独善の愛と未熟な正義の行方 -カーバンクル奪還編ー
プロローグ
彼は澄み切った星空の下で、寝転がるのがとても好きだった。暗闇を照らす、ほのかな瞬きが小さな希望の様に思えて、彼を支えてくれる「あの子たち」のように思えて――愛おしく感じるのだ。
愛おしいその明かりを守るためならば、どんなことだって彼にはできた。
真っ白だったはずの壁や高級家具には派手に血が飛びちり、人間だったモノのパーツが、窓から差し込んだ星明りに不気味に照らされている。
血なのか絨毯の色なのかこの薄暗さではわからないが、彼は赤い絨毯を踏みしめた。
目に硝子の破片が突き刺さっている生首、ありえない方向に曲がった腕。
彼の手によってそうされた元人間だったモノたちが、そこら中に散らばっていた。
いわゆる惨状であったが、別段、そんなもので心動かされる彼でもない。邪魔そうに女の生首を蹴り飛ばすと、彼は唯一自分以外の生きた人間に目を向けた。
「ま――待ってくれ! お、おお、お、前は一体、何が目的で、こんなっ」
目の前で喚き散らしているのは、この屋敷の主人―――サルジュ・マッキントッシュという黒い噂の絶えない丸々と太った豪商の男なのだが、彼は一度だけ仕事の都合でサルジュの屋敷を訪れたことがあった。
サルジュの性格なのだろう、以前彼が訪れたときは神経質なまでに清掃の行き届いた屋敷で、彼が泥のついたままの靴であがろうものなら、ひどい嫌味を言って来たのを覚えている。
だが今はこのザマだ――その時自慢していた家具や床を、怯え切っているために自分の糞尿で汚しているので、彼はつい鼻で笑った。
「ぼく? あるものを狙って、強盗しに来たんだ。ぼく、盗みは本職じゃなくってさあ――それに、強盗に遭ったっていう事にしておいた方が、あなたも外聞がいいでしょう?」
「わ、私の命だけは助けてくれ! あとのものはどうでもいい! 何も話さない――頼む!」
懇願するサルジュの言葉に、彼は眉をひそめた。
「どうでもいい――それは、今、二階で泣いているお前のこどもも、どうでもいい、ってこと」
「な、なんだ! 子供が欲しいのか? そんなものくれてやる! それなら早く言え、何が目的かはしらんが、良い人売りだって紹介してやるぞ! だから――」
言いかけていたサルジュは光明が見えたとばかりに安堵しきっている――そのサルジュの右目に、彼は持っていたナイフを思い切り振り下ろした。
容赦なく突き立てられた痛みに、サルジュは悲鳴を上げ、その場にのたうち回る。その光景をひどく冷めた目で見つめつつ、彼は、
「そんなもの、だと? どうして親の癖に、こどもを守れないんだ? こどもは親にとって、かけがえのない、大切なものなんじゃないのか? なんで――」
なんで、どうして――子供の様に、疑問を繰り返す少年は、我に返って口を閉じた。
「そう――こどもを守る、そんな当たり前のことができないなら、とっとと死んでしまえ」
言いつつ、彼は予備のナイフを引き抜く。サルジュは痛みに悶えていたが、咄嗟に死が近づいているのだという事が良くわかった――彼のその言葉がただの暴言ではなく、確実な死の宣告であると。
戦いに赴いたことはない、武器を扱ったことはない――それでもサルジュには分かった。直感的に、殺されるのだとすぐに理解できた。
光を失っていない方のサルジュの左目に、その死神の姿が鮮明に見えた。
十五くらいの少年だった――青年と呼ぶには少し幼ぎみにみえる。
細身で、黒猫のような、しなやかな体躯をしていた。たれ気味な目を半月状に細め、シニカルめいた笑みを顔にはりつけている。
その灰色の眼には目の前のサルジュどころか、もはや何も写していないように見えた。だからか、今から人を殺すというのに、寸分の迷いの色もない。
「やめてくれ……殺さないで……」
サルジュの口からこぼれたのは、また救いを乞う言葉。ナイフをもてあそびつつ、彼はため息を一つ。いい加減、この醜い男の声を聞くのはもううんざりしていた。
「……早く終わらせて、帰ろう。新しい家族を連れて――」
「た、頼む、待ってくれ……」
「お前は間違えたんだ。間違えたのに、罰が無いなんておかしいじゃないか」
そんな風に呟きながら、彼はサルジュの喉を引き裂いた。
潰されたヒキガエルみたいな声を上げてから、サルジュはすぐに絶命したように思えた――生死を確認する間もなく、彼は足取り軽く階段を駆け上がっていく。
二階に駆けあがると、彼の耳に子どもの泣き声がよく聞こえてきた――といっても、声を殺して必死に見つからないように泣いている声だ。その声の主が近いのだと感じて、疲れ切っていた彼は少しだけ嬉しくなった。
迷いなく複数ある部屋からひとつ選び、ドアを開く。ぬいぐるみや真新しいおもちゃが置かれた、子供部屋らしき部屋だ――入ってすぐ、彼はにクローゼットの前へ向かっていた。
「こんばんは、はじめまして。恐がらなくていいよ。きみもぼくも、同じだ。同じ、大人に捨てられたこどもなんだ」
おもむろにクローゼットの戸を開きつつ、彼は中で縮こまっていた、なにかを抱きしめている少年に声をかけた。
サルジュにはあまり似ていない、可愛らしい顔立ちの、形容するならまさしく天の使いのような子だった――といっても、大抵の子供は彼にとっては天使じみて見えるのだが。
その子が抱きしめていたのは、ぬいぐるみではなく、毛むくじゃらの小動物だった。子供に抱かれて眠っているようだ。それを見やって、また彼は微笑む。
「きみがそれをもってたんだね。ありがとう、探す手間が省けたよ」
そう、きわめて優しい声で彼は言った。彼の灰色の瞳にあたたかな光がともる。サルジュに接していた時とはまるで別人のように。
「す、すてられた……?」
困惑気味に、その子は言った。信じられないと言ったような調子で――実際、少年は何不自由のない、裕福な生活を約束され、両親にもあらゆるものを与えられてきたのだろうということが、部屋から見て取れる。
そんな調子の少年に、彼は困ったように笑いながら、うなずく。
「そうだよ。きみのお父さん、きみのこといらないんだって。だからぼくと一緒に行こう。たくさんおいしいものも食べさせてあげるし、友達もたくさんいるよ」
そう言いながらも、彼はすでにその子を抱き上げようとしていた。とっさに拒絶の悲鳴を上げようとした少年の視界に、血にまみれた彼の手が入った。
「ごめんね、よごれてて……」
それはまた柔らかい声ではあったが、少年はぞっとし、黙り込んだ。状況の理解はできなかったが、本能的に危険を感じたのだ。
「沢山泣いていいよ――きっと、涙が止まる頃にはきっと楽しいことがたくさん待ってる。ぼくが、そうしてみせる――そうじゃないと、だめなんだ」
そんなふうに呟きながら、薄汚い屋敷から新しい家族を連れ出し、彼は夜の街に溶けて行った。
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