7-3

 二人は――正確には、三人はルカの魔術により、無事に地下に着地した。

 地図通りのまっすぐな通路ではあったが、上とはまるで違うようにルカには思えた。老朽化していないどころか、床や壁は少しの傷しかついておらず、真新しく見える。

 通常のものよりもかなり明るいルナドライト石製の照明が数個あるのと、ルカが破壊した床の瓦礫くらいしか見当たらない、がらんとした通路だった。

「……なんで、地下はアースガルズ帝国風の建造なんだろう? おかしくない?」

 海を越えた先にある国の建造風の壁を撫でつつ、ジェラルドは不可解そうに言った。

「帝国風って言うか、これは向こうのドワーフの技術だ――ヨトゥン山の石灰石と特殊な魔力耐性のある鉱石などが原料で――詳しくは俺もよく分からないが、石灰石を焼成したり、鉱石を砂状までに粉砕したり色々過程があるみたいだが――とにかくそれを混ぜることにより、通常の材質より遥かに強固な上、魔術による攻撃を受けても簡単には破壊できないって言う……彼らの言葉では、確か――」

「そこまでうんちく聞いてないよ。何でそんなに知って――ああ。ルカ、君、ドワーフ族の彼女いたことあったんだっけ」

 目を半目にしつつ、からかいぎみにジェラルド。そう指摘された途端、ルカは苦い顔をして、頭を掻いた。

「……別に関係ない。俺はそれ以前から、彼らとは親交があったし」

 そうルカは拗ねたようにつぶやく。ドワーフと親交があったという言葉に偽りはない。教わったのは、その恋人にではあったのだが。

 ドワーフ族――平均身長は人間種族の十二歳くらいの子供ほどの大きさの種族である。尖った耳と低い背丈を除けば人間種族とほとんど変わりはないが、非常に手先が器用で、世界中の様々な建築、鍛冶、服飾……様々な技術の根本は彼らが作ったものだ。

 基本的に異種族の往来を認めない現在のレティ―リア王国では珍しく、技術の高さを買われ、ドワーフ族だけは往来を特別に認められている。

(最も、彼らはレティ―リア人を嫌っているがな)

 ぼんやりそんなことを考えつつ、それよりも、と半ば強制的に話を戻すべく、ルカは改めて喋りはじめた。

「ここまでする必要のある、何かがあるっていうことだろうな」

「ルカの魔術では破壊できたけど……本当に、ドワーフが作ったものなのかなあ」

「材料は同じなんだろう。でも、造ったのは彼らじゃない。それだったら、俺の魔術でも爆砕はしないはずだ。通常の材質よりは丈夫だろうが、壊すのにも時間がかかるだろうし……どっちかって言うと、外部に魔力がなるべく漏れないようにするため、だろうな」

「そうか、魔力耐性の性質がある鉱石が混ぜ込んであるから……! 魔力遮断の役割も果たしているわけね。だから外からでは薄くしか感じられなかったんだ、術式の魔力が」

 合点がいったようにジェラルドがそう声を弾ませた。よほど自分の実力不足が原因でなかったことが嬉しかったらしい。

「で、だ――」

 ひとりで喜んでいるジェラルドを放置し、ルカは瓦礫にいる人影――先ほど悲鳴を上げた人物に視線をやり、

「何者だか知らねえが、とりあえず敵だったら面倒だし、瓦礫ごと粉砕してやる」

 そうわざとらしく言い放つ。瞬間、野良猫のような身軽さで瓦礫の裏から影が飛び出した。

「ま、待って待って待ってーっ!」

「……やっぱり」

 あきれ返った声でルカが言った視線の先には、顔面蒼白のエイヴリルがいた。何か棒らしきものを持って、手をぶんぶんと振っている。

「て、敵かもって断定して、瓦礫ごと粉砕するなんて道徳的じゃないわ! 事実、善良な美少女が居たって言うのに! 短気は損気よ!」

「道徳的な殺し方ってのは一体どんなもんだってーの……」

「ちゃんと名前を名乗って、正々堂々正面から斬り殺すとか……」

「ねえよ、んなもん」

 言って、ルカはエイヴリルの頭を軽くはたいた。癪に障ったらしく、エイヴリルは更に怒気を強める。

「女の子に暴力を働くなんて最低よ! あんたの本名と住所を、精霊信仰とかいうカルト宗教の総本山に送りつけてやるから! 頭おかしい奴らに追われてせいぜい懺悔するのね!」

「……もれなくお前も同じ目に遭うぞ……」

 ルカはある出来事を思い出し、泣きたくなったが、ため息交じりに続ける。

「……たく、とんだじゃじゃ馬だぜ……けど、想定できたことだな、寝てる間にベッドに縛り付けておけばよかった」

 未だぎゃあぎゃあわめきちらすエイヴリルの頭を押さえつけつつ、ルカは疲れたようにうめいた。

 嘆息してから、ルカは眉を吊り上げ、自分にかみつこうとしているエイヴリルに指をさし、話し始める。

「……い、い、か、らっ! 帰れっ! お前みたいなお荷物を守ってやれるほど、俺は余裕ねえんだよ!」

「だからあたしが来たのよ。ちょっと前までボロボロだったのに、きっと大変だろうなと思って」

「はあっ?」

 素っ頓狂な声を上げるルカに、エイヴリルは胸を張ってみせた。

「ダウズウェル先生だけじゃ頼りなさそうだし、あたしが手伝わないとって思って」

「お前、戦う気でその棒を持ってきたって言うのか…………」

 エイヴリルの手にある無骨な鉄製の棒を指して、ルカはうめいた。

「そうよ! 木剣を持ち歩いてたら怪しまれそうだと思って、その辺に落ちてたやつを拾ってきたの。あたしの強さはわかってるでしょ? ほら、あんたも見てたじゃない」

「…………」

 とにかく何も言えず、ルカは愕然とした。昏倒させて、急いで戻ってアイヴァンに押し付けるのがいいかもしれない、と考えつつ、拳を握り込んだその時、ジェラルドが肩に手を置いた。

「此処に置き去りにするわけにもいかないし、戻ってる隙に連中が逃げるかもしれないよ」

「でも――!」

「大丈夫だって、なんか生きぎたなそうだし。いざとなったら、僕がいるから。きみは戦いに徹してくれればいい」

 ジェラルドにそう言われ、ルカは握り込んだ拳をほどく。ルカは肩をわなわな震わせ、エイヴリルの頬を両手で引っ張りつつ、

「いいか……なんかしでかしたら迷わずお前を気絶させて、置き去りにするからな……!」

 そう唸るような声で言った。鬼のような形相のルカに、エイヴリルはひきつりつつ、頷いた。


「話し合い終わった? あんまりのんびりしてるから、来ちゃったよ、敵さん」

 ジェラルドが言いつつ、視線で示した。

 フードを深くかぶった黒ローブが数人、様子をうかがっている。顔は見えないが、ゆったりしているローブを纏っていると言えど、体格は細身だったり、小柄な者がほとんどで、魔術学校の生徒だろうとルカは断定した。

「知っとるわ!」

 怒声を上げつつ、ルカはエイヴリルをジェラルドの方に突き飛ばし、戦闘態勢をとる。それを皮切りに、敵も一斉に躍りかかってきた。

「炎よ!」

 声変わりの最中のようなややかすれ気味の少年の声が響く。

 そしてすぐ、他の魔術師たちも同じように詠唱して、小さな子供くらいは包み込んでしまえそうなくらいの大きさの火球が数個、ルカめがけて飛んできた。

(あそこの学生にしては、よくできているじゃないか。敵の顔めがけて魔術を放つ、複数人で攻撃をしかける。――それに、来た時も気配は殆ど感じられなかった――というか――変なんだよな、なんか……無理やり治療した影響で、俺の感覚が鈍ってるのか……?)

 そんな違和感を抱えつつ、ルカは姿勢を低くし床を蹴った。火球が背を丸めるようにしたルカの上を勢いはそのままに真っすぐ飛んで行く。

 ルカが避けた火球の先には、吃驚したジェラルドの姿があった。

「な――№0006!」

 慌てたジェラルドは上着のポケットから紙を取り出し、そう唱えた。瞬間、紙が消え去り、ジェラルドとエイヴリルの周りをドーム状の魔術による障壁が覆う。

 障壁に当たった火球は、障壁を覆うようにしばらく燃えていたが、やがて消えていった。

「ちょっと! 避けるなよ!」

 ジェラルドの怒声を聞きつつ、ルカは舌打ちを一つ。

 魔術を避けられることはまるで想定済みだったとばかりに、少年たちはルカに向かって来る――その手には剣、ナイフ――つまり、人を殺すための武器を携えている者もいた。

(――戦闘訓練をしているとはいえ、あんなものは、普通の魔術学校ならただの運動の延長戦だ。それが、武器を持ち出して戦うなんざ――)

 当然と言えば当然なのだが――確実に殺意を持って――ルカを――べつに、自分だから、というわけではない――殺そうとしてくる彼らに、激しい憤りを感じた。

(ガキの癖に一丁前に人殺しの道具を使いやがって――腹が立つ。その奪おうとしているものは、自分も同じものを持っているのだと、理解できないガキの癖に――弱い、癖に)

 まるで、昔の自分みたいな。――そこまで考えて、ルカは無駄な思考を抹消した。

 一番近くにいたその中では比較的長身の魔術師が殴り掛かってくる――正確には、詠唱しつつ、今にも魔術を放とうとルカに接近してきていた。

「俺の間合いだ!」

 叫んで、ルカはその魔術師のローブを掴んで引き寄せた。想定外だったらしい魔術師は、怯んで詠唱を中断し、ルカから逃れようと必死にもがいている。

(……防御か逃げを選択した時点で、お前の負けだ)

 ルカは胸の内でそう呟く。瞬間、脳裏に――

『――そもそも魔術師に防御は向いていない。。子供が投げた石ですら防ぐことは出来ない。防御する方法と言えば、攻撃することで相手との距離をとるか、魔術をぶつけて相手の攻撃を相殺するか、上回る火力で圧倒することくらいだ』

 自分に魔術での戦い方を教えた男の声が浮かぶ。あの、冷たい目と声。何度聞いても、嫌悪感が蘇る。

『もっとも――攻撃される前に殺せばいいだけの話だがな。守るという選択を取らねばならない時点で、お前は弱いということだ』

 傷だらけで瀕死になったあの日の自分に、そんな風に吐き捨てたのを思い出して、怒りが湧き上がってきた。

(うるさいんだよ、あんたは――そんなこと、いちいちあんたから聞かされなくたって、いつだって俺は分かっているんだ!)

 苛立ちをそのままルカは詠唱に載せ、魔術を発動させる――

「滅びの波紋よ――!」

 唱えた瞬間、単純な――それでも、強力な衝撃波が少年たちを襲い、そのまま吹き飛ばす。壁に床にと叩きつけられ、倒れていく。

「何度やっても同じだ、わかっているんだろう、無駄だってことが」

 立ち上がろうとする少年らに、ルカはそう言い、続ける。

「その気になれば、別に一瞬でお前たちを殺すことができるんだ――そうされたくなかったら、とっとと武器を手放して降伏しろ!」

 そうルカが言っても、剣を手にまた立ち上がる少年が居た――かぶっていたフードは衝撃波で取れたらしく、顔があらわになっていた。ルカには見覚えのある顔だった。根暗そうな、猫背ぎみの――魔術師至上主義の思想を掲げ、ルカの授業をかきまわしていた生徒――トラヴィスだとすぐに分かった。授業の時と同じように、ルカを見る瞳は憎悪に満ち、ぎらぎらと目を輝かせていた。

「くそったれ――!」

 ルカは何の意味もない叫びを上げた――それは慟哭にも近しいものだ。これ以上戦えば、相手が死ぬ可能性がある――それを考えただけで、ルカは狂いそうだった。

「ネズミ捕りだ」

 ジェラルドがそうつぶやくと、トラヴィスが踏んでいる床のタイルから、通常のものより大きめな――中型魔獣駆除用くらいのサイズのトラバサミが飛び出してきた。

「―――!」

 右足を取られたトラヴィスが声にならない悲鳴を上げる。大きさからして、足の骨が粉砕されるのはまぬがれないだろうとルカは思った。

(ただ――死ぬことはない――トラバサミごときで)

 そう呟きつつ、ルカは安堵した。

「この部屋には僕が移動させた術式の罠がある。死ぬ危険性だってあるものもある――そして僕は、ルカと違ってお人好しじゃあないんだよね」

 ジェラルドがあっけらかんとそう言った。

 その後ろでトラヴィスを見ながらエイヴリルは哀れそうな表情をしていた。意識を失っている少女の髪を引っ掴んでいるのを見るに、彼女も戦っていたらしい。

 気絶している者もいたが、他の者たちももう抵抗するそぶりは見せていない。

「多分お前もいるとは思ってたけど……ヘーゼルダイン、これは、一体どういうことだ」

 ルカはトラバサミに足を取られ、痛みにうずくまっているトラヴィスにそう尋ねた。

「…………お前たちのような、裏切り者に答える気はない。魔術師の癖に、愚劣な非魔術師どもに加担するような、お前たちには」

「何よ! こんな状況でえらそーに……」

 またわめきだしそうなエイヴリルを手で制し、ルカは、

「そんなに大事なもんかよ。周りの人間傷つけて、てめえ自身も傷つけて――魔術師が至上の存在になって、何になるって言うんだ?」

 そう諭すように尋ねた。トラヴィスはそれに対して冷笑し、痛みにまた顔をひきつらせた。

「……昔のお前は、分かっていたんじゃないのか、それが」

 トラヴィスのその声には、失望しきったような――そんな色がうかがえた。同時に、ルカの心臓が跳ねる。

「な、にが――」

 やっとのことで、ルカはその一言を絞り出す。鼓動がやけに大きく聞こえて、ルカは耳をふさぎたくなった。錯覚でしかないが。

「ルカ・アッシュフィールド――灰の領域の魔術師。五年前、聖エステメリア教会のミサを襲撃し、ミサに来ていた枢機卿を全員暗殺、そしてみせしめに教会を爆破した――被害は三百人以上。すべて灰にしたことから、あなたのその名誉ある称号を得た」

 ひと思いに言ったトラヴィスの言葉に、ルカは上手く呼吸ができなくなった気がした。

「……違う……俺は……」

 動揺しきったルカは、無意識のうちにうめいていた。ひどく静かなその声はトラヴィスの耳には届かない。

「僕たちの英雄だったあなたがどうしてそんな風に腑抜けたのですか! 非魔術師どもと癒着している魔術連盟の犬に成り下がり、あなたは――!」

「――うるさーーいっ!」

 いきなり怒声を上げ、駆け出したエイヴリルは棒でトラヴィスを思い切り殴りつけた。突然の出来事にジェラルドもルカもぎょっとした。

「何よあんた! 勝手に決めつけて失望して、馬鹿じゃないの!? ルカがたくさん人殺した!? でも今はそうじゃなくなった!? だから何よ!」

 棒を投げ捨て、エイヴリルは意識が朦朧としている様子のトラヴィスの胸倉を引っ掴んだ。

「ルカがたくさん人を殺してる大量殺人鬼だろうが、色んな人を救った英雄だろうが、どうでもいいわよ! あたしにとっては、ルカは命の恩人なの! それにお父さんを最後まで守ろうとしてくれた人なの!」

 怒声を浴びせられつつ、揺さぶられ続けているトラヴィスはすでに気を失っていた気づいていないエイヴリルは、さらに続ける。

「過去が何よ! もう終わったことに固執するなんて、健全じゃないわ! あんたは一体いつの時代に生きてるわけ!?」

 言い切ってから、エイヴリルは「ちょっと、聞いてんの!?」と、聞こえていないトラヴィスをまた怒鳴りつけた。

「もう彼、気失ってるよ。ていうか、鉄の棒で殴って死んじゃったらどうするんだよ」

「なんであたしが怒られるのよ。ていうか、ルカの事散々バカにしたくせに、棒で殴っただけで死んじゃうなんて許さないわ」

 ジェラルドに非難されたことに対してむくれつつ、そうでしょ? とでも言いたそうにエイヴリルがルカの顔を覗き込んでくる。

「ま、そーだな……」

 薄く笑って、ルカはエイヴリルの頭に手を置いた。未だに心は重かったが――それでも、なんとなく体は軽くなって、まともに呼吸できるようになった――溺死しそうなところを、引っ張り上げられたような感覚がルカにはあった。

「でも下着ドロボーとか、痴漢とかしたりしてたらキモイし、軽蔑するけどね……してないわよね?」

 訝し気に尋ねてくるエイヴリルに、ルカはつんのめりそうになった。

「しねえよっ! 何確認してんだっ! するように見えるかっ!」

「ダウズウェル先生、友達だから知ってるよね?」

「どうかな……ルカの性癖とか僕、知らないし……もしかしたら……」

「アホなこと言ってねえで、いーから早く行くぞ」

 後ろでまだやいのやいの言っている二人にため息をつきつつ、ルカは倒れている少年をまたぎ、先へ急いだ。

(……一応、連盟がその情報は秘匿しているはずなんだがな……ジェラルドと同じような技術を持っている奴が盗み出したのか――あるいは――)

 これ以上は想像の域を出ない。ルカはとりあえず考えるのをやめることにした。


 

 通路を突っ切ると、ジェラルドが言っていた教会の丁度地下聖堂らしき部屋が広がっていた――はずだった。

 その部屋に入った途端、ルカは異臭――腐ったようなにおいと、薬草か何かの、苦いにおいが混合したような――鼻が曲がりそうな刺激臭に顔をしかめた。部屋には円柱状の水槽――というよりは、緑色の液体が入った培養槽が部屋の至る所に設置され、何に使うか分からない器具など――まるで何かの研究室のようだった。地下聖堂にありそうなものは一切なく、実際にこの部屋に存在するものは神聖さの欠片もないものばかりで、地下聖堂とはルカには到底思えなかった。

「なんだここは……なあ、ジェラルド――?」

 後ろを歩いていたジェラルドにルカは尋ねようとしたが、既に少し離れた場所で何かの調査をしているようだった。諫めようとも思ったが、いつもの事なので、ルカは放置することにした。

「お前はうろうろするなよ」

 とりあえずルカはすぐ近くにいたエイヴリルにはそう釘をさしておく。この部屋の異質さを彼女も薄々感づいていらしく、エイヴリルは棒を握りしめて肩を震わせている。

「わ、わかってるわよ……なんか、不気味――いやあああぁああぁ!」

 いきなり悲鳴を上げつつ、エイヴリルは尻もちをついた。彼女が見ていた培養槽の中身をルカは覗き込む。

「――!」

 そこには、二つの培養槽が並んでいた――一方には、脈打つ肉塊のようなものが浮かんでいる――その肉に浮かんでいる白っぽいものは骨のようにも見える。その隣には、生前の何倍も膨れ上がっているのだろう、風船のように膨れ上がり、腐敗により発生したガスの影響で眼球や舌は本来あるべき場所から飛び出し、髪は抜け落ちてしまっていた人間だったもの――つまり、水死体が浮かんでいるのだ。エイヴリルの悲鳴はこの死体が原因だろうとルカはすぐに理解した。死体を目にすることは少なくないが、そんなルカにとっても溺死した人間の成れの果てはむごたらしく、何度見ても慣れないものだった。

「ひ、ひ、ひとっ人がっ! いやあぁああっ!」

「落ち着け! お前はこれ以上見るな!」

 パニックを起こしたエイヴリルをなだめつつ、ルカは他の水槽も確認する――他も同じように肉塊の一部と、似たような状態の水死体が入っていた。

「おい、ジェラルド!」

 ジェラルドを呼びつけるが、姿が見えず、ルカは舌打ちをした。

(冗談じゃねえぞ、何なんだ、これは!)

 その培養槽にはすべて何か管のようなものが着けられており、すべて同じ方向へ向かっていた。

(――これに、なんらかの魔術が管を伝って流れ込んでる……この管の先に、その魔術が発生している源があるはずだ……)

 ルカは錯乱したエイヴリルを引っ張りつつその管の先をたどることにする――そうしてたどり着いたのは、同じようなサイズの水槽にたどり着く。その隣には、ひときわ他のものよりひときわ大きな培養槽があり、その中には目を疑うようなものがあった。

「は――ドラゴン――!?」

 目を疑った――ルカがドラゴンと対面したのは初めてではない。だが、この姿では始めてだ。

 黄昏色の鱗がびっしり体中を覆い、その姿のベースは爬虫類じみているが角や翼、その大きさがそうでないことを現わしている。巨大な翼と尾を窮屈そうに丸めている伝承通りのドラゴンの姿がその中にはあった。

 例の管がつながっている隣のを覗き込むと、そこには、以前ルカと戦ったリンドが培養槽の中で眠っているように浮かんでいた。

「なんなんだ、これは……」

 意味が分からなかった――少なくとも、ルカの経験則では判断しかねる事態だと思った。とにかく理解できたのは、恐らく尋常ではない事態で、これを放置するわけにはいかない、ということだけだった。

「ジェラルド! おい! ちょっとこっちに――」

 再度友人の名をルカは叫ぶ。呼ばれたから――というよりは、何かを探しにきたような感じで、ジェラルドは焦燥しきった表情でこちらに走ってきた。

「……馬鹿な……そんな、どうして」

 声をかけようとするルカを気にも留めず、ぎょっとしたような目で目の前のドラゴンが眠る培養槽を見てから、ジェラルドはうめいた。

「もうこの世には存在しないはずなのに……」

 ジェラルドが言った言葉の意味が、ルカにはよくわからなかった――ドラゴンの事を指しているのかとも思ったが、なんとなくそうでないように、ルカには思えた――ジェラルドが見ていたのは、その中身ではなく、培養槽自体のように見えたからだ。

「……!」

 ルカの後ろで震えあがっているエイヴリルの恐怖がひしひし伝わってきて、ルカは心の底から後悔した。あの時、無理やりにでも置いて来ればよかった、と。

「ジェラルド、お前……これに何か心当たりがあるのかよ」

 考えてもらちがあかない、とルカは明らかに様子がおかしくなったジェラルドにそう尋ねた。ジェラルドは頭を掻きむしりながら、

「もうこの世には存在しないものなんだ、これは――あっちゃいけないんだよ、こんなものは絶対に!」

 錯乱気味に、そう支離滅裂に言った。どこか悲痛じみて聞こえたジェラルドの声に、ルカは眉をひそめた。

「どういうことだよ……そんなに危険なものなのか? どうにかできないのかよ!」

「今やってる!」

 叫ぶジェラルドの手元を見やると、リンドが入っている方の培養槽に向かって、術式の書き換えを行っているようだった。

 その隣で、ドラゴンが窮屈そうにぶるりと震えたのが丁度ルカの視界に入った――瞬間、ぞっとした――これは生きているのだと、ルカは絶望的な気持ちになった。これが、ガラスを突き破って、外にでも出たら――そんな、最悪のケースが脳裏に浮かぶ。

(こんなものと戦って、勝てるわけがない)

 思いつつ、同時にルカは自分の背にしがみついているエイヴリルだけは逃がさなければ、という考えがよぎった。

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