3-5

 大方片付け終わった店内は、カウンターと一部の家具以外、殆ど被害にあって処分してしまったため、がらんとしていた。

 亭主はルカを留守番代わりに、夕飯の買い出しに出かけていた。こんな状態なので、自分の分と、ルカの分だけだろうが。

(もし――もし――店を爆破する術式を提供して、あの男の中に、呼吸を止めるなんて術式を仕込んだのがジェラルドだったら合点が――違う。わからない。まだわからないじゃないか。くだらない、仮定の話だ。そもそも、ジェラルドがそんなことをする理由がわからない――俺に何か隠して、いなければ)

 壁に寄りかかっているルカの心の中には、魔術師としてのジェラルドへの疑念と、友人として彼を信じたい気持ちが渦巻いていた。


 それから間もなく勢いよく扉が開かれる音がして、ルカはぱっとそちらの方を向いた。

「待たせたな! ……お、綺麗になってるじゃないか」

 マサチカは相変わらずの快活な声を、より一層がらんとした店内に響かせた。

「それで、どうだった? 何か見つかったのか?」

「そー焦りなさんなって。……これだ」

 マサチカが手渡したのは、血で汚れた布のようなものだった。ぼんやりと、何書かれているようにも見えるが、汚れてしまってよくわからない。――今のルカに必要なのは、その布に描かれているものではないので、さして問題でもないのだが。

「汚れてまるで読めない……が、魔術師なら分かるんじゃないか?」

 マサチカが言い終わる前に、ルカは先ほどのように魔力を探り始めた。――結果は、案の定である。

「……発動して時間が経っているし、術式に込めてある魔力を殆ど使い果たしたのか……ずいぶん薄くなっているが、件の魔術師の魔力がある」

「なら、殺害方法は確定だな。何者かに術式魔術によってこの男は殺害された。お前がやったわけでも、病気でも毒物でもなんでもなく」

「……ただそれがわかったってだけだがな、何も進展しちゃいない」

 後ろ向きなルカの発言に、マサチカは眉をひそめた。

「死因がわかったっていうのは、歴史的とまでは行かねーが、かなり大きな一歩じゃねえか。これからそれを未然に防ぐことだってできるんだぞ」

「そこらへんに歩いてる奴全員捕まえて、腹でも掻っ捌くってのか」

 不機嫌そうに――事実、不機嫌だったのだけれど、ルカは吐き捨てた。

「……俺は門外漢なんでよく分からんが……ひとつだけ俺が言いたいのは――ルカ、お前が殺したわけじゃない。きっかけだったとしても、殺したのは、訳の分からん魔術師の悪意だ」

 マサチカは、ゆっくり言葉を選びながら、ルカを励ますようにそう声をかけた。詳細は分からないが、ルカに何か思うことがあるのだと察したからだ。

「……悪い、少し神経質になりすぎてた。……ありがとう、マサチカ」

 マサチカの気遣いに、ルカはそう言いながら、頭を下げる。謝罪している間にもルカの脳裏には、元凶かもしれない友人の顔がちらついていたが。

「――それで、あの死体はどうする。さすがにずっと俺の診療所に置かれても困るんだがな」

「……ああ、もちろん引き取るよ」

「引き取るったって、どうするんだよ? ここに置いてたら、いい加減親父さんに追い出されるぞ」

「俺より詳しい奴がいるから、調べてもらうためにもそいつに渡そうと思うんだ」

 ルカがそう言うので、ああ、なるほど、と言いかけて、マサチカは言いとどまった。少し考えてから、

「魔術師の死体を外に持ち出すのか……この街の衛兵は教会絡みでうるさくてな、入るのもめんどうだったろ? 俺がこの街に来たときは、貴族のお嬢さんのパトロンがいたからすんなり入れたものの、単純にツテもなく、死体を出すのは難しいんじゃねえのか」

 思い出したようにマサチカはそう言った。苦々し気な顔を見るに、セインシアに入るのに骨が折れたらしいようにルカには思えた。

 確かにマサチカの言う通り、セインシア市は検問が厳しい。これもヴァルプルギスの夜の影響によるもので、大抵の検問所は買収してしまえばすんなり入れてしまうものだが、セインシアの衛兵はよくできているらしく、不正を許さないらしい。――それでも、抜け道はどれだけでもあるのだが。

「そのために、こういう街には運び屋って職業があるんだろ」

「なるほどね。親父さんは顔も広いし、聞いてみたらいいんじゃないか。俺の患者にはいないし。もしそうだとしても、運び屋だと漏らす奴もいないしな」

「そもそも、医者にそんなことを漏らすやつを紹介されてもな……」

 苦笑しながら、ルカはそう言った。

「んじゃ、俺はもう用済みだな。戻るとするぜ」

「ああ、ありがとう。……いろいろと巻き込んでしまって、悪かったな」

 そう申し訳なさそうに言うルカに、マサチカは手を差し出した。一瞬ぽかんとしたルカだったが、すぐに意を理解し、慌ててマサチカの手を握った。

「別に構わない。利害の一致だと言っただろ? ……それより、だ」

 握手したまま、きょとんとするルカに眉をしかめて、マサチカは続ける。

「お前、今から危険に飛び込みますよって顔してやがる。それをとやかく言う権利は俺にはないが、――まあとにかく、医者として一言いうなら、いくらケガしたって俺が治せるだけ治してやるが、命だけは落とすなよ」

 マサチカがそう言うのを聞いて、ルカは手をほどいた。それは、拒絶に近いようにマサチカには感じられた。

「……死は常に隣りあわせだ。保証はできないし、約束もできない」

「約束じゃない。これは警告だ。俺の患者で、死にたくないのに危険に飛び込んで、やっぱり命を落とした奴だっていた」

「……別に、死にに行くわけじゃないさ。死ぬ覚悟ができているだけだ」

 不機嫌そうに――マサチカには、どこかあきらめているようにも思えたが、ルカはそんな風につっけんどんに言って見せた。

「覚悟、ね。いつ死んでもいいとか、バカなこと考えているんだろ、お前。そんな傲慢な考えはやめろ。ちゃんと生に縋れ、生きていたくたって、生きられない人だっているんだ。俺は、そんな人をたくさん診てきたから、よくわかる」

 マサチカの言葉に、ルカはまたどす黒い泥濘が腹の底からこみ上げてくるような気がした。喉のところまでもう罵倒の言葉が出てきていて、ルカはそれを押し込めるのに必死だ。それを知らず、マサチカは続ける。

「俺が言っていることは、全部綺麗ごとだ。詭弁だ。でも――お前が死んで、やるせなくなる奴がいるってことくらい、分かるだろ。俺だってそうだ。せっかくこうして知り合えたのに、次会ったときはもう飯も食いに行けないなんて、つまんねえよ。だから、お前は生きろ。俺と飯食いに行くために」

 続いたマサチカの言葉を聞いて、ルカは拍子抜けした。詭弁だと認めたうえで、自分と食事をするために生きろ、とルカに言ったのだ、マサチカは。

 しかもひどく真面目腐った顔でマサチカがそんな間抜けなことを言うもんだから、ルカは吹き出した。

「……なんつーか、お前って、押しが強いよな。とにかく自分主体だし」

「自信のない医者に、診てもらいたい患者なんていないだろ」

 相変わらずのマサチカの大口に、今度は声を上げてルカは笑った。

 

 マサチカが診療所に戻ってからルカの感覚では小一時間は経ったような気がする(と、言ってもこんな街の寂れた宿屋に時計はないので、正確な時間はわからないが)が、亭主は未だ戻らなかった。

 手持無沙汰に、ルカはぼんやり思考した。

(魔術連盟本部で調べてもらう手もあるが、死体を送るには、ここからじゃ時間がかかる。その前に魔力が消えちまう。そうすると、やはり近場のトルトコックに住んでるジェラルドに頼むしかない)

 ルカがもたれかかったカウンターがぎしり、と音を立てる。気にも留めずにルカは、思考を続けた。

(もしジェラルドが敵だったとしても、何かしらの動きはあるだろう。どちらにせよ、ジェラルドに送るのが最善――なんて、そんなものは建前だ、きっと――)

 我ながらとんでもない甘さだ、とルカは思った。もしジェラルドが敵だったなら、この甘さを躊躇なくついてくるに違いない。彼はそういう男だということも、ルカはよくわかっていた。分かっていても、消去法だと自分に言い聞かせてその甘い考えを自分に受け入れさせようとしている。

 自分の甘さどころか、あまりのお気楽さにルカは呆れかえった。それでも、別の選択をしようとは思えなかった。

(俺は結局のところ、ただ自分のためにジェラルドを信じたいだけなんだろう。他人を友達と信じているうちは、自分がまともな人間だと思い込めるから)

 そう結論付けて、ルカは一度その思考を止めた。深く考えていると、また悩み始める弱い人間だと自分がよくわかっていたから。

「ただいま」

 家に帰ってきたような気楽さで――まあ、亭主にとっては家でもあるのだが、帰ってきた亭主の声がルカの耳に届いた。

「……おかえり」

 黙っているのも居心地が悪くて、家主でもないのに違和感を感じつつ、ルカは亭主の言葉に対して最適な、それでも言いなれない言葉をぎこちなく返した。

「すまんな、客に留守番を頼んで」

 言いながら、亭主はカウンターに紙袋を置いた。中身は固いパンとか、ドライソーセージなんかの日持ちしそうで調理を必要としないものが多い。

「いや、気にしないでくれ。ところでご主人、少し聞きたいことがあるんだけど――」



 主人が用意した簡単な夕食をとりながら、ルカは必要な所だけ抜粋して亭主に説明した。それを聞いた亭主は、うーん、とうなってから、

「運び屋か……いるにはいるが、俺よりも、の方が顔は広いし、口が利けるぞ」

 そう言った。そのがすぐにぴんときたルカは、小さく切ったドライソーセージが刺さったフォークを口に運ぶのを止めて、表情を一変させた。

「あいつって……あの情報屋のおっさんか? 嫌だね」

 露骨に嫌そうな顔をして拒否するルカに、亭主は肩をすくめて口を開いた。

「あいつは確かにあんな感じだが、金に見合った仕事はする男だぞ」

「……俺を早速売るなんて、大した仕事ぶりだな」

 皮肉げに、ルカ。その様子に亭主は目をじとっとさせて、あきれたような顔をした。

「アホ。こっち側裏社会に片足突っ込んでるんだろう? そんなもん、ザラにあるってことくらい分かっとるはずだ。その程度のことでぎゃーすか騒ぐな」

 亭主が言っていることは、正論そのものだ。もちろん、そんな論は一般的な、所謂表の世界では通用しないのだが、裏社会には独自の常識があるから、正論となってしまう。

 情報屋はその名の通り、情報を商材として扱っている。仕入れ先は様々だが、もちろん情報を買いに来た客から仕入れる、というのもひとつである。誰がどんな情報を買った、という事すら商品になってしまうわけだ。ルカ自身もそういう情報を買うこともあるので、よくわかっていたのだが。

「それくらい、俺だって分かってるけど」

「情報屋を手放しで信頼しとるわけでもなかろうに」

「被害者になると、ムカつくじゃん……」

「ガキか、お前さんは……今の時間なら、ヤツは仕事ついでに旧教会の近くの酒場『月並亭』で飲んでると思うぞ」

 ため息交じりに教えてくれる亭主の言葉を、ルカはふてくされながらもしっかり聞いていた。

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