2-5
「おはよう。よく眠れたか?」
「おはよう。お陰でぐっすり眠れたよ。朝食をもらえるか?」
亭主に数枚硬貨を渡すと、ルカはカウンター席に座った。綺麗に拭いてあるカウンターやテーブル、食器、グラスなどから亭主の相変わらずの几帳面さが良く伝わってくる。
「なんだ、いるじゃないか、客」
意外そうな声で言うルカに、不愉快そうに亭主は眉をひそめた。いかにも荒くれ者と言う感じの男たちが、談笑しながら食事を取っている。
「地元の奴等だ」
「まあ、こんなところに観光客なんざめったにいないだろうしな……」
そう言ってから、ルカは思い出したようにあ、と声を上げ、亭主に視線を向ける。
「そういえば……確か子供が魔術師の学校に通ってるんだっけ?」
「ああ。娘がトルトコック魔術連盟支部直轄の魔術学校に通ってる」
「へえ、そうなのか。この街に来る前に講義に行ったわ。……ていうか、何で魔術師なんか目指してるんだ、あんたの娘は?」
「……才能があるだのなんだの言われたらしいが……俺にもよく分からん。全く、魔術師なんかになってどうしたいんだか……」
悪態をつきつつも、顔は誇らしげだ。亭主はベーコンのソテーをルカの前に置いた。心なしか量が多めに見える。
「ありがとう。……でもな、ご主人、魔術師なんて目指させない方が良いぞ」
フォークでソテーをかきまぜながら、ルカ。その言葉に、亭主は怪訝そうな顔をする。
「……魔術師のあんたが言うか?」
「だからこそ、さ。娘が可愛いのなら、なおさらだ。孫の顔みたいんならとっとと魔術学校なんて辞めさせて、まともな学校に転校させてやれよ」
「ある才能は生かすべきだと思わないか、あんたは」
「才能があるとかないとか以前に、そもそもこの街で娘を魔術学校に通わせている、なんて白い目で見られるどころの騒ぎじゃねえだろ」
「こっちじゃ、魔術師も聖職者もないよ。向こうとは世界が違うようなもんさ。あっちに――新教会通りの方にちょっかいかけなきゃ、何も言ってこない」
「ああ――そう。でも、才能があっても魔術師にならなくていい選択肢だってある。あんたの娘にはな。たとえそれが、卓抜した才能だったとしても……」
ルカは言いながら、フォークを置くと突然立ち上がった。亭主はルカの雰囲気があきらかに変わったのが分かった。亭主がこの街に住んでいて嫌になるほど感じた雰囲気だ。
何者かに対する敵意が、ルカの眼にはありありと浮かんでいたのだ。
「魔術師なんて、ろくなもんじゃない。俺だって、選べるならなりたくなかった」
そう呟いてから、踵を返したルカは、部屋の隅の窓際の男が一人で食事をしている席に近づいた。
「おい、お前――なにをしてやがる」
「な、何って……ただ、食事を……」
脅迫じみたルカの声に、もごもごと口を動かし、男。ひ弱そうな、平民然とした服装の凡庸そうな男であるようにしか亭主には見えなかった。
「ただ、食事をとっていた、だと!」
ルカは眉を吊り上げ、男の肩を掴んで床に倒した。あっけなく倒された男は痛みにうずくまっている。
「ちょ、ちょっとあんた!やめてくれ!」
カウンターから飛び出してきた亭主の制止の声も聞かず、ルカは男の手を容赦なく踏みつける。悲痛な声を上げる男だが、ルカは眉一つ動かさない。
「何が目的だ? この宿か? それとも――俺か」
「い、言いがかりだ……そもそも、僕は魔術師なんかじゃあ――」
痛みにうめきながら反論する男を一瞥し、ルカは真横に手を突き出した。
「――――我が力にて塗りつぶせ魔の刻印よ!」
ルカがそう唱えると、男の座っていた席のすぐ横の壁が突然輝きだした――壁そのものが、というよりは壁に描かれたような模様が光を帯びていた。
「な、何だこれは……」
「このレティーリア王国の魔術師は一般的に二種類の魔術を扱う。そのひとつが、この術式魔術。魔術師が発動する魔術を一定の模様として物質に描き、設定しておいた呪文を唱えることで恒久的にその魔術が発動し続けるものだ……そうだな?」
ルカがそう言いながら、足元で悔し気な顔をしている男を睨み付け、続ける。
「はっ、雑な術式だな。ひょっとして、魔術連盟の試験も突破できない落ちこぼれか?」
「……く……」
「何だよ。落ちこぼれの癖に、プライドだけはご立派にあるんですってか?」
嘲るようなルカの態度に、男はおびえたような顔つきががらりと豹変した。
「だまれっ! ――――風よ!」
男がそう唱えると、ルカは咄嗟に身を翻し、後ろに跳んだ。
ごうっ!という音とともに、強い風が店の中に巻き上がった。他の客が家具や皿が飛んでくるのに悲鳴を上げながら店から飛び出て行く。
机も椅子もなにもかも巻き込んで、部屋中をめちゃくちゃにした風が止んですぐ、ルカの立っていた床には、刃物で抉られたような痕が残った。
「目くらましかと思ったが……技術がないくせに、自信だけはあるみたいだな」
ルカはそう吐き捨てる。彼が視線をやった先には男に羽交い絞めにされ、顔を真っ青にした亭主の姿があった。
「黙れ! こいつの頭をふっ飛ばされたくなかったら、おとなしくしていろ!」
「その非魔術師を殺したらお前の罪が増えるだけだ。非魔術師を魔術によって殺害するのは連盟の
きっぱりとそう言うルカに男は顔を真っ赤にして、突然大声を上げた。言葉にすらなっていなかったが、男が喚き始めると先ほどの風よりも数段強い風が吹き荒れる。無色の刃が巻き上がっているかのように店中の家具が切り刻まれていく。
「――!」
頬から血が流れた亭主は、恐怖に満ちた様子で言葉を失い、顔を真っ青にして固まっていた。この状況下において、自分の命は軽すぎるのだと言う自覚が亭主にはあったからだ。
「爆ぜろ嵐よ――!」
ルカがそう唱えると、男は亭主から弾かれたように――あるいは、吹き飛ばされたように壁に激しく叩きつけられた。それと同時に、店内を駆け巡った嵐があっさりと止む。
「とはいえ、知らぬ存ぜぬは通用しない。この場に立ち合っている限り非魔術師を保護しなきゃ俺も極刑じゃないにせよ罰せられちまう。連盟の魔術師としての義務は果たすさ」
ルカは手袋を直しながら、放心状態の男に近づいて行く。男は顔を真っ青にして、ルカを見つめていた――恐怖、と言うよりは、何かを喪失したような表情だとルカは思った。さしずめ、自信を失ったのだろう、と。魔術で心を読むなんて芸当はルカにはできなかったが、それだけ男の表情は分かりやすかったのだ。
「渾身の魔術が簡単に突破されて、残念だったな。自分の命の危険より、魔術を上回られたことにショックを受けるなんて、あんた魔術師らしいよ」
「お、俺は――こんな、こんな――まだ、おれは――!」
まだ諦めていないらしい男の喉元に、ルカは腰に差してあったナイフを突きつけた。
「馬鹿は嫌いだ――死にたくなかったらすこしは利口になった方がいい」
鋭い刃の先端で軽く撫でられた男の首から、一筋の血が流れた。男が脂汗をかき、ようやく顔が恐怖の色に変わったのを確認してルカは息をついた。
「…………」
絶句して事態をただ見守っていた亭主をルカは横目でちらりと見てから、また男に向き直る。
「魔術師なんて、こんなものだ。あんたの娘も、数年後はコイツのような負け組か、俺のような暴力しか能のないクズになる――ろくでもない職業だよ、本当に」
ルカは亭主を諭すように――そして、自嘲するようにそう静かに呟いた。
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