2-2
ルカが男に案内された酒場は、宿屋を兼ねているらしい薄暗い裏路地に似つかわしい寂れた場所だった。
客一人いないがらんとした店だったが、きちんと清掃はしてあるらしく、手入れのされたカウンターやテーブルから亭主の几帳面さが良く伝わってくる。
「客払いも必要なさそうだな、邪魔するぜ、おやっさん」
「うるせえ。いかがわしい話は外でしろ」
亭主は訝し気な顔をしてそう吐き捨てるように言った。
強面でお世辞にもカタギには見えない、その顔立ちに相応しい無愛想そうな表情をした中年の男だった。グラスを磨く手は止めず、亭主の視線がルカの方に向いた。
「この、坊ちゃんがお客さんか? 随分育ちが良さそうなお坊ちゃんだが……」
意外そうな顔をして、亭主。特に悪意のない言葉ではあったので、ルカはとりあえず黙っておく事にした。
「おい、お前、まさか……俺の目の黒いうちはな……」
亭主は明らかに怒っていた。その様子に情報屋は困った笑みを浮かべる。
「たく、あんたも難儀なやつだねえ、そんなんだからこんな店でくすぶってんだよ」
「言ってろ。筋の通ってねえ最近のやり方は俺ぁ気に食わねえんだ。カタギにまで手を出しやがって……坊ちゃんも、んな奴の話に乗る必要はねえぞ。とっととおうちに帰りな」
「勘弁してくれよ……」
二人の会話を静かに見守っていたルカだったが、情報屋の縋るような視線に助け船を出してやる事にした。
「――悪いな親父さん、俺は魔術師なんだ。少し仕事でこの街に来ていてな」
「あ――?なんだ、魔術師か……」
亭主はわざとらしくため息をつくと、続ける。
「外見は無害そうな坊ちゃんだろうが、か弱い嬢ちゃんだろうが、ふた開けりゃあまとめて頭の良い化物だろう、魔術師ってのは。好きにやってくれ。うちの店壊したりしなきゃご自由に」
心づかいの欠片も感じられない言葉を亭主はすらすらと並べ立てた。ルカはとくに気にも留めずに――店主が言っていたことにひとつも誤りはなかったものだから、頷いた。
事実、そうだ――非魔術師からすれば、魔術師は化物と言う認識をされるのに間違いはない。非魔術師が道具を使って起こす小さな火も、魔術師は一言で(もちろん、実力にもよるけれど)建物を覆い尽くすほどの炎を起こすことが出来る。
魔術師もこの世界にに住まう種族として分ければ人間ではあるのだが、魔術の扱えない非魔術師基準で言えばけして人間ではないのだ。
(まあ、だからって、面と向かって化け物扱いされるのにいい気はしないけど)
ルカは心の中でそうぼやく。だが、実際に声に出すことはない。非魔術師である亭主に訴えたところで、理解はしてもらえないからだ。
学校で生徒たちに説いた通り、魔術師と非魔術師が本質的に理解することはありえないから、そんな話し合いは不毛でしかないのだとルカは断定する。ルカと亭主がここで話しあおうが、学者たちが議論しようが、思想を掲げた連中が言葉を交わしあおうが、総て机上の空論でしかないのだから。
「そんなこと言うもんじゃないよ、おやっさん。子供さんが魔術師の学校に通っているんだろう?」
「あんな奴俺は知らねえよ。才能があるだなんだかんだと、のせられて……調子に乗りやがって」
「そう言って学費を払ってやってるんだろう、知ってるよ」
そう情報屋が言うと、図星をつかれたらしい亭主は黙り込んでしまった。
「さて、うるさい親父も黙らせたことだし、ビジネスと行こうか」
情報屋の男は先ほどのうさんくさい笑みを再び浮かべる。癖なのか何なのかは分からないが、ルカは呆れたようにまたため息をついた。
「何が知りたい? 金額しだいだがね」
「法外な値段じゃなきゃ、いくらでも。経費で落とすし」
「……あんまり調子づくと、消される感じ?」
「さあな。なにごとも、すぎるっていうのは良くないと思うけど」
あっけらかんとして言うルカに、お手上げだとばかりに情報屋は深くため息をついた。
「まず……誰から俺の話を聞いた?」
「……それはあくまで俺のところに噂として流れてきただけだ。セインシアに、何の用事かは分からないが、魔術連盟幹部クラスの魔術師であるあんたが近々来るって事だけが」
何やら苦々し気に、情報屋は言った。情報を商品として扱っている以上、噂と言う不確定な物に頼った事実を明かしたくなかったのだろうとルカは断定した。
(噂、ね……この様子じゃあ知らないみたいだな)
情報屋はルカの訝しむような視線に、少し慌てた様子で続ける。
「そもそも、このセインシアに来る連中は向こうの新教会目当てにくる巡礼者ばかりだし、こっちに来る奴なんてあまりいないから、それらしいあんたに声をかけてみたってだけさ」
「ふうん……。おい、お前まさか、噂程度で金を取るなんてないだろうな」
半目でそう言うルカに、「ケチ……」と情報屋は年甲斐もなく口を尖らせた。
「で……心の盗人っていう薬物の事を知ってるか?」
「心の盗人、か。最近急速に流通し始めたアレのことだな」
情報屋は考えるように顎ひげをさすりながら、続ける。
「それをキメてる間は丸一日アッチもコッチも元気だってな、ただ依存性が従来のブツより異常に高くて、クスリのことしか考えれねえ、それを巡って死人も出た……だから心の盗人って名前が付いたんだよ」
(丸一日――ジェラルドが描いた術式より、精度が低いから効果も続かないんだ。だけど、一日となると……放置すりゃ、膨大な金が動くかもしれねえな)
ルカが考え込んでいると、情報屋はにやつきながらルカの顔を覗きこんできた。
「しかし――なんだって、魔術師がそんなことを知りたいんだい? こんなしけたスラムで流行ってるクスリのことなんざ……人間の俗世間に魔術師サマが首突っ込んでくるなんて、随分珍しいじゃねえか」
(生意気に、俺を利用しようってか? このひょろがり狐野郎が……)
ルカは目を眇め、口を開く。
「てめえは、俺の求める情報を売ればいいだけだ――余計なことを言うな、てめえの目の前にいるのは、化物だぞ?」
不機嫌そうな表情を浮かべ、わざとらしくルカは机を指でこつこつ叩きはじめた。所謂、威圧である――自分の事を利用しようとしている情報屋に、苛立ったと言うのもあるが。
「おー怖い怖い……怖いから、あまり探るのは止めておくわ」
笑みを崩すことなく、男はわざとらしくそう言った。それが更にルカを苛立たせる。
ルカはこういう人間が嫌いだった。馴れ馴れしい態度で、下心を持って懐に入り込んで来ようとするような、卑劣な人間が。そういう人間は昔から幾らでも見てきたが、やはり慣れない――
(卑劣な人間、だと? 自分も同じような真似をするくせに)
ルカは情報屋と自分を比較し、胸の内でそう自虐した。そんな無駄な思考とざわめく胸中を無視し、ルカは情報屋を睨み付ける。
「俺が知りたいのは、薬の出所だ。何か知っていることは?」
「俺も流石に命は惜しいんでな、それだけは言えねえ。けど――」
「けど?」
「魔術師連中がここら一帯を廃墟にしたのを知ってるか?」
慣れ親しんだこの場所が被害に遭ったと言うにはやけにあっけらかんとした声で、情報屋は言った。
(この男は、ヴァルプルギスの夜の被害者なんだろうか)
もし、この男が本当に「生まれも育ちもセインシア」なのだとしたら――その顔の傷の原因が、この、裏社会に身を置いているからではなく、ヴァルプルギスの夜が原因だとすれば――。
ルカは男の顔を盗み見た。特に表情に変化はない。相変わらず、掴みどころのなさそうな笑みを浮かべている。
(人間は、あまりにも影響の大きすぎる、酷いショックを受けたときに記憶を失ってしまうことがあるという)
推測でしかない。この街に定住していたとも限らない、そもそも、男の言うこと自体が嘘かもしれない――こんなものは感傷でしかないのだとルカは頭では理解していた。けれど、ルカの表情を翳らせるのには十分すぎた。
「……知ってる」
ぼそりとつぶやくようにルカはそれだけ返した。それだけしか、返せなかった。
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