6-2.5


 ごぼっ、と幾度目かわからない気泡をリンドは苦し気に吐き出した。酸素を取り入れようとするリンドの肺だったが、酸素の代わりに入ってくるのは液体ばかりだ。

 どれくらいの時が経ったか分からないが、あの魔術の一撃により意識が飛んでから、リンドは気づけば拘束されて水の中にいた。

(……息が……)

 薄れていく意識のなかで、浮かぶ遠い日の記憶。その記憶はほとんどが紺碧で構成されている。大きな翼で雲を切り裂き、無限に広がる天空を飛び回った。

 リンドが駆け抜けた後には嵐が巻き起こる。そうしてリンドはきまぐれに天候を掻きまわし、災厄を振りまいた――否、振りまいた自覚などはない。リンドにとって、空の下で起きる事など頭の隅にも存在せぬほどどうでもいいことだったからだ。

 ――端的に言えば、リンドは泳げないのだ。天空を舞う竜たるリンドの記憶には海や湖なんてものは無かったから。同じ青でも、リンドの世界の青は、空のみだった。

 その記憶の隅々まで探したが、リンドの記憶の中にこんな苦痛はない。

 まるで、命を削り取っているような――竜たるリンドはこの程度で死にはしないが、息苦しさがなくなるわけでもない――はずだ。完全なる竜ではないこの身体の今は分からない、とリンドの深層にそんな思考が沈んでいる。

(クソが――一体、なんだってんだ――あのクソ魔術師、オレ様を嵌めやがったのか――)

 腹部の痛みとともに、忌々しい黒髪の魔術師の姿が浮かんだ。しかし、リンドの視界にそれらしい人物はいない。

 眼前には分厚い硝子で隔てられており、ぼんやり見えるその先には、恐らくリンドが今閉じ込められているものと同じであろう培養槽のようなものが複数ある。

(何が何だかよくわからねーけど――ウゼェ。ゼッタイ殺す)

 自分をこんな状況に追い込んだ身の程知らずを、リンドが放置する理由はない。

 自分にこんな苦痛と、何よりも屈辱を味合わせた者をさんざん痛めつけてやろうと思案しつつ、あの魔術師に食らわせた竜の魔法――の模倣たる魔術を行使しようと空間中のマナに干渉し始める。ドラゴンには人間の魔術師のように、詠唱や術式などと言う形式は必要ない。ただ単に、呼吸をするかの如く空間中に存在するマナを操るだけでいい――この状態でも、魔術を発動させることはリンドにとって容易なことだ。

「―――!」

 発動させるだけのマナは集まった――しかし、リンドの身体に存在する魔力が抜けて行っていることに気が付く。

(――クソ、この水が原因か……)

 体内の魔力だけでなく、当然体力も奪われているわけで——リンドの意識も薄まっていく。若干焦りながら、脱出する手立てはないかと可能な限り見まわす。薄れる意識の中、見えたものにリンドは目を疑った。

 相対することはありえないそれが視界に入った瞬間、リンドは思い出す。記憶を訂正する――リンドの記憶の中に湖はあった。ある拍子に空から堕ちた際、それは湖の水面に映っていた。

(そのあとは、よく覚えていないけど)

 ぼんやりした記憶のなかで、唯一リンドが鮮明に覚えている記憶だ。今相対しているそれを、意識を失う寸前にリンドは確かに見たのだ。

(何で――が――)

 黄昏の鱗で覆われた巨体。雲を切り裂き嵐を巻き起こす翼。闘争を好む同族をいくつも屠った鋭い鉤爪。天空の支配者、生ける災厄、世界すら食らうとされる者――。

 つまり、リンドの本来の姿を持つ何かが、培養槽のなかで眠りについていた。


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