6-5

 旧教会通りはルカの魔術によってめちゃくちゃになっていたが、旧教会までには幸い至っておらず、いつもより人通りは多くはなくとも、それなりにはいるようだった。

 結局、ジェラルドが癇癪を起して荒らしに荒らした部屋を片付けさせられ、挙句亭主にはエイヴリルが壊した壁を代わりに直せと押しつけられているうちに、ルカが気づくころにはすっかりアイヴァンとの約束の時間になっていたのだ。


「……なあ、なんでおまえのじいさんは、リーズ教から旧教会を買い上げて、娼館にしようなんて思ったんだ?」

 緊張した面持ちで隣を歩いているアイヴァンに、ルカはそう尋ねてみた。別段興味があるわけではなかったが、固まっているアイヴァンの緊張をほぐそうとしたルカなりの気遣いだ。

「え? あ、ああ……ええと、ヴァルプルギスの夜や魔女狩りの影響で、住む場所や、働く場所を亡くした人、それに夫を亡くした女性が、うちに借金をすることが多かったので、彼女たちの働き口を作ってあげるために、と……」

 真っ青だった顔に徐々に血色を取り戻しつつ、アイヴァンが続ける。

「あとは……教会に対する当てつけ、それに圧力ですね。セインシアをこれ以上教会の勝手にさせない、という……それが今、うちの人間に壊されつつあるんですがね……」

 徐々に声が小さくなっていくアイヴァンに、ルカは肩をすくめてから、

「いっ…………!?」

 思い切りアイヴァンの背中を叩いた。突然の行動に、涙目でアイヴァンは平然としているルカを非難するような目で見つめた。

「……お前のじいさんと親父さんが守ろうとしたもん、取り戻しに行くんだ。しっかりしろよ」

 アイヴァンの視線を気に留めることもなく、ルカはそう言った。それを聞いたアイヴァンははっとしてから、静かにうなずく。

「……わかっていますが、口から内臓と言う内臓が飛び出しそうでした。力加減くらいしてくださいよ、本当にプロですか?」

「……本気でやったらお前の背骨が折れてると思うが……一度やってみるか?」

 にやりとしながら言うルカに、アイヴァンは苦笑しつつ、先ほどよりも軽い足取りで歩みを進めた。


 教会を改装した娼館の内装は、それ「らしい」ものとなっていた。しかし、古びたステンドグラスや、崩れかけた女神のシンボルなど、元々教会であったとうかがえるような名残はまだ残っている――それが雑な改築によるものなのか、それとも、あえてなのか――ルカにはうかがい知れなかったが、敬虔なリーズ教徒は卒倒しそうだと感じた。

 だが、それよりも、ルカは――これは、アイヴァンもだが、此処に入った途端に違和感を覚えた。

「……お前のとこの娼館、出迎えの一つもないのか?」

「いえ、そんなはずは……」

 あまりにも静かすぎた――ルカは仕事柄、娼館に足を運ぶことも少なくない。大抵、高級娼館でもなければ、店に足を踏み入れた瞬間に、香水の香りを纏った娼婦たちがまとわりついて来るのが常だ。ところが、出迎える娼婦どころか客の一人もいない。

 不快な思いをせずに済んだという安堵よりも、「何かが起きている」という警鐘が、ルカの中で鳴りつづけている。

「一体、何が……」

 アイヴァンが呟きかけた瞬間、ルカに突然引き寄せられた。何が起きたのかわからないアイヴァンが尋ねようとする前に、

「誰か来る」

 何者かの気配を察知したルカが、短く答えてアイヴァンを庇うように立つ。人が来ること自体は別におかしいことではないが、この異常事態であれば別だ。

「たっ、助けてぇっ!」

 その気配の持ち主だろう、布地の薄い服をまとった娼婦らしい女が、泣きながらルカたちの方へ走ってきた。

「何があった!」

「ひっ、く、黒いローブ……!? あ、あいつの仲間……!?」

 女は尋ねてきたルカの姿を見るや、怯え、逃げてきた方向へあとずさりし始めた。

「待ってください! 僕がわかりますか?」

「……ぼ、ボス……! わ、私たちは、ただ、オーエンさんのいう事を聞いていただけなんです! 本当、本当ですっ! だから、殺さないでぇっ……!」

 アイヴァンの顔を見たのをとどめに、怯え切った娼婦は腰を抜かし、その場で泣きじゃくりはじめた。

「お、落ち着いて……僕たちはオーエンに会いに来ただけです、一体何があったのか、説明を――」

「オーエンの野郎がいる場所はどこだ」

 アイヴァンの言葉を遮る形で、ルカがそう尋ねた。未だに怯え、口ごもっている娼婦にしびれを切らしたルカが詰め寄る。

「早く答えろ! 生きてるかどうかはどうでもいい!」

「……こ、この廊下を左に曲がって、一番奥のっ、応接室に……」

 震えた声で娼婦が言うのを聞いてすぐ、ルカは弾かれるように走り出した。

「る、ルカさん、ちょっと……!」

 そう声を上げたアイヴァンだったが、ルカが足を止めることはなかった。その後を追おうにも、娼婦が自分に縋りついて泣き始めたので、アイヴァンは困り果てた。

「……ゆっくりでいいので、一体何があったのか……お話しいただけますか」

 アイヴァンの優しい声音に、少しずつ落ち着きを取り戻した娼婦は嗚咽交じりにゆっくりと話し始めた……。


「退けっ!」

 悲鳴を上げながらぶつかってくる娼婦を突き飛ばしながら、ルカは応接室へ急ぐ。

 その娼婦だけでなく、怒鳴り散らす客、全裸で部屋から出てくる娼婦……その場にいる誰もがこの場から逃げようとパニック状態に陥っていた。

(一体、何だ――何が起こっている!)

 ルカのその疑問に、すぐに答えが出た。応接室のすぐ近くに、血まみれで男が倒れていたのだ。

(死んでる。刃物で、腹部を刺されて――失血死。右脚を斬られてる。逃げられないように――違う! そんなこと、どうでもいい!)

 扉が破壊された応接室に、ルカは慌てて駆け込む。

「……ッ!」

 むせかえるような鉄のにおい――否、それは錯覚だ。そう錯覚するほどに、室内は凄惨なものだった。

 五体満足の死体はまだいい。応接室前に倒れていた男のように、腕や脚を斬られた状態の死体が殆どだ。人間だったモノのパーツがそこら中に転がり、高級そうな家具や、白い壁には、まだこの惨状になって時間を経っていないことを示す、鮮血が飛び散っていた。

 死だ。その場を死が支配していた。

 こみ上げてくるものをルカはぐっと堪え、それらから目を離し、部屋中を見渡した。まだこの惨状を作った張本人がこの場にいるかもしれない――

「――おい!」

 剣らしきものを持った深々とフードをかぶった小柄な人物――姿から、ルカは魔術師だと――状況から、この惨状を作った張本人だと断定する。そして、その魔術師に壁際に追い詰められている男を視認した途端、ルカは怒声を上げ、すぐさまそちらに駆け寄った。

「汝招かれるは黒の領域!」

 脚は止めずに、そう口早にルカはそう唱えた。

(……魔術学校の生徒か? でも、人殺しに容赦してやる必要なんてない――!)

 胸の内で毒づきつつ、身動きの取れない魔術師に飛びかかろうとするルカ――だったが。

「――奇跡謡う虚構よ、崩壊せよ」

 そう魔術師が唱えた瞬間、魔術が崩壊したのをルカは理解した。

(あの学校の生徒に、魔術を崩壊させる魔術を扱えるような生徒が……!? ンな、バカな、それに、その詠唱は――そんなわけが――)

 様々な思考が浮かぶが、戦いには邪魔だとルカは余計な考えを消し去る――今優先すべきは、目の前の敵を倒すことだけだ――そう自分に言い聞かせて、ルカは魔術師を殴りつけようと拳を振り上げる。

 動じることはなく、ルカが詰めてきた距離を利用し、魔術師は持っていた剣の柄でルカの腹部を殴りつけてきた。

「ッ……!」

 痛みに一瞬怯んだルカだったが、魔術師の左腕を引っ掴んで自分の方に引き寄せ、そのままバランスを崩した魔術師の足を払う。

 とっさに剣から手を離した魔術師の腕を掴んだままルカは回転する様に体を捻ると、そのまま魔術師を勢いよく床に叩きつけた。

「っぐっ……!」

 魔術師を投げた勢いのまま、苦し気にうめく魔術師の体に馬乗りになる。抵抗することもなく、魔術師はとにかくルカから顔をそむけるように、顔だけは横を向いているのをルカは不可解そうに眼をすがめ、

「なんだ、何かやましい事でもあるって言うのか! あんなに――人を殺したからか!」

 かっとなってフードを剥ぎ取り、その魔術師の顔を視認した。

「――え」

 顔があらわになった魔術師と目が合った瞬間、ルカの思考も動きも、すべてが停止する。ルカには時間すら止まったように錯覚した。

「ど、どうして……」

 目の前の現実を受け入れるのにどれだけ時間がかかるのかルカにはわからなかった。

 それでも、目の前の人物が自分の前から消えた年月よりは、ずっと短いのだろうと、ルカは思った。

「――兄、さん」

 自然と、ルカの唇から声がこぼれた。

 大きな紫の瞳、年齢よりも童顔気味な、母似の優し気な顔立ち、ルカと同じ色の、漆黒の髪。

 フードの下の顔は、ルカの兄――ロイ・ナイトレイその人のものだった。

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