五章 転機
5-1
ルカ・ナイトレイの生い立ちは、魔術師としてはありきたりなものだった――彼の生まれた時代の、リーズ教会による魔女狩りが公然と行われていた時代では。
あの時代には魔術連盟による抑止力がなかったので、リーズ教会は魔術師がいかに邪悪なものであるかと民衆に吹聴し、非魔術師の魔術師への差別が過激化していった。どこにも居場所のない魔術師たちは非魔術師にまぎれ、怯えながら日々を過ごしていた。ひとたび魔術師だと隠していたのが非魔術師に知られれば、容赦なく教会に告発される。昨日までは親しくしていた隣人でも、結婚を誓い合った相手だとしても、例外はない。告発した者は、信仰心の厚いリーズ教徒として教会から栄誉を与えられる――もっとも、魔術師を弾圧しようと言う信仰よりも、庇ったり、知らずのうちに匿っていたという、自分たちが殺される恐怖の方が大きかったようだが。
だからその時代の魔術師の悲劇なんてものは、普遍的なものなのだ。ルカの人生も、その中の一つに過ぎない。
ルカが物心ついたときそばにいたのは、兄と母だけだった。兄に「母は非魔術師だったが、父が魔術師だから、自分たちも魔術を扱えるんだ」と聞かされた。何が忙しかったのかは分からないが、ルカは生まれてから父が家に帰ってきたのを見たことがない――今考えれば、わが身可愛さに自分たちを捨てたのだろうとも思える。
ルカたちが住んでいたのは辺鄙な――観光名所も何もないような村で、家族三人つつましやかな生活を送っていた。無論、長く続くはずもない――そもそも、羊たちの中で、狼が暮らせるわけがないのだ。その狼が、牙を持っていなかったとしても、狼であることに変わりはない――ただその牙を、隠しているだけかもしれないし。
自覚のないルカが非魔術師に対して牙をむいたのは、ある出来事がきっかけだった。
元々内気で、少々年の割に冷めていて周りに馴染もうともしなかったルカは、同い年くらいの子供たちに煙たがられ、恰好の的になっていた。そもそも兄にべったりだったので、ルカ自身は気にもしていなかったのだが――可愛がっていた子犬をいたぶられそうになったのがきっかけで、珍しく他の子供たちと喧嘩になったことがあった。
「……っ」
ケガをしている子犬を胸に抱き、ルカは歯を食いしばって立ち上がろうとした。子供というものは残酷なもので、殴られた経験がないから――痛みがわからないから、加減を知らない。無知ゆえの残虐性である。その割に変に頭が回るので、大人から悟られないためにか、ルカは村から少し離れた森でこうした暴力を受けていた。
立ち上がろうとしても、その辺で拾ったのだろう木の棒で殴られて崩れ落ちる――ルカの身体はボロボロだった。
(どうして、ぼくがこんな目に――ぼくは、わるい事なんてしてないじゃないか――)
段々、苦痛よりも怒りがふつふつと沸いてきた。子供たちは、甲高い笑い声をあげながら楽し気にルカを殴り続ける。
(兄さんがいるときは、何もできないくせに。本当は、弱いくせに、ひとりじゃ、なにもできないくせに――)
憎まれ口のひとつでも吐いてやろうとルカは思ったが、不毛なので胸の内だけでとどめておく。今はとりあえず、この犬だけ――大事な家族だけ守れればいいと思っていたからだ。
(まあ、それは、ぼくもだけれど)
他人事のようにそうルカは胸の内で自嘲する。それでも、寄ってたかって自分を殴り続ける彼らよりはましだとルカは思った。
時が過ぎればいずれは飽きるだろうと思って、じっと耐えていたルカだったが、一人が子犬を取り上げようとこちらに腕を伸ばしたのが視界に入った。子犬は震えながら、小さな鳴き声を上げている。
体内の何かが膨張したようにルカには感じられた。その何かがなんなのかはわからなかったが、ルカはかっとなって口を開く。
「さわるな――触るな!」
ルカの怒鳴り声が響くと、ルカから子犬を取り上げようとした子供の眼前で爆発が起こる。爆発の衝撃波で数メートル先まで勢いよく吹き飛ばされると、その子は地面に強く叩きつけられた。
「――あ……」
呆然としながら、ルカはその子供が地面に倒れ伏して呻いている声を聴いた。
魔術師の子供は、魔力が高い――所謂、才能のある子供であればあるほど、故意でなくとも魔術を使ってしまう事がある。つまり――ルカは無意識に怒りに任せて魔術による爆発を起こしてしまったのだ。
しばらく苦しそうにしていたが、やがて気を失って静かになった子供を見て他の子供たちはパニックを起こし、その場で泣きわめきはじめた。
「――魔術師……魔術師だっ!」
近くを通りかかったらしい男――光景を見ていたのだろうか、顔を青ざめさせてそう悲鳴に近い声で叫んだ。
魔術師が忌むべきもので、見つけ次第殺される程度の知識くらいは、渋々通っていた教会の学校でルカも聞いたことがあった。自分が魔術を使ったとは未だ信じがたいルカは、かぶりを振って否定する。
「ちが……ちがう、ぼくじゃない! だって、ぼくは――こんなの知らない――! ぼくは、魔術師なんかじゃない!」
ルカの弁明を聞くことはなく、男は一目散に立ち去った。子供たちは未だ泣きじゃくっている。状況がいまいち理解できず、混乱したルカは、慌てて家に逃げ帰った。
ルカが住んでいた家は、別段、変わったところのない家だった。そこまで広くはないが、三人暮らしには申し分ないくらいの広さで、簡素な家具もある。――それこそ「普通」を作り上げているように、整然としているようにも見えるが。
「おかえり、ルカ。どうしたの、慌てて帰ってきて……」
ルカの衣服についた砂埃を払いながら、彼の母親は困惑気味に尋ねてきた。長い茶髪を一本の三つ編みに結わえた、二十代の、年齢にしては童顔気味な女だ。
父の顔は見たことがないが、帰ってきたルカに心配そうに駆け寄ってきた兄は母似の優し気な顔立ちだった。ルカと同じ紫色の目をぱちくりさせ、不思議そうにしている。
ルカに抱かれていた子犬はというと、家に帰ってきたことに安心したらしく、ぐっすり眠っていた。
一瞬、ためらったが、ルカは泣きながら事の顛末を母に話した。
「……どうして……」
ルカが一通り話し終わると、それだけ呟いて、母は泣き出した――それは、ルカが見た初めてにして最後になる、母の泣き顔だった。
「ロイ、ルカを連れてすぐに村から出なさい」
未だ涙を流してはいたが――厳しい口調で母に言われ、呆然と聞きながら、泣きじゃくるルカをなだめていた兄――ロイはひどくうろたえた。その母の一言で、ロイはすぐに理解できたらしい。ロイはルカよりも五つ上だったので、自分と弟が魔術師であるかもしれないということを、母に知らされていたのかもしれない。
「ロイは、ルカのこと、守ってあげて。お兄ちゃんだから、できるわね? ……ルカも、あんまりわがまま言ってロイを困らせない事。……ふたりとも、愛してるわ。これからも、ずっと」
二人を抱きしめて、今度は優しい声音で母は言った。その手が震えていることに、ルカは気づいていた。――もしかしたら、母はこうなることを想定していたのかもしれないと今のルカには思える――死への恐怖は、ぬぐえなかったようだけど。
「母さんは……?」
泣きながら言うルカに、母はいつもの優し気な笑顔を作って見せた。
「わたしは……もういいの。幸せだったから。もう十分よ」
どこか諦めたような母の声をききながら、泣きわめくルカはロイに半ば引きずられる形で家を出た。
その一年後、やっとの思いでルカは故郷を訪れたが、廃墟になっており、かわいがっていた子犬も、自分たちが暮らしていた家もなにもかも無くなっていた。
魔女を孕んだ女として、リーズ教徒に石をぶつけられて処刑された母の名前を、ルカは後に聞いた。
不運というものは――重なるもので、村には丁度異端審問官たちが慰問(と称して、魔術師がいないかを確認しに来ている)に来ていたため、男の報告で事が露見するや魔術師を匿った罰として瞬く間に村に火をかけられ、村人全員が処刑されることとなったのだ――村人たちは、ルカたちが魔術師だなんてことは全く知らなかったのだが。
逃げ出そうとする子供は斬り殺され、祈る老女も炎に放り込まれた――行っているのは聖職者だが、皮肉にもまさに地獄といったような光景だったと今のルカには思える。
兄に手を引かれながら、ルカは燃え盛る建物からまだ通れそうな狭い場所を通る。息が苦しい――喉が燃えるようだった。
見知った顔の死体がそこら中に落ちている。それを踏んづけたときの感覚を、ルカはいまだに忘れられない。誰かの死と対面するのに未だに慣れない原因でもある。
「ルカ、ちゃんとおれの手をにぎってるんだぞ、だいじょうぶ――だいじょうぶだから」
火の粉を払い、炎からルカを守りながら、ロイはまたルカの手を強く握りなおしてくれる――絶望的な状況なのに、不思議と気力がわいてくるような力が、兄の声にはあるような気がした。
「おれが、まもらなきゃ……ルカの、お兄ちゃんだから……」
母に言われた言葉を言い聞かせるようにつぶやく――呪詛のような兄の声もルカの脳裏にこびりついていた。
自分のせいで、兄にとって母の言葉は呪いになったのだとルカは自覚した。
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