3-4

「どんな奴かは知らんが……悪趣味な野郎だ……そいつの正体はわかんねえのかよ」

 マサチカが尋ねると、ルカは男の死体に視線を落とし、口を開く。

「……術式魔術なら、この男の体に術式――模様のようなものが刻まれているはずだ。それを調べれば、分かるかもしれない」

 ルカがそう言うのを聞いたマサチカは訝しげな顔をした。

「だが、さっきざっと見た感じはかすり傷や、内出血、あとは恐らく魔術による絞殺の際についた防御創のようなひっかき傷くらいで外傷は少なかったぞ。模様と呼ばれるものなんて、見当たらなかったし……そうだな、気になるのは縫った跡くらいか」

「……縫った跡?」

 きょとんとした様子で尋ねたルカに、マサチカはうなずく。

「ああ。さほど大きなものじゃなかったんで、あまり気には留めていなかったんだが」

 マサチカは男の右胸の縫合してある小さな傷を指し、続ける。

「術式魔術とやらは、術式とやらが刻まれていれば、きまった呪文がスイッチになって発動する代物なんだろう? なら、なにか小さいものに術式を刻んで、体内に入れ込んで縫合しちまえばいいんじゃねえか、と思ってな……なんかのドラマでテロリストの体内に時限爆弾を埋め込むとかあったし――まあ、火薬の重量とか、その他もろもろを考えると現実味リアリティに欠けるんだが――この世界に科学力はなくとも、魔術でなら近いものが可能かもしれねえと思ったくらいだ。憶測にすぎないがな」

 マサチカの言葉に、ルカは少し考えてから、

「……よくわからん用語もあったが――つまり、術式の刻まれた物質を男の体内に直接埋め込むことで術式魔術が発動するという仕掛けになっているという事か……荒業だがそれなら合点がいく」

 そう納得したように声を上げた。

「まあ、ただ怪我かなんかで縫合しただけかもしれないけど……とりあえず、開いてみる価値はあると思う。そんなに時間も掛からないしな」

「……ああ、あんたにはそういう心得があるみたいだし……もし、いいなら――頼みたい」

 どこか遠慮がちに――というよりは、先ほどの敵意剥き出しの自分が恥ずかしくなって、ルカは消えそうな声で、そう頼んだ。

「なんだなんだ? やけにしおらしくなったな魔術師」

「…………俺だって、人にものを頼む時くらいは下手に出るさ」

 にやついているマサチカに、ルカはじとっとした視線を送りながらそうぼやいた。

「ジョークだジョーク。へそ曲げるなよ。――気にするな。これは俺のためでもある。利害の一致ってやつだ――ああ、そうそう。名前を聞きたい。呼ぶとき不便だ」

「ルカ。ルカ・アッシュフィールドだ。改めてよろしく、マサチカ」

 不便だから、という不躾な理由で名前を聞いてくるマサチカは、なんとなく自分に似ているところもあるのかもしれない、などと思いつつ、ルカはそう名乗ってみせた。


 早速とばかりにマサチカはナイフと呼ぶには小さすぎる――(ルカの検討では、おそらく異世界のものであろう)小さな刃物を取り出し、傷口を開こうとしたそのときだ。

「――待った!」

 それまで静観を決め込んでいた亭主が、いきなり声を上げたのでルカとマサチカは二人して亭主の方を向いた。

「ここは宿屋だぞ? 死体の解体なんて、よそでやってくれ」

 悲鳴に近い声でそう亭主が言うので、ルカとマサチカは二人して目をあわせて、肩をすくめた。

 結局男の死体はマサチカの診療所に運ぶこととなり、「ほかに異常がないかも調べておく。結果が出次第知らせる」と言い、マサチカは男の死体を慣れた様子で背負って出て行ったのだった。



 マサチカが出て行ってから、手持ち無沙汰になったルカはふと自分とあの男(今は、死体だが)がさんざん暴れまわった一階の部屋をあらためて見渡した。

 床は魔術によってえぐられ、床板が剥ぎ取られ、家具は机なのか椅子なのか判別がつかないほどにバラバラに粉砕されている。暴風が巻き起こったせいだろう、高そうなボトルの酒も安酒もいっしょくたになって破片が飛び散り、中身が床のシミになってしまっている。

「む、無残………」

 ルカが無意識にそう言うと、亭主があきれ顔でルカを小突いた。「誰のせいだと思っているんだ」と、亭主の顔にありありと書かれている。

「……久々の宿泊客なんでか・な・り大目に見てやるが――。人死にはまあ、あるにはあるが、あんまり派手にやられると困るんでな、次はないぞ」

「悪い、弁償はあとで連盟に請求してもらえば――」

 ルカがそう言いかけると、亭主は眉をハの字にして、遮るように口を開いた。

「そんなもん当たり前だろうが。こっちはな、ギリギリの状態で店やってんだ、どれだけでも理由を付けて上乗せして請求してやる」

 それを聞いてルカが苦笑していると、笑っている場合ではないとばかりに亭主は、

「――だが、それこれとは別だ。業者なんぞ待ってられるか、とっととお前さんもこの片づけを手伝うんだよ。どうせ今は時間があるんだろう」

 そう言って、箒とか雑巾とか、ありとあらゆる掃除道具を間抜けな顔をしているルカに投げつけた。雑巾が顔面にぶち当たる。いつものルカなら仕返しの一つでもしているところだが、迷惑しかかけていない手前、そういうわけにもいかない。

「………えっとぉ――」

 そんな展開になるとは予想していなかったルカは動揺しつつ、しかしそれでも断ろうと口を開く。が、強面の亭主はそれを許さんとばかりに常人ならぬ威圧感を放っていたので、ルカはつい口をつぐんだ。

「なんだ? お偉い魔術師だから掃除は出来んとでもいうのか?」

「や――やります。やらせていただきます……」

「ならとっとと動け、ほれ、掃除は高いところから下に向かってやっていくんだぞ、わかったら早くしろ」

 亭主は木材と化した家具を片付けはじめながら、そう言った。箒を手に、ルカはうなだれながら片づけを開始するのだった。


 ルカが酒瓶だった硝子を片付けていた時、男によって刻まれた術式がまだ残っている壁が視界に入った。

(雑なくせに、やけに緻密な術式だ――あの程度の魔術師だったから、俺の魔力で塗りつぶせたものの、もし腕の立つ魔術師だったら、あるいは――)

 崩壊する建物、爆散する木片、瓦礫、悲鳴、赤々と、煌々と燃え上がってすべてを舐めとる炎――見覚えのある最悪の光景がルカの脳裏によぎった。自分の手を引いて走る兄の後ろ姿が見える。訳も分からず走り続けていると、地面よりもずっと柔らかい足の感覚にふと足元に目をやったその時、自分が踏んづけていたものを視認した。それは、元々人だったのだとかろうじて分かる程度の、焼け爛れた人の肉片。それはルカが初めて死に触れた瞬間だった。

「何をぼーっとしとるんだ、手を動かさんか」

 頭上から亭主の不機嫌そうな声が響いて、ルカは現実に引き戻された。

「あ――ああ、悪い――術式魔術がちゃんと機能しないかどうか、見ていたんだ」

 術式が機能しないことぐらい、ルカには分かり切っていたが、亭主に魔術の知識のないことをいいことに、ルカは取り繕うための嘘をついた。

「それで、そいつはもう大丈夫なのか」

「ああ。大丈夫だ――術式を刻む際につかった魔力よりも高い魔力で上塗りすれば、術式の権限は俺に渡る。同時に、無効化も可能だから、これはもうただの模様になったから」

 よく理解していない様子だったが、亭主は「まあ、大丈夫ってことならいいが」と言い、また掃除を再開した。

(ジェラルドのラボにあった術式は、本気の術式の半分くらいの魔力だったから塗りつぶせたものの、あいつが本気を出せば俺にも太刀打ちできない――まあ、あいつの本気の術式なんて、これから先、見られるかどうか――)

 壁に刻まれている模様と化した術式を見ながら、ルカはぼんやりと学校でのジェラルドのラボでの出来事を思い出した。

 回想の中のラボの壁に目をやる。びっしりと書かれた術式――ふと気づいて、ルカは思考を止めた。

「――――ん?」

 ルカは今度は目の前にある術式をもう一度見直す。それからまた何度か見直して、――自分の目を疑った。

「――似てる……雑だが、これは、確かに――ジェラルドの――」

 苦々しい声で、術式をひととおり眺めながらルカはうめく。ラボにあったもの、かつてジェラルドが使っていた術式、そしてローブを留めるブローチを保管している箱に刻まれている、彼特製の術式――あの複雑な模様を、脳内にあるあのジェラルドの術式と照らし合わせた。

「……術式は、刻んだ術者の癖が出る。どんなに意識しても、だ。詠唱魔術において、術者によって詠唱に個性があるのと同じ」

 誰に言うでもなく、ルカは術式魔術の特性を確かめるようにつぶやき始めた。

「あいつとは、同僚として、――友達として、長く時を過ごした。見間違えるはずがない、これは、ジェラルドの術式の、写しだ――」

 受け入れがたい事実に、ルカは拳を強く握り込んで――逃避するように術式を視界から外した。

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