エピローグ

 騒動から、数日――小鹿亭はあいかわらずがらんとしていた。客は数人ほどしかいないが、亭主お手製の料理の良い香りが漂っている。

「男の勲章ってヤツ?」

 パンをちぎりつつジェラルドは半笑い気味に、前に座るルカの姿を見やって言った。

 溶けて抉れた腕をはじめ、体中の傷に手当てが施され、極めつけに頰に目立つような布を当てられている。

「うるせえ。マサチカの奴、わざわざ目立つよーに手当てしやがって……」

 言ってから、ルカは頬の布をひっぺがし、不機嫌そうな顔をした。

 結局のところ――昨日までの騒動はすべて「オーエンが主導した、ギンズバーグファミリーの内部抗争」ということで、大まかには片付けられた。

 地下聖堂にあった物はほぼルカの魔術によってドラゴンもろとも消滅、旧教会はほぼ全壊させられたことで、魔術師とギンズバーグファミリーの癒着を示す物証は残らず、証人となりえるオーエンたち側の構成員もほぼ全員死亡――生き残った者もいたが、薬物による精神異常を理由に証言は一切信用されなかった。心の盗人による薬物汚染の魔術師との関連に関しては、「巻き込まれた被害者」であるアイヴァン・ギンズバーグの「オーエンたちが力の弱い魔術師を誘拐し、薬物を精製させ続けた挙句、用済みになって殺害された」という証言と、数人の――アイヴァン達の工作によって魔術師のように見立てた黒いローブを纏った、顔の判別もつかない死体が発見されたことから、やはりオーエン主導の犯行だったと結論付けられた。

「アイヴァンが優秀で助かったわ……味方につけといてよかったぜ。とはいっても、ギンズバーグファミリーの解体は免れなかったようだけど……」

 死人に口なし、とオーエンにほとんどの罪を着せたギンズバーグファミリーだったが、大きな騒動となったために新教会通りの住人達からマフィアが街の一部とはいえ、仕切っていることに不満の声が上がり、追い詰められた結果、ボスであるアイヴァンがギンズバーグファミリーの解体を宣言したのだ。

 ギンズバーグファミリーが解体したことにより秩序のなくなった旧教会通りは一時は混沌をきわめたが、やがてアイヴァンを中心に各々が健やかに暮らせるようなルールを作り、街を再建させはじめた。

 今回の件でより溝が深まってしまった旧教会通りと新教会通りの雪解けはけして容易なことではないが、なんとなくルカには、いつかそんな日が来るようにも思えた。

「良かったのかな、ギンズバーグファミリーを解体しちゃったりしてさ」

「さあな。でも、あいつがそう選んだっていう事は、ギンズバーグファミリーがなくたって、セインシアはもう大丈夫だって事じゃねえの」

 憑き物が落ちたような表情をしていたアイヴァンを見かけたのを思い出しつつ、ルカはかすかに笑った。

「まあそれよりも、かわいそーなのは君だよね。街の救世主なのにさ。旧教会だったからまだよかったものの、必要以上の破壊行為から君はセインシアを出禁。そして四か月の減給。せめてドラゴンの死体でも残っていたらねえ。僕が証言したところで誰も信用してくれないだろうし」

「……うるせえよ」

 皮肉気に言うジェラルドに、拗ねたような声で、ルカは言った。

 セインシアを狙ったテロ計画だけは露呈し、首謀者であり、唯一の生き残りであるサーストンは魔術連盟に身柄を確保された。教会側からの反発の声を抑えるためにも、尋問してから喉を潰したサーストンを教会に引き渡す――教会に引き渡されたサーストンの処遇は、まあ八つ裂きにされるか、四肢を切断されて、しばらく放置されるかそのあたりだろうとルカは思った。

 しかし、テロ計画を阻止したとはいっても、地下聖堂で行われていた研究はもちろん、ドラゴンがいたという証拠も残っていなかったことから、一連のルカの戦闘行為は「過剰」なものだと魔術連盟からの判断が下り、ペナルティを受ける羽目になったのである。

「お前だって絶対連盟本部に捕まるぞ。逃げたら今度こそ処刑だ。流石にお前を殺せなんて命令が出たら寝覚めが悪い」

「ま、今回はおとなしく捕まっとくよ……」

 憂鬱そうに、ジェラルドは頬杖を突きながらため息をついた。

「で……ジェラルド、一体どういう事なんだよ。あの……地下聖堂の、術式は……」

 尋ねつつ、ルカは視線を遠くへやった。意味もなく、外の景色を見つめる。そうしていないと、あの時の記憶が鮮明に思い出されて、まともにしゃべれなくなる気がしたからだ。

「……常雨の森を知ってるかい、ルカ」

「ああ、知ってる。マナか妖精の関係で年中雨が降りしきってる場所だろ、それがなんだ」

 意識しないように、ルカは軽く答える。

「大昔、竜が空に戻る前のことだ。常雨の森の環境を気に入っていた一匹の竜が住んでいたそうでね。その竜は――」

「御伽噺はいい。実態だけ話せ」

 辛辣なルカの一言に、ジェラルドは頭を掻いて、

「信じがたいことだけれど、常雨の沼に含まれていた何かしらの成分と、雷電が擬似的な魔術を引き起こし、どういうことか、雷によって死亡し、沼に落下した男の死体とうり二つの人間らしきものが沼から這いずり出てきたらしいんだ」

 水で口を湿らせつつ、続ける。

「僕はその常雨の森の沼に含まれた成分に酷似した培養液を創り、雷電を発生させ続ける術式を書いた水槽を用意した。僕は、他の魔力の残っていた死体で実験してから、それに、保管していた姉さんの死体を入れた」

「……な……」

 ルカは絶句した。ルカの驚愕した表情を気に留めず、ジェラルドは淡々と、事実を話し続ける。

「結果は、――成功した。けれど、失敗作だ。それには――心がない。気づいてはいたんだ。記憶をたどって、姉さんのふりをするだけの、所詮魔術だと気づいていた。姉さんの魔力が切れれば、魔術だから崩壊する。……僕は奇跡が起きるとでも、信じていたのかもしれない」

 ジェラルドは顔を俯かせ、かすれ気味の声で言った。自責じみた言い方に、ルカは聞いていられなくなった。

「もういい――」

 ルカの制止の声も聞かず、ジェラルドは続ける。

「それは、あろうことか、研究に使っていた家から僕を追い出し――あの術式をはじめ、他の研究もろとも、家に魔術で火をつけて自殺した……ここまで追い詰めてしまってごめんなんて言って……僕のしでかしたことの、責任をとったつもりなのか――」

「もういい!」

 ルカの怒声に、涙目になっていたジェラルドはやっと話を止めた。

「……お前が悔いたところで、何も帰ってこない……」

「……ごめん」

 小さく謝罪してから、鼻をすすって、少しの間ジェラルドは黙っていた――ルカはジェラルドがまた話し出すのを、静かに待った。

「ロイさんの生死は正直――分からない。魔力さえあれば、オリジナルの生死は問わないんだ。例えば……魔力が溶け込んでる血液とかでも作ろうと思えば作れる。それか、体の一部とか……だから、死んでるとは断定できない」

「……そう、か」

 ジェラルドは申し訳なさそうに、ルカに頭を垂れる。

「……ごめん、僕もどこから漏れたか、全然分からないんだ。本当に、データはあの時消失したものだと思っていたから……」

 首をさっと横に振って、ルカはかすかに笑って見せた。

「いいんだ。俺は、あの人に……本物じゃなくとも、俺を想ってくれたあの人に会えただけで、嬉しかった」

 脳裏に残る兄の声を思い出し、ルカは噛みしめるように続ける。

「お前の術式は、確かに迷惑ばかりかけるものばっかりだ。今回のだって、とんでもない被害を出した代物だった。けど――あの人にまた会わせてくれたお前の術式に、俺は感謝もしてる。……俺の身勝手にすぎないがな」

「ルカ……僕は……」

 ルカが言い終わって、ジェラルドがそれに何か返そうと口を開いた時だった。

「いらっしゃい」

 三人の、黒いローブの男たちが小鹿亭に入ってきた。声をかけた亭主を無視してルカたちのテーブルへ近寄ってくる。

 亭主は眉をひそめ、男たちを睨みつけていた。それを見て、ルカは、

「客じゃねえと思うぜ、ご主人。魔術連盟の使いだろ」

 そう教えてやる。亭主は気落ちしたように肩をすくめ、皿洗いを再開した。

 そんなやりとりを気に留めることもなく、先頭を歩いていた男がルカに向かって会釈をしつつ、書状を取り出し、

「ジェラルド・ダウズウェルさん。魔術連盟本部までご同行頂きます」

 そうジェラルドに向かって言ってきた。に対して、ジェラルドは目をすがめ、ため息を一つ。

「……流石に避けられないかあ……今回ばっかりは、教官にボコボコにされそうだなあ」

「かもな。まあ、どのみちお前相手なら尋問はあいつがやるだろうし」

「他人事だなあ……そうだ、たまにはルカも本部に顔出したらいいじゃん。リヴィとキースも会いたがってるよ」

 旧友の名前を聞いて、どこか懐かしい気持ちになったが、ひとまず本部に用事はないし、ルカは寄り付きたくない理由もあるので、首を横に振った。

「リヴィがまた機嫌悪くするよ?」

 それを聞いて、ルカは旧友の怒り狂った姿を思い出し、より一層寄り付きたくなってしまったが、それは言わずに胸にとどめておくことにする。

「……まあ、気が向いたら。またな」

「うん、またね」

 かすかに寂しげに笑ったジェラルドに軽く手を上げ、ルカは別れを告げた。

 後ろを歩いていた二人が、ジェラルドの腕を掴む。「逃げたりしないよ」とか「痛いんだけど」とか、文句を言っているのを見て、ルカは苦笑した。

「…………」

 先頭を歩いていた男が、ルカを凝視してそのまま立ち尽くしているので、

「何だよ。俺に何かまだ用事があるのか?」

 そう尋ねてみた。それに対して男は肩をすくめ、呆れたような顔をしている。

「……貴方は既にセインシアの出入りを禁じられています。今すぐに退去してください、ルカ・アッシュフィールド」

「……そいやーそうだったな、悪い。その前にご主人に挨拶だけさせてくれよ」

 苦笑しつつ、ルカは席を立つ。「手短に」と真面目そうな男は不満げな声で、ルカに言った。


「全く……魔術師って言うのは、本当に厄介な奴か、無礼な奴しかいないんだな。ちなみにお前さんは前者だ」

「嬉しくない……」

 ルカが半目になって言うのに、半分は冗談だ、と噴き出し、亭主は相変わらずの強面に笑顔を浮かべ、続ける。

「エイヴリルは他の街で、療養するんだってな。元気そうに見えたが……」

「魔術による薬物はまあまあ厄介だからな……まあ、あの調子なら治るのは時間の問題だと思うけど」

「ここを出発する前に、散々騒いでいたからな。お前についていくーって」

 亭主の言葉に、ルカは顔を青ざめさせた。騒動の後、エイヴリルと過ごした時間がふっと蘇る。

(看病と称した暴力の応酬、見舞いと称した食事と言う名の甘味拷問……)

 思い出されるのもはばかれるルカを襲った悲劇の数々に、眩暈がした。精神に異常をきたしそうだと判断し、かぶりを振ってそれを脳の片隅に追いやった。

 ふと魔術連盟の使いの男の方へ目を向けると、かなり苛立っている様子で、ルカに文句を言いに来るつもりなのか、こちらに近寄ってきている。

「じゃあ、俺はそろそろ行く。ありがとな、ご主人。世話になったぜ」

 慌てたルカはそう言って、心ばかりのチップをカウンターに置いた。

「待て! そうだ、言い忘れそうになったことがある。大けがしたお前をここに連れてきた奴の事なんだがな」

 使いの男は何か言いたげに亭主に視線をやったが、その亭主に睨まれつい身をすくませていた。

 非魔術師に委縮する魔術師と言うのは、問題ではないかとルカは一瞬思ったが、口には出さないでおく――自分もそうだったことを思い出したから。

「あ、ああ……そういえば、誰だったんだ?」

 若干面食らって、ルカは尋ねた。

「お前と同じ目と、髪の色をした背の低い男だった。お前の兄だと名乗っていた……ひどく慌てた様子で、お前を医者に診せてやってくれと頼まれてな」

 亭主がそう言って、何かで殴られたような――そんな衝撃を、ルカは食らった。

(あの蜥蜴野郎が始末しきれなかった俺を殺せと命じられたと言っていた……その時、俺を発見して……それでも、殺せなくて……きっと、とっさに思いついた嘘をついたんだろう――それとも、あの人は、本当は……いや、わからない。もう考えるな、もしそうだったら、俺は……)

 胸に飛来した思いを、ルカはぐっと押しとどめる。亭主は黙り込んだルカの様子に首を傾げつつ、続ける。

「弟を置いていくつもりかと引き留めたが……必ず迎えに来ると言っていたのに、結局来なかったな……全く、どういうつもりなんだ」

 そう不服そうに亭主が声を上げた。ルカを不憫に思ってのことだろう。

「大丈夫だ、きっとまた会える。そう、あの人が言ったんだ……俺はそれを信じる」

 ルカはブローチに触れつつ、笑みを浮かべてそう言い切った。

 

 ルカは片手を上げ、小鹿亭に別れを告げた。

「また寄って行けよ」という亭主の声に、ルカは曖昧に笑うだけで返した。

 春風が吹くセインシアの街に、旧教会を再建しているらしい職人たちの威勢の良い声が響く。春の陽気に誘われ、子供たちが歌い、市場は賑やかに。

 二度と足を踏み入れることのないであろうセインシアは、以前より活気づいているように、ルカには思えた。

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