4-3
夜明け前には準備ができる、噴水近くにあった廃屋で落ち合おうと話がついた情報屋と別れ、宿に戻ったルカは事前に準備しておいた男の死体が入った麻袋を見つめた。
麻袋には術式が書かれており、ほのかに光を帯びている。ルカはジェラルドほど術式魔術を得意としていないが、短時間で術式を完成させるという、一般的な魔術師以上のことはできる。逆に言えば、その程度の実力がなければ、アルカナ階位など得ることはできない。
(哀れな奴だ。しかし、エドワード・アンサラーに、命じられただなんて……そもそも、あの男がこんな奴の前に姿を現すとは思えない……まあ、姿も知らないはずだし、勝手にこいつの前に現れた魔術師が名乗っただけだろう。そんなことを信じてしまえるほど、必死だったようだし)
そんな風にふと思いながら、ルカは麻袋の上からもう一枚布をかぶせ、ロープでしっかり袋の口を縛る。それを終えるとベッド脇の大きな窓を静かに開けた。夜風がルカの頬を撫でる。
(んな夜更けに死体引きずって表から出るわけにもいかないし――)
主人に音で勘づかれて、何かしら言われるに違いない。なんだかよくわからないが、そういう、後ろめたいことに関してはやたらと耳ざといのだ、彼は。――そう、面倒が頭によぎったルカは、仕方なく窓から飛び降りることにした。とはいっても、ここは二階で、普通に飛び降りれば軽く骨折くらいは容易にしてしまう高さだ。
ルカは下をのぞき込み、人がいないことを確認するや躊躇することなく、死体の入った袋を引っ張りながら飛び降りた。二階程度の高さから、地面までの距離はさほど遠くはない。落下しながらルカは麻袋を引っ張る縄を持っていない方の左手を前に突き出し、口を開いた。
「わが身を包め、薫風の揺りかごよ――!」
地面に手が付かないギリギリの距離で落下速度が減速し、ルカは膝をついて静かに着地した。
砂埃を払いながらフードを深々とかぶり、ルカは麻袋を引きずり始めた。夜に溶けてしまえばローブを纏う魔術師も、ぼろ衣をかぶる浮浪者も変わりはないから。
罵声も浴びせられたし、絡まれもしたが――ルカは無事、無傷で例の廃屋にたどり着いた。
(顔を見られそうになった奴は、昏倒させて路地裏に放っておいたし、大丈夫だろう)
特に問題もなくたどり着いたことに安堵しつつ、申し訳程度についていた扉のドアノブをひねろうとしたが、容易に外れてしまったので、結局ルカはめんどくさくなって扉を蹴り破った。
机とか、椅子だったと思われる破壊されつくした家具だったものを見るに、ここは人家だったのだろうとルカは断定する。ヴァルプルギスの夜からそのままの状態で残されている――否、手が付けられていないだけだろうが。
「…………」
持ち主はもう戻らないのであろう、すっかり埃をかぶったぬいぐるみをルカは気まぐれに拾い上げた。よく見れば、あきらかに大人が座るには小さな足の折れた椅子とか、おもちゃらしき残骸があり、子供がいたのだろう痕跡が残されている。
何をやっているのかと自分自身にあきれ返りながら、ルカはぬいぐるみのほこりを払い、壊れかけた子供用の椅子に座らせてやった。片目になったボタンの瞳が、ルカを恨めし気に睨みつけているような気がした。気がしただけで、そんなものは被害妄想に過ぎないのだけど。
「そんな目で見るなよ。ここをやったのは俺じゃない」
意味のない事をぼやいてから、ルカは軽く目を閉じて時が過ぎるのを待った。時折壁から外を覗いて様子をうかがう。それを何度か繰り返していると、物音が聞こえてきたのでルカは反射的にばっと立ち上がった。
「…………仕事を依頼されて来た。サイラスの紹介で」
物音とともに、そう低いしわがれた声が聞こえてきた。するとルカによってぶち破られた入り口から、粗末な格好をしたフードをかぶった大男が入ってきた。仕事、と聞いてルカは運び屋だと断定したが、
「サイラス?」
聞き覚えのない名前に、ルカはぽかんとしながら、そのまま返した。
「顎から頬にかけて、傷のある情報屋の男だ。奴の紹介じゃなければ、魔術師の仕事なんて受けるものか」
フードを深々とかぶっているせいで表情はよく見えないが、男の声からどこか憎しみじみたものをルカは感じた。その憎しみが、自分――正確には、魔術師に向けられていることも、よく分かった。
「……ああ、そうか。すまない。話はどれだけ聞いてる?」
「それをトルトコックのお前の友人へと。……あの街の、どこへ運べばいいんだ」
「……魔術学校にいる、ジェラルド・ダウズウェル教諭だ。重ね重ね、気を悪くさせそうで申し訳ないな」
ルカの言葉を無視し、おもむろに運び屋は麻袋をひっつかんで、外に停めていた荷車に乗せた。
「待て、報酬は――」
「……サイラスに既にもらっている。魔術師からの金なんぞ、受け取れるか」
それだけ言うと、運び屋はさっさと行ってしまった。何も言えず、ルカは運び屋の後ろ姿を見送るしかできなかった。
情報屋――サイラスと呼ばれたあの男は、運び屋が来てからしばらくしても、来なかった。外をまた覗くと、空が白んできているのが分かる。
空は黒の侵略をゆるさない。数刻はゆるしていても、やがてまた、空は本来の色を取り戻す。――いわゆる、黎明である。
(一体、どうしたんだ……)
別に待つ必要もなかったのだけれど、ルカはなんとなく廃屋に残ってサイラスを待った。礼の一つでも改めて言おうとか、適当な理由をつけて。
「――!」
すると、外から怒号が聞こえてきた。――正確には、先ほどからルカにはうっすら聞こえていたのだが、それが近づいてきている。ただの酔っぱらい同士の諍いかと思って放置していたのだが、何やら雲行きが怪しい。
「てめえ、待ちやがれ――! ちょこまかと! 捕まえろ!」
(まさか、あいつ……ギンズバーグに、嗅ぎつけられたか――!)
はっきりと聞こえてきた罵声でルカは瞬間的に状況を理解し、舌打ちをしながら外に飛び出した。
「な――!」
廃屋から突然飛び出してきたルカに、走ってきた男はぶつかる直前で慌てて足を止めた。男の声が先ほど聞こえてきたものと同じだと瞬時に理解したルカは、躍り出た勢いでそのまま男の顔面を殴りつけ、間髪入れずに腹部に蹴りを食らわす。突然の襲撃に対応できなかった男はそのまま衝撃と痛みで地面に倒れた。
ルカが周囲を睨みつけるように見やると、他にも同じような連中が周りを囲んでいる事がすぐに分かった。
「雑魚が徒党を組んだところで所詮雑魚だ……かかってきな!」
ルカが吠えると、ギンズバーグ・ファミリーの構成員たちはすぐさま飛びかかってきた。数はいまのところ四人で、一人は棒のようなものを持っていたが、残りは丸腰だ――武器を隠し持っている可能性は、捨てきれないが。
マフィアの下っ端の構成員など戦闘訓練を積んだ魔術師からすればただの素人レベルでしかないが、魔術を使って戦うわけにはいかない非魔術師相手であることが唯一ルカには気がかりだった。
(複数人を相手取る際は、背を空けるな――)
格闘術の師の教えを脳内で反芻しながら、廃屋の壁を背にしてルカは構えをとる。考えなしに振るわれたであろう一人目の右の大振りでがら空きになった腹部をえぐり込むように拳を叩きこむ。よろめいた一人目を邪魔そうに突き飛ばした二人目は、ルカに拳を振り上げて躍りかかってきた。
連打で振るわれる拳をルカは腕でガードしつつ、こちらに向かって棒を振り上げてくるもう一人をちらりと見やる。
ルカは男の振るおうとした腕をひっつかみ、引き寄せた。前方に重心のかかっていた男はバランスを崩し、ルカは男の懐にもぐりこむように前かがみになった。そのまま振りかぶった棒が勢いのままにルカに覆いかぶさる形になっている男に襲い掛かる――下すな、やめろと悲鳴を上げているが、無情にも仲間の攻撃が脳天に直撃。木製だったらしいその棒は、ばきっと音を立てて無残に折れてしまった。
(馬鹿だと楽ができるな)
盾の役目を終えた男を邪魔そうに退けつつ、ルカは心の中で舌を出しながら、そう悪態をついた。
仲間を攻撃してしまった男は鈍いのか、体勢を立て直したルカを目の前にしても間抜けなことに狼狽えている。勿論そんなことで遠慮をするルカではなく――男の側頭部に容赦なく回し蹴りを食らわした。
側頭部を蹴られた男が脳震盪によって意識を失ったのを横目で見てから、ルカはダメージが少なそうな、逃げ出そうとしていた最初に襲ってきた男の頬を殴りつけた。
「お前たちは何を追っていた」
「ぐっ……う、うるせえ……」
「そんなに指を折ってほしいか?」
冷たい声で言いながら、ルカは男の右手の親指を掴み、本来曲がる側とは逆の方向へ抵抗を無視しつつ親指を曲げる。そうしてあっけなく折れてしまった男の親指はありえない方向へ曲がり、男は痛みに悲鳴を上げた。
「う、うう……」
「時間無いから、次からは一気に行くぜ」
「わ、わわ、わがった! 言うっ! 言うから!」
必死の形相でそうわめく男を、ルカは冷めた目でみつめた。弱者を痛めつけているものは大抵がこうだ。自分がされる側になるとは微塵も思っていないから、すぐに音を上げる――そう、ルカは経験則から知っていた。
「……裏切り者だ、ギンズバーグ・ファミリーの……この街を出るって……」
「そいつはどこに行った」
男が言葉にせず指さした方向は、運び屋が出て行った街の出口とは真逆の、旧教会通りへ続くせまい路地だった。
「そいつは顔に傷のある、サイラスという男か。情報屋をしている」
極めて冷静な声だったが、ルカは今にも怒り狂いそうだった。獰猛な光を目に宿すルカの気迫に気圧されつつ、男はその問いに震えながらうなずいた。
「……ふざけんなっ! あの、大馬鹿野郎が!」
ルカは怒声を上げながら、半ば八つ当たり気味に男を蹴り飛ばした。ルカはすぐ弾かれるように駆け出し、男が示した方向へ急いだ。
「あの野郎、囮にでもなってやったつもりか! 俺はそんなこと一言も頼んでねえわ! くそったれ!」
ルカは抑えられない感情を放出するためか、走っている間そう怒鳴り散らしていた。無駄な行為だとは分かっていたが、たがが外れてしまったのだ。
「どいつもこいつも、自己犠牲なんてくだらない真似をしやがる! なんで俺の周りには、そんな奴らばかりいるんだ!」
ルカのその問いに誰も答えるわけもない。声は寂れた路地裏にただ木霊して、明けてきた薄闇の空に溶けていくだけだった。
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