三章 残された痕跡

3-1

 宿の一室――ルカが泊まっていた部屋だ。ドアも窓も締め切っており、今のところルカの目の前でおびえている魔術師の男に逃げ場はない――というよりは、魔術師であるからにはいくらでも逃げ場は作り出せはする。しかし、逃げ出せばどうなるかは男も先ほどの戦闘からよく理解しているようで、おとなしくじっとしている。

「さて、根掘り葉掘り聞かせてもらおうじゃないか。乱暴は俺も好きじゃない、スムーズに話せば上に話をつけてやってもいい。――何故、あそこで術式魔術を使っていた」

 威圧ぎみに、ルカ。しばらく黙り込んでいたが、ルカににらみつけられると、男はおそるおそる口を開いた。

「……お、俺は、お前の言う通り、魔術連盟に属していない魔術師でっ、連盟に無許可で魔術を使用した罪で投獄されてた……」

「それで?」

「そ、それで、命令されて! 成功すれば、罪を帳消しにするだけでなく、魔術連盟の魔術師として認めてやるって……!」

「……何を成功させれば?」

「お、お前を殺せばだ! お前を殺せば、アルカナ階位の『塔』が空席になる! そこに俺を入れると言う約束で……」

「……そんなものを本気で信じたのか、お前は……まあ、やるしかなかったんだろうが……」

 あきれ顔でルカがそういうと、男は信じられないというような表情をした。この一件に、すべてをかけていたのだろう――かけざるを得なかったのだろうと、ルカは軽く同情した。

(さすがにこんな雑魚に俺を殺せるとは思わなかっただろうけどな……一体、だれが何の目的で……)

「……だ、騙されていたって言うのか……」

「当たり前だろ? そもそも幹部であるアルカナ階位は、魔術連盟長か――アルカナトップの『審判』――裁定の魔術師が決めるんだ。ぽっと出の、しかも連盟にも入っていない犯罪魔術師を、指名するわけがないだろ」

「俺はその、アルカナのトップに命令されたんだ! 裁定の魔術師、エドワード・アンサラーに――!」

 その名前を聞いた瞬間、ルカの顔色が変わった。驚愕したような――しかしそれよりも、怒りに満ちた表情にルカは豹変した。

「エドワード・アンサラー、だと! おい、お前――それは、どういう事だ! なんでそいつが出てくる! お前みたいな奴に、何故あいつが――!」

「し、らない――」

 ルカが詰め寄ると、突然ぐったりして息切れしたような男。様子が明らかにおかしい。正常に呼吸していたはずなのに、ひゅうひゅうと喉の奥から不穏な呼吸音が聞こえる。

「おい、どうした! しっかりしろ!」

 ルカが必死に呼びかけるが、男は顔が赤く、のたうち回って痙攣し始める。何か紡ごうとしている様子だが、言葉にならないうめき声をあげて、白目を剝いて倒れてしまった。

 ルカは慌てて部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。


「――度数の高い酒はあるか! なんでもいい――とにかくすぐに!」

 先ほどの戦闘の惨状をかたづけていた亭主だったが、駆け下りてきたルカの声にすぐに反応した。この状態を作り出した張本人が、酒などというもんだから、とりあえず文句の一つも浴びせてやろうと思ったからだ。

「さっきのお前らの荒れっぷりで酒はほぼない! 一体何だ!」

「人――人が死ぬかもしれないんだ! 気付けになるものを――!」

「――!」

 シンプルだったが、そのルカの一言は亭主を動かすのに十分だった。亭主は慌てた様子で着ていた素朴なベストのポケットをさぐりはじめる。

「酒はない――が、気付けにはコレが効く! これを嗅がせろ!」

 そういって、亭主は取り出した小さな瓶をルカに投げ渡すと、何かを探しに外に飛び出して行った。


 急いで戻ってきたが、力の抜けきった体勢で倒れている男の瞳はひどくうつろで、生気がないようにルカには思えた。

(一体いきなりなんだっていうんだ――誰かが魔術を行使した形跡も、気配もなかったのに)

 余計なことを考えている暇はない、ルカはとかぶりを振る。

 亭主から受け取ったほんの少し無色の液体が入った小瓶の蓋を開けると、とんでもない悪臭――というよりは、悪臭の混ざった刺激臭が漂ってルカは後ろに倒れそうになるが、慌てて持ち直す。

 男の鼻に近づけるが、ぴくりともしない。焦ったルカは男の胸に耳を当てるが、さきほどはしていたはずの心音が、ない。

「……だめだ」

 そう、男の死を断定したルカは、動揺することもなく冷静さを取り戻した。すぐに思考をめぐらせはじめる。

(もしかしたら術式がこの男に刻まれていたのかもしれない……)

 そう考えたルカは、ナイフを取り出して男の服を切り裂いた。体のどこかに術式が刻まれているのかもしれない、そう判断したルカは、男の身体を調べる事にした。


「ここか! 患者は!」


 そう声を上げながら部屋に突然飛び込んできたのは、茶髪をオールバックにした、碧眼の男だった。コートと呼ぶには防寒性のなさそうな白い上着を羽織り、中には紺色の服を着こんでいる。

 突然の登場にあっけにとられていたルカの前を声の主は素通りすると、倒れている男のもとへ駆け寄り、なにやらぶつぶつ言ったり、確認するように男の身体を触ったりしている。

「おい、お前一体――」

「医者だ。おやっさんに呼ばれた。死にかけてるやつがいるって」

 ルカが尋ねる前にそう医者と名乗った男は口早に答え、突然倒れた男の胸に重ねた両手を置きはじめた。おそらく何らかの治療行為だろう――そう思ったルカはすでに死んでいると断定した男は無駄だと再び口を開く。

「待て! 何をやるかは知らないが、そいつはもう死んでる! 無駄だ!」

「心臓が止まってどれくらいだ、そんなに経ってないだろ! 救命処置だ!」

 ルカの制止も聞かない医者は、そう言い放つと、そのまま胸を圧迫し始めた。

(だめだ、こいつと接触した魔術師がもしいるなら、そいつの魔力の残滓が残っているかもしれない――)

 手がかりがなくなることを恐れたルカは医者の肩をつかみ、その行為を慌てて止める。

「だからそいつは息もしてないし、心臓も止まってる――それに、そいつにべたべた触ると魔術の痕跡が消えるんだよ、だから、余計なことは――」

 ルカが言い切る前に、医者は肩をつかんだルカの手をふりほどく。眉間にしわを寄せ、元々吊り上がった眼をいっそう釣り上げている医者の表情は、所謂激怒そのものだった。

「余計なことだと! 人を生かす以上に、必要なことがあるってのか、てめえは!」

 医者はそう怒鳴ると、男の胸を圧迫する手は止めずに、それでも怒気を強めて続ける。

「人の命の価値もわからん馬鹿は失せろ!」

 医者の言葉に気圧されたルカは何か言い返そうとしたが、口をつぐんだ。

(その価値くらい、俺にもわかる――わかっているんだ)

 ルカはただ立ち尽くして、男の命を救わんとしているのだろう医者を見つめた。

 ルカには見覚えのない治療行為だったが、医者の表情は真剣そのもので、この男の命を救おうということしか考えていないのだと思い知らされた。

 ――人は呼吸も、そして心臓が止まっても、すぐに死ぬわけではないということも、ルカは理解していたのに、すぐに男が死亡したと断定したルカの頭によぎったのは男の身体を調べる事だけだった。救おうという考えは、脳裏に微塵もよぎらなかった。

 人の命が尊いものだということを、簡単に助けることをあきらめてはならないということも子供すら理解できることだ――ルカも、幼いころ兄にそう教えられた。事実、ルカもそう思い続けていた――綺麗ごとだとしても。

 その考えが、先ほどのルカの頭からはすっぽり抜けていたのだ。

(当たり前のことなのに、これじゃあ、まるで――)

 ルカの脳裏には、兄の命を軽視したあの男が浮かんだ。人を、道具としか見ていないあの忌々しい男の姿だ。泣きながらあの男に罵声を浴びせたあのときの自分の声が、ルカには今の自分にも向けられているように感じた。

(違う――俺は、あんなやつとは違う――)

 ルカがいくら否定したところで憎悪との同調と憧れとの乖離は加速していく。それはもう、彼の意思に反して歯止めがきかないところまで来ていたから。

 無意識下で、ルカはあの男と同調していたのだ――否――自覚はあった。目を背けていただけで――そちらに目を向ければ、自己嫌悪と憎しみでどうにかなりそうだった。

 憧れが遠のく。綺麗な水が汚されるように、心が濁っていく感覚にルカは陥った。

「――! おい、わかるか! しっかりしろ!」

 医者の声にルカは現実に引き戻される。慌てて倒れている男に駆け寄ると、呼吸ができなかった分酸素を必死に取り込もうとしているのか、荒く呼吸をしていた。

 男はひどく顔色が悪い――かろうじて、息をしているように、ルカには見えた。最後のチャンスかもしれない――そう思ったルカは、医者を押しのけ、口を開いた。

「一つ聞かせろ、お前がなぜ、エドワード・アンサラーに――」

 ルカが声をかけると、再び男は苦しみだし、体をばたつかせはじめた。

 また窒息のような症状を起こした男にルカは動揺した。その場でただ固まっているルカの肩を苛立たし気に掴み、医者は怒りに満ちた表情で、

「同じことを返してやる! 余計なことをするな! 消えろ!」

 そう怒声を上げた。ルカはそれに何も返すことができず、静かにその場から離れるしかなかった。

 心がまた濁った気がした。黒い泥濘のようなそれは、あの日から徐々にルカの心を侵食している。

 いつか心が濁り切ったその時は、あの男のようになってしまうのだろうか――鬱々とした複雑な感情の渦に、ルカは飲み込まれていった。

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