に負えっこない!」

「……化け物?」

「化け物です! 狼なのに、ふつうのやつの何倍も大きさがあるくらいのっ! 咆哮で地響きが起きるような、そんな――」

 慌てふためくマクレガーの言葉を聞きつつ、ルカはああ、と声を上げ、ベッドからようやく立ち上がった。

「ひとの家族を化け物呼ばわりされるのは癇に障るが、まあ……よく言って聞かせておくよ、悪いな」

「へっ? か、家族って……あの狼の化け物が……? 怠けすぎて脳みそ腐ってしまったんですかっ!」

「……ぶち殴るぞ。化け物じゃねえ。マクレガー、お前、幻種って知っているか」

 ローブを羽織りつつ、ルカは歩きながら、目を丸くし、後ろを歩くマクレガーに尋ねて見せる。

「一定の魔力量を保持している――人間の魔術師以外の生物……ですよね?」

「まあ、ざっくばらんに言えばそうだな。それだけでなく、犬とか猫とかの、普通の生物に比べれば繁殖力では劣るが、身体能力だったり、知性だったり、それに寿命は彼らよりもずっと上の生物。種類によっては魔術、しかも俺達より遥かに強力な、魔法に限りなく近い魔術を扱える連中もいる」

「本当にそんなの、存在するんですか? 僕は書物でしか見たことありませんが……」

「するさ。お前も昇進すりゃ、いやでも会うことになる。実際、ドラゴンなんてものに会うことだってあったしな……」

 心底疲れたような様子で、ルカはため息とともに言った。それを聞いてマクレガーは、

「そう言えば、セインシアでの事件の報告書にそうありましたね……本当に、ドラゴンなんていたんですか? あれこそ御伽噺の代表格みたいなもんだし」

 疑わしいとでも言いたげな感じで、いぶかしんでいる。

「……本当に、御伽噺だけの存在であってほしいもんだわ。もう二度と会いたくねえ……」

 そう苦々し気にルカはうめいた。

 あの強大な力を――ドラゴンと言うものをルカは鮮明に思い出せる。自らを竜と名乗ったあの男の、片鱗の力をルカは身をもって味わったのだから。

「まあ、ドラゴンは確かにレアだが……妖精族くらいならみたことあるんじゃねえのか?」

 そのルカの問いに、マクレガーは肩をすくめる。

「……それだって本当に居るのか疑わしいんですが。羽が生えてて、鼠くらいの大きさの人型の生物ですよね?」

「細かく言えばそれは妖精たちの種類の一つに過ぎないが……まあ、彼らは好き嫌いも激しいからな、好まない相手の目の前には姿を現さないし、下手すりゃ何かしら嫌がらせをしてくる奴もいる。いきなり訳わからんところから何かが落ちてくる、とか、そういう事があれば、大抵は彼らの仕業だ」

 ルカの言葉に、マクレガーは何か思い出したような表情をして、いきなり目を白黒させいていた。

「僕の頭上に、よく鉢植えとか、壺が寝ている時に落ちてくるのって……」

「……お前、彼らに何かしたんじゃないのか? 行動を改めた方が身のためかもな。まあ……彼らの場合は、人間とは違う思考回路で動いているみたいだし、単純に「なんか気に食わないから」って理由でやる場合もあるみたいだが」

「そんな理由で殺されかけるなんて理不尽ですよおっ! 本当に嫌な奴らですね!」

 悲鳴じみたマクレガーの怒声に、ルカは悪戯っぽく笑って見せると、

「言っておくが、彼らの中には姿隠しが非常に上手い種類の奴らもいる。いつでも監視されてるって思っておいて、損はないと思うぞ。今の発言も聞かれてるかもな?」

 マクレガーの表情が恐怖の色に染まっていくのを面白がるように言った。

 マクレガーは少しの間立ち止まって周りをきょろきょろ見回していたが、いい加減無駄だと諦めたらしく、怯えた表情のままではあるが、話題を戻そうとしているのか、慌てて口を開いた。

「そそ、それはともかく……あの化け物が幻種だってんですかっ?」

「そう。もしほんとに俺の家族なら、リュカオンって種類の幻種だ。外見は狼みたいな生き物で――まあ、狼にしては大分大きいけど。幼体は犬とさほど変わらないが、成長するにつれでかくなっていくんだ。非常に知性が高く、魔力も多くて姿隠しの魔術も使えるんだ。大抵は人里に現れることはない。まあ、伝説として、古代の魔術師が神に怒りを買って、変えられてしまった姿だとか言われてるな」

「……ところで、なんでルカさんはそんな生き物を飼ってるんです? 原則、幻種は保護施設での管理が義務化されているはずですが」

「……犬かと思ったんだよ。リュカオンじゃなくてな。許可だって取ってある。だって俺、権力あるし。アルカナ階位だぞ? 多少は無理が聞く」

「しょ、職権濫用……」

「うるさいな……それにあいつは気が優しいし、人間を襲ったりしない。リュカオンは賢い生き物だって言っただろ? ちゃんと教えてやれば、理解するんだ。その証拠に、お前だって無事じゃないか」

「……直接的に襲ったりとかはないですね。どちらかというと、尻尾をぶんぶん振り回して――それはもう、強風を起こすようなレベルでしたけど――建物の外壁が吹き飛んだくらいの」

 恨めし気な声で、マクレガー。

「外壁がなんだ。――命があれば、人は生きていけるんだ」

 目を明後日の方向に向けながら、ルカはそう吐いた。そんなルカに、マクレガーは訝し気に目をすがめる。

「いい事言ってる風に言っていますけど、当たり前じゃないですか……とゆーか、あんたが飼ってるんなら、ちゃんと弁償してくださいね」

「うっ……そーやってすぐ弁償だなんだと金の話題をちらつかせるなんて、卑怯だぞ……」

「いや、家族って言ったのはあんたでしょ。あんたの家族が責任取れないなら、あんたがとるのは当たり前じゃないですかっ」

 辛辣な事実をつきつけられ、ルカは肩を落としながら先を急いだ。


 魔術学校の生徒が授業で戦闘訓練をする、開けた場所だったが――今は人一人いない。支部の魔術師が避難させたらしい。

 いるのは、白い毛並みの狼のような獣――狼と呼ぶには、かなりの大きさである――建物よりも少し小さいくらいの生き物だった。

 その生き物を視認した瞬間、ルカは顔をほころばせた。

「クー!」

 ルカが声をかけると、クーと呼ばれたそれが、勢いよく身を翻した――身を翻したことにより風が起き、砂が舞い、マクレガーはつい目を瞑っていたが、ルカは気にする事もなく、クーの方へ駆けて行く。

「元気だったか? ケガとかは……してないみたいだな、良かった」

 クーはそれを聞いているのかいないのか定かではないが、どこか嬉しげな様子で身をかがめ、撫でろと言わんばかりに頭をルカの身体にすり寄せている。

「お前、またでかくなったな? 本当に、あの頃は普通の子犬だったのにさあ。リュカオンなんて思わなかったよ、母さんだって兄さんだってわかんなかったんだ」

 言いつつ、ルカは両腕でわしゃわしゃと、ルカの全身ほどあるクーの頭を撫でてやる。クーは目を細め、喜んでいるような表情を浮かべていた。

「街中には入ってきちゃダメだって言っただろ、お前のこと、ちゃんとわかってない奴だって多いんだから。みんなヘレンおばさんとアトスおじさんみたいなひとばっかじゃないんだよ。攻撃されたらどうするんだ」

 説教でもするような口調で言うが、ルカの口元は緩んでいる――その表情は、どこか幼さすら感じさせるようなものだ。

「え……えっと、ルカさんはその化け――彼の言っていることが分かるんですか?」

 マクレガーが唐突に声を上げた瞬間、ルカは我に返った様子で、少し慌てたような表情をした後、咳ばらいを一つ。

「言葉は俺には分からないけど、きっと、クーは賢いから俺の言ってることがわかるからいいんだ。それに言葉は分からなくたって、なんとなく気持ちはわかるしな」

「そういうもんですか……」

「俺とクーは小さいころから一緒だったから。家族なんだ。少しの間、離れ離れになってたけど……」

 独り言のように呟きながら、ルカはついクーに抱き着いて、長い毛に顔をうずめる。

(お前が無事で、俺がどんなに救われたか……)

 包まれるぬくもりにルカは安堵しつつ、セインシアで間接的に再会することとなった兄の姿を思い出した。

(俺とクーがまた再会できたように、兄さんとだってまた会えるはずだ。あの人が、そう言ってたから……ほかならぬ、あの人がだ……)


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