6-2
「ああ、ルカ。ようやく起きて来たか」
相変わらずの強面だったが、どこか安心したような柔らかい表情で、亭主は降りてきたルカを迎えた。
アイヴァンとその部下であろう男たちが、何かを話しながら食事をとっているのが見えた。それ以外にもちらほら客がいる。それなりに繁盛しているようにルカには思えた。
「悪いな、ご主人。俺をマサチカのとこに連れてきてくれたんだって聞いたよ」
「いや、お前をここに連れてきてくれた奴がいたから、お前を先生の所へ連れて行けたんだ」
「そうだ……俺を、ここまでつれてきてくれた人って言うのは、一体――」
尋ねかけて、どたばたと言う騒がしい足音が聞こえてルカは口を閉じた。その方向を見やろうとすると、背中に何かが縋りつく。
「ルカあ―――!」
驚きつつルカはその涙声の人物へ視線をやると、見覚えのあるピンクブロンドの少女がルカの背中に抱き着いていた。
「エイヴリル!? なんでここに」
とりあえず背中にしがみついているエイヴリルを引きはがしつつ、ルカは尋ねる。
学校で出会ったときは黒いローブにピンクのワンピースを着ていたが、目立たないようにするためか、シンプルなシャツにパンツスタイルと言う派手好きそうな彼女にしては地味目な格好をしている。
甘茶色の釣り目には大粒の涙が浮かび、表情にはありありと怒りの色が浮かんでいた。
「そんなことどーだっていいじゃないっ! なんで元気になったのに、顔見せないのよ!」
ヒステリーを起こしたような甲高い声だったが、エイヴリルはぼろぼろ涙をこぼしながらルカの胸倉をつかんだ。
「ほんとに心配したのよ!」
「いや、そもそもお前がいること自体俺は知らなかったんだが……」
「何でよ! あたしはあんたがいること知ってたのに!」
「いや、お前、それは理不尽ってもんだぞ……」
「エイヴリルを知っていたのか、お前さん」
意外そうな顔をしつつ、亭主。喚き散らし続けるエイヴリルにたじたじになりながら、ルカは口を開く。
「ああ、魔術学校の講師に行った、って話はしただろ? ご主人こそ、エイヴリルのこと知って――」
言いかけて、ルカは慌てて口を閉ざした。そんなものは、聞かずともわかる事だ。――サイラスの娘だからだろう、とルカは断定する。未だ泣きじゃくっているエイヴリルを直視できない。
「あんたまで、あたしのせいでっ、また、死んじゃうかと思った……」
(また……)
泣きながら言うエイヴリルの言葉の真意がルカにはよく分かった。同時に、自責の念がまたふつふつと沸いてくる。
ルカが居心地悪そうに亭主の方に視線をやると、表へ出ろとばかりに顎をしゃくった。営業妨害だからなのか、外の空気を吸わせてやれという気遣いなのか――どちらもなのかは分からなかったが、とりあえずエイヴリルを連れルカは宿から出た。
夜の冷たい空気で肺を満たす。もう春だというのに、夜は未だに寒かった。防寒性に優れるローブを纏っていれば別だが、ルカの今の恰好は手当をするために着替えさせられたであろう木綿の上下に、軽い上着を羽織っているだけだ。腕に黙ってしがみつくようにしているエイヴリルの体温がよりあたたかくルカには感じられた。
人気をさけるようにして――なるべくオーエンの息がかかっていないであろう通りを歩いた。避けたとは言っても、旧教会通りにはやはりそれなりに人がいる。今の状態を一見すれば恋人に見られてもおかしくない――実際、ルカとエイヴリルの年齢差は四つか三つほどしか変わらない。こういう街の人間にとっては格好のおもちゃだ。そのために冷やかされたり罵声を浴びせられたりもしたが、黙ってルカが睨みつければ、やはりそう言う連中はすぐに引いていった。
あてもなくぶらついていた二人だったが、たどり着いたのはサイラスと話し込んだ枯れた噴水がある場所だった。どこか因縁じみたものを感じて、ルカは顔を歪めた。
「中毒状態は、治ってるみたいだが」
噴水のへりに腰掛けつつ、ルカは静かに尋ねた。赤くなった目をこすりながら、エイヴリルは口を開く。
「……ダウズウェル先生のお陰。でも、依存は治せないから、あとはあたしの精神次第だって。頑張って我慢しないとまた薬物に呑まれるよって……今は落ち着いてるけど、まだたまに……」
「……そうか。がんばれよ」
それだけ言って、ルカは黙り込む。エイヴリルの視線がこちらに向いていることも分かったが、ルカは目を合わせないままだ。
「魔術学校から退学になって――お母さんの実家に帰ることになったんだけど、その前にダウズウェル先生がセインシアに行くって聞いて、ダウズウェル先生が乗った馬車に忍び込んで付いてきたの。あとで怒られたけど」
「お前な……」
「確かめたいことがあったの。危険だってことは、わかってる」
たしなめようとしたルカだったが、毅然とそう言い切ったエイヴリルに、はっとした。
「……父親のこと、聞いたのか」
「アイヴァン君に聞いたの。全部。ごめんなさいって謝られちゃった。それに、あんたが、お父さんのために戦ってくれたことも聞いた……ありがとう」
「……俺は、なにもできなかった」
ルカは絞り出すようにして苦し気にうめいた。その時の無力感が襲ってきて、ルカは唇を強く噛みしめる。
「なんであんたが殺したみたいな顔するのよ、やめてよ、お願いだから……」
エイヴリルは視線を下に向けながら「それにね」と続ける。
「此処に来る前から、なんとなく分かってたんだ……」
「分かってた……?」
「いつもお父さん、直接プレゼント持ってトルトコックまで来るのに、バースデーカードを送ってきただけだったの。だから変だなって思って。それが、確かめたかったこと……」
夜風にエイヴリルの髪が揺れる。いつもの気丈さは消え、そのまま彼女が攫われてしまいそうにルカは錯覚した。震える声で紡がれるエイヴリルの次の言葉を、ルカはただじっと待つしかできない。
「……お父さんに会ったよ。もう何も、言ってくれなかったけど……会えたの」
それだけつぶやくように言って、エイヴリルは膝に顔をうずめ、静かに泣き出した。
――夜の静けさが二人を包んだ。荒み切ったセインシアの旧教会通りとは別世界のように感じられるほどに、この空間だけが静寂に満ちている。しばらくしてから、ためらいつつ――その静寂を破ったのはルカだった。
「……謝ってほしいって」
「……え」
「お前の親父さんに、謝っておいてくれって頼まれた……」
「……そんなの、直接聞きたかった……あたしなんかのために、死んでなんて欲しくなかった……!」
ルカがあのときサイラスにかけた言葉と似たものをエイヴリルが呻くように言って、続ける。
「あたしがあんなものに手を出さなければ、お父さんは死なずに済んだのに」
「たらればだ、そんなもの――」
ルカはそうきわめて冷たく吐き捨てる。瞬間、うつむいていたエイヴリルがばっと顔を上げ、ぬれた目でルカを睨みつけた。
「そんなことわかってる!」
「じゃあ、お前が死んで、何が変わったって言うんだ。お前が死んで、喜ぶのか、お前の父親は」
「……変わらないけど……でも、あたしなんか生きてる価値ない……守る価値なんて――」
「それを決めるのは、お前じゃない」
「何で! だって、あたしのせいだよ! お父さんが死んじゃったのも、あんたが怪我をしたのも、全部あたしのせいじゃん!」
「違うとは言わないよ。俺がお前だとしても、同じことを思うはずだ」
「だったら――」
「……お前を守りたかったんだ、あの人は――お前に生きて欲しいと、そう思ったんだ……それを、お前が否定するのか」
自責し続けていたエイヴリルがその一言でわめくのをやめた。少し前の自分もきっと彼女と同じ気持ちだったに違いないと、今のルカには分かる――分かるからこそ、伝えてやりたかった。
「あの人は、最後までお前のことしか考えてなかった。セインシアも、俺のことも、マフィアどものことも全部どうだっていいってな――お前の事、愛してた――俺には、そう思う」
「でも、それでも生きていて欲しかった……」
打ちひしがれているエイヴリルの唇からぽつりと言葉がこぼれ始める。
「わがままだって分かってる、あたしのせいなのに、でも、もう一度だけ抱きしめて欲しかった、あたしが謝りたかった、いっぱいいたいこともあった、まだ、一緒に……いたかった!」
こぼれ出した悲哀が濁流となってエイヴリルに言葉を吐き出させ続けた。
「だから、あたしのためになんか死なないでほしかった……あたしを大切だと思うなら、生きていて欲しかったの……お父さん……お父さん、会いたいよ……っ」
エイヴリルの言っていることは、きっとはたから聞けば至極身勝手な事だろうとルカは思った。自分の蒔いた種だ、自業自得だと罵られて当然だろう――と。それでも、ルカには単純にそうは思えない。
(わかるよ、エイヴリル――お前の気持ちは。でもな)
とめどなくあふれてくる感情に歯止めが利かなくなったらしいエイヴリルは、ルカにしがみついて更に泣き出した。
(それだけ大事にされていたってことが、お前にもいつか分かる時が来るはずだ)
腕の中の少女へ――そして、かつての自分への言葉を、ルカは胸の内だけでつぶやいた。
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