7-5
膠着状態に陥っていたジェラルドとサーストンだったが、ロイの異変を忌々し気に見つめていたサーストンが沈黙を破る。
「驚きだよ……魔術のくせに、私の支配下から逃れるとは……心でも持ったというところかい?」
忌々し気に、サーストンは言った。ジェラルドも一瞬、拍子抜けしたような顔をしていたが――すぐに冷静になる。
「……本人ができないことは、術式でつくった偽物にだってできないんだよ。それだけだ。あれは心を持たない。命ですらない」
自分に言い聞かせるように、ジェラルドは言った――この術式を手放すのが惜しかったなどと言う愚かな思考が一瞬浮かんで、それを打ち消すために。
「なら、より強力に支配すれば――」
「支配するならするといいよ。僕もコントロールできるようにそうしたわけだし」
言いかけるサーストンにかぶせる形で、ジェラルドは続ける。
「まあ、それは――君が魔術を使えている間だけだけどね」
そうジェラルドが言った瞬間、サーストンは悪寒がして肩越しに振り向いた――その先には、悪戯っ子のような不敵な笑みを浮かべたエイヴリルが、瓦礫の一部を持っている。
「盲点だったわね! ルカの頼れてカワイイ仲間がまだいたのよ、最低教師!」
がぎぃっ、という鈍い音がして、サーストンは激痛とともに目の前が白く光った――意識が遠のいていくとともに、床に崩れ落ちる。
「囮がルカとダウズウェル先生で、あたしが奇襲で敵を倒す! あたしたちの完璧な計画、成功ね!」
満面の笑みで、エイヴリルは言いながら、ジェラルドの背中を叩いた。大して、ジェラルドは疲れ切った顔で大きなため息をひとつ。
「いや、完璧ってゆーか、君が勝手に飛び出して彼を殴ったんでしょ……。ていうか、瓦礫なんかで殴ったら死んじゃうでしょ。ダメだよ」
「だって、丁度いい武器が無くて……」
半目で非難してくるジェラルドに対して、口を尖らせ、拗ねたように、エイヴリル。
「……連れてきて、正解だったな……」
不服そうにわめき続けるエイヴリルの方に、ルカは苦笑しながら、よろよろと近づいてきた。
「でしょ!? やっぱルカはわかってるわね」
「……ジェラルド、もうあの人は……支配されることはないんだな?」
まとわりついて来るエイヴリルを適当にあしらうと、ルカは深刻そうな顔でジェラルドに尋ねた。
少し離れた場所で、困惑した様子のロイの偽物が、ルカたちの方を様子を窺うように見ている。
「そうだね。術者が干渉できない状態にあるし、大丈夫だと思うよ」
「そうか……良かった」
ひどく安心しきった顔のルカを見て、ジェラルドは複雑そうな表情をした。
「? なんだよ、ジェラルド」
ジェラルドの表情の真意が見えなかったらしいルカが、不思議そうな声を上げた。
「いや……」
ジェラルドが続く言葉を言うのをためらい、視線を彷徨わせた――そのとき、ずる、と引きずるような音が足元に響く――
「……我らの希望よ」
頭からの出血を苦し気にせきとめながら、サーストンがエイヴリルの足元で呟いた。
途端、ドラゴンの入った培養槽から一気に液体が抜けた――培養槽が振動し、それと連動する様に激しい揺れが起きる。
「な――何なの!?」
困惑したエイヴリルが、そう声を上げる。唐突に起きた激しい揺れに彼女は立っているのがやっとだった。
「不完全な状態で、ドラゴンを起こす気か……!」
気づいたように言ったジェラルドは、足元でぜえぜえと息をしているサーストンを睨み据えた。
「……まあ街ひとつ壊すくらいはできるだろう……」
諦めたように――悔し気に、サーストンはうめいた。
丸まっていたドラゴンは培養槽の中で窮屈そうにし、暴れはじめた――硝子は非常に分厚い丈夫そうなものであったが、竜に人間ごときが作った代物を壊せぬはずがない。
ばきばきと音を立て、硝子に亀裂が入る――崩壊するのは、時間の問題だ。
「不完全なアレは偽物ですらない――支配もできず、魔力がなくなるまで、暴走し続けるだけだ……!」
ジェラルドが言いながら、床に瓦礫の一部で描くように術式を削りはじめた。
「せ、先生、ルカ! 早く逃げなきゃ!」
声を上げるエイヴリル。瞬間――がしゃあああんっ!派手な破砕音が響き、ついにドラゴンが培養槽の硝子を破壊した。
「№0067――!」
破片が飛び散るとほぼ同時にジェラルドが唱えた瞬間、倒れたサーストンも含めたルカたち四人に降り注ぐ瓦礫やガラスの破片が術式によって操作された気流によって吹き飛ばされた。
「しばらくは僕の作った術式で持つけど、それでも時間稼ぎにしかならないよ、ルカ!」
ジェラルドの声を聴きつつ、ルカは培養槽から外に出たドラゴンの姿を見て絶句した。
ドラゴンの皮膚が培養槽から出た途端にどろどろと溶けだし、名状しがたいものになっていたのだ。
ドラゴンは――もはやドラゴンかどうかもよく分からないそれの溶けだした皮膚が壁や床に触れると、触れた箇所が蒸発したように溶けている。身体が溶け出して痛みに苦しんでいるらしいドラゴンは激しく暴れはじめ、部屋中がより一層崩れていく。
(何をしてるんだ、あの人は――! くそ、重力魔術で引き寄せるには危険すぎる……)
「ルカ!」
崩壊の中でいまだに呆然と立ち尽くしている兄の姿を見て、エイヴリルの制止を振り切り、ルカはジェラルドの術式からほぼ脊髄反射的に飛び出して行った。
瓦礫と破片を振り払う。容赦なく襲ってくる瓦礫や破片はルカの身体を傷つけていくが、ルカはかまわず立ち尽くしている彼のもとに駆け寄った。そうして彼の腕を引っ掴んで、
「西風の英雄の盾よ!」
そう慌て気味に叫んだ。上空に発生した魔術による竜巻が、瓦礫も破片もまとめて巻き込んでゆく。
「どうして……」
兄によく似た声で、彼はルカに尋ねた。
「俺が誰よりも生きて欲しいと願う人と同じ姿で、死のうとするな! あの人の生を、否定するな――ほかならぬ、あなたが否定するな! 俺はそれが、許せないんだっ!」
ルカは視線も合わせずに、そう声を上げた。離すまいとまた握る力を強める。
ルカのその言葉を聞きながら、彼は風に掻き消えるような小さな声で、ごめん、とつぶやいた。
「はー……死ぬかと思った……」
術式に駆けこんですぐルカはどっと疲れが出たように、倒れ込んだ。傍らには、そんなルカを、悪戯でもした弟を見るような、困ったような表情を浮かべたロイとそっくりな顔をした彼が立ち尽くしている。
「~~~~何やってんだよルカ! 自殺行為だぞ!」
頭を掻きむしりつつ、怒声を上げるジェラルドに対してルカは何も返せなかった。事実、避けてはいたものの、ルカの身体には破片や瓦礫によっていくつかの裂傷ができたりしてしまっていたのだ。痛みに顔を歪めつつ、ルカは顔を青ざめさせた兄と同じ姿をした彼に視線をやる。
「この人を、放っておけるわけがないだろうが……」
論理的な理屈はなかった。ただ衝動で突き動かされたルカは、そううめくしかなかった。
「こ、これからどうするの……」
不安げに、エイヴリル。苦々しい顔をしながらジェラルドが、
「あれは魔力が尽きるまでは暴走を続ける――逆に言えば、魔力が尽きればそれであれは終わりだ。魔力が尽きるまで放置すれば、セインシアは壊滅するだろうね……でも、セインシアを犠牲にすれば被害は広がらない」
そう、考えうるひとつの策を提示した。残酷な方法ではあったが、それが一番ましだとジェラルドには思えた。
「そんなのって……!」
エイヴリルが声を上げるのを、激しい揺れが制止した。
ドラゴンは暴走し続けている。建物は崩壊を続け、術式によって守られているルカたちは無事ではあるが、やがて教会自体が全壊するだろう。
そうなれば、次は街への破壊が始まる。意味もなく暴れ続けているそれに、停止するという選択ははなから存在しない。
「もうひとつあるだろ、俺の魔術が。あの時と同じだ。ドラゴンか集落か、その違いだけだっつーの」
ルカは疲弊しきった体に鞭を打ち、よろよろと立ち上がった。ジェラルドの術式の陣から出て行こうと、ドラゴンの方向へ足を向ける。
「ルカ、制御できなかったら、それこそ君がセインシアを消滅させる可能性だってあるんだよ! それに、あの魔術は、君の――」
ジェラルドが焦ったように言いかけると、それまで沈黙をきめこんでいたロイがルカに掴みかかった。
「……だ、だめだ、きみ、よく分からないけど、何か無茶をする気だろう!」
そう言いながらルカの腕を掴んだ――無理やり振りほどこうとするが、ルカの腕を掴んだ彼はびくともしない。
「僕……俺はべつに無茶なんかしない。そんなに弱くない。舐めるな」
「嘘をつくな! きっときみは、何か今から辛いことを――逃げ出してしまいたいほどの事を、するんじゃないのか……!」
(いつもそうだ――どうしてあなたは、俺の嘘がわかるんだ……そうだ、俺は臆病者だ。いつだって、どこまでも、臆病者なんだ。この瞬間だって逃げ出してしまいたい。あなたを連れて、この場から立ち去ってしまいたい。すべてを捨てて)
ルカは泣きそうになって、ひどく心配そうな兄の顔から目をそむけた――立ち向かう決意が掻き消える――また兄の為だと理由をつけて、自分が逃げるような気がしたのだ。
「偽物の癖に、何のつもりだ――鬱陶しいんだよ! 俺の兄さんでもないくせに!」
ルカの罵声に、ショックを受けたらしい彼はつい怯んで力を緩めた。その隙に掴まれた腕を振りほどく。
(ごめん。でも、だめなんだ。そうしないと、俺はまた逃げる)
心の中でそうつぶやきつつ、ルカはぷつりと、何かが切れるような音がした気がした。
あの時、兄が目の前からいなくなった時も、同じような音を聞いた覚えがルカにはあった。
「ジェラルド、頼んだぜ」
ルカがそう言うのに、ジェラルドは不機嫌そうな顔をする。
「……何も頼まれる気はない」
恨み節の様なジェラルドの声だったが、その一言は「帰ってこい」という単純な意味だったことが、ルカには理解できた。
「る――ルカ、大丈夫よね……? 何、何で先生も、この子も、そんな顔してるの……?」
泣きそうな表情で、エイヴリルが尋ねてきた。困り切ったルカは、少し考えてから、
「お前、俺が負ける未来が想像できるか?」
そう言って見せた。すると、エイヴリルは真面目腐った顔をして、ぶんぶんとかぶりを振って否定した。
「そーいうことだ」
そう言うと、ルカはエイヴリルの頭をぐしゃぐしゃ撫でてやってから、背を向け歩き出す。
「ルカ……!」
悲痛そうなロイの声がしたが、ルカは振り向かなかった。立ち止まってしまいそうにもなったが、何とか重い一歩を踏み出す。
(もう一度会えて良かった。本当に、それだけでも、奇跡みたいなもんなんだ……)
ルカはその奇跡をかみしめ、恐怖に立ち向かう事にした。
ドラゴンは未だ破壊の限りを続けている。理性などまるでないそれに、ルカは頭を抱えたくなった。
(俺の魔術で破壊できるとは言え、ドワーフの技術は流石だな。もしそうじゃなかったら、持たなかっただろう……全く、あの蜥蜴野郎……もう死んでるかもしれねえが、アイツのせいだ……)
ぶつくさ胸の内で呟きつつ、ルカは飛んで来る瓦礫を避ける。ドラゴンから一定距離を取ると、そちらの方に向かってばっと両手を向けた。
「我が呼び声に答えよ、災禍のピトスよ――!」
そうルカが唱えた瞬間、体中に電撃が走るような感覚がした――続いて、全身を苦痛が駆け巡る。体の内側から無理やり何かが突き破って出てくるような、名状しがたい痛みがルカの全身を襲った。
(だから使いたくないんだ――ああ、くそ――痛い、痛くて痛くてしょうがない――!)
胸の内で悲鳴を上げている間も、痛みは続く。そうしていると、黒い光の奔流がルカの手からあふれ、ドラゴンに飛んでいった――光にぶち当たったドラゴンは液体になった皮膚を飛ばしながら、苦し気に咆哮を上げるが、暴走が止まることはない。
「黒き、光は――純然たる破壊。黒き手は、再び世界の帷を下すもの――っ!」
脂汗をかきつつ、ルカは詠唱を続ける。黒い光に当たってルカに降り注ぐ瓦礫や液体は消滅していく。だが、骨がきしみ、肉が無理やりはがされ、生きたまま炎の中にでも放り込まれる様な様な痛みと熱さに、ルカは瓦礫に当たって死んだ方が、ドラゴンに押しつぶされて殺された方がマシだとすら思えた。
ルカ自身、この魔術が――目の前でドラゴンを襲う黒い光を何故扱えるのかがよく分からなかった。ただ脳の片隅に、いつもこの不気味な黒い光があった。それを発現させる詠唱を、ルカは知っていた。
(唯一理解できるのが、あれが……破壊だということだけだ)
形の無いはずの破壊という概念が、ルカにははっきりと、黒い光が破壊であると、ルカは認識していた――それでも、それだけなのだが。
(よくわからない、けど、使えるなら、使うしかない……)
体を蝕む痛みを無視し、ルカは続く詠唱を紡ぐ――
「無知、――……――ぐあ¨っ――!」
激痛――魔術によるものではない。ドラゴンの液体がルカの腕にかかり、片腕の皮膚と肉が溶けたのだ。肉は抉れたようになり、ピンクの筋繊維がむきだしになっている。
(これくらい、なんともない! 俺はもう逃げないんだ! 俺は強くなったんだ!)
そう奮い立たせながら、崩れ落ちそうになる身体を支えようとするが、あらゆる激痛に体の方がついてこない――肉体と精神を切り離せたなら、どれだけ良いだろうとルカは悔しんだ。
からからになった口で、ルカが必死に続く詠唱を紡ごうとする、その時だ。
(――?)
突然ぴたり、とドラゴンの動きが止まった。停止するはずがない暴力の塊が、何かの意志を持ったかのように、動きを止めた。
明らかな違和感に、ルカは胸をざわつかせた。何かが起きる――そう言う気がしてならない――
溶けた体を引きずり、周りの物を破壊しながら、ドラゴンはルカの方へ方向を変える。ドラゴンの瞳がルカをとらえる――溶けかかった瞼からでも、鋭い眼光が光ったように、ルカには思えた。
「―――!?」
空間がざわめいたのがルカには分かった――目に見えない何かに押しつぶされるような感覚――ルカは、これを知っている。
「ドラゴンの、魔法――」
半笑いになって、ルカは呟いた。リンドから食らったあの魔術の恐怖が、蘇ってくる――否。それと比にならないほどのものだろうと、あの時の感覚と比較して、ルカは直感した。
ドラゴンが耳をつんざくような咆哮を上げると、空間を切り裂くように、巨大な幾何学模様の円環が現れる。
(魔術が――崩壊する――!)
ドラゴンの魔法が発動しようと、なんだろうと、ルカの身体を蝕む痛みが消え去ることはない。激痛に意識が薄れる。同時に、黒い光の奔流が薄くなって、魔術が崩壊していくことをルカは自覚した。
魔術を止めればドラゴンは殺せない――それは同時に、ルカの死が近づいていることも意味していた。
(どうして……俺は、肝心なときに……なにも、できなくなるんだ……)
薄れる意識の中、ルカは膨大な魔力の爆発を感じ、あの時とは比にならないほどの爆炎が、視界に入った――
「総て防げ、七の要塞!」
声が響いて、襲い来る爆炎が魔術の障壁によって隔てられた。崩れ落ちそうになった体を支えられる――その人物を視認して、ルカはひどく狼狽えた。
「あ……あんた……なんで……」
そこには柔らかく笑う、兄の笑顔があった。寸分と変わらない、その笑顔を、今は――ルカは見たくはなかった。
「何してるんだ――さっさと戻れ!」
想定外の出来事に、意識ははっきりしたものの、ルカは怒声を上げた。
それに対して、彼は眉をひそめ、
「きみこそ何してるんだ! こんな相手に一人で戦おうとするなんて、どうかしてるぞ!」
そう指摘して見せた。するとルカは顔を引きつらせ、言葉を詰まらせた。兄の顔と声で、正論じみたことを言うもんだから、調子が狂ってしまう。
「あ――あんたは、兄さんじゃないんだ……説教なんてたれて、俺を庇って――兄さんのふりをするのは、やめろ……! 不愉快だ!」
動揺しきって、ルカは突き放すように言った。一瞬、その言葉に傷ついたような表情をロイは見せる。偽物だと分かっていても、ルカには堪えた。
「偽物の癖に! とっとと俺の前から失せろ!」
ルカがまた怒声を上げる。爆炎がまた火力を増して、障壁にぶち当たる。罵声を浴びせられても、苦しそうに彼は障壁を支え続け、ルカを守り続けている。
「わかってる――でも、きみを守らなきゃ、俺は俺じゃないんだ――だから、今だけは――俺を信じて」
泣きそうな顔で、彼は言った。本物の選びそうな行動からずれることはできない――記憶をたどる偽物らしい答えだと思った――それでも、ルカはこれ以上突き放すことができる気がしなかった。
「――ドラゴンを前に、おしゃべりをしている場合か、ルカ! きみのことは俺が守るから――絶対に――だからっ!」
鋭い声で言われて、ルカははっとした――ドラゴンの方へ向き直り、また両手を突き出す。
(……この人には、やっぱり敵う気がしない)
あの頃と変わらない頼もしい背中が、今自分の前にある――ルカにはそれだけで、十分だった。
「無知なるものに罰を――」
意を決して、続きの詠唱を唱える。ルカに想像を絶する痛みが襲い掛かる――それでも、自分を守ってくれる大きな存在がいる。それだけでもう折れる気はしなかった。
黒い光の奔流が、ドラゴンの身体を包み込む。爆炎も、巨大な円環もすべて飲み込でゆく。その場にあるものすべて滅ぼそうと――消し去ろうと。
(体が――)
ルカは体が崩壊する感覚に襲われた。ぼろぼろと、指先から崩れていくような感覚――目の前のドラゴンだけでなく、自分すらも消し去ってしまいそうな、そんな恐怖にさいなまれた。
「大丈夫――大丈夫だから――俺がいる。……兄ちゃんが、そばに、いるから」
うしろから抱え込むようにして、ロイは震えるルカの手に、そっと手を添えてくれた。
不思議と気力がわいてくるような力が、その声にはあるような気がした。
足を踏み込んで、ルカは痛みと恐怖をこらえ、絶望に立ち向かう。
「我が手が写すは世界の――終焉!」
ルカが最後の詠唱を叫び、黒い光が輝きを増す。視界の先を、空間全体を光が包み込む。
悲鳴じみたドラゴンの咆哮をも消し去ったあたりで、ルカの意識も途切れて行った――。
「……う……」
体の痛みに、ルカはようやく目を覚ました。包まれる温かさに、そのまま眠ってしまいそうになったが、先ほどの出来事が蘇ってきて、ばっと身を起こし、立ち上がった。
「い……生きてる……。――ドラゴンはっ!?」
周りをきょろきょろと見渡し、ルカは状況を確認する。地下聖堂はほぼ破壊しつくされ、天井もぶち抜かれ、上階の旧教会――娼館もほぼ全壊状態だ。
――それでもドラゴンは、いない。
「お……俺……倒した、のか……ドラゴンを……」
信じられないという風にルカは言って、脱力し、床にへたりこむ。疲れからか、ドラゴンを倒したという事実が受け入れられないのか――現実かどうかすら、ルカにはあいまいだった。
「……そうだよ。えらいぞ、ルカ。さすがだな」
優しい声が、上から降ってきた。笑顔のロイが、ルカの頭を撫でた。いつぶりかはわからない。その手の温かさに、胸がきしんだ――ずっと見たかったその笑顔が、今のルカには霞んで見えた。
「俺……怖くて、死ぬかと思ってっ……俺は、ほんとは、逃げたくて……でもっ……」
伝えたいことが沢山あるのに、上手く言葉にできない――もどかしさに、ルカは唇を噛んだ。それでも懸命に、伝えようと口を開く。
「俺は……」
ルカが何か紡ごうとした瞬間、ふいに引き寄せられた。大した力ではなかった。振りほどけるような力だったが、抵抗することもなく、ルカはそのままロイの腕の中におさまった。
「怖かったな、がんばったな」
きわめて柔らかい声で、ロイはそうこぼした。
「う……うぅう……うああああっ――!」
その言葉に、必死に耐えていたルカの感情はついに瓦解した――胸に頭を擦り付け、声を上げて子供の様に泣いた。
ロイの胸からは鼓動の音が聞こえなかった。彼が人間でない事、本物の兄ではない事を示していたが、ルカにはもうそんなことはどうだって良かった。
(俺はずっと、あなたにそうやって――がんばったなと、言って欲しかったんだ。称号だとか、名声だとか、力だとか、そんなものより、ただ、それだけでよかったんだ、それだけで俺は、満たされるんだ――)
ルカはぬくもりに縋って、泣き続ける。正確に言えば、血の通っていない彼に、体温はなかった。恐らくはルカの体温が移ったせいだろうが、あの頃と寸分もたがわないような、陽だまりのようなぬくもりに、ただルカは包まれていたかった。
「兄さ――!」
またあの笑顔が見たくて、ロイの方に目を向けた途端、ルカは表情を凍り付かせた。
ルカは自身の目を疑った――ロイの頬に、陶器か何かの様に亀裂が入っていたのだ。それを察したらしいロイは困ったように笑い、頬に入った亀裂を撫でた。
「まあ、俺はそもそも魔術だからな。さっきので魔力も使い果たしちゃったんだ。仕方ないな」
「兄さん、そんな、俺のせいでっ……」
「きみのせいなんかじゃない。俺がそれを選んだんだ。……本当に、きみは優しい子だな、偽物の俺を、何度も兄と呼んでくれるんだから……」
離れまいと、ルカが縋るようにすると、応えるようにロイは背中に回す腕の力を強めてくれた。
「……本当に、羨ましい。俺が本物だったらよかったのに」
ロイの呟いたその声には、やるせなさがにじんでいた。ルカは、それに返す言葉を持ち合わせておらず、嗚咽を漏らしながら、黙り込むしかなかった。
「きみを苦しめることになったかもしれないけど――俺はきみに会えて、きみが兄と呼んでくれて、俺は幸せだ」
ロイはまたルカの涙を指で拭った。また頰の亀裂が広がる。そのたびにルカの心臓も割れるような錯覚を覚えた。
「でも、一緒に……まだ、一緒にっ……」
子供じみたようなことを言うルカに、ロイはあやしてやるように背中を軽くたたく。
「大丈夫、また必ず会えるさ。ほかならぬ俺が言うんだ、自分の事は、一番よくわかってる。大事なルカを置いて、死んだりどこか遠くに行ったりするもんか」
穏やかな、それでも力強い声でロイは言い切った。
ロイから感じられていた魔力が、すっかり薄くなっているようにルカには感じられた――そうでなくとも、なんとなく別れの時が近いことを、ルカは直感した。
「……俺は、あなたに守ってもらえたこの命を手放したくなかったから、生きていられたんだ。そして、あなたに会えたから……俺は、まだ生きていられる。他でもない、あなたが――また会えると言ってくれたから」
嗚咽をこらえて、ルカはまっすぐに、ロイを見つめてそう言った。
それを聞いて、ロイは驚いた顔をしてから、泣きそうな、嬉しそうな――きわめて幸せそうな表情を浮かべた。
「……そっか……俺は、きみを守れていたんだな。……そして、これからも――きみを、守れるんだ……本当に、生まれてきて、良かった」
噛みしめるように、ロイは言いながら、またいつもの柔らかい笑顔を浮かべる。
「ありがとう、ルカ――」
ロイの声が聞こえなくなるのとほぼ同時に、ルカを抱きしめていたロイが、はじめから存在しなかったかのように掻き消えた。
かすかに残ったぬくもりに縋るように――ルカは声を上げてまた泣き始めた。
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