2-4

「じゃあオッサンはこの金をちょっと増やしてくるから。バイバ~イ」

 情報屋は上機嫌かつ――酔っているのか、ふりなのかルカにはわかりかねなかったが、千鳥足で席を立った。

「なあ」

 ルカは半ば反射的に、その場から去ろうとする情報屋に声をかけた。

 何故声を掛けたのか、自分でもわからなくなって、ルカはしどろもどろになりながら口を開いた。

「あんた、魔術師の事を憎んでるんじゃないのか?」

「え――何で? そう思うの?」

 問いを問いで返され、ルカは目を泳がせた。

 ルカは何を考えてそんなことを聞いたのか、本当に自分でもわからなかった――わからないというよりは、深層心理で考えていたことが、自然と声に出てしまったのかもしれないが。

「……あんた、ヴァルプルギスの夜の被害を受けていたとしても、おかしくない年だろう。変な逆恨みで、嘘の情報を流されても困るしな」

 言葉に詰まって、ルカはとりあえず皮肉気にそう答えておいた。それを聞いて情報屋は噴き出すと、笑って続けた。

「確かに俺は魔術師が嫌いだよ」

 頬の傷に触れながら、情報屋。その仕草と言葉に、ルカは顔を曇らせた。言わずとも分かる、その裂傷は、きっと、魔術師の手によるものだ――そうルカには思えてならなかった。

「なんだよ、小生意気なクソガキ魔術師のくせに意外とかわいいとこあるじゃねーか、まあ、気持ちは分かるがね。人に嫌われたくないって」

「別に――そんなんじゃ――」

「俺は好かれたいね。好きな奴を殺すとか特殊性癖な奴の割合は少ないし、好かれた方がメリットは多い。商売においてもそうだ。気に食わない奴と、商談はしないだろ?」

 葉巻を取り出しながらなんとはなしに話し始める情報屋の声を、ルカは食い入るように聞いていた、

「嫌われたくないって思う事は、自然なことさ。幾ら否定しても、いくら魔術師おまえらが化け物じみた力を持っていたとしても――所詮は人間だ。人間ってのはそう言う風にできている」

「街を崩壊させ、ひとことで人を何百人と殺せる化け物が、お前は人間だと断言できるって言うのか」

 ひどく静かな声だったが、ルカのその声には苛立ちが含まれていた。

「ああ。できる。お前は奴等と違う――もしかしたら、奴等もそうだったのかもしれないけど。お前は、自分がやったわけでもない罪の意識にさいなまれている」

「そう言えるのは、お前の前で、俺が魔術を使ってないからだろ!」

「孤独を怖がるのも、その罪悪感も、お前が人間である証拠だ。それをなくした時お前はやっと化け物になれたってこったな。あるうちはまだ人間だ、ざまあみろ」

 言いきった情報屋を、呆然とルカはみつめた。先ほどの様に怒鳴り散らしたくなる気持ちも湧き上がらない。

「そんなもの、ただの詭弁だ……」

 ルカのつぶやきを聞いているのか聞いていないのか――情報屋はまたへらりと笑った。

「マッチを切らしちまっててな、お前の魔術で点けてくれねーか? アルカナ階位の天才魔術師が、できねーってことはないだろ?」

 情報屋の言う通り、その程度の魔術は呼吸をするかの如く、ルカにとっては単純で、簡単なものだった。魔術において、物質に着火する魔術というのは大きさ、火力の微調整は一般的には難しいとされているが、ルカのような魔術連盟の幹部であるアルカナ階位――魔術師たちのなかでも指折りの実力者であれば、その調整も容易いものだ。

「……できない」

 だが、ルカの答えは否だった。無論それは、嘘だったのだが――差し伸べられた手を振り払うように、ルカはそう答えた。

「……そーかい、存外魔術師ってのも、大した事ねえなあ」

 情報屋はそれだけ言うと、手をひらひらさせながら、ついに店から出て行った。

(言えるはずがないんだ、魔術師を人間だ、なんて……心の底からそう思っているはずがない。そんなわけが、ないんだ……)

 ルカはそう心の中でつぶやく。そう自分に言い聞かせるようにして、心にわだかまりをまたひとつ残した。


 やたらと喋る男がいなくなったことで店内は一気に静まり返り、居心地が悪くなってルカはちらりと窓の外に目をやった。

 すでに外は薄暗くなっていた。もうすぐ、夜のとばりも下りるころだろう。ちらほらと通りに人が出てきた。昼間にはなかった露店が開いている。

(どうせ、ガラクタとか盗品とか、ろくでもないものしか売ってないんだろうが……)

「うるさいのがようやくどっか行きやがった」

 沈黙を破ったのは、亭主だった。ルカは意外そうな顔をしてから、もぞもぞ口を開く。

「騒がしくして悪かったな、ご主人」

「まあ、奴が来るといつもそうさ。気にしなくていい」

 ルカはどうも胸がざわついて仕方がなかった。情報屋との会話が脳を駆け巡る。落ちつかない気持ちを払拭するために、ルカは話題を変えようと口を開いた。

「そういえば、セインシアはこの旧教会通りをなぜ放置してるんだ? 神聖な街とアピールするには、あまりにも大きすぎる汚点な気がするけど」

 亭主はルカの気を知ってか知らずか、ああ、と声を上げて続ける。

「なんでって、そりゃあ、あの新教会を建てるためにギンズバーグ・ファミリーが資金援助したからさ。信者共には信仰の力だとかなんとか抜かしているが、寄付金なんてはした金で建てられるもんじゃないからね」

「聖職者とマフィアが癒着してんのか」

「そういうことだ。この街で娼館が堂々と経営してるのはそのせい」

 亭主の言葉にルカは合点がいった様子で、にやりと笑った。

「需要もありそうだしな。新教会目当てに来た観光客とか、巡礼者とか、お偉い司祭様とかに。聖書によれば、信者は随分禁欲的な生活を強いられているらしいし、丁度いいんじゃね」

「あの重石の代わりにしかならない本にそんなこと書いてあったっけね」

「ああ、67ページの14行目に」

 それが事実なのか事実でないのかは分からなかったが、あまりにも真面目くさった顔でルカが言うものだから、亭主は肩をすくめ、続けた。

「ギンズバーグ的には此処を歓楽街にしちまいたいだろうが、それじゃ向こうのメンツが立たないから、このまま表面上はスラムっぽい体を取ってるのさ。向こうの新教会通りの連中は近づかない。マフィアに買収されてる市長が近づくなと命じているからな」

「悲劇的な歴史を残すために旧教会通りを残しておいたら、血気盛んなクズ共が住み着いて手を焼いてるって市民には吹聴してるってことね」

「そう言う事だ。それがセインシアの現状。――ああ、そうだ」

 と人相を更に悪くさせているであろう口ひげを撫でながら、亭主は続ける。

「あんた、しばらくこの街に滞在するのか?」

「ああ、まあ……仕事でね。しばらくいるつもりだ」

「なら宿は決まってんのか? 浮浪者どもと一緒に地面で寝るわけでもあるまい」

「まあ、それは勘弁かな……探そうと思ってたところ」

「新教会通りの方は、良い宿はあるが……魔術師だってバレたらまずいだろうな、この辺りなら――」

 矢継ぎ早に言う亭主に、ルカは半ばあきれ顔になって、核心をつくことにした。

「……それは、この宿に泊まれって事か?」

「話が早くて助かる。ご覧の通り、いつも経営は火の車でね。けど、飯の味は保証する」

「ああ、そう。そりゃ楽しみだ」

 すがすがしいほど率直な亭主の答えに、ルカは苦笑しながらも断る理由もなく、承諾したのだった。


 ルカの経験上、こういう治安の悪い路地裏にある宿はそれらしく、夕食に堅いパンが出るのはまだいい方で、粗末でも寝床があれば文句なしと行ったところだった。

 しかしこの宿――『小鹿亭』の亭主が作った食事は食事処で出しても遜色ないレベル、案内された部屋は、掃除が良く行き届いており、清潔そうな真っ白なシーツの敷かれたベッドは柔らかく、無作法者が使いそうもなさそうなコートラックまで置いてあった。

 まさに至れり尽くせりと言った感じで、ルカが今まで泊まってきた宿の中でもトップクラスだった――とは言ったものの、ルカの貧乏性が原因でそう質の良い宿には泊まっていないのだが。

(しかも風呂まで用意してくれてるとはな……なんだって、こんな所で宿やってんだか……)

 身体を流してからルカはすぐ、部屋のベッドに寝ころんだ。すぐ横には大きな窓。ルナドライト鉱石を人工的に染色した下品な店の光よりも、月の青白い光にルカは目を奪われた――背けても、視界に入ってしまうほど今日の月は大きく、輝きが強いように感じた。


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