6-3
「……少しだけ、落ち着いた。……ありがと」
ぱっと離れて、エイヴリル。居心地悪そうに、真っ赤になった眼を泳がせつつ、気恥ずかしそうな様子だ。
「あたし、ちょっと友達に会ってくる。この近くに住んでるの」
「……ダメだ。危険すぎる。お前、自分の立場理解できてねえのか」
言いつつ、エイヴリルの細腕をルカは乱暴に掴んだ。そんなルカの瞳をエイヴリルは黙り込んでただ見つめる。
「……あたしのこと、そんなに心配してくれるんだ」
エイヴリルのその声色には、安堵のようなものが籠っているように、ルカには思えた――実際には、それだけではないのだけれど――ルカは目をぱちぱちとさせて、
「? ほっといたら死にそうな、それでいて見知った奴を放置するやつなんて、あまりいないだろ」
よく分からないといったような調子で、頭を掻きながらそう言った。それを聞いた瞬間にエイヴリルは顔をしかめて、油断しきったルカの腕を振り払う。
「……あたしだって、魔術師としての訓練を受けてるのよ。魔術はあんまり使えないけど、そこら辺のチンピラ程度ならボコボコにできるわ。それくらい、あんたなら分かるでしょ」
ルカの手の届かない距離まで後ろ歩きで離れて、エイヴリルは吐き捨てた。口を尖らせ、すねた子供のような表情だ。
「……それは、そうかもしれないが――!」
言いかけて、ルカははっとした。走り出そうとするエイヴリルを引き留めようと「おい!」とルカは声を上げる――彼女の気持ちを慮ってではなく、別の意図があって。
「わ……っ!」
何かにぶつかった感覚に、エイヴリルは小さな悲鳴を上げた。よろめいた彼女がぶつかったそれを確認すると、チンピラ然とした厳つい風貌の男だった。後ろにもう一人の気配も感じる――その男の視線はぶつかったエイヴリルにではなく、ルカの方へ向いており、ルカを視認した瞬間、さあっと顔を青ざめさせた。
「――ルカ・アッシュフィールド――! 本当に生きて……!」
(オーエンのとこの野郎か。……普通の人間じゃかなわない俺をあの蜥蜴野郎をけしかけて殺すつもりだったみたいだな……ま、道理か。目には目を、化け物には化け物をってな)
胸の内でつぶやきつつ、殺気立つルカに対峙している男は顔面を蒼白にし、顔だけうしろにいる仲間に向ける。
「おい、行くぞ……! あのバケモンどもに勝てねえ奴に俺らが敵うわけがない!」
「――正攻法ならな?」
焦りを隠せずにいる男とは違い、いたって冷静に彼の仲間はそう言いつつ、すぐ近くで戸惑っていたエイヴリルを羽交い絞めにして見せた。
「ちょっと……触らないでよ!」
そう怒鳴りながらエイヴリルが暴れるのを、男はにやつきながら腕の力を強めて制止し、ルカにまざまざとその様子を見せつけるようにしている。
「……だから言ったんだろうが、バカ」
嘆息気味に、ルカ。エイヴリルを助け出す手段を幾つか思案しつつ、彼女を拘束する男の動向を見守る。
「化け物でも人の子ってか、こいつ、お前の女なんだろ?」
「はぁ? んなわけあるか。俺が乳くせえガキなんか相手にするかよ」
目を半目にしつつ、あっけらかんと即答するルカに、エイヴリルは唖然とした顔をしてから、頬を紅潮させた。
「は!? ちょっと、失礼じゃない! 誰がガキよ! あんた目おかしいんじゃないの!?」
男に羽交い絞めにされているのにもかかわらず、エイヴリルは癇癪を起して一層暴れはじめた。無謀極まりないその行動に、エイヴリル以外のその場にいた誰もが、彼女の行動にぎょっとした。
(そういうところが、ガキだって言うんだよ!)
そう胸中で毒づきつつ、ルカは慌てて戦闘態勢を取った。そんなルカより慌てているのはエイヴリルを捕まえている男とその仲間である。
「おい、おとなしくし――」
「触るなって――言ってるでしょ!」
男の拘束が若干緩んだ瞬間、エイヴリルはその場で跳び上がって男の顎に思い切り頭突きを食らわした。
「がっ!?」
小さく悲鳴を上げ、頭突きを食らわされた男は突然の痛みにひるんだ。エイヴリルは身を翻すと、怯んだ男の服をひっつかみつつ、急所を蹴り上げた。――人間の急所と言うのは、いくつか存在するが、エイヴリルが攻撃したのは言うまでもない――つまりは、睾丸である。
「言っとくけど、格闘訓練だけは成績よかったんだから! てかいちいち手つきがキモい! 顔もキモい! やり方もキモい! くせにあたしに触んな! どいつもこいつも、ホントムカつく!」
急所への攻撃により、悶絶していた男にエイヴリルは更に一方的に殴る蹴るなどの暴力の応酬を食らわせる。最早八つ当たりじみたそれに、ルカは小さく肩をすくめた。
「……凶暴な女も、もうまっぴらごめんだ」
誰に言うでもなくルカは呟いてから、ただ呆然とサンドバッグと化した仲間を見つめるチンピラの片割れに向き直る。
「……これが非魔術師と魔術師の差だ、理解できたか?」
言いながら、ルカは青ざめた男の顔面に容赦なく拳を食らわせた。
「……散々な目にあったぜ」
宿に戻るやルカは、優雅に食後のコーヒーなんかを飲んでいたアイヴァンの目の前に、気絶させられ、ぼろ雑巾のようになった先ほどの二人を床に放った。
「……どういう状況なのかはわかりませんが、オーエン側の連中とは言え、あまりこう……うちの構成員ですし、もうちょっと人間としての形態をとどめて返して欲しいのですが……」
片一方のかろうじて人間の顔だと分かる悲惨な状態になっている男を見やりながら、アイヴァンはぶつくさ文句を一つ。もう一方の、目にも当てられない状態になっている方の男はなるべく視界に入れないようにしている。
「やったのは俺じゃねーよ……」
「ではエイヴリルさんが? ご冗談を、可憐な女性ではないですか」
笑いながら、アイヴァン。男たちを無力化してから、宿に帰るまでの道のりに散々エイヴリルに八つ当たりぎみに非難され続け、疲弊しきったルカは目を半目にして続ける。
「……お前はあれを見て可憐とか言えるのか」
エイヴリルが怒りのままにぶち抜いた壁を、亭主が半泣きになりながら補修しているのを指さしながら、ルカは言う。それに対して、アイヴァンはあいまいな笑みを浮かべたまま黙殺した。
「――ま、クスリの依存状態はまだ治っちゃいないんだ、精神状態が不安定になるのも無理はないがな……」
「……そうですね」とアイヴァンはルカの言葉につぶやくように返し、疲弊している表情のルカを見て続ける。
「ルカさんも多少は休んだ方が良いのでは? 明日の夜までに、時間はまだありますし」
「……そうだな。正直なところ、まだ本調子ではねえし……少し休んで、ジェラルドの手伝いでもすることにするよ」
軽く片手を上げながら部屋に戻ろうとするルカに、アイヴァンは、
「……もし明日、死者が出たとしても、貴方が責任を持つ必要はありません。貴方はマフィアの内部抗争に巻き込まれた――それだけなんですから」
そう言葉を投げかけた。ルカはそれを無視するように、そのまま階段を上がって行く。
その「死者」という言葉が、オーエンや構成員を指しているのか、アイヴァン自身――もしくは、その両方かもしれないが――どれかを指しているのだろうとルカは漠然と思った。
(どれにせよ、どうでもいいことだ)
責任と言う気休めがあったところで、自分が殺したという事実は、ルカの中にまた傷を残すのだから。
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