5-5
若干荒々し気に扉が開く音がして、ルカとアイヴァンはほぼ同時に音の方へ目を向けた。
「先生」
親し気な声を上げたのはアイヴァンである。そう呼ばれた人物は、ドアが半開きになって、顔をのぞかせているマサチカだった。
(なんでギンズバーグファミリーのボスと、マサチカが――)
マサチカと視線が合ったルカはなんとなく、心臓を絞られているような苦しみを覚えた――物理的なものではなく、心的なものだ。
絶望的な面持ちのルカに対して、マサチカは何か言わんとして口を開いた。その瞬間を、ルカは処刑台にでも立っているような気持ちで見ている。
「――また同じようなまねをできないようにと思ってな、今度は縛り付けて口も封じさせてもらったぜ。腹が立つくらい健康体だったから、容赦なく。魔術師ってのは、口をふさいじまえば魔術を使えないんだろ? アイヴァンから聞いた」
「と、言うわけです……控えた方が良いのでは、ともボクは思ったのですが、先生が良いと言うので……」
と、アイヴァン。下がった眉をより下げて苦笑している。
(グルなんだああぁあぁあっ!)
ある意味絶望的な気持ちになって、ルカは胸の内でそう叫んだ。
「縛らなくたって、逃げたりしねえよ」
猿轡だけはなんとか外してもらえたルカは、不服そうにそう抗議し、続ける。
「そもそも非魔術師を殺したとなったら、俺の首が飛ぶしな」
「でも魔術使って縄を斬るぐらいはできるんだろ、お前」
マサチカにそう指摘され、ルカはうっ、と言葉を詰まらせた。
「魔術使ったら二度とその口きけねえようにしてやるからな。俺の知識は薬だけじゃねえぞ」
半ば脅迫のように続けられたマサチカの言葉に、ルカは半目になる。
「それが医者の言う言葉か……」
「いう事聞かねえ患者には多少荒治療が必要なんだよ」
「多少……?」
「じゃあ、俺は戻る。アイヴァン、そいつがなんかしでかしたらボコボコにしていいから」
それだけ言って、欠伸をしながらマサチカは部屋から去った。ルカは口を開けたまま、閉められたドアを少しの間見つめ続けていた。
「医者って……なんだっけ……」
「ああ言っていましたが、先生、目が覚めないあなたの事を心配していたんですよ」
そう言ってから、アイヴァンは軽く咳払いをして、続ける。表情はさきほどルカとはじめて対面したときのような、緊張したものだ。
「貴方とはずっとお話したいと思っていました。僕たちも貴方も、現状を打開できずにいる。きっとこの取引は、貴方にも悪い話ではないはずだ」
「ギンズバーグは今、分裂状態にあるんだったな。あんたんとこの構成員の一人から聞いた」
「……サイラスの事ですね。彼を泳がせていたから貴方にたどり着いた。彼には感謝しなくてはいけませんね」
なんとはなしに言ったであろうアイヴァンの発言だったが、ルカはそれにひどく苛立った――自分に対しても。言葉に出さなかったものの、その空気がアイヴァンにも伝わったらしく、彼はばつの悪そうな顔をする。
「……すみません、失言でしたね。職業柄、慣れ切ってしまうもので。サイラスは――僕にもよくしてくれました。本当に――そう、いい人でした。マフィアなんて、そもそも向いていなかった」
そう続けたアイヴァンに、ルカは沈黙を続ける。そんなルカに、きっと貴方もそうだったんでしょうね、とアイヴァンは俯きがちにぽつりと呟いた。
「――もういい。俺があの人を助けられなかったのも、お前が見殺しにしたのも、どちらも同じだ。死んだヤツは、戻ってくることはない。後悔したって、今更何の意味もなさない。――そもそも、俺にもお前にも、彼を悼む資格があるとは、思えない」
ルカの言葉に、アイヴァンは静かにうなずいた。それから、ゆっくり顔を上げたアイヴァンは、口を開く。
「……話を戻しましょう。貴方が眠りこけていた三日間……今のセインシアは貴方にも非常に不利な状況になっています。心の盗人の常習者が、新教会通りの人間を襲ったんです。強姦した挙句、金目の物を奪い取ると、最終的には撲殺――それが数件」
「……想定していた事態だな、寧ろ今まで起きていなかったのが奇跡だぜ」
「そして貴方とオーエンの雇った用心棒が起こしたあの騒ぎ……新教会通りの住民から不満の声が上がっていますし、異端審問官が調査に来るのも時間の問題でしょう」
「異端審問官……」
苦々し気な顔をして、ルカは同じ言葉を繰り返した。魔術師として――そしてルカ個人としても、生きていてあまり聞きたくない言葉だ。
「リーズ教会で唯一公式に武力を持つことが許され、奇跡じみた力を持つという選ばれた聖職者――リーズ教会が持つ、魔術師に対抗することのできる唯一の手段……と聞きました」
「……違っちゃいねえよ、認識としてはな」
言いながら、ルカは考えるように口元に指をあて、続ける。
「つまり――魔術師と懇意にしているどころか、結託して悪事を働いているなんて教会に知られちゃマフィアもやってられない、で、魔術師である俺も教会に嗅ぎまわられると不都合だろう、だから協力しろ、ってか」
「端的に言えば、そうです。それともう一つ、ボクがオーエンを潰すには、この機会を利用するほかありません。オーエン一人に責任を負わせ、教会に引き渡せばボクたちギンズバーグは解体を免れるかもしれない」
「俺達としても、オーエンに関わっていた魔術師を槍玉にあげれば教会側の風当たりも少しばかりは弱まる。確かに悪い話じゃない。けど、俺にとってはマフィアだなんだとどうだっていいんだ。今すぐ魔術で拘束を破って、オーエンの居場所やらなんやら、お前を拷問した方が早い」
「その方法を取るつもりなら、貴方は既にそうしているはずです」
「…………」
アイヴァンの言葉に、ルカは黙り込んだ――つまり、図星である。無用な暴力を行うほど、ルカは無作法ものでもなかった。
(この野郎……足震えてるくせに、肝が据わってるのか座ってねえのか……よくわかんねえ奴だ……)
ルカは胸の内で毒づきつつ、テーブルの下でがたがた震えているアイヴァンの足を見た。毅然とした発言をする男についている体の一部とは、ルカにはとても思えない。
「……貴方に断ることはできないですよ。もしかしたら教会に匿名の通報があるかもしれません――魔術連盟の幹部が、リーズ教会への攻撃として、信仰心厚い教徒が多くいるセインシアに魔術的薬物を広めた、とか」
「……脅し文句としちゃあ、まあ合格には近い。だが、お前の計画を聞かなきゃ話にはならねえな」
「……もし満足いかなければ、断るおつもりですか」
「いいから、話せって言ってるんだ――俺が魔術師であるという事を忘れるな、たかだか少しばかり頭が回るだけの、非魔術師のお坊ちゃんが」
ルカは苛立ち気味に、そう吐き捨てた。べつにアイヴァンの発言に苛立ったわけではない――優位に立たれそうだったことに苛立ったのだ。相手に優位に立たれるというのは、取引をすることにおいて、致命的なことだから。
「……明日の晩、心の盗人の件について説明をさせるという名目でオーエンを呼び寄せます。何らかの手段を使って連中はボクを殺害しようとするでしょう。そこで貴方に用心棒役としてついてもらい、オーエンを捕まえ、魔術師たちの居場所を吐かせるつもりです」
「……ずいぶん単純かつ穴のありそうな作戦だな」
「それくらいしか思いつかない――いや、選択の余地がないくらい、僕も追い詰められているという事です」
自嘲気味に笑いながら、アイヴァンは続ける。
「ボクについてきてくれる部下は、おじい――先代の想いに賛同し、ずっとファミリーを支えてくれている者が数人だけですしね。まあ道理だ、先代だって、こんな僕にボスを継がせる気はなかったでしょうし。実際ボスになれたのも、ボクが先代の遺書を偽造したからです」
「お前の父親は? オーエンに殺されたのか」
少しばかり表情をゆるめ、ルカ。別に聞く必要もなかったし、そこまで興味すらなかったのだけれど――なんとはなしに、そう問うた。
「いえ……ボクの父は、魔女狩りの際に教会に反抗して、処刑されました」
「……何故だ? お前の父親は、魔術師じゃないのに」
他人事とは思えない理由に、興味を持った様子のルカだったが、質問されるたびにアイヴァンの表情は陰っていく。泣きそうな笑みを浮かべつつ、うつむき気味のアイヴァンは口を開く。
「同じセインシアを守ろうとした仲間もろとも……殺されるのが耐えられなかったそうです」
「……そう」
余計な事を聞いた、とルカは後悔した。今にも崩れ落ちそうなアイヴァンだったが、それを振り切るようにかぶりを振る。
「どれだけセインシアの人々に嫌われても、ギンズバーグファミリーは、セインシアを守らなければならないんです。そんなボクたちが、今はセインシアを汚し、傷つけている。おじいちゃんと父さんが守り愛したこの街を――」
感情的になっているのにはっとしたらしいアイヴァンは、ちいさく咳払いをしてから続ける。
「……失礼。とにかく、このままではボクも貴方も共倒れです。……そうならないためにも、貴方には協力していただきたいんです」
「つまり……失敗すればセインシア全体と、教会を敵に回すってことか。とんでもなくハイリスクだな」
「……承知の上です」
それだけ言ってから、アイヴァンは黙り込んだ。これ以上の話し合いをする気はなく、ルカが是か非か答えるのを待つだけのつもりらしい。
しばし考えてから――と言っても、そこまで時間も掛からず、ルカは静かにうなずいた。
「協力してやってもいい。俺も、攻めあぐねていたところだし。お前らの矜持もセインシアもどうだっていいが――連盟の魔術師としてはさすがに今のセインシアを放置するわけにもいかないしな」
そうルカが答えると、アイヴァンは緊張の糸が切れたらしく、机に崩れ落ちた。あまりにも顕著な変化だったので、ルカはつい苦笑する。
「はぁ……よかったです……正直、ぶち殺されるんじゃないかなあとか思ってました……」
「マフィアのボスらしからねえな、本当に……」
「ボスをなんだと思っているんですか、ただの人間ですよ、人並みに恐怖もします。殆ど檻も何もない状態で、猛獣と対峙しているようなものなんですからね」
「……一言二言多いのは、ムカつくけどな。やっぱりもっと脅しとけばよかった」
半目でルカが言うと、慌ててアイヴァンは愛想笑いを繕って見せ、話題を変えようと思案しているのか、目を泳がせている。
「え、ええっと、ああそうだ! ルカさんにぜひ会って頂きたい方がいるんです、オーエンに逃げられた時の保険と言いましょうか、魔術師たちの居場所を探っていただいている方で」
「居場所を探る……てえと、同業者か……」
「ここの隣に部屋を借りていらっしゃいます、ルカさんのご友人だとお聞きしましたが」
それを聞くや、ルカははっとして、すぐさま魔術で縄を斬ってしまうと、部屋を飛び出した。突然のことで驚いたアイヴァンだったが、慌てて後に続く。
「――ジェラルド!」
ノックもせずに、それどころか部屋の主の顔も確認せず、ルカは友人の名を呼びつつドアを開く。
あの亭主が管理している部屋とは思えないほど、開かれたドアの先の部屋は散乱としていた。音に反応したらしい、ベッドの上で本を読んでいる男の茶髪が揺れる。
「――やあ、ルカ」
そう声を上げたのは、ずれた眼鏡を直しつつ、ぼさぼさの頭を掻いている――まさにルカが名を呼んだジェラルドその人だった。
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