3-2

 しばらく――そう長い時間でもなかったが、思考を停止したルカがぼうっとドアの前に立ち尽くしていると、荒々し気にドアが開かれ、憔悴しきった顔の医者が部屋から出てきた。     

 医者は出てきてすぐ、ルカの胸倉を勢いよくひっつかむ。その顔に、怒りをにじませて。

「一体どんな手品で殺しやがった……毒か何かを盛ったのか」

 静かに、それでも怒気の混ざる低い声で医者は問う。

「……やっぱり、死んだのか」

 視線を合わせず、ルカは静かにそうつぶやく。それがより怒りを増長したらしく、医者は胸倉をつかむ手の力を強め、ルカを揺さぶった。

「死ぬはずがなかったのにな! お前が何か仕込んだんだろ!」

 医者は今にも殴り掛かってきそうだったが、それを止める気すらもルカは起きなかった。ただ医者の問いに答えるべく、口を開く。

「殺したのは俺じゃねえよ……説得力はないだろうが、殺す理由もない。俺は奴からある情報を聞きだそうとしただけだ。しかも、拷問だってしちゃいない。信用できないなら調べてくれてもかまわない」

 淡々と続けるルカの胸倉を医者は離し、静かに耳を傾けた。

「どうしても聞きたい情報があったんだ、それを尋ねたらいきなり息切れを起こして、気絶した――それであんたが来て、何をしたかは知らないけど、息を吹き返したのにまた同じことが起きて――」

 言いかけて、ルカははっとした。

「同じこと――そうか――ああ、! くそっ、なんで気づかなかったんだ!」

 ルカは悔し気に顔をゆがめると、怒りに任せて壁を殴った。ルカの行動に、医者はいぶかしげな表情をしている。

「一体、何だってんだよ。死んだ理由が分かったのか?」

「殺したのは俺じゃないが、俺が殺したのも同然だ……きっと俺の一言で死んだんだ……」

「……人間の声で人が死ぬことはめったにない。俺が理解できるように説明しろ」

「……術式魔術だ。俺の言った言葉が詠唱になって、男に設定してあった術式が発動した。何かしらの方法で呼吸を止める魔術が設定してあったんだと思う……」

 そう言っても医者は何も返してこないので、ちらりとルカが医者の顔を盗み見た。口を半開きにして全く理解できないというような表情をしている。

 そうしてから、医者は心底あきれたような顔をして、大きくため息をついた。

「……あのなあ、人が死んでるって分かってんのか? 魔術だか魔法だか知らないが、今はそんな、くだらんオカルト話してる場合じゃない」

「理解できないならそれでいい。というか、魔術がこの世界に存在することくらい常識だろうが、あんたが一体何者なのかは知らねえけど、非常識が過ぎるぜ」

「……マジで言ってんのか? 魔術が存在するって……魔術って、あれだろ? じいさんとかばあさんが杖もってビビデバビデブー、みたいな……」

「……老人に魔術師は向かない。一般的に引退する魔術師が多い。それが杖を持つほど衰えているのなら、なおさら。魔術を使えるほどの体力がないからな。それになんだ、そのふざけた詠唱は……」

「……箒で空飛んだり、カボチャを馬車に変えたりとか」

「……箒を使って飛行する必要性は何だ……? そもそも魔術で空を飛ぶなんて、燃費が悪すぎる。重力か風を操るにしろ、魔力の浪費が激しいし……カボチャを馬車に変えるだと? 魔術は万能じゃねえ、物質を全く別の物質に変換するなんてもんは、もはや奇跡のたぐいだ」

 ルカはそう言い切るが、医者は未だに理解できない様子だ。全く会話のかみ合わない二人は、しばらく同じようなやり取りを繰り返す。

 医者はお前が魔術師なら今この場に料理を出してみろだとか、姿を消してみろだとかルカに無理難題を突き付けてくる。医者の言う魔術師は、ルカの知る魔術師とはとてつもなくかけ離れていることがよく分かった。

「魔術っていうのは、であって奇跡そのものじゃねえ。そもそも――本当に奇跡が起こせるなら、俺はこの男をとっくの昔に生き返らせてるよ。そんなことができたら、この世界の神は俺たちだっての」

「なんだ、魔術師って意外とショボいな?」

 あっさりとそういってのけた医者に、ルカは目をすがめて、じとっと医者の顔を見つめた。

(非魔術師にそういわれる日が来るとはな……まあ、事実だ。魔術師なんて、そんなものだし)

 眉を顰めつつ、そうルカは心の中でつぶやいた。

「先生、結局あの男はどうなった? 何やら怒鳴り声が聞こえたが……」

 二人の言い合いが聞こえたらしい亭主が上がってくると、心配そうにそう声をかけてきた。

「ダメだ。俺には魔術なんて専門外だった」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、医者は言う。ルカが医者の手元にちらりと視線をやれば、握った拳が震えていた。

「……そうか、無理もないな、俺たちにだってどうにもならんものを、の先生がどうにかできるわけもないさ」

「……はぐれは蔑称だぞ、おやっさん」

 そう指摘されると、亭主は頭をかきながら「すまん、悪気はないんだ」と軽く頭を下げた。

「まあ、気にしてねえが。俺はそんな小さい男じゃないしな。それに今は無理だが、いつか魔術すらも凌駕してやるさ」

 二人のやり取りで、ルカはようやく自分と医者の話の齟齬の原因に気が付いた。はぐれという言葉を聞いて、

「……そうか、あんた、異世界人か。流ちょうなレティ―リア語をしゃべるもんだから、気づかなかったぜ」

 あらためて医者の格好を見やると、ルカはそう言う。この国に、そんな白いコートを着ている医者はまずいない。魔術の知識の齟齬も含めて、ルカは合点がいった。

「まあ、通訳なしで海外に飛ぶこともあったから、語学習得は早い方だな。この世界より、ずっと難解な言葉もあったし」

 ルカの言う通り、流ちょうに――医者はつっかえることもなくすらすらとそういって見せた。

 異世界人――その字の通り、この世界とは違う世界から来た者たちのことだ。彼らが言うには、来たというよりは、突然この世界にいた、連れてこられた――らしいが、真偽は不明である。

 原因は魔術師が起こした事故で、空間がゆがんだだとか、女神の御子のいたずらだとか、様々な説があるが、これまた真実はあきらかになっていない。

(ひとつ言えるのは、この保守的な国において、彼らもまた差別対象ということだけだ)

 戻る場所もなく彷徨う異世界人もまた「はぐれ」と呼ばれ、言語や文化が違うために受け入れを拒否する街もある――それこそ、魔術師のように。

「ああ、そういえば名乗ってなかったな。俺はイズミマサチカ――マサチカでいい。まあ、よろしくな」

 マサチカはそう軽い調子で自己紹介して見せた。

「その名の並びだと、ニッポン人か、あんた」

「日本を知ってるのか?」

「ああ、知り合いに聞いた。サムライとか、ニンジャとか――とんでもない戦士がいるとか。剣で鉄を斬ったり、分身をすることができたりするとか聞いた――本当なのか?」

「……そいつが言ってたのは昔の話と、創作の話がごっちゃになった眉唾物だ」

 ルカがいぶかしげな顔をしてそう尋ねると、マサチカはあきれ気味にそう返した。

「先生はこの旧教会通りで診療所をやっていてな、安い料金でも診てくれるんだ」

「へえ……まあ繁盛はするかもしれねえが……酔狂な奴だな」

 亭主の言葉に感心半分、あきれ半分にルカはそうつぶやいた。マサチカはそれを聞くや眉をひそめ、口を開いた。

「俺は別に、好き好んでこんなところでシケた診療所なんぞやってるわけじゃねえ」

 不遜な態度のマサチカにじとっとした視線を送ってから、ルカはちらりと横目で亭主を見やった。しかしこんなところ、呼ばわりされることになれているのか亭主は特に動じる様子はない。そんなことは露知らず、マサチカは不満げに続ける。

「この街に流れてきて、まあ言語はある程度通じるようになってたからこの街の医者の助手としてこの世界の医学のレベルを見てやろうと思ったんだよ、そしたらわけわからん聖職者を呼んで病気を治すとか言って祈祷し始めたんだぞ? 正気かって思うわ」

「んで、そん時はどーしたんだ?」

「そのオカルト野郎とヤブ医者を殴り飛ばして、適切な処置をした。そうしたらここに追いやられてこのザマだ」

「……郷に入れば郷に従えという言葉があってだな……」

「いつの世も天才を殺すのは、頭の固いじじいどもと、民衆の同調圧力だぜ」

 そう言ってのけるマサチカに、ルカは大きなため息をついた。

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