4-4
建物がせめぎ合う旧教会へつづく路地裏は、崩された壁や、雪崩れているゴミが地面に散乱している。あきらかに逃走のあとだとルカはすぐに理解した。
(魔術でぶち抜けば早いが、さすがにな……)
新教会通りの人間は旧教会通りに干渉しないといっても、魔術師が魔術で街を破壊したとなれば話は別だ。そもそもルカは、魔術師であることを偽って一介の巡礼者としてこの街に入り込んだのだから、罪を重ねることになるわけだ。しかも教会の影響力の強いセインシアで罪に問われれば、やってもいない罪をいくつかでっち上げられ、むごたらしく公開処刑されることはよく分かっている。
(昔よくあった信徒が石をぶつけて処刑する方法は、不快に感じる人間が増えたらしくて無くなったようだが――まあ、なんにせよ派手にやるわけにはいかないか……)
ルカは妨害でもあり、指針でもある障害物を避けながら、サイラスが向かったであろう方向へ急いだ。
路地裏を抜けると、旧教会にごく近い開けた場所に出た。ルカの足元の剥がれた石畳には相変わらずそこら中にごみが散乱し、吐しゃ物がぶちまけられている。そのそばで、酔っぱらいか浮浪者の男が眠り込んでいた。この街にはやはりありがちな光景だ。
店として建て直したような建物もあれば、先ほどの廃屋のように、ヴァルプルギスの夜の後の状態のままなのだろう、ボロボロの元建物も混在した場所だった。小鹿亭のように、旧教会から離れている場所にはこのような廃屋は見かけられなかったが、旧教会に近づくにつれてヴァルプルギスの夜の爪痕が顕著にあらわれているようにルカには思えた。
そんな絵にかいたような最悪をしり目に、当然といえば当然であるが、早朝の空気はやけに澄んでいた。夜に比べれば、朝の方がずっと人が少ないのも理由の一つかもしれない。
(一体、どこに……拉致されて、拷問されているのか――それとも――)
ルカはふと、なんという気はなしに――正確には、ある気がかりがあって、振り向いた。この場所に出たとき、ルカは倒れていた男を浮浪者か酔っぱらいが眠りこけていると断定した。それは本当にそうなのか――自分がそうであってほしいと思ったばかりに、そう決めつけたのではないか――と。
「――――」
よく見れば見覚えのある背恰好だった。顔を覗き込めば、顎から頬にかけての傷が、確かにその男にはあった。ただ眠り込んでいたなんてそんな状態ではけしてない。ありえない方向に足や腕が曲がり、肌が晒されている箇所には、痣や傷の暴力の跡がしっかりと残されていた。――つまりサイラスだったのだ、その男が。
「――おい、しっかりしろ! 今、治療を――!」
ルカはサイラスの身体に手を翳し、慌てて魔術を行使しようとした。こんな状態の相手に治療魔術を施して、意味があるのかという考えが脳裏によぎったが、そんな事はルカにはどうでもいい――ルカには、とにかくサイラスが死ぬのが許せなかった。
「……無事に、受け渡せたか……」
「そんなことどうでもいいんだよ! 黙ってろ!」
「むりだって、分かってんだろ……俺が、一番、わかってる……」
息も絶え絶えに、サイラスが言った。微かな声だったが、その一言でルカの衝動に歯止めがきいた。
(確かに、今治療魔術を使ったって意味がない……むしろ――身体が拒否反応を起こして激痛のあまり死ぬだろう。分かってる、分かってるんだ、分かってるんだけど――)
ルカは唇をかみしめ、翳した手を下す。そもそも、サイラスがこの状態で生きて、それも喋っているのも奇跡だとルカには思えた――奇跡だといっても、致命傷が瞬時に治ってしまうくらいの奇跡とやらは起きない。それがルカには、呪わしかった。奇跡の模倣の技術と呼ばれる魔術を扱うくせに、そんな奇跡を写せない自分にも腹が立った。
「……っ余計なことをしやがって、なんで、んなことをしたんだ……!」
顔を歪めたルカが絞り出したような声で問う。対してサイラスは痛みに顔を引きつらせつつ、薄く笑い、
「……俺は、クスリも、セインシアも、どうでもいい……俺は、家族のためにしか動かねえ……今回も、そうだ……クスリを作ったくそ野郎の尻尾を掴むためなら、てめえの命だって惜しくねえよ……」
そうつぶやくように言った。それを聞いたルカは眉を吊り上げ、表情を一変させる。
「ふざけるな! それで守ったつもりか! てめえがやったのはただの自己満足だ! その自己満足で、残されたエイヴリルが喜ぶとでも思ってんのか!」
怒鳴り散らしながら、続ける――ルカにとって、何かを守るために死ぬという行為は、何よりも許せない事だった。脳裏に残り続けるあのときの光景が浮かんで、無力だった自分とそんな自分をかばった兄を思い起こし、後悔と怒りがとめどなく湧き上がってくる――勝手にルカが自分とエイヴリルの立場を重ねているだけにすぎないのだが。
「お前らの自己満足で、どれだけ俺たちが苦しむのかわかってるのか! 死ぬなよ! 死ぬなんて俺が許さない! だめだ、だめだ、だめだっ!」
半ば駄々をこねる子供のように、サイラスに縋るような形でルカは叫ぶ。サイラスがルカの顔に目をやると、今にも泣きだしそうに顔を歪めていて、サイラスは「らしくねえなあ」と小さく笑った。
「頼むから……しゃんとしてくれよ……くそ野郎を捕まえて、代わりにエイヴリルに謝っといてくれ……あいつ、泣き虫だから……」
そう言い終わると、もう言う事はないとばかりにサイラスは口を閉ざした――二度と開くことはない口を。
「勝手にひとりで満足したような顔を、しやがって……人の仕事を勝手に増やした挙句、てめえの娘に謝ってくれ、だと……くそったれ……どこまでも勝手な奴だ……!」
痛みに苦しんだにしてはやけに穏やかな顔をしているサイラスに、ルカは憎まれ口をたたく。あの胡散臭い笑いをしなければ、腹が立つ物言いも返ってこない――ただの物言わぬ死体になり果てたサイラスを見やって、虚しさを覚えつつ、ルカはゆるゆると立ち上がった。
(……誰か来る)
すぐそこまで近づいてきている気配にようやく気付いた自分にルカは呆れかえった。その気配の主は足音からして確実にこちらへ何か目的を持って近づいてくる。弔う暇もない、感傷に浸っているなどもってのほか――そもそも、相当な阿呆でもない限り死体を放置するなんて真似をする筈がないのだとルカはやっと現実に引き戻された。
「ボソボソ死体に話しかけて、気っ持ち悪い奴だなぁ。それとも何? 売るつもり? したらやめてもらいたいんですけど。回収しろって言われたんでね」
足音が止まると、すぐに男の尖った声がルカの耳に飛んできた。
声のした方にルカが向くと、レティーリアでは見かけないような橙髪を黒いバンダナで上げた派手な髪型のルカと同じ年代くらいのように見える長身の男がいた。髪だけでも目立つというのに、髪色と同じ色のモッズコート、深緑のカーゴパンツ――一部で人気があるらしい異世界人風の服装で全身で固めている。男を牽制気味に睨みつけ、ルカは口を開く。
「お前、オーエンに飼われているリンドって野郎か」
外見の特徴からサイラスとエイヴリルの言っていた、オーエンが雇っている用心棒のリンドという男だと断定した。あまりにも変わった特徴だったので、すぐに会えばわかるだろうとルカは思っていたが、そうならまさに一目瞭然だ。
「そーだけど? 野郎に名前覚えられてても、別に嬉しくねえなぁ……そういうアンタはナニモンだよ。そのおっさんの友達? だったら悪いことしたわ」
「何……」
男――リンドの嘲笑うような小馬鹿にした態度に、ルカは眉をひそめる。不愉快そうなルカを見て、リンドは面白そうに笑い、続ける。
「ちょこまかちょこまかネズミみてーに逃げるもんだから、ぷちっと殺しちまったわ。ほんとは、生け捕りにしろって言われたんだけど……オレさま、いつまで経っても人間相手に力加減するの苦手でさぁ。だからゴメンネ」
「おまえ、が――――」
ルカは目の前が揺れるような感覚を覚えた――同時に、熱が体中を駆け巡るのがわかる。
「ただ、金はたんまり持ってたんで、ありがたく頂戴したけどね」
リンドが一言発するごとに、ルカは駆け巡る熱の温度が上がる気がした。さらに血が沸騰する、握った拳が震える、口の中に鉄の味が広がる――怒りを、自覚した。
「おー、怖い顔しちゃって。どーやらお友達だったみたいだな。でもアンタのお友達が雑魚だったのが悪いんだぜ? そらもう退屈でしょーがなくて」
「そんな雑魚を殺して、退屈とか言う割にずいぶん楽しそうだな」
「一人殺しただけでここまで稼ぎがあったのなんて初めてだったからさ、機嫌もよくなるってもんだよ。大体雑魚なんて、たいして金も持ってないのが相場だし」
肩をすくめながら、リンド。どれだけ魔術師として精神の訓練を重ねたところでで、怒りをコントロールするのはやはり得意ではないとルカは改めて自覚した――あの男に指摘されたときから殆ど成長をしていない、と胸の内で自嘲する。
「ああそう――んなに退屈だったんなら、俺に付き合ってもらおうか。お前と違って、俺は虫の居所が悪くてね……憂さ晴らしがてら、拷問させてくれよ。オーエン・スタントンの居所、心の盗人の取引について――聞きたいことは、たっぷりあんだから」
「は! 何を言い出すかと思えば……オレさまを拷問、と! てかしかもマジギレしてんの? 何から何までウケるわー」
嘲笑うリンドを、ルカは再度睨みつける。この男の軽薄そうな態度も、言動も、何もかもがルカを苛立たせる。しかし、もっとルカを苛立たせるものは他にあった。
(俺が今からするのは復讐や仇討ちなんて真っ当なものじゃない――いうなれば、これもただの自己満足、いや、最早八つ当たりだ――今も昔も変わらない、何も守れない無力な自分に、腹が立つ――)
胸の内でルカはそう毒づく。さらに殺気立つルカの様子に特に動じる様子もなく、リンドは相変わらず小ばかにしたように笑うだけだった。
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