六章 思わぬ再会

6-1

 魔術学校にあった彼のラボと同じく、壁にはびっしりと術式が描かれ、足の踏み場もないほど何かの書類や本が乱雑に散らばっている。亭主が把握しているかいないかはルカには分からなかったが、していれば雷が落ちそうなので、恐らく後者だろう。

「あて名は書いていなかったけど、麻袋に書いてあった術式で君からのものだと分かったよ。解き間違えたら爆散するなんて、相変わらず、物騒な術式しかかけないんだね君」

 重い腰をようやく上げたジェラルドは、恐らくセインシアに入るための変装なのだろう、神学者かなにかのつもりなのだろうか、学者然としたいでたちをしていた。

「手紙にヒントが書かれていたけど――まあ、そんなもの見なくてもすぐわかった。術式の詠唱は4824222――48戦中24対22と2分け。僕らの模擬戦の試合数と勝敗引き分けの数だね。これも僕の勝利数としてカウントさせてもらうよ。というわけで、僕は23勝だ」

 平然とした口調で言ったジェラルドに、ルカは厳しい形相で詰め寄る。勢いのまま胸倉をつかんで口を開いた。

「んなことどーだっていいんだよ! お前、あの術式は――」

「もし僕が教えた黒幕だとしたら、こんなところに来るほど間抜けじゃないよ。君にだって、分かるだろ」

「……まあ、確かに……そもそも、俺がぐーすか寝てるんだから、殺すことはいつでもできたわけか……」

 ルカは納得がいったようにつぶやいた。掴んでいたジェラルドのシャツを離し、安堵の息をつく。

「まったく……本当は、僕を信じてくれていたくせに。だから手紙と死体を送ったんだろう。……ありがとう」

「……はっ?」

 やけに素直にジェラルドが言うので、ルカはつい面食らって、すっとんきょうな声を上げた。慌てて取り繕おうと、ルカは視線を彷徨わせ、口を開く。

「……別に。そんなんじゃねえよ、どっちにしろ、なんらかのアクションがあるだろうと思っただけだ……。てか、お前からありがとうなんて、んな殊勝な言葉が聞けるとはな。面白いもん聞けたぜ」

 と、ルカは憎まれ口を叩いて見せた。ただ、付き合いの長いジェラルドにはルカが心底安心しているのがよく分かっていたのだが。

「……君って、憎まれ口を叩かないと死ぬ病気まだ治ってないんだね」

 吹き出しながら言うジェラルドに、ルカは「うるせえ」と言いながら肩を小突いた。

「お二人はご友人だったのですね」

 ルカの後ろからひょこっと顔を出し、アイヴァン。

「……ただの腐れ縁だよ」

 未だ不服そうな表情のルカは、ぼそっとそう呟くように言った。

「まあ、自己紹介の手間が省けていいじゃない。……とりあえず、ルカが寄越してきたあの死体と術式についてだけど」

 話始めようとするジェラルドを、ルカは視線で制した。

「アイヴァン、席を外してもらえるか? 流石に非魔術師に聞かれていい話じゃないんでな」

「どうせ聞いても理解できる話じゃないと思うけど。別にいいんじゃない?」

 あっけらかんと言うジェラルドにじとっとした視線を送ってから、ルカは再び口を開く。

「俺にはアルカナ階位持ちの魔術師としてのメンツがあるんだ。お前みたいな犯罪魔術師モドキと違うの」

 そんな風に言うルカにジェラルドはふーん、と興味なさげな声を上げた。見かねたアイヴァンが、

「わかりました。僕は下で食事をとっているので、何かあれば呼んでください」

 そう言ってそそくさと部屋を後にした。


 アイヴァンが扉の前から立ち去る気配を確認してからルカはようやく話し始める。

「で、どうだったんだ、あの男と、術式については」

「まあ、あの死体は多分、ただのモグリの魔術師だろうね。調べてみたんだけど――連盟のデータベースには載っていなかったから。そのことを鑑みると、連盟に所属していない魔術師、それか、トップシークレット――アルカナ最高位、裁定の魔術師の執務室にデータがある、アルカナ階位持ちのの魔術師なのかのどちらかだ」

「消去法で連盟に所属していない魔術師、という事になるな」

 ルカの言葉にジェラルドはうなずき、続ける。

「で、彼の体内にあった布に描かれた術式の詠唱は『エドワード・アンサラー』。やり方はトリッキーだったけど、術式としては単純なものだったから、簡単に解けたよ」

「……やっぱりか……」

「……なんだって、あの人の名前なんだろう」

「あの魔術師が、エドワード・アンサラーに接触したと言っていた。そして、俺を殺せと命令したらしい。……あり得ると思うか?」

 「まさか」と言ってジェラルドは眉をハの字にしつつ続ける。

「くだらない質問だよ、ルカ。彼はアルカナ階位を束ねる裁定の魔術師、エドワード・アンサラー。そして、僕らの教官だ。彼以上に、僕らの実力について正しく理解している人物はいない――だからこそ、君を確実に殺そうと思うなら、彼はきっと――」

「自分自身の手で、俺を殺そうとする……か。まあそうだろうな、アイツはそう言う男だ。部下だろうがなんだろうが、魔術師の秩序とやらのためなら犠牲は平気で払う……そういう奴だよ」

 苦虫を嚙み潰したような表情で、ルカは声を震わせながらそう言った。ジェラルドはルカに一瞬視線をやってから、居心地悪そうに頭を掻く。

「……まあ、教官の名前は有名だけど、顔を知ってる人は少ない。誰かがあの人の名前を名乗って、適当なことを言ったんだろうね。それを信じるのもどうかと思うけどさ。ていうか、教官が君を殺すわけないじゃないか。理由がない」

「どうだかな……」

 ジェラルドが気遣うのに、顔をしかめたままでルカは弱弱しくそうつぶやいた。

「それで……残っていた魔力の持ち主だけど……ジェイミー・セネット。魔術連盟トルトコック支部所属魔術師。目立った功績もなければ際立った不祥事も起こしていない。ただ、魔術師至上主義者マギストのデモに複数回参加している点だけは、マークされているね」

 言いながら、ジェラルドは本に挟んでいたらしい紙をルカに手渡してきた。特にこれといった特徴もないような――あえて挙げるなら、そばかすがあるくらいの、一見暗そうな女の似顔絵が簡単な来歴とともに載っている。

「……ちょっと待て。ジェラルド、なんで連盟の魔術師一覧のデータベースの写しなんてあるんだ。一応秘匿しているはずだが。それも、引きこもりのお前が」

 そう尋ねると、ジェラルドは待ってましたとばかりにどこか得意げな表情をしたので、なんとなくルカは嫌な予感がした。

「今の魔術連盟本部は魔術師のデータを資料として保存するのではなく、情報をある部屋自体に術式として刻んであるんだ。僕が階位持ちだった時、アルカナの定例会議で本部に来た時にその部屋の情報を読み取る術式を仕込んどいたのさ」

「まあたお前はそういう、才能の無駄遣いを……何でそんな真似したんだよ」

「次のアルカナ全員強制出席の定例会議とかの情報や日時もその部屋に刻んでおくんだ。その近辺に留守にしておけば、定例会議の迎えの馬車に乗る事を回避してサボることができるからね。まあアルカナの称号をはく奪されたからもう意味なかったんだけど、今回それが役に立ったわけさ」

(コイツの才能の無駄遣いは、今に始まったことじゃないけど……今回は一歩間違えれば死刑待ったなし……いやいつもだそれも)

 あまりにもくだらない理由のために、平気で魔術師の秩序を無視するジェラルドに、ルカは愕然とした。ジェラルドがこういう真似をするのは、一度目ではないし、もう何度めか数えるのももう億劫になったほどだったが。

「情報を術式に残しておけば、資料として残しているよりも、紛失は防げるし、偽装するのも面倒だけど、僕ならそこをハッキングして勝手に閲覧するくらい、造作もない。まあアルカナのデータベースは無理だけど……今の魔術連盟に、僕と同等の術式魔術を使える魔術師は、教官くらいのものだ。あの人が作り替えさえしなければ、数秒で解析できる」

「なんで黙認してんだ、アイツは……」

「僕は必要悪だってことだろうね。そもそも、僕じゃなかったらアルカナ追放だけじゃすまなかったかも」

 より不機嫌そうにするルカを無視して、ジェラルドは続ける。

「しかしまあ、逆に考えると、僕と教官以外にもしその技術を使える魔術師がいるとしたら、僕の術式が流出した理由も分かるかもね。正直、そんな人いるわけないと思って、ラボのセキュリティは割とザルだったから。あの魔術学校で、そんな実力をもった魔術師がいるとは、今でもにわかには信じがたいけれど……」

「……とりあえず、目の前の問題を解決してからそっちの方も調べてみる必要がありそうだな」

 ルカの言葉にジェラルドはうなずいてから「話を戻そう」と声を上げる。

「ジェイミー・セネットは、僕がトルトコックに来る前の、術式学の教諭だったんだけど、妊娠したとかで休職したらしい。他にも数人の教諭が長期出張に出ていたり、離職している人もいるんだ」

「……それは、つまり、魔術学校の教師がオーエンとつながっている魔術師である可能性があるという事か」

「いや、教師だからじゃなく――共通項があるんだ。魔術学校のクラブ活動のひとつ、魔術史研究クラブが、ちょくちょくフィールドワークに出ているんだよ――ちなみにクラブの部員の中にはトラヴィス・ヘーゼルダインという生徒をはじめとした、ジェイミー・セネットと同じマギストのデモに参加している生徒が多くてね。クラブを隠れ蓑にした魔術師至上主義者のたまり場って噂があるんだよね」

「思想を持つのは勝手だが、比較的魔術師関連の思想のなかでも、魔術師至上主義マギズムは過激化しがちだからな……」

「……そういう連中の考えそうなことがよく分かる――かつての魔女狩りへの報復、ヴァルプルギスの夜の再現――そのあたりだろうね」

 いつにもまして静かなジェラルドの声に、ルカは聞こえないような素振りをした――正しくは、聞こえないように意識をよそに向けているだけなのだが。

「……目的がそうだとして、何だってんな、回りくどい方法を取ってんだ」

 とりあえず、頭に浮かんだことを反射的にルカは口に出した。ジェラルドは少し考えてから、首を傾げつつ口を開く。

「気をそらせるため、じゃないの? それ以外特に思いつかないけど」

「その、ヴァルプルギスの夜の再現のためにか? それなら――」

「……教会でも爆破しちゃえば早い話なのにね」

「…………」

 ジェラルドの言葉に、ルカは徐々に表情を曇らせた。言っているジェラルドの表情も段々と翳りを見せているが。

「……ごめん、思い出しちゃってさ。僕らとは、切っても切り離せないじゃない。だから、さ」

 手元にある本のページを意味もなくめくりながら、ジェラルドは呟くように言った。

「……何か目的があるんだろう、オーエンの野郎を利用する理由、必要性が……」

「……まあこれ以上は仮説にしかならない。もっと調べてみる必要があるね、それこそオーエンを捕まえて魔術師たちの居場所を吐かせるか、僕が見つけ出すか、それからだ」

 本を放り投げながら、ジェラルド。そのまま腰かけていたベッドに寝転んで大きく伸びをするのをルカは呆れ顔で見ていた。

「つうか、お前が心の盗人の原型を作ったのは事実なんだから、お前だって責任は取れよ、なんらかの形でな」

「だからこうして君に協力してるんだ、裁判の時は僕が有利になるように証言してよね。あとは被害者側の弁護人を買収するとかさ」

「この――この人でなし眼鏡が!」

 平然と抜かすジェラルドにかっとなったルカは、ジェラルドが放り投げた本をわざわざ拾って顔面に投げつけた。

「うぐっ!?」

 分厚い本による強烈な不意打ちを食らったジェラルドは、情けない悲鳴を上げながら顔を押さえている。

「天誅だ天誅。明日はお前もちゃんと働けよ、そうじゃないとしばくからな」

 そう言いながら手を振りつつ部屋をあとにするルカに、「暴力魔人め……」とジェラルドは恨み節のようにぼやいた。

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