5-4

「今のところ……異常はなさそうだな。本来なら精密検査をしたいところだが、設備がないし……。けがは二、三か月で治るだろうが、安静にしろよ、お前、死にかけていたんだからな」

 一通りマサチカが検査し終わって、ルカにそう忠告した。

 シャーロットは診療所に戻り、部屋にはマサチカとルカ二人だけだ。窓から差していた夕日はほぼ沈み切っており、夜の気配が街を包む。ルカが来た時と変わらず、帷の落ちてからの旧教会通りは徐々に活気づいていっていた。

「……ありがとう」

 静かな声で、ルカ。マサチカはそれを聞くと、かすかに笑って肩をすくめた。

「礼ならお前を見つけて、此処に連れてきてくれた奴にも言っとけよ」

「……誰だ?」

「俺は会っていなくてな。この小鹿亭に連れてきて、お前を置いていったら出て行っちまったんだと。だから親父さんならどんな奴か知ってるんじゃないかな」

 マサチカがそう言うのに、まだ体力の戻っていないルカは疲れが出てきて、ふうん、とだけ返した。

「親父さんも、俺やロッテがいない間はお前の面倒を見てくれていたんだぞ、それに、小鹿亭に押し掛けてきたギンズバーグの連中を追い返してくれたらしいし」

「……俺が寝てた間、何かあったか」

 なんとなく思って、ルカはそう尋ねた。マサチカは困ったような顔をして、口を開く。

「まあ大体わかっているだろうが、あの通りを派手にぶち壊して暴れまわったせいでギンズバーグの連中がお前を探してやっきになってる。俺はあまり連中について良く知らないが、そんな俺の耳にも届いてる位にな」

(俺のことを、引き渡したっていいはずなのに。匿うメリットなんて、ないだろうに……)

 ルカはそう思ったが、口には出さなかった。マサチカがあきれ返って、馬鹿だの後ろ向きだのなんだの非難される未来が見えたからだ――目の前にいる男も、亭主も、今の自分の周りにいる人間は、そんな人物ばかりだと今のルカにはよく理解できる。

「……馬鹿なことを考えている顔だな」

 目をすがめ、マサチカは不服そうな顔で言う。図星だったルカは口をとがらせ、

「……医者ってのは何だ? 読心術でも使えるのか?」

 そう尋ねる。マサチカは目をぱちくりさせてから、脚を組みなおしつつ考えるような表情をする。

「読心術って言うか……色んな患者を診てると、なんとなくわかるんだよ。嘘ついてるとか、不安なんだろうなとか……お前の場合は、ネガティブ思考になってるとき眉が下がってる」

「……読心術じゃなく、洞察力だったか……」

「まあ、そんなこたあどーでもいいんだ。お前が追ってる例の薬物――心の盗人のことだが、あれの常用者がここ最近どっと増えてな、それをめぐっての暴力沙汰も多くて、珍しくうちの診療所も繁盛してるよ――それに新教会通りの方にも、じわじわと増えてきているらしい」

「……本格的にまずい事態になったな……想定していたことだが」

 ルカは苦々し気な顔をしてから、ふとあることを思いついてマサチカに尋ねることにする。

「マサチカの世界にも、そういう薬物に依存した人間を治療する術はないのか?」

「俺の世界にもモルヒネ、コカイン、覚醒剤……そう言った薬物乱用の犯罪は横行してるが……いまのところ、薬物依存者に対しての特効薬は存在しない。中毒状態が治ってからも、依存がすぐなくなる事はないしな。特別な施設に入ったり、専門家の指示を受けて少しずつ薬物から離れていくしかない」

 言い切ったマサチカに、ルカはため息をついた。

「……どんな世界でも、人間が考える事ってのはあまり変わらないんだな」

「人間なんて、そんなもんだ。ダメなことだって分かってるのに、繰り返す。悪い事だって分かってるのに、手を出す。それがたまたまその薬物だっただけで、みんな同じだよ」

「人間が完全無欠の存在だったんなら、そもそも生まれたこと自体を嘆いて早々に自殺するだろうしな」

「ま、お前がニヒリスト決め込んでたって、状況は変わらんわけだが……そうそう、お前の友達とかいう奴が、小鹿亭に来てるらしいぞ――で」

 マサチカが言い切る前に、ルカはばっとベッドから飛び起きようとした――実際には、全身に痛みが走って悲鳴を上げただけだったが。

「馬鹿! だからさりげなく話に混ぜ込んで流そうと思ったのに! お前な、もう一度言うが死にかけたんだからな!?」

 そう非難してくるマサチカをルカはきっと睨みつけ、無理やり身体を起こす。

「重要なことを、そうやってごまかそうとするなっ! じゃあ世話に、なっ、たっ」

 必死になってベッドから降りようとするルカを、マサチカは慌てて止める。

「そーゆーから本当は言いたくなかったんだ! ベッドから動くなっ! お前な、左腕骨折した自覚ないのか? それどころか、手の火傷もひどいし――!」

「ぐぐ……紡ぐは命の糸死の足音を遠ざけよ――」

 口早にルカが唱えると、マサチカはつい身構える。非魔術師――それも異世界人のマサチカにはどんな魔術が飛んで来るか分かったものではない。

「こんなとこで魔術を使うんじゃ――」

「っぎいっぁぁぁあッ!」

 火傷と骨折をいっぺんに治そうとしたばかりに、ルカの体中に激痛が走った。皮膚がはがされるような痛みが手に走り、ルカはベッドの上でのたうち回った。

 そんな様子に、一瞬マサチカは呆然としたが、我に返りルカに慌てて駆け寄る。

「……ルカお前、何をした!」

 そう怒声を浴びせてくるマサチカに、痛みに涙目になっているルカはぐるぐる巻きにされた包帯を取って見せた。火傷の痕が薄く残っていたものの、先ほどのようなひどい状態ではない。骨折していた左腕も何事もないように動かしている様を見せられ、マサチカは信じられないというような顔をして、絶句した。

「な、治ったからもーいーだろ! ……じゃあ、世話になったな」

 そう言って、ルカは平然とベッドから降りた。しばし黙ったままのマサチカだったが、眉を吊り上げ、びしっとルカを指さし、口を開く。

「いいわけあるかっ! お前な、そういう訳の分からん方法でソッコー治せるなんて、絶対なんかリスクがあるんだろ! 副作用とか! そんな上手い話があるか!」

「とりあえず今のとこは大丈夫だよ、……そら、たまにガタが来るときもあるけ――」

 言いかけて、ルカはふっと意識を失い、その場に崩れ落ちた。挙句の果てに、白目を剥いて泡を吹きだしたのでマサチカはつい愕然とした。

「は? 一体何が……」

 突然の出来事にマサチカの思考は混沌としていたが、医者としての本能的なもの――どちらかというと、職業病に近いかもしれないが――それが働き困惑に支配されかけたマサチカはその支配を振り切るやすぐに動いた。

「だぁあああああ! ほんと魔術って意味わからん! だから言っただろうが!おい、ルカ!ルカーーっ!」

 必死に呼びかけるマサチカの声は、白目を剥いて倒れているルカの耳には届かなかった。




 三度目の覚醒――だったが、ルカは目を覚ました途端、ある違和感を覚えた。

 視界は明瞭――カーテンの閉め切った部屋は、うすぼんやりしたオイルランプが申し訳程度に光っているだけだ。

(部屋自体は、小鹿亭の――俺がいた部屋のようだが……この状態は……)

 一番のルカの違和感と言えば、手も足も座らされている椅子に何故か縛り付けられていることだ。それに加え、猿轡まで噛まされている。

「起きられましたか……。すみません、大変無礼な事をしているということは自覚しています。けれど、魔術師相手に取引するには、このくらいしないとこちらの命が危ういので」

 自分を拘束した張本人であろう、若干高めの男の声がルカの耳に届く。

(……腹は立つが理解はできる。賢明な判断だ。起き掛けにこれはやっぱりムカつくけど)

 本人に向かって罵声の一つでも浴びせたいところだが、今はできないので、ルカはとりあえず胸中で毒づいておく。

 向かい合わせで座る、テーブル上のランプの光量を調整したらしい声の主の顔をようやくルカは視認した。

 十代か、二十代くらいの恐らくは年齢よりも童顔そうな、ふくよかな青年である。丸顔でたれ目ぎみの目、ぺちゃっとした鼻――お世辞にも整っているとは言い難いが、どこか愛嬌のある顔立ちだ。癖毛の亜麻色の短髪はくるくると逆巻いている。緊張しているような面持ちで、ズボンを両手で握りしめている。

「ボクはアイヴァン・ギンズバーグ。現ギンズバーグファミリーのボスを務めています」

 その外見からはとても信じられないような事を言うので、ルカは眉をハの字にして、訝った。その表情を見るや、アイヴァンは苦笑いを一つ。

「見えない自覚はありますよ。ボク自身、マフィアのボスなんて向いていないと思っていますし……そもそもでね」

(これでか? マフィアのおうちの倫理観はやっぱり狂ってやがるな)

 不服そうな顔をするルカを一瞥し、アイヴァンは笑みを消して口を開く。

「ルカ・アッシュフィールド。貴方の噂は……聞かずとも耳に届いています。うちの構成員を数人ケガさせた挙句、三日前に盛大に旧教会の周囲を派手に破壊してくれましたからね」

 恨み節のような声音ではなかったが、アイヴァンの言った事総てが事実だったので、ルカはつい目をそらした。

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