四章 天才と天災
4-1
軽く準備してから、ルカは早速亭主に教わった月並亭に向かった。
月並亭は手狭で薄汚い、安酒がふるまわれるような酒場だった。無法者の下品な笑い声やそれに媚びを売る娼婦が扮しているのだろう踊り子たちの嬌声の響く、まさにこう言った街にふさわしい掃きだめだと、ルカは胸の内で悪態をついた。
店に入った瞬間に客の訝しむような視線がルカに集まった――旧教会通りで魔術師であることを隠す必要がないと判断したルカは、今はローブを纏っているので魔術師であると一目瞭然だ。その物珍しさからか、彼らはルカに不躾な視線をぶつけてくる。
(小鹿亭が異常だったんだ、本来はあんな上等な店があるような場所じゃない。こっちが正常だ)
そんなことを考えながら、ルカは情報屋の姿を探した。
入口のすぐ近くの席のガタイのいい男が、いきなり立ち上がった。千鳥足でよたよたと歩いているが、方向は確実にルカの方へ向かってきている。
横目でちらりと男をみやると、顔を真っ赤にして酔っている様子だ。言葉にならない声を上げながら、ルカにいきなり殴りかかってきた。こういう店ではありがちな『挨拶』である。
そんな気配は感じていたので避けることも可能だったわけだが、今のルカはそうしなかった。なにせ虫の居所が悪かったから、ちょうど当たり所が欲しかったのだ。
振るわれた男の拳を掌で軽く弾き、内側にいなした。酔っぱらってはいたが、意識は割としっかりしているらしい男は苛立ったらしくルカをぎっと睨みつけ、吠える。気にも留めないルカは男の手首をひっつかみ、流れるような動作で男を背にする形で回り込むと、脚の重心と捻り上げた力を利用して男を前方へ引きずり落とした。
態勢を崩した男はルカに右腕を捻り上げられているのと引きずり落された痛みでうめいている。ルカが捻り上げる力を強めれば、脱臼か骨折くらいは容易にできてしまうだろう。
「てめ……殺す……ぞ!」
男は息も絶え絶えだったが、そう罵声をあびせてきた瞬間に、ルカは右肩へ容赦なく全体重をかけた。
男は肩が外れる感覚を覚えたと同時に、これまでにない激痛に悲鳴を上げる。
骨折までさせる必要もない、と思ったルカは、苦しんでいる男の手首をぱっと離してやった。
周りにいた数人の客が、うずくまっている男を見て面白そうに笑っている。下卑た笑い声に、ルカの怒りは増長されるばかりだった。
「(……やっぱり、骨の一本でも折ってやればよかったか)」
いらだちを隠すこともなく、ルカはうずくまっている男の手をわざわざ踏んずけて、目的の人物を探すために店の奥へ入っていく。そんなルカをそのまま素通りさせるわけもなく、今度はルカの頭に酒か何かの液体を客の一人がぶっかけてきた。
「…………」
黒髪から液体が滴り落ちる。濡れたルカを見て、何が面白いのかほかの客がどっと笑う。カウンターで酒を出している店主がせせら笑っているのがルカの視界にちょうど入った。
「これで頭冷えたか? 魔術師のお坊ちゃんよ」
へらへら笑いながらまるで友人かのように小突いてきた男――酒をぶっかけてきた張本人をルカは睨みつけ、すぐそばにあったカウンター上の酒のボトルをひっ掴んだ。
「まだ――冷えて、ねえわ!」
男のへらへらした顔面に向かって、ルカは怒声を上げながらフルスイングでボトルを叩きつける。無慈悲にたたきつけられたボトルは、鈍い音を立てただけで割れることはない。男はというと――歯が折れ、鼻血が吹き出し、顔面血まみれになっていたが。
悲鳴を上げる間もなく白目を剥いてカウンターに倒れ込んだ男を一瞥すると、ルカは用済みになったボトルを放り投げる。すぐ近くの席の女の足元に落ちたボトルは、今度こそ派手な破砕音を立てて割れた。
「――んだよ」
未だにざわついていた客たちだったが、不機嫌そうなルカの声が店内に響いた瞬間に黙り込んだ。先ほどまで一緒に笑っていた店主までもが態度を一変し、顔を青ざめさせながら「ご注文は……」と顔を引きつらせながらルカに尋ねてきた。
日和見な店主を無視して、ルカはまっすぐに一番奥のテーブル席に近づいて行った。女たちが周りを囲んでいるのを見るに、その席に座っている男は相当羽振りが良いらしい。
「よお、おっさん――また会ったな」
ルカの声に、男はゆるゆると顔を上げた。顎から頬にかけての特徴的な傷がある無精ひげの生えた、きつね目のやせぎすの男――情報屋である。
「やだねえ、おっさんモテモテで困っちゃうわ」
相変わらずのくだらない軽口を無視し、ルカは「表に出ろ」とばかりに顎をしゃくるようにして扉を示した。
扉のすぐ近くにある月並亭の看板の文字は、染色されたルナドライト石によってちかちかと今にも消えそうな光を放っていた。看板の下には無数の羽虫の死骸が落ちている。質の悪いルナドライト石が発光する際の表面は非常に高温のため、焼け焦げたのだろう。光に誘われてそのまま無様に死んでいく虫。こういう街には、よくある光景だ。
旧教会――現在は、ギンズバーグ・ファミリーの息がかかった娼館から少し離れた人気のない場所まで歩くと、ルカはぴたりと足を止めた。少し後ろを歩いていた情報屋も、同じく。
「派手にやらかすねえ、小鹿亭でもひと悶着あったみてえじゃねえか。もうお前、有名人だぞ」
先に口を開いたのは情報屋だった。枯れた噴水の縁に座りながらへらへらと笑っている。不愉快そうにルカは眉をひそめ、
「別にいいさ。どうせ、俺のことは連中にも流れてるんだろうし。ずいぶん優秀な情報屋がついているみたいだな」
そう皮肉たっぷりに恨み節をぶつくさ言った。
「おいおい、俺を疑ってんのか?」
「疑うも何も、お前が一番確率が高いだろうが」
「あんだけ金握らされて、裏切るメリットがあるかよ。俺だって良い客を逃すほど馬鹿じゃねえって」
情報屋は笑いながら、立ち上がってルカの方へ馴れ馴れしく距離を詰めてくる。
「寄るな!」
そのルカの一言が詠唱となって、情報屋の足元が爆裂し、激しい音と砂煙を立てた。砂煙が収まって視認できるようになった石畳には亀裂が入り、爆発の熱による煙が夜闇にとけていった。――物理的ではあったが、それはルカなりの、拒絶だった。
「――――答えろよ、俺をギンズバーグに売ったんだろう?」
「くだらんことを言うぜ。ギンズバーグは教会の後ろ盾があるってだけの、ただのチンピラにすぎない。魔術連盟が裏についてるお前を味方につけていた方が良いに決まってる」
肩をすくめて、ため息交じりに情報屋が言った。先ほどの魔術に動じていない様子だ。
「まあ、本音を言うと、上の方は用心深くて信用してる奴からしか情報を買わないし、下っ端はバカばっかりで取引する気にもならなくてな。それに今、ギンズバーグは空中分解寸前だ」
そう続けながら、情報屋はポケットに入っていた革製のシガレットケースを取り出した。慣れた手つきで煙草を取り出し、マッチで火をつける。
うまそうに煙草をくゆらせ、肺を有害な煙で満たした情報屋は、ふうっと煙を吐き出した。
「……なぜ?」
煙をうっとうしそうに手であおぎながら、ルカは眉をひそめ尋ねた。
「そもそも、ギンズバーグ・ファミリーはクスリの取引と、カタギへの不要な暴力・恫喝は禁じている。それをここ一年で代替わりしたアイヴァン・ギンズバーグも殊勝に守っていてな」
「なんだそりゃ? 生きた化石かよ。てえと、心の盗人は――」
「
「ボスに黙って、クスリ――心の盗人を売ってるってことか。もし追及されても、魔術師が勝手に広めたとしらばっくれてるんだろ、どうせ……」
「魔術師が何をするかなんて、非魔術師には説明のしようがないし、肯定も否定もできないからな。……あれのお陰で組織としては万々歳の筈だが、生真面目なボスはいい顔をしていない。そのボスについている酔狂な奴もな。んな物わかりの悪いボスを煙たがってる若い連中は、野心家のオーエン・スタントンを担ぎ上げて――」
「ギンズバーグ・ファミリーを乗っ取ろうとしてるってわけか……」
ルカは至極嫌そうな顔をして、そう言った。その表情を見て、情報屋は煙草をくわえたまま、口角を上げる。
「少しは信用したかよ、俺のこと」
「いや。お前が俺をギンズバーグに売ったという理由には、ならない。話をすり替えようとしたんだろうが――」
ルカは訝るような顔をまたして、続ける。
「お前から情報を買った次の日に、やけにいいタイミングで俺を狙った魔術師が来てな」
「なんだそりゃ……俺じゃなく、親父さんかもしれないだろ? あのツラみりゃ分かんだろ」
「彼は夜、出歩いていなかった。明日の仕込みが終わったらとっとと自分の部屋に戻って寝てたよ。もし俺を嵌めるつもりなら、俺があんたから情報を買っている間に話を付けて、夜にでもけしかけているだろうよ」
「……お前、いつも宿に泊まるたびそんなことを確認してんのか?」
「実家以外では熟睡できないたちでね。身体が休まればそれでいい」
情報屋の問いに、ルカは平然とそう答え、続ける。
「ここに俺が泊まっていることがわかってるのは、他にあんたくらいのものだ。俺が誰であるか、という事を知っているのも、それを流せるのもあんただけだ」
「消去法かよ。そんなことで疑ってもらってもねえ」
言いながら、情報屋は短くなった煙草を枯れた噴水の中に放り込みつつ、そのまま噴水に目を落とした。中には同じような吸い殻や、ゴミが落ちている。
「ただ、ひとつ疑問に思ったことがある。なぜ俺にギンズバーグ・ファミリーが分裂しそうだという話をしたのかだ」
「そりゃお前、信用を回復しようとして、無償で情報を提供してやったまでだよ」
薄く笑いながら、情報屋は口早にそう言い切った。視線は掃き溜めに落としたままで。
「推測でものを言うのは好きじゃないんだが――」
情報屋の弁解を無視し、ルカは続ける。
「おそらくあんたが俺の情報を流したのは、ギンズバーグのなかでも、ボスのアイヴァンではなく、オーエンで――ヤツに薬物絡みのトラブルで、脅迫されているとか――家族を、人質に取られているとかで」
それを聞くや、情報屋は声を上げていきなり笑い出した。
「はははは! オーエンに? 俺が? にしても家族を人質に取られて脅迫なんてな、やけにお花畑的発想じゃないか」
笑い続ける情報屋だったが、ルカは表情ひとつ変えることなく、口を開く。
「オーエンの奴が心の盗人を利用したい理由は幾らでもつく。その辺の女をヤク漬けにして借金せおわせりゃ手軽に娼婦を増やせるし、心の盗人はそんじょそこらの薬物なんかよりずっと依存性も高い。莫大な金が動くだろう。そうすりゃ若い奴らもついてくる」
「……ああ、ギンズバーグのなかでもオーエンの奴が率先して心の盗人を取引しているさ。先立つものも必要だしな。それと俺を脅迫するのと、何が関係あるってんだ?」
「問題は――心の盗人がただの薬物ではない、という事だ。アレは魔術師にしか精製できない代物――で、もちろんそんな、社会に影響を及ぼしかねないものの精製は俺たちの間でもご法度だ。オーエンの奴からしたら、それに嗅ぎまわっている俺は邪魔だろうな」
情報屋は声を上げて笑うのをやめ、ルカの方に目をやった。視線がぶつかる。すぐに情報屋は目をそらしたが。
「そして、そのオーエンと関係がありそうなのは――トルトコックのウィットロック魔術学校。なぜなら、そこに心の盗人と関連のある魔術師がいるからだ。そして、その学校に通っている女生徒の一人が、ここセインシアで心の盗人を買った」
視線を別にやっている情報屋の表情は依然として笑みをたたえたままだ。それでもルカはかまわず続ける。
「エイヴリル・ハーディング――それがその女生徒の名だ。その名に覚えは?」
その名前を聞いた瞬間、情報屋はあきらかな動揺の色を瞳に写した。
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