4-5

「たく、ホントバカも休み休み言えよ、くだんねーこと言ってっと、早死にするぜ?――そのおっさんみたいに」

 ここまでくると、もはや才能ではないかとルカは思った。ほぼ初対面で自分をここまで苛立たせる人物は、この男を除いて他にはいないかもしれないと思う位には、今にもルカの怒りは爆発しそうだった。知ってか知らずか、リンドは思い出したように「そうそう」と言って、

「オーエンの奴に頼まれて、ついでに拷問してたんだけど、そのおっさん、最後まで口を割らなくってさ。言うってやっと言ったと思えば、オレさまのことを侮辱しやがった――ムカついたからちょっと投げたら、動かなくなっちゃって。だから馬鹿は早死にするってな」

「――うるせえ!」

 ルカの怒鳴り声が詠唱となり、崩れかかった近くの廃屋が爆砕した。砂煙が立ち上り、瓦礫や破片が爆風に乗って舞った。意識的に破壊したわけではない――ルカの、無意識下により発動してしまった魔術である――それは、感情をコントロールできない時、衝動のままに魔術を使ってしまう、ルカの悪癖だった。

 体内の魔力が多い魔術師ほど、強力な魔術を使える――それ故に、ルカのこの悪癖は危険なものだ。力の制御をしていない無意識下の魔術は、どれだけの規模の被害が出るのか、ルカ自身にもわからない。

 爆発によって飛んできた瓦礫をひっつかんでその辺に放ったリンドは、先ほどとは打って変わってつまらなさげな顔をして、口を開いた。

「お前――魔術師か。人間の分際で偉そうに魔法の真似事をしやがって。ムカつくぜ」

「……まるで、自分が人間ではないような物言いをしやがる」

 多少冷静さを取り戻したルカが、かすれぎみの声でそう言った。

「当然。オレさまを、んな下等生物どもと一緒にされちゃ困るわ」

「お前が本当に人間なのか人間でないのかは知らないが――好都合だ。魔術を使っての戦闘行為を禁止されているのは非魔術師の人間相手のみ――」

 そう呟くルカの纏う空気は明らかに変わった。戦場の空気というものがある。それは戦いに身を投じる者にしかわからない、五感では感じられない、獣じみた感覚――本能で理解できるものだ。それを感じ取ったか否かは分からないが、リンドの目にも獰猛な光が宿る。

 ルカはブローチを外し、ローブをその辺に放った――丁度、サイラスの死体あたりに転がっている瓦礫に引っかる。

(厄介そうな野郎を寄こしやがって、地獄でぶち殴ってやるから覚悟しろ)

 ルカは胸の内でサイラスに毒づいてから、リンドを睨みつけ、口を開く。

「てめえが人間でないと自称するなら、俺は存分に魔術を使って戦えるんだからな」

「ほう……魔術なんて小手先だけのもんを使えるだけで、オレさまに勝てる気でいるのか? 思い上がりもいい加減にしてほしいんだ――」

「汝招かれるは黒の領域!」

 リンドが言い終わる前に、ルカの詠唱が響く。リンドの身体は重しでも付けられたかのように――正確には、地面に向かって押さえつけられているかのように、身動きが取れない。

「よくしゃべるな、てめえはよ。地面に這いつくばってろ!」

「ち……」

 リンドが無理やり足を動かそうとすると、足元が激しい音を立ててひび割れた。

 リンドを魔術で押さえつけつつ、ルカは弾かれたように地面を蹴ると、ナイフを引き抜いてリンドに躍りかかった。

「ハ! 人間の分際で――重力操って、カミサマ気取りかよ! 笑わせんなッ!」 

 言いながら、リンドは振るわれたナイフを掴んで見せた。明らかに刃を強く握り込んでいるのに、リンドは特に気にする風もない――そもそも、動けるはずもないのに。想定外のリンドの行動に、ルカは驚愕――というよりはぞっとして、反射的にナイフを手放し、慌てて口を開いた。

「猛然たる朔風の王よ!」

 ごうっ!という音とともに、暴風があたりのものを巻き上げながら、リンドの方向に吹きつける。その魔術の発動と同時に圧力から解放されたリンドは暴風も飛んで来る瓦礫すらもものともせず弾かれたように跳躍すると、勢いのままルカに蹴りを放った。

(早い――!)

 魔術で防御する間もなく繰り出されたリンドの蹴りをルカは右腕で防ぐ。腕に食らった強烈な衝撃とともに激痛が走り、ルカは顔を歪めた。

 リンドは攻撃の手を緩めず、ルカに魔術を使わせる隙を与えない。消耗ばかりで、埒が明かない――と急いたルカが攻勢に出ようとする……

「な――!」

 途端、鈍器で殴られたような衝撃が走りルカの視界がぐらりと揺れた。こめかみあたりに拳を叩きこまれ、脳震盪で意識が飛びかけたのだ。それでも容赦なくリンドは拳を振り上げてくる。

 そんな余裕があったはずはなかったが、ある瞬間、ルカにはリンドの表情が鮮明に見えた。笑っていた――嘲笑ではない。 何か楽しい事でもしているかのように、笑っていたのだ。つまり、この男は――暴力に悦楽を見出しているようにルカには思えた。ぞっとした――ルカの根本の、本能的な部分が逃げろと警鐘が鳴らし続けている。

(逃げる? ――この、クソ野郎を放置して、どこに逃げるって言うんだ!)

 くだらない本能の叫びを一蹴し、ルカは口を開いた。

「……闇を払い降り注げ――陽光よ!」

 視界がぼやけ、意識がもうろうとしつつ、ルカはろれつが回らない口でそう唱えた。ルカの掌から強い閃光が放たれる。熱も何もないただのまばゆい光だったが、リンドの目をくらませるには十分だった。

 すぐ近くにあった廃屋を視認すると、ルカは勢いよくそこへ飛び込む。ルカが飛び込んだ途端、廃屋のもろい壁はすぐ崩壊した。

 ルカは肩で息をしつつ、頭から流れてくる血が目に入ってきたのを鬱陶しそうに乱暴に拳で拭く。強烈な一撃を防御したルカの右腕は脱力している。腫れた部分を押さえると激痛が走り、ルカは顔を歪めた。

「……紡ぐは、命の糸、死の足音を、遠ざけよ」

 そう唱えた瞬間、ルカの体中にさらなる激痛が走る。ルカの使った治療魔術は人間の自然治癒力を強制的に魔術によって引き上げ、損傷部分を異物である魔力で補うもののため、ルカの身体は拒否反応で悲鳴を上げていた。いまだ身体を蝕む痛みをルカは無視しつつ、右腕を試しに動かしてみる。

(力も入る、異常はない……骨はくっ付いたみたいだな。意識ももうぼんやりしていないし――視界もはっきりしてる――一時的にこれならまだ動ける)

「おいおいおい、逃げんなよ。これじゃあオレさま、退っ屈なんですけど!」

 一息つくまもなく、飛来でもしてくるかのように、リンドはルカのいる廃屋へ突っ込んできた。ほぼ崩壊状態にあった廃屋は建物の形状を保てなくなり、その衝撃で砂煙を上げ、崩壊した。

「破壊の牙持つ猟犬よ!」

 ひるむことなくルカが詠唱を唱えると、砂煙からぼんやりと見えた影に無数の黒い光の弾丸が放たれた。砂煙から人間離れした跳躍力でリンドが飛び上がる。まっすぐな軌道で飛んでいた弾丸は軌道を変え、詠唱通り――猟犬のように飛び上がったリンドを追尾する。

「――うぜぇっ!」

 苛立ちのままにそう叫びながら、リンドが弾丸を腕で振り払う。リンドの腕にぶち当たった弾丸は炸裂し、それが起爆剤になって他の弾丸も巻き込んで爆発を起こし、リンドは煙をまとって地面に墜落した。

(運が良ければ大やけどで済む筈だが――大抵は、死ぬ)

 ルカはそう思いつつもそれでも警戒を緩めずに構えなおした。リンドが普通の人間とはどこか違うと、ルカには感じられているからだ。

「——馬鹿じゃねーの? オレさまじゃなきゃ、焼死してたぞ。お前、拷問の意味知ってんのか?」

 立ち上る砂煙からリンドは平然と歩いてくる。黒焦げになったコートを邪魔そうに投げ捨てつつ、目をすがめていた。

「……化け物が。せめて意識不明くらいになっとけ」

 ルカは半ば絶望的な気持ちで半笑いになりながら、毒づいた。正直、意味が分からなかった――ルカはリンドを殺す気であの魔術を放ったのだ。それなのに、死ぬばかりか大したケガも負っていない――信じられない事だった。

 そんなルカをしり目に、リンドは場に合わない大欠伸をしてから、口を開く。

「まあまあ楽しめたが……オレさま一昨日からオールしてて二徹目なんだよね……魔術師ってしぶといし、めんどくせーから――そろそろおしまいな」

 眠そうな声で、リンドは言い放つ。途端、周囲の風の向きが変わるのがルカには分かった――それだけではない、強大な何かが近づいてくるような圧力のようなものが空間を震わせる。

(空間がざわめいている――というより、何かのエネルギーのようなもの――所謂、マナと呼ばれるものが、あの男を中心にして、巻き上がっているような――感覚――)

 マナ。この世界に存在する不可視のエネルギー。万物を構成し、物質を形作るものだと信じられている――魔術師が魔術を使うために行使するものでもある。非魔術師には存在を認識できないが、魔術師にはどの程度の量が場に存在しているか程度は認識できる。

(マナの消費が多いほど、膨大な魔術を扱うことができる――こんな、異常な量を制御して魔術にできる魔術師はそういない。魔術自体が霧散するか、魔術師が蒸発して死ぬだろう。ならこれは、何だ――!)

 ルカは不可視の存在に押しつぶされるような錯覚に陥った。手の震えが止まらない、今すぐに目を瞑ってしまいたいとさえ思った。――恐怖に陥ったのだ、つまりは。

(人間でないってなら、なんなんだ――魔術――魔法が使える生物――神、エルフ、妖精、あとは――)

 ルカが現実逃避気味に思考を巡らせるが――リンドはそんな猶予は許さなかった。

「あ、街中でやるもんじゃねーか……でもま、オレさまには関係ねーし。――んじゃ、バイビー!」

 リンドが気の抜けるような声を上げると、おびただしい数の幾何学模様の円環が空間に描かれるように展開した。赤くきらめくそれは、ルカには世界の終わりかのように思えた――

(おそらく――空間のマナを喰う――正確には体内魔力に変換して発動させるというドラゴンの魔法――竜の息吹ブレス! よりにもよって、生ける災厄――世界を滅ぼす力を持つ――ドラゴンだと!)

 ぞっとしない事実に、ルカは反射的に口を開く。――無駄かもしれない、と言う考えもよぎったが。

「総て防げ七の要塞!」

 ルカが目の前に両手を突き出しながら、そう叫ぶと不可視の障壁が現れた。ほぼ同時にリンドが展開した円環から爆炎が一斉に襲い掛かる。

(炎の範囲が広い――!)

 障壁の幅を広げつつ、障壁で守られていても両手に襲う熱に苦悶の声を上げた。襲い掛かる炎の勢いはとどまることはなく、むしろ勢いを増していく。

 魔術の障壁を支え続けているルカの指は焼け焦げている。インナーと同じ特殊な素材で作られた魔術連盟支給の手袋は耐火性だが、高熱は両手全体に伝導している。太陽に触れ続けているような感覚に、ルカの心身は弱り切っていた。

(――熱い――もう、いやだ――もう――俺には耐えられない――あの熱から守ってくれた兄さんが、にはもういない――)

 もしかしたら、今の自分と同じような思いを兄はしていたのかもしれない――そんな、今浮かぶにはあまりに呑気なことがルカの脳裏に浮かんだ。同時に、今自分が魔術を使うのを止めれば、自分ともどもこのあたり一帯が焼き尽くされるだろう――あの時のように――炎の記憶が、ルカの脳裏によみがえった。

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