7-2

 鐘楼のすぐ近くに見覚えのある人影が見えたが、ルカは気にも留めず、そのまま目の前を通り過ぎようとした。その人物が制止でもしようとしているのか、なにかわめいていたが、ルカはそれも無視する――

「ちょっとルカ! どうしたんだよ!」

 そう声が響いて、声の持ち主――ジェラルドの目の前を素通りしようとした途端、ルカは盛大に転倒した。要するに、ジェラルドに足を引っかけられたのだ。

「てめえ――なにしやがるっ!」

 憤慨しつつ、ルカは倒れ伏した状態からばっと立ち上がる。ジェラルドは呆れ切った顔をして、ルカのすぐ一歩先を指さす。

「あと一歩で、君の足が吹っ飛んでたとこだったよ。土で隠してあるけど、術式による罠が仕掛けられてる」

 それを聞いて、呆然とするルカにジェラルドはため息を一つ。

「ていうか、鐘楼の中はもっと罠沢山仕掛けてあると思うよ。何焦ってるか知らないけどさ、教官だって言ってたじゃん、焦る時こそ冷静にって」

「……悪かったな」

 先ほどより少しは落ち着いた様子で、ルカ。それを聞きつつ、ジェラルドはしゃがみ込んで、ルカの足を飛ばしそこねた術式の解除を始めた。ジェラルドが何かつぶやくと、バチバチと音を立て、何もないはずの土が仄かに光る。しばらくしてその光は消えていった。

「あとどれだけかかる。全部、解除するつもりだろ?」

「そう急かさないでよ。オーエンはどうなったのさ」

 また呆れたような顔をしたジェラルドの問いに、ルカは黙りこんだ。

 ルカが知っていたのは、オーエンはまだ死んでいないらしいということだけだったからだ――正直、ルカの頭はロイのことでいっぱいで、本来の目的などすっかり抜けてしまっていた。

「何? 逃げられたの? キミともあろうものが」

「違う。……多分、死んではいないと思う……殺されかけていた、だけで」

「何そのあいまいな答えは……大丈夫なの? ていうか、殺されそうになってたって、誰に」

「……兄さんだ。他の構成員も、兄さんが殺していた。多分、オーエンについていた構成員はみんな全滅だ。あの人が討ち漏らしをする筈がない」

「……ああ、それが焦っている要因か。ま、オーエンはアイヴァン君がなんとかしてくれるんじゃない? べつに死体さえ残ってれば、どれだけでも言い訳つくしね」

 ロイがやったという事を聞いても、ジェラルドは眉ひとつ動かすことなく、そう言って見せる。それからぺたぺたと、鐘楼の壁に手を当てていた。

「解析開始」

 ジェラルドが壁に手を当てつつそう言うと、その箇所から壁に赤い光の模様が現れ、鐘楼の一番上まで覆うように模様が広がっていく。

「この鐘楼自体に術式が設定してあるみたいだ。大抵、今の術式の罠って言うと、キーワードが複数必要だったり、数か所にスイッチがあったりするもんだけど……これは単調な旧式の罠だね、これなら一か所書き換えるだけで停止できそうだ。古い罠でも使えるかもしれないし、所有権は僕が頂いちゃおうかなぁ」

 口早に言いながら、ジェラルドは手を動かした。

 赤く光っていた模様が、徐々に緑の光に変化していくのを、ルカはぼんやりとみていた。

(ジェラルドが天才って言われる所以だったな、そう言えば)

 本来術式魔術というものは、術式を刻んだ本人にしか使う事はできないし、その術式を消すことができても、別の魔術師がもう一度使用することはできない。

 ジェラルドはそれを『書き換えてしまう』事で、その術式を使用できてしまう技術を持っていた。ルカの経験上、そんな真似ができるのはジェラルドと、あとは非の打ちどころがなさすぎる自分たちの教官くらいだと認識している(後者は、実際に使用しているのを見たことはないけれど、あの男に不可能はないとルカには断定できる)。

「何。何か文句あるなら言えばいいじゃん」

 ルカの沈黙をそう受け取ったらしいジェラルドは、不遜に尋ねてきた。事実、そう言う節もないわけでもなかったので、もごもごしつつ、ルカは口を開く。

「兄さんがいたとか、人を殺したとか……何か、あるだろ」

「べつに。ロイさん、いきなりいなくなったんだから、いきなり戻ってくることだってあるでしょ。ロイさんだって、人殺ししたことないなんてないじゃん。僕らもロイさんも同じでしょ、仕事なら人を殺す」

「それでも……兄さんは、俺の前で人を殺したりしなかったんだ……」

 どうしようもない一言が、ルカの唇から漏れ出た。ルカ自身、くだらない事を言っていると思う。それでも、事実だった。ロイはけして、ルカの前で人を殺したりはしなかった。

 あの部屋にいたロイを見た瞬間に、自分の中の理想と規範が音を立てて崩れたような――まるで失望でもしているような気持ちになったのだ。

 顔を俯かせ、この世の終わりかのような顔をしているルカに、ジェラルドは嘆息した。

「……君がロイさんのこと崇拝してるのは知ってるけど、ロイさんだって君と同じ人間だからね」

「同じ……?」

 ジェラルドの言葉を聞いても、ルカは一瞬何を言っているのか理解できなかった。

 自分と兄が同じだと、理解するのに少しの時間が必要だった――否。理解できないわけではない。受け入れるのが、容易でないだけで。

「僕も、君と同じだった。姉さんは凄いんだ、って、姉さんが死ぬはずがないって、僕は姉さんを、特別な存在だと錯覚していた。でも、姉さんは、目の前で、あっさりと死んでしまった。そりゃあ、死ぬよ。姉さんは、人間なんだ――刃物で心臓を貫かれたら、死ぬに決まってる」

 ジェラルドがうめくように言う。意味ありげに、術式の緑の光が、明滅する。ジェラルドの精神状態が不安定になっているのだと、ルカにはありありと分かった。

「……そう――だな、俺も兄さんも、同じ……人間の魔術師なんだよな」

 ジェラルドの言った言葉を、反芻する様に、ルカはそう同じように吐いた。

(それなのに――俺が、兄さんに、理想を押しつけたから――あの人は、いつだって俺を守らないとと、傷つけてはと強迫観念に陥っていたんじゃないのか?)

 記憶を失っているように見えたロイの様子が、ルカの脳裏に浮かぶ。その表情は――ほかならぬ自分に非難されていたその顔は、ひどく悲し気に歪んでいたように今のルカには思える。

(きっと、俺が、あの人を追い詰めたんだろう……兄さんだって、助けて欲しかったんじゃないのか。ただ、言えなかっただけで。それなのに、失望したのか。俺は。とんだ傲慢さだ。本当に、笑えない)

 自分の至らなさに、なによりも、兄を追い詰めたという事実が、ルカの後悔をさらに増大させてゆく。

「……ルカはまだ間に合うんだ。僕と違って。だからそんな顔しなくたって、いいんじゃない」

 ジェラルドの言葉に、ルカははっとした。ジェラルドはそんなルカを見て、どこか寂し気に笑った。

 緑が灯っていた術式の刻印から光が失われていく。どうやら術式の書き換えも完了したらしい。

「古い罠は解除したけど……まだ何かあるかもしれないし、僕も行くよ。今の君だと、罠にかかって四肢切断とか十分あり得そうだし、術式を無効化するほど魔力に余裕もないでしょ」

 皮肉気な物言いで、ジェラルド。いつもの飄々とした、つかみどころのないルカの友人にすっかり戻って見せた。

「その……」

 ルカは何か言いかけて、かぶりを振った。

「……助かる。ありがとう、ジェラルド」

 旧友の優しさに、なんだかルカは胸が熱くなって――もっと言えば、泣きそうになりつつ、そう言った。

「……君がそー殊勝だと、やっぱり気持ち悪いよね……」

 寒気がするよ、と続け、目をすがめてからジェラルドはさっさと鐘楼に入って行ってしまった。

「……事が済んだらあいつ、やっぱりしばき倒してやる……!」

 一気に気分が落ちたルカだったが、ジェラルドの後を急いで追った。


 鐘楼内部は教会に比べれば、至ってシンプルな造りだった――ところどころ壁が剥がれたり、崩れた箇所はあったが、壊れた教会を無理矢理改装した娼館に比べても、老朽化は進んでいないようにルカには思えた。

 人為的に破壊されたような、上半身がないほこりがつもった女神像をルカがぼんやり見ながら歩いていると、その辺で調べていたジェラルドが「そう言えば」と声を上げた。

「教会側から地下に向かう道だけどさ、此処に来る前にちょっとだけ調べてみたんだけど、地図通り一見は壁しかなくて、やっぱり魔術による隠し扉だったよ」

「だろうな。兄さんも向こう側に向かって行ったっぽいし……ただ、俺達がまともに正面から入ったら、まあ面倒なことになるだろうしな。相手方にはもう感づかれているだろうし」

「床をぶち抜いて侵入するのがいちばん楽でしょ、どうせバレてるんだから」

(後に面倒な始末書を書いて、嫌味がましい損害対策部に頭を下げつつ、連日残業に追われる経理に泣きわめかれつつ呪いの言葉を聞かされるのは俺だ……)

 どうでもいいとばかりに言い切るジェラルドにルカは胸の内で恨めしそうにぼやいた。

「で、入り口前にあった術式以外は元々この鐘楼自体に設定されていたものだったじゃん? 魔女狩りの時に、魔術師たちが隠れ住んでいたってとこじゃないかなあ。ギンズバーグファミリーがこの鐘楼の正体を知っていたか知らなかったかはわからないけど、ほぼそのままの状態で放置されていたみたいだね」

「ヴァルプルギスの夜の拠点にもなっていたかもしれねえな、教会側の建物なのに、魔術師の隠れ家や拠点にされるってのは、皮肉なもんだが――」

 女神の像や、それを象徴するレリーフなどが破壊されているのは、その為だろうとルカは思いつつ、視線をジェラルドの方にやって、続ける。

「……ここで連中が今もクスリを作ってるって……お前、思うか?」

「今はありえないだろうね。だってオーエンたちを殺す必要がない――ロイさんをけしかけていなくたって、商売道具をみすみす失う理由はない。しかも、あんな奴ら、信用も何もできない。ちょっと拷問されれば自分たちの事を話してしまう――だからなんとかして、オーエンたちを守るはずだよ。たとえロイさんだって、魔術師が数人いれば足止めぐらいにはなるはずだ」

「……オーエンたちを始末する理由として、考えられるのは、単純に不要になったからだと思う。だから兄さんは連中と繋がっている。そしてクスリは、何かを隠すためのカモフラージュでしかない――例えば、この街を壊滅させる計画を立てている、とか」

 ロイが言っていたことを思い出しながら、ルカは言い切った。――言い切ってしまう事で、現実を受け入れることができるようにも、ルカには思えた。

 するとジェラルドはぱっとルカの方を向いて、いぶかし気な顔をしながら顎に手をやる。

「……突拍子もない話だね、と言いたいとこだけど、連中ならそう言う考えに行きつくのもありえる――でも、どうやって? 破壊なら容易だろうけど、ヴァルプルギスの夜に遭った街だ。壊滅させようにも、異端審問官がすっ飛んで来るだろうし、問題が山積みじゃない。今だって、もう教会は動き出しているんじゃないのかな」

「わかんねえよ、んなもん。でもきっと、ろくでもない方法に、決まってるんだ……」

 ルカが呟くように言っていると、ジェラルドがかつん、と剥がれかかった床を足で鳴らした。ぽかんとしているルカに、ジェラルドは肩をすくめ、

「ほら、早く床ぶち抜いちゃってよ。本調子とは言えなくても、この程度なら余裕でしょ?」

 そう急かすように言った。それに対してルカは目をすがめつつ、ため息をつく。

「無謀な奴だな……いきなり魔術師に囲まれた! なんて俺はごめんだぞ」

「だいじょーぶだいじょーぶ。あの設計図によると、通路一本道だし、さすがに囲まれてるってことはないでしょ。しかも今この街でルカに勝てるのなんて、ロイさんくらいじゃん」

「崩落しないように力を制御するのめんどくさいんだよな……ていうかなんで俺がメインで戦う前提なんだ……」

 ぶつくさ文句を言っている間にも「早く」とか「まだ?」とかジェラルドが急かすもんだから、いい加減めんどくさくなったルカは、さっさと床を破壊してしまう事にきめた。

「破壊よ」

 ひんやりとした石の床に手を当て、ルカは呟く。ぴしぴしと軋むような音が響き、ルカが手を置いている場所からヒビが広がる。

「ちょっと慎重すぎじゃない? ビビることないじゃん」

「だから崩落したら困るって――」

 ルカが若干苛立ちつつ、言いかけた瞬間、床が轟音を立てて崩壊した――というより、魔術による爆発が起きて、床が爆砕したのだ。

「のわあああああああっ!」

 爆風が粉砕された瓦礫のついでにジェラルドも巻き込む。想定外の衝撃に普段の冷静さを失い、ジェラルドは悲鳴を上げた。

「……しまった。つい。ハハ――っかしーな、俺の制御は完璧な筈なのに……なんでいつもこうなるんだろうな……」

 落下しつつ、首をひねるルカ。一切の悪びれもなく、それから、猫の様に空中で一回転して着地の準備をしていた。

「とんでもなく雑なんだよ! この――」

「きゃぁあああああああああっ! し、死んじゃう――!!」

 ジェラルドの声にかぶさるように、甲高い少女の声が響いた。一瞬にしてルカもジェラルドも顔を青ざめさせ、兎に角あと数メートルしかない地面へ衝突しないように――させないようにだけ、集中することにした。

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